2011年08月18日

国境 F-JK

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対馬・比田勝

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 9:35、対馬北端の町、比田勝に着きました。行政的には対馬市上対馬町ですが、合併前の上対馬町(合併時人口約5,000人)の中心地でして、対馬北端部の主要町でもあります。といっても人影はまばらで、典型的な過疎の漁村といった風情が漂っていました。

 ここから対馬最北端まではどうやって行きましょうか。

 バスはあるにはあります。たった一日2本しかなく、さらに、厳原からのバス(対馬交通)とは経営母体が異なり対馬市営バスのため、まったく接続が考慮されていません。バスは8:00に出てしまっており、次は12:31までありません。確かにこれらを乗り継ぐ乗客などいないでしょうが、一応、観光地域も走る為、もう少し何とかならないものでしょうか。

 12時半までとても待てないため思案していると、とにかく港まで歩くことにしました。バスの営業所から港まで徒歩10分程度でしょうか。けっこう離れています。この島では、バス同士の接続はおろか、フェリーや高速船の接続もまったく考慮されていません。港すら横付けしませんから。

 国道を歩いていると比田勝の港は突然現れました。奥まった天然の良港といった感じで、歴史は浅く、大型船が着けるようになった明治以降にこの港は造られた、とのことです。戦前は、下関と釜山を結ぶ航路の寄港地だったらしいです。

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 (比田勝のみなと)

 ここのフェリーターミナル内に観光協会があります。ここで交通手段のアドバイスを求めるため立ち寄ると、可愛らしい若いお姉さんが出てくるではありませんか。離島の過疎真っ只中の町でこんな綺麗なお姉さんと出会えるとは思いませんでした。島で生まれ、島で育った、純粋な対馬っ子だそうです。

 お姉さん(職員)は、「レンタサイクルなどどうでしょうか?」

 比田勝から北端部まで自転車でいける距離です。雲行きが何となく怪しいですが、青空も見えますし、自由が利きますし、これ以上に願ったものはありません。15時までに帰ってくればいいので、私は即座にお願いしたところ、観光協会から通りを挟んで向かい側にレンタサイクルの事務所がありました。ここで一日1,000円で借りることにしました。自転車はすべてハングル文字というのがミソです。

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(レンタサイクルの事務所もハングル文字、『観光案内センター』とあります)

 さあ、出発です。

 日田勝港を北に進むと、早速なが〜い登り坂が始まります。汗が猛烈に噴出し、運動したくないのに結局運動してしまう羽目に。そりゃ、自転車ですからね。登れば今度は下り坂。内心、下りたくありません。どうせまた登るのですから・・・

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(離島名物、政治家の道端氾濫ポスター、鹿児島離島区ほどのひどさはありません)

 坂を下れば集落、終わると登り坂、そして下り坂→集落の繰り返しです。ただ、この辺の集落はもちろん漁村ですが、古い家々の造りがどこか異国チックです。しかし、どこの集落にも必ずあるものがあります。それは神社です。やはり対馬は神国日本の中の一部なのです。

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(泉集落で見つけた神社)

 泉集落、豊集落とかっとばし、

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(国境どん詰まりの漁村集落を通過します)

ようやく目的地の鰐浦集落に到達しました。比田勝を出て1時間が経過していました。

 ここは対馬北端部です。北端部ということは、ここが一番南朝鮮(韓国)に一番近い、という事です。当然ながら、普通の国ではこういう場所は緊張区域になり、例外なくわが日本国も海上自衛隊と航空自衛隊の基地の島(海栗島)が対岸に備えを施しています。かつては要塞でした。

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(航空自衛隊基地の島・海栗島)

 ここ鰐浦は、日本側のミリタリーエリアでもある集落で、のんびりとした漁村と緊張した軍事のゾーンが同居しています。

 鰐浦集落は、細長い入り江になっていて、そこが旧漁港となっています。

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 (対馬北端、鰐浦集落)

 立ち並ぶ伝統的な蔵が日本離れした趣のある、どうしても興味がそそる雰囲気が漂っています。

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(異国離れした民家の蔵の並び・鰐浦にて)

 ここの集落の崖上に『韓国展望所』なるビューポイントがありました。

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(韓国展望所)

 急峻な崖の先端に設けられたこの展望所から、名前通り、真北に向かって朝鮮半島が眺めることができる、‘との事’です。つまり、今宵はまったくもって観えない、という事です。

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(釜山がある方向を目指す。観えませんね)

 この岬から約49kmほど先が釜山です。たったこれだけの国際海峡、この小さな海峡にはさまざまなドラマの歴史の層がうずめいています。

 鰐浦から小さな漁船が今、漁に出ようとしています。どうやら朝鮮海峡には向かわないようです。そういえば、昨夜の民宿のご主人の話を思い出しました。

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 ご主人がまだ若い頃、対馬ではたくさんの魚が取れていました。しかし、ここは国境の島。すぐに海の上で韓国との境界線にぶつかってしまいます。つまり、今見えている海の20km先は本当の国境です。

 実はサカナたちは人間側の事情を知ってか、境界線ぎりぎりにいつも屯するのだそうです。だから漁師は、境界線ぎりぎりまでサッと行って、サッと戻ってくる、こんなハラハラするような漁が収入を左右したそうです。

 少しでも境界線を越えれば、韓国の軍艦(警備艇ではない)がやってきて捕まえに来ます。仲間同士で監視しあい、きたら「鬼が来た!」と知らせ合ったそうです。捕まったら最後、船没収、ひどい場合は命すら保障されません。

 昔は日本側の漁船のほうが足が速かったのですが、今では韓国側のほうが数段上です。ただ、鈍足な船よりも足の速い船を‘軍艦’は捕まえに行きます。実は、足の速いのは高級魚を取っている、と分かっているからだそうです。

 しかしながら、ここ近年は事情が違います。境界を越えて密漁するのは圧倒的に韓国漁船です。奴らは、裏社会と絡んでいる漁船が多いため、やることがとても大胆で、堂々と日本側に侵入し、網を‘パッ’と張って根こそぎ取っては、すぐに撤退するそうです。まるでゲリラです。

 日本の漁船が海上保安庁に連絡しても、「しぶしぶ」出動しては追い払うだけ。また、捕まえようとすると、彼らは逃げ道を確保するため、日本の巡視船めがけて網を投げ捨てるのだそうです。

 日本側は外交上の問題になるのが嫌なため捕まえはしません。仮に捕まえても大した罪になりません。韓国側はそうした日本の超弱腰事情も知っているので、もうやりたい放題です。私が韓国漁船なら、そんな相手なら好き勝手放題しますね。こうしたことは日常茶飯事のことで、報道すらされないことをご主人は嘆いていました。

 さらに、対馬は韓国に対して多くの悩みを抱えています。まずはゴミです。ほとんどが韓国からの漂流込みで、中には違法に張られた漁業網、筒などの漁具、そして陸地からのゴミ、蛇が籠にたくさん詰め込まれたまま漂着する事もあるのだそうです(もちろん死んでいます)。あちらはまだまだ海洋投棄が続いているようです。

 あと、近年問題となった韓国人による不動産取得ですが、最近は手放す方が多くいるようだとのこと。一時期は、対馬にたくさんの韓国人観光客用の民宿が立ち並んだのですが、商売にならないとなると撤退も早いようです。

 一方、韓国の悪い面ばかりを書きましたが、韓国人観光客が来なければ対馬経済も成り立たないのも現実。日本の観光客なんぞ大した来ません。15年ほど前、対馬は国境の町の利点を利用して起死回生の作戦に出ました。それが韓国人観光客受入れです。

 対馬観光が韓国側から大々的に宣伝されツアーが行われてきた結果、今では人気のコースだそうです。私が対馬で出会った観光客のほとんどが韓国人で、何とか軌道に乗っているようです。よって、日本ばかりに固執していては展望が開けない、よい例でもあります。

 もちろん、住民の間でも軋轢はあり、観光業に関係している方々と、そうでない方では考え方も異なります。よって、一歩一歩、徐々に理解を深めるしか方法はないように思えます。伝聞だけの偏った情報にとらわれずに。

 彼らは、個人個人で見ればいい方ばかりです。ただ、組織や団体となるとどうもいい話がありません。昨夜の民宿のおばさんも、韓国人のお客さんのほうが明るいし、人懐っこい、と言って歓迎するそうですが、いかんせん、体臭がきつく、帰った後、においを消すのがいつも大変、とのことです。

 ただ、こうやって韓国人観光客を大切にしない風潮が続くと、現に大震災の影響で今年は客足が遠のき、韓国側の船会社も週末だけの運行とし、それが韓国側、対馬側双方で不評を買っているようです。韓国側による対馬観光産業はある意味ピンチと言ってよいかもしれません。

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 さあ、展望所にしばし立ち尽くします。釜山の陸地はどうしても観えません。向こうのかすれた水平線を眺めながら、「8年前、向こうから渡ってやってきて帰国した」などといろいろ思い、ここで缶詰とバナナを広げてお昼とします。そんな私のお昼タイムの間にも、後ろから韓国人観光客がドシドシやってくるではありませんか。皆さん、韓国語のガイドに先導されてのご様子なのでツアー客のようです。

 その中から一人の6歳くらいの子どもが私のさばの缶詰を眺めています。

  「食いたいか?」

 と言うと、突然異国の言葉を耳にしたものだからびっくりした様子。わけの分からない事を叫びながらマーマーのところへ駆け寄ります。

 すると、お母さんは日本語が話せるではありませんか。

 「日本人の方ですが?私は5年ほど前までヨコハマで働いていましたので日本語が出来ます」

との事。思わぬところで韓国の方とお話が出来ました。

 聞くと、釜山でのデマド(韓国での対馬の名前)ツアーは人気で、国境を越え、お金が高い事からちょっとしたステータスとの事。日帰りで3万円ちょっと、ととの事。距離が遠い済州島の方が安いけど、国境を身近に越える事に醍醐味がある、との事。ましてや、釜山の人々は対馬の島影をいつもみせられるのですから。

 ただ、近年、竹島問題に絡んで、対馬ですら「韓国の領土だ」と騒がれている事について聞くと、女性は、

 「一部、アタマのおかしい人が言っているだけでしょ。日本にもいるでしょ。気にしない、気にしない〜」

 ちなみに、竹島についてはここでは関係がないので聞かなかった(怖いので聞けなかった)。

 よかった。韓国人、けっこういい奴じゃないの?と思うと、来るわ、来るわ、次から次へと韓国人団体客が。日本人なんぞたった3人にしか来ませんでした。

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(韓国人観光客で大盛況の展望所)

 さあ、弁当も食べ、釜山の陸影も見える気配がないのでそろそろ比田勝に戻ろうとすると、空がとっても怪しい感じがしてきました。すると、山のてっぺんにある米軍のレーダー監視所があっという間に雲で見えなくなるではありませんか。

 すると、熱帯性のスコールが『ドワー』と降ってきました。水平線は瞬く間に靄(もや)の向こうに隠れ、それどころか、自衛隊の島、さらには鰐浦の集落すら見えなくなる有様。通り雨だろうと思っていたら、延々2時間近く降らされ、比田勝に15時までに帰れなくなる可能性が出てきました。大ピンチです。

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(忍法、靄隠れの術?わずか10分で観えなくなりました)

 ‘何妙法蓮華異郷???〜’神に散々お祈りし、雨が、雨が終わることをひたすら唱えました。

 すると、14時20分頃、ついにあたりが明るくなり雨が止みました。私は猛烈な速度で必死に自転車をこぎ、無事、比田勝港に時間通りに戻ってこれましたとさ。

 
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対馬についての案内

フェリー・高速船は博多港・博多埠頭から。博多駅から99番バスに乗って終点です。くれぐれも国際航路ターミナルには行かないように。あと、五島列島行きにも間違わないように。対馬行きは、九州郵船と壱岐・対馬フェリー(貨物船)の二社の運行ですが、メインは九州郵船。壱岐経由と直行便とがあります。また、厳原と比田勝港のみが対馬側の港です。
http://www.kyu-you.co.jp/   (九州郵船)
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http://www.iki-tsushima.com/ (壱岐・対馬フェリー)
 

 パスポートさえあれば韓国・釜山へ抜けることも可能。長い間、韓国の大亜高速海運が独占運行していましたが、2011年からは、JR九州の旅客船が週末だけ対馬に寄ることになりました。船は中型船でそんなに大きくはありませんが一応高速船で、厳原港と比田勝港から交互に出ています。運賃は9,000円弱だと思います。料金だけでみるなら、下関から入った方がいいです。

http://www.daea.com/main/main.html  (大亜高速海運)
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 2011年10月01日より、JR九州の高速船も一部、対馬に立ち寄るようになりました。
 対馬―釜山、JR九州高速船も就航…3社競合へ 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000301-yom-soci
韓国旅行に行く前に、行った後はぜひ対馬にも。

対馬の宿
http://www.tsushima-net.org/stay/stay06.php

今宵、私が泊ったのは、厳原の城下町の中にある『気楽な宿』という民宿です。素泊まり3,500日本円、二食付き 5,500日本円
夕食はおいしい地元の魚を出してくれます。
長崎県対馬市厳原町中村602-3
TEL:0920-52-2970
http://www.tsushima-net.org/stay/izuhara_kirakunayado.php
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対馬内バス

対馬交通梶@毎日運行 (平成23年4月現在)
http://nagasakischooljimu.web.infoseek.co.jp/300ken_ryohi/320futsuu_ryohi/325tsushima_omnibus/tsushima_koutsuu.co.htm
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通常なら、厳原〜比田勝間は、3,200円台するのですが、土日・祝祭日に限り1日フリー切符が出ています。対馬島内すべてのバスに乗り放題、それもたったの1,000円!という安さ!。

厳原    対馬空港      比田勝 
 7:10  7:32     9:29
 8:00  8:24
 9:54 10:12
10:30 10:52    12:52
10:50 11:16
12:00 12:26 赤島行
13:45 14:07    16:07
14:00 14:22
15:00 15:22
15:30 15:56 赤島行
17:45 18:09
18:25 18:47    20:47
19:23 19:50 仁位行

比田勝    対馬空港   厳原
       6:57  7:24
       8:24  8:56
6:35   8:35  8:57
       9:15  9:39
8:40  10:40 11:02
      11:00 11:24
      12:15 12:41
      14:21 14:47
      14:50 15:12
13:25 15:30 15:52
      16:35 16:59
      18:30 18:52
16:45 18:49 19:11
      19:40 20:04 

鰐浦・比田勝循環線 (毎日運行)対馬市営バス
比田勝     鰐浦     泉     比田勝  
 8:00   8:11   8:21   8:29
14:16  14:27  14:37  14:50 
 
比田勝     泉      鰐浦      比田勝  
12:31  12:44  12:54   13:05
17:41  17:54  18:04   18:15 

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2011年08月17日

国境 F

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1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

 結果は5.でしたね。

 壱岐を訪ねた私は、そこを午前できりあげ、次の目的地、対馬に向かいました。対馬は、博多から北へ120キロほどある離島で、九州よりも朝鮮半島のほうが近い位置にあります。

 12:55、壱岐島・郷ノ浦を出港した大型フェリーは、2時間ほどで対馬の島影を見せてくれます。壱岐とは比べ物にならないほど大きくて高い山が聳えている独特な余韻のある島です。

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 (対馬の島影)

 島全体の人口は、約3万4千、本州・北海道・四国・九州の主要4島を除くと、第6位の大きさの島で、さらに周辺に100以上の孤島をちりばめている独立したワールド感ムンムンの島です。

 対馬は対州(たいしゅう)とも呼ばれ、一島で『対馬市』という市が一市あるだけですが、南北100キロある広い対馬を表現するには大きすぎ、合併前の旧市町村(厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町)で、ものを考える人が多くいます。

 私がこの島にきた目的は、この島は韓国に近い国境の島だからです。今までいろいろな国境を陸路や海路で観てきましたが、国境の特殊性ゆえの人の営みにはいつも興味がわきました。しかしながら、自分の国の端についてよく知らず、さらにここ近年、国境警備について騒がれおり、いったいどういう島なのか実際に見に行きたい、と思っていたからです。

 実は、私が対馬を訪れたのは初めてではありません。DVD『汽笛街道』最終編を観ていただいた方はご存知かもしれませんが、長いヨーロッパ・南アジア横断の旅で締めくくったのは、ここ対馬であり、釜山からの高速艇で対馬・厳原港にて旅が終わりました。2003年のことです。

 しかし、当時は対馬散策はできずにすぐに博多行きのフェリーに乗船したため、何も観ずに去りました。今回はそのリベンジです。

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 フェリーがようやく着桟しました。

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 (厳原港着桟)

 お盆の帰省・観光客を出迎えにきた厳原港は車でごったがえし、瞬時のにぎわいを見せてくれています。 そんな中に混じって私は、トボトボと厳原の町を小さな川にそって歩きます。

 今宵お世話になる宿は、一泊3500円の民宿、『お気楽な宿』。女将のおばあちゃんが快く出迎えてくれました。一泊3500円にしては立派な宿で、クラーもテレビもあるし、共有冷蔵庫も使っていい、とのこと。昨夜の屈辱がウソのようです。

 ここ厳原は、対馬の中で一番大きい町です。対馬全島の4割ほどの人がここに住んでいいて、川をはさんで狭い隘路のような土地に集落が密集しています。ここは昔から対馬を統治してきた『宗』氏という豪族・藩主が城をかまえた歴史のある町でもあります。よって、政治経済文化の中心地です。

 私はさっそく町内を見下ろす清水山城 を登ってみました。

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  (清水山城の石垣群)

 ここは秀吉の朝鮮出兵時の兵站基地となった城で、今も尾根伝いに石垣が見事に残っています。ここから眺める厳原の街は素晴らしいものです。

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  (城からの厳原の町の眺め)

 対馬は、歴史的に朝鮮と深く絡み合い、『宗』氏は朝鮮側の官位も受けていました。これを人は国境の特殊性とよんでいるそうです。宗氏は、日本でも珍しく、鎌倉時代から戦国、江戸期を経て明治維新まで続いた領主でした。

 しかしその歴史は受難と繁栄のミックスでした。あちら(大陸)から侵略を受けた元寇はその受難のひとつ。もちろん、一番被害を受けた島であり、ほかに、室町時代に朝鮮から侵略を受けたりしました(康応の外寇、応永の外寇)。

 一方、逆に秀吉の朝鮮出兵の前線基地となり、先ほどの清水山城など、けっこう対馬にはこの時の史跡が残っています。宗氏は朝鮮侵略軍の先鋒となり、小西行長を先導して各地で激戦を経験しました。

 徳川時代となると、逆に朝鮮側との和平・交流の仲介役となって奔走し、紆余曲折はありましたが、朝鮮側からのみの使節、朝鮮通信使節の取りまとめ役を担い、また、釜山での倭館で日朝交易を許され、こうした貿易の利益が対馬の農産物よりも多くの富を対馬にもたらしました。

 厳原の城下町を歩くと、石垣の塀や寺院などが立派であることが分かります。宗氏の繁栄振りが感じ取れます。

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 (厳原の城下町の石壁)

 近代は、日露戦争の戦場近くで会ったり、李承晩ラインが目の前にひかれたりと、国境の島故に両国の受難を直接受けてきた島でした。多くの史跡は、そんな国境の島の運命を伝えている特別なものを感じさせてくれます。

 その晩、民宿のご夫婦と一杯やることになり、いろいろ、対馬のことを教えてもらいました。
 ご主人は漁師、奥さんが民宿を切り盛りいています。今宵は旧盆の中日。家々の門には提灯が飾ってあります。

 のんびりと静かで平和な島暮らし。しかし、ご主人は今の対馬を心配していました。とにかく仕事がない。だから今、ご主人はもうひとつ仕事をしており、漁業一本では食べてはいけない現実に直面しています。まず、海流の影響と韓国側の乱獲で魚が取れなくなったこと。そして、船の油代の高騰。漁に出れば出るほど赤字です。

 そうした現実を輪をかけるように、若者がどんどん島から出てゆき、本土からの観光客も期待できず、対馬は生きる道を模索した結果、国境の島である利点を活用すべく作戦を立てました。それは後ほど書きます。

 8/14

 対馬の交通手段はレンタカーやタクシー、そして路線バスなどがあります。しかし、当日は旧盆の真っ只中であったため、レンタカーやバイクはどこも一杯です。本当は観光客が少ないこの島においてはほとんどありえない光景だそうです。だから、一時期に集中し、心象悪くしてしまうのは忍びない、とレンタバイク屋のオッサンは言っていました。

 今宵は仕方なく路線バスで移動することにしました。目指すは北端の韓国の見える岬。厳原から90キロ以上もあります。そこまで路線バスで行けば3200円かかるのですが、土日だけ発売の島内路線バスフリー切符なるものがあり、それだと、一日何回、どこまで乗っても1,000円。オトクでしょ?

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 (一日フリー切符)

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 (南北縦断路線バス)

 厳原を7:15に出たバスは一路北に向かいます。車内は私を含めてたった3人しかいませんでしたが、すると、途中から韓国人の団体が6人乗りこみ、突然にぎやかになります。

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 (韓国人団体のおかげで車内ににぎわいも)

 路線バスの不利な点は途中下車がなかなか出来ず、ピンポイントで観たい史跡が近くを横切っても何も出来ない点です。今回も万関橋(日露戦争中に開通させた、下島と上島を隔てた運河)などは一瞬通過しただけでした。
 
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 (国道の万関橋を一瞬で通過)

 バスは立派な国道を進みますが、北へ行くほど森の中道が多くなり、急峻な峠道もバスは行きます。そうして厳原から2時間半後、ようやく上対馬の中心地、比田勝の町に着きました。

 次回は韓国を望む岬に向かって自力で走ります。

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 (比田勝到着)

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2011年08月15日

玄界灘の島

 またさいころをふります。

1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

結果は・・・

5.

 よってその方向は壱岐・対馬となりました。

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(乗船券)

 壱岐・対馬へは飛行機と船で行くことができます。もちろん、一番運賃が安いのが大型フェリー。高速船もありますが、それはけっこう高いので、迷わず、そして意地でもフェリーを選びました。

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 フェリーは主に博多港から出ています。九州郵船と壱岐対馬フェリーの二社ですが、後者は貨物船が旅客をついでに載せる形態のため、乗り場も分かりにくくあまりお勧めできません。
 
 8/13、お盆初日の夜、博多港発の夜行便は超満員。重い記憶を掘り起こせば、この夜光帯の混雑っぷりは、学生時代における北海道内夜行列車以来だと思います。今宵は屈辱的な階段・通路雑魚寝を強いられるほど混んでいまして、帰省客と観光客が半々くらいでしょうかね。学生連中のはしゃぎようは何なのでしょうか。九州の人にとって、壱岐対馬は一大観光地のようです。

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(大混雑)

 さあ、船は博多港を出港いたします。夜なので夜灯りしか見えませんが、浪間に映る月影はどこか安らぎを託してくれました。

 8/14

 夜行便は最初の下船地、壱岐・芦辺港に到着します。時間は夜の2時。私はここで下船します。

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(壱岐・芦辺港に到着)

 実はとある用事があったからでした。

 話は少し飛びます。

 2001年8月、中国・青島行きの国際フェリーにて、とある日本人連中と仲良くなり、青島に着いた後もしばらく行動を共にしました。その中の一人にS氏がおりまして、なかなか陽気で謎めいた男でした。

 S氏を含む、連中とは北京で別れましたが、その1年後、留学中の私はS氏と何と、英国・ロンドンで超偶然にばったり会ってしまったのです。これは神のいたずらか、どうか分りませんが、その後、英国南部を案内しながら再開を喜びました。そして、帰国後もたまに会って一杯飲んだりしました。

 しかし・・・今から5年前の七夕、S氏は突然他界しました。ショックでした。たった7人で囲って葬式と火葬をすませました。肩を落として関東を去るご両親の姿が今も忘れられません。

 その彼の墓が、ここ、壱岐の芦辺港近辺にあります。

 墓参りは日の出を待ってからにしました。ターミナルは鍵が閉められ、断腸の思いで野宿となり、蚊とダニと闘いながら、不安な岩壁の一夜を越します。

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 (脂と潮まみれで岸壁で一夜)

 午前6時、待ちに待った日の出と共に行動開始。東からのさっそうと輝く太陽の光線が稲を照らし、早くも強さを増します。

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 辺りには典型的な農家が点在し、漂う稲と土壁の匂いがどうしても懐かしさの泥沼から這い上がれなくさせるのです。小さい頃、母親の実家(福島県)に連れられてやってきた私は、あの時、農家の母屋の匂いに囲まれました。あのにおいと全く同じです。また、あの時はカイコもいました。そのカイコが食べる桑の香りも、この芦辺の里で感じることができます。

 さて、聞いていた場所の山中をさまようこと小一時間、どうしても彼の墓が見つかりません。何せ初めての場所ですので、ある程度迷うのは仕方がありません墓地の塊、またはそうした雰囲気が出現するのを待っていましたが、一向に現れません。

 どうやら、この辺りのお墓の分布は、私の思っていた様式とは異なるようで、一族ごとに別れてはこじんまりと点在しているようです。私は片っぱしから探しました。

 「ここは中尾さん一族の墓」「ここは・・・一族・・・」

 ヘトヘトになり、絶望感が漂う始めたころ、とある けもの道が、薄気味悪い森へ不自然に上がっているのを見つけました。蛇でもジャンジャン出てきそうなその道を恐る恐る上がってゆくと、ありました、S君一族の墓標が。

 まるで手まいて教えてくれたかのようです。ようやく私の肩の荷の一つが降りました。君と出会ってから10年、亡くなってから5年、ようやく初めて墓参りができました。すべて夏でした。今年の夏は私にとって長い夏になりそうです。ここ1年、辛い日々でしたが、S君が怒っていた、と勝手に解釈しここまで今いた次第です。

 線香の煙が小さくゆらゆらと微妙な長さで潰えていきました。

**********

 壱岐は島です。全体として少し丸まった形の島で、高い山はなく、農業が主体の島です。島内の交通の便は非常に悪く、本数の少ないバスだけが頼りです。芦辺港でバスに乗り、少し島内を回りました。

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(壱岐の路線バス)

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 ビューポイントが一か所あり、そして古代遺跡が売りの島のようで、観光用の博物館などがありますが、車かこのバスを使わないと来ることができません。古代遺跡は町はずれの丘の上にありますが、このお盆の時期なのに、観光客の姿はまばらです。まあ、私が行動していた時間帯が朝だったこともあり、だから人が少ないのでしょう。

 バスは、もう一つの港、郷ノ浦に着きます。島内にはみなとが三つありますが、大型フェリーと高速船が発着する港は芦辺港と郷ノ浦港です。しかし、島内一の町なのにこの活気のなさ。私が乗ったバスなど、全区間を通しておばあちゃん1人だけでしたし、どこの離島もそうですが、深刻な若者不足を感じます。心配です。ひとつだけ、この町で威勢のいい安売り広告を見つけました。

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 こうして私の壱岐島めぐりは終わりました。午前中まるまる使ったことになりますが、墓参り兼山登りも出来ましたし、バスで島半周もしましたし、けっこう有意義な時間でした。ただ、疲労感はピークに達し、腹も減りすぎてどうしようもありませんでした。

 博多港以来、飲まず食わずだったため、郷ノ浦港で飲んだ、乳飲料は格別でした。それがこの島での締めくくりでした。

 さあ、次は対馬に向かいます。

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2011年08月12日

山陽路

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旅のさいころをまたふりました。

1が出たら芸備線。
2が出たら呉方向
3が出たらとりあえず山陽線で西へ。
4がでったら、バスで島根方向。
5が出たら、船で伊瀬戸内方向
6が出たら、広島空港.

 で、結果は

 3.

よってまた西に進みます。

おっとその前に・・・

 昨夜は、私の広島時代の職場の上司と会っていっぱいやりました。

 私は広島に勤務したことがあります。仕事は、NTTの電話帳配達の統括業務でして、今から思えば、大変面白い仕事でした。

 7月、広島県下で一斉に電話帳が配達されます。その配達業者を管理・管轄するのが主な仕事でして、運転手がトンズラしたり、配達先のおばあちゃんとトラブルになったり、といろんな事件が起きました。

 広島県は中国地方で一番人口の多い県です。一方、鳥取県はその数分の一しかない規模でして、今、その元上司は鳥取県に飛ばされていて嘆いていました。
 「おもろい場所がない」

 そう、その上司は、夜の街が大好きでして、1週間に3回くらいは夜の街に繰り出しますため、上役からもカネの面で心配されておりました。

 その上司、今宵も相変わらずのご様子で、
 「おっしゃ、イクデ!」
 と、広島中心部の繁華街、薬研堀のネオンに吸い込まれます。

 足が誘われたのは、「エロ島電鉄」。マスクに車掌さんコスプレになり済まされたあんちゃんが、看板持って必死に呼び込みしてきます。要は、OL風と女子大生風になり済ましたお姉ちゃんが、満員電車という設定で痴漢行為を‘誘って’来るのです。もちろん、お障りあり、●ェラあり、と、男の日頃の欲求を満たしてくれます。ただ、ただそれだけで40分 5,000円は高いのでパス。

 さらに、キャバクラにも吸い込まれそうになりましたが、キャバクラは欲求が満たされない上に高いだけなのでパス。結局、上司行きつけのスナックに連れて行ってもらいました。久しぶりの夜の町、夜のバーです。アルバイトの21歳女子大生が何てかわいいんだろう、と眼をクリクリさせながら、慣れないウイスキー片手に泥酔するのでした・・・

 実はこの後もお話があるのですが、時間がないので今回は書けません。内容も内容ですので、いつか、私のプログ『汽笛街道から』で報告したいと思います。


 さて、最後に話のメインに入ります。

 さいころの目が 3と出ましたので、広島発 12:00の岩国行きでさらに西へ向かいます。宮島を対岸に見ながら、ようやく山口県に。岩国駅は、市内中心部からけっこうはずれにあるさみしいところにあり、名物錦帯橋は、隣の西岩国駅からが近いです。

 昼間の山陽線は、岩国で系統が分断されていて、広島からの直通は朝と夜しかありません。ここで40分ほど待って新山口行きに乗り換えます。たった2両編成でしたので、夏のお盆帰省の乗客も混じって大混雑。ごくたま〜にしか電車に乗らない家族づれにとって、列車の旅の記憶が最悪なものとなったことでしょう。

 山口県をゆく山陽線はけけっこう景色が良いです。特に、大畠や柳井付近は、瀬戸内海の浜辺ぎりぎりを走ります。夏の穏やかな瀬戸内の様子が車窓に広がります。

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(山陽線大畠付近1)

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(山陽線 大畠付近2)

 しかし、山口県は長い。行っても行っても山口県は終わりません。結局、山口県の西の端、下関に着いたのは、岩国を出てから3時間半も後のことでした。

 下関に着くと、急に都会めいてきます。思えば、ちょうど10年前の2001年8月、私は汽笛街道の旅を、英国に向かって始めたのがここ、下関の港でした。下関から船で中国・青島にわたり、そこからシベリヤ横断をしたのです。私にとって10年目に降り立った下関は感慨深いものなのです。ただ、下関駅は数年前、犯罪者によって火事で焼けてしまったため、あの趣は今はありません。

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(今の下関駅前)

 
 さらに旅は西へ続きます。

 関門トンネルをくぐり、ついに九州入りを果たし、JR九州管内に突入します。やはり、鉄道会社が異なれば、雰囲気も違うもの。いろんなデザインの電車がひっきりなしに小倉駅に現れます。

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(JR九州の電車)

 
 そしていま、私は九州・博多まで駒を進ませております。

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 (博多到着)

 私がユーラシアの旅から帰ってきたのがここ博多。当時とはえらい変わりようで、大阪駅と同じように、どでかい駅ビルがそびえています。九州っ子にとっては眼が輝くほど楽しいモールなのでしょうが、本当に全国どこにでもあるような大商業モールばかりになってしまいましたね。

 ちょっと疲れが出てきましたかな。さあ、ここから先どうなるのでしょうか。またさいころです。

 1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

 ではまた。

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2011年08月11日

西へ

旅のさいころをふりました。

1が出たら北。
2が出たら北陸方向
3が出たらとりあえず東海道線で西へ。
4がでったら、中央線方向。
5が出たら、船で伊豆諸島方向
6が出たら、成田空港.

さいころの目は

3.

 ということで、東海道線を西へ走りました。横須賀駅を10:54に出発、大船駅で東海道線に乗り換え、平塚、小田原・・・となじみがある土地を淡々と進みます。

 ここまでは日常の風景とさほど変わらない感じです。そして、丹那トンネルを越え、東海エリアに入り、沼津、静岡まできます。ようやく見慣れない景色がやってきます。旅が始まった感です。

 旅というと、ゆったりとした座席でのんびりポッキーでも食べながら・・・というのを思い浮かべるでしょうが、リレーでつなぐ駿河・遠江路、現れる電車、これも、あれも、み〜んな、こちらをバカにしたような長い座席の通勤電車型車両。それも3両しかないのでそれすら座れない有様です。まあ、2,300円しか払っていないのだから、まあ、いいや。

 静岡県横断はなが〜いです。散々新幹線に抜かれても、ひたすら走ってまだ静岡県。景色も田んぼと住宅の繰り返し。時々お茶畑が出ますけど。

 しかし悪いことばかりではありません。沿線には大学や高校が多いためか、かわいいお姉ちゃんがワンサカ乗ってきて、女に囲まれながらの静岡道中〜。いいなぁ〜、学校って。

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(浜名湖を渡る東海道線普通電車) 

 さて、浜名湖を越えると、いくぶん静岡の塩分は減り、だんだん中京エキスが濃くなってきます。豊橋でようやくゆったりとした座席の「新快速」にありつけ、ただのり在来線の中でも速度抜群の電車で一挙に愛知、岐阜を貫きます。速い!

 ところが、そんな俊足も大垣まで。ここから関が原越えは、穴に針を通すがごとく、えっチラオッチラ、と山を越えます。さすがは天下分け目の難所、山がちの通路を抜ければ、そこは琵琶湖が広がる平野部へまい進!ついい西軍エリアに突入です。

 米原からはJR西日本圏内です。名物「新快速」は、東海版と並んでチョッ速電車。駅の案内放送も'西’の趣きムンムンです。

 滋賀県内はけっこう距離があるのですが、新快速にかかればお手の物。思えば、首都圏のJR、私鉄の鉄道文化に比べると、関西・中京圏って本当に進んでいますね。こんな速くて程よく混んでいる鉄道を通勤通学の足に使える人たちは恵まれています。首都圏の電車を診てください。あれはひどい。

 大津を過ぎると山が突然見えてきます。そうです。京の都が近づいてきた証です。山科を挟んで、明治のころに掘られたトンネルを二つくぐればそこは京都。夕焼けに真っ赤に染まっています。

 今宵は京都見物か?!と思いきや、男一人で京都見物するつまらなさをすでに体験しているためそこはパス。関西マイミクのレイさんと茨木で合流して一杯やりました。

 こうやって道中、友人に会いながら進むのも悪くないですね。


 8/11

 梅田のカプセルホテルは、甲子園の応援団で一杯でした。当たり前ですが、新聞も広告もみんな「大阪」バージョン。久しぶりに深夜番組を見ましたが、関西系オリジナル番組って関東に比べて面白いアイディア満載ですね。

 大阪といえば「たこやき」、立ち食いうどんならぬ、立ち食いたこ焼き屋を見つけ、そこで朝ごはんとなりました。店員のお兄ちゃんが、従業員のお姉ちゃんを口説いているのを生で眺めながら、アツアツの明石のたこ焼き(ホントかいな?)をほうばります。6個いり350円です。

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(梅田で見つけた立ちくいたこ焼き店)

 さて、リニューアルした大阪駅を観ました。京都駅もそうなんですが、確かに迫力あるどでかい建築の塊です。デザインも斬新ですし、そこは中国の北京西駅とかと違います。

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(リニューアルした大阪駅)

 ただ・・・全国、どこにでもある同じようなショッピングモール場仮なんですよね。

 さて、さらに西へ進みます。「新快速」電車で海側を陣取り、複々線を普通電車を追い抜きながら神戸路を突っ走ります。須磨や垂水のビーチで水着姿のお姉ちゃんがいるかどうか凝視しましたが、確認できませんでした。

 明石の橋の下をくぐり、1時間ほどして姫路駅に。

 姫路駅、ここも高架化で変わりましたね。またショッピングモール登場です。ここから先、山陽路は、ダイヤが昔と変わっています。

 昔は姫路から山陽線岡山方面が出ていたのですが、今は、相生まで行って、そこで山陽線方面電車に乗り継ぐ、という面倒な形態になっています。

 さあ、相生から昔見慣れた国鉄型113系が登場です。加速時のあの、こき使われようのモーター音がなんともすばらしい心地をさせてくれます。相生〜岡山間は長いしつまらないです。

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(山陽路のバトンを受ける旧国鉄型113系イエロー) 

 岡山の「松屋」で豚丼で小休憩。さらに西を目指し、倉敷、福山、と進みましたが、寝ていて気づきませんでした。とにかく岡山・広島県内 山陽線は超退屈です。

 例外は尾道付近でしょうか。海峡が線路際まで迫り、造船所で何の船が修理を受けているのさえわかります。今日はパナマ船籍の何とか、という船が受けていました。

 ということで、今は広島におります。原爆ドームの近くにいます。

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(広島に到着)

 ここから先、どうい予定か決めていません。

 1が出たら芸備線。
2が出たら呉方向
3が出たらとりあえず山陽線で西へ。
4がでったら、バスで島根方向。
5が出たら、船で伊瀬戸内方向
6が出たら、広島空港.

 ではまた。

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2011年08月09日

出陣

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一ヶ月ぶりの更新です。

いろいろありまして、精神的に参って何もやる気がなくなった時がありました。ゴミ箱にごみさえ捨てるのも。

少し回復しました。世の中、何が何だか分からなくなってしまいました。

多くは書きません。

明日からしばらく遠出をしようと考えています。3年ぶりの長期遠征になりそうです。そして久しぶりに『交通新聞社』と『Thomas cook』の時刻表を買いました。

どこへ行くか。

分かりません。

とりあえず、さいころが手前に一つ、青春18切符が3回分あります。

1が出たら北。
2が出たら北陸方向
3が出たらとりあえず東海道線で西へ。
4がでったら、中央線方向。
5が出たら、船で伊豆諸島方向
6が出たら、成田空港.

明日早朝、転がします。

持って行く本は、上記2つの時刻表と、3『地球の歩き方 インド』、4.渡辺雄三 著『食べてはいけない添加物 食べてもいい添加物』、5.『原発と放射能』そして、持って行こうか迷っていますが、6.ドラえもんです。

ではまた。

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2011年07月03日

イラン

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 今宵の一枚です。いろんな写真がありますが、今日はこれを選びました。

 イラン・イスラム共和国の首都・テヘランで収めた一枚です。

 イランはご存知の通り、世界でも屈指の反米国家です。しかし、元から反米だったわけでなく、つい最近のエジプトのようにとっても「アメリカ様〜」的な親米国家だったのです。

 革命によって王様が追放され、宗教国家となり、極端ですが今度はいっきに反米路線を歩みます。そしてアメリカとの仲が決定的な破局へ繋がったのが、この写真にあります在テヘラン・旧アメリカ大使館です。ここで444日間にわたる、アメリカ大使館員が人質に取られました。1980〜1981年のお話です。

 今では仲良く親子がその前を通り過ぎる平和な光景が流れています。イランを訪れると分かるのですが、国家は反米を唱えていても、国民は必ずしもそうではない事に気付きました。たとえば、ジーンズを履き、コーラーを愛します。ただ、コカコーラーという米国企業の名前は使わず、『ザムザム飲料』と呼ばれていました。

 報道によると、イランは核兵器を持ちたがり、ミサイルの発射実験を繰りかえすなど、とっても危険なイメージを植えつけさせられていますが、実はそうではなく、選挙だってきちんと実施する民主主義国家ですし、国民はいいやつが多かったのを記憶してます。テヘランを除けば・・・

 旅をするぶんには面白い国かと思います。快適さや心地よさを求めるのであればお勧めしませんが、チャレンジするには興味深い国だと思います。交通手段は、列車はバスに比べて格段に快適です。クーラーが‘いや’という程車輌全体に効かせ、食堂車ではおいしく?食べ物が食べられて、そして生身の純粋なイラン人と会話できます。中には日本語だって出来る人も!?。

 このように、昔の旅を思い出しながら涙を流している今日この頃です。
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2011年06月26日

日曜雑談(白夜、アライグマ、旅行計画など)

 1年で一番陽が長い季節です。

 9年前のちょうど今頃、私は英国北部、スコットランドのさらに北端にあるオークニー諸島を旅していました。その時驚いたのは、午後11時になってもまだ明るく、ようやく暗くなっても3時くらいにはまた陽が昇ってくるのです。これが私が初めて体験した白夜というものでした。

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 (午後10時のネス湖・英国 スコットランド 2002年6月)

 白夜とは、完全に太陽が沈まないまま再びまた昇る、不夜な現象を指す事が多いですが、それは北極・南極圏より向こうで起こるもの。比較的低緯度の60度あたりの地域でも、太陽は完全に沈むものの、闇に包まれないままほんのりとした明るい空のまま朝になる。これも白夜と呼ぶ事もあり、もしかしたら、日没から日の出までのこの白い薄明かりの方が白夜と呼ぶにふさわしい、と自分で勝手に思っています。

 因みに、私はその完全に沈まない太陽の季節には北欧諸国に間に合わなかったのですが、8月中旬にノルウェーに到達したとき、上記の白夜にまた出会いました。神々の存在を感じた時間でした。

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 (一番夜が深い午前1時のナルビックの港・ノルウェー 2002年8月)

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 (薄明かりのロフォーテン諸島・ノルウェー 2002年8月)

 さて、話は変わりまして闇の中のお話です。昨日、おばの家に行ったら、ノラアライグマがいました。おばの家は私の家から歩いて20分程度の所にあり、決して自然豊かなところではないのですが、周辺に比べると藪や山林に覆われていて、いろんな息物がいます。

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  (えさを求めにやってきたアライグマ。携帯カメラで撮影したため鮮明ではないのはご容赦)

 モグラや蛇をはじめ、とんびや山鳩、ツバメの群れ、もちろんタヌキや野良猫もいます。これらは私が子どもの頃から居るので、本当の自然といえるでしょう。

 ところが、今宵のアライグマはどうも勝手が違います。どうやら、ペットとして飼われていたものを誰かが捨てた可能性が濃厚なのです。その証拠に、今までアライグマなんて居なかったのに、一ヶ月前に突然現れるようになり、人を恐れる様子はあまりありません。おばは秘密裏にえさをやっていますが、その行為を快く思わない人も居て、張り紙をつけては、

 「保健所に通報するぞ!」

 と書いてます。保健所を意味するのは、イコール死です。

 自然界から採ったのか、ブリードで育てたのか分かりませんが、ペットとして客に売ったのは間違いなく、それをしたのは人間です。そして捨てたのも人間。それを不憫に思ってえさをあげるのも人間、気に食わないから保健所に通報するのも人間、そして殺すのも人間・・・人は想像を絶するほど罪深い生き物だといつも思ってしまいます。

 思えば、昭和の中ごろまで、日本人はけっこう他の生き物と仲良くくらしていました。それが、核家族となって日本人の4分の1が首都圏・中京圏・関西圏などの都会派住民となり、外に他の動物が居る事を受け入れなくなりました。カラスや野良猫もそうです。

 動物を思う心がなくなれば、人間をも思う心がなくなるのも自然でしょう。いつも通勤電車で毎日、競争社会の都会へ通っている私は、都会の人間の嫌なオーラーが年々増しているように感じます。私は最近、東京・横浜の人間がおっかなくて仕方ありません。

 とにかく、いやな事は考えないようにします。アライグマはしばらくおばが餌付けをするようでして、もし機会があればもう少し鮮明な画像を貼り付けたいと思っています。

 毎回毎回、暗いので、たまには少し楽しい事を考えます。

 今年の夏、どうなるか分かりませんが、おそらくどこかへ行くと思います。久しぶりに航空券のサイトを開けばそれは楽しいものですね。実は、スターアライアンスのマイルが45000ほどあります。まだ一回も特典航空券で飛行機に乗ったことがありません。

 たった45000しかありませんが、これをこの夏、全部使い切ってしまおうと思っています。さあ、考えるだけで楽しい作業です。

 あなたなら、この45,000、どう使いますか?

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 (2002年8月・ノルウェー・ナルビック沖)

 ※写真はもちろんすべて筆者撮影
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2011年06月19日

小笠原諸島を想う

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 あ〜、。毎日がどん底です。特にこの日曜のよる・・・希望も見えずにお先真っ暗。先日、かすかに知っている私の知人が自殺未遂をしたという話を聞きショックでした。なんで30代に多いのでしょうか。私も人事ではなく、人間、生きる希望をなくしてしまったら本当にそうなってしまうんだ、と恐怖に包まれています。

さて、話を変えます。

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 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110616-00000082-san-soci

 小笠原諸島が自然遺産に登録されるそうです。ですが、私は日本における、この『〜遺産』という価値基準がどうも好きにはなれません。否定はしないですが、そこには、自然を大事にしよう、という概念よりもむしろ、『注目される』『観光業が潤う』といった金がらみの強い概念が透けて見えるからです。その証拠に、地球はこんなにも広いのに、先進国に多く集中しているのが分かるでしょう。

 小笠原は屋久島の約3人の一程度の面積。いや、面積などは関係ない、周辺の海を価値に入れれば壮大な広さになる。そんな小笠原が自然遺産として受け入れられたのは、固有種が多い、という理由も大きいのですが、父島・母島に人間が移住してきて以来、小笠原の自然は壊滅的な破壊を経験しました。昔持ち込まれた大型カエルやペットの猫はもちろん、植物における外来種が島の固有種を脅かしています。これらを護るための遺産登録の意もあるようです。それなら歓迎しますが・・・

 重要なのは、当の小笠原の住人たちがどれくらい自然保護に関心を持っているかです。

 私は過去3回、小笠原を旅しました。

 母方の先祖が父島にいた軌跡も手伝って、不思議な縁をつないでくれたのですが(出会った数少ない女性も小笠原でしたが・・・)、思ったのは、この島は土建屋の島ということ。公共事業である道路工事や住宅建設のためにやってきている人たち多く、それが主な産業でした。

 他にも、役所や学校などの公共機関、そして自衛隊関係、次いで観光業といったところでしょうか。観光に携わっている人や役所の方々などは自然保護への想いが強い人たちも多いのですが、そのほかはあまり関心がないように映りました。

 つい最近まで飛行場を建設しようと相当な活動していたくらいでしたが、ただ、飛行場建設がポシャッて以降、自然保護に関するお話をよく聞くようになってきました。それが今回の自然遺産登録です。以前から登録話があったのですが、あ〜ぁ〜、ついに、という感じです。

 私個人としては、小笠原はいつまでも注目されずにそっとしておいて欲しかった。小笠原が好きな人は、万難を排して片道二十数時間の船旅を経てやって来ます。それも5日に一便程度しかないものだから、行ってすぐに帰ってくるわけにもいかず、一便か二便見逃すのです。そうすれば、休みは何週間単位も取らねばいけないでしょう。そうなれば、自然と本当に好きな人しか訪れないので、訪れた者同士意気投合してしまう心地よさがありました。

 そして、すごい人はそのまま移住してしまう。島の男と結婚し、世帯を持ってしまう人が結構いたようです。その証拠に、小笠原の父島・母島では、他の離島でみられるおばあちゃん、おじいちゃんばかりの島とは違い、若い世代の割合がとても高いのです。もちろん、戦争で強制疎開となり、人口が断絶してしまった事情もありますが。

 この新しい島の悩みは他にもあり、その一つに、学校を卒業した若者が就く仕事がないのが現状です。公共事業ばかりという事は何を意味しているのか、それは、外地からのお金に頼っている、という事です。

 小笠原で育った子どもたちが成人して、血も涙もない東京へ働きに出るという事は、固有種が外来種に向かって戦いを挑むようなもの。心配です。

 そんな話はともかく、自然遺産に登録されても、相変わらず船便は今のままのようなので、自然なる入島規制は継続される模様。
 
 最近、NHK・民放などで小笠原の特集をやっていますが、狭い島々なのでどこも行ったところばかりを採り上げてくれます。なつかしなぁ〜と思いながら眺めていますが、私もそろそろどこか遠いところへ行きたい今日この頃。海外に行かずともワールド級の目的地が国内にあるではないか。

 精神が病んでいる今、もっとも旅への価値が高まっている私です。ただ、この国で少し長い旅をすれば、人生を捨てる事にもなりかねません。悩ましいです。

 さあ、今年の夏は人生を捨ててどこへ行くのでしょうか。

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2011年06月12日

ダーウィンがきる

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 梅雨のこの時期、シメジメしていて天気悪いしうっとおしい!と嫌われているが、僕は案外好きな季節の一つとして感じている。

 昨日、久しぶりにゆっくりとした時間が出来たので、うちのクロを庭先の草花に連れ出した。

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 すると、あの独特の雨上がりの空気にポワーんとなった。なんだか懐かしく、小さい頃、梅雨時にカタツムリを散々取りに行った時の匂い、学生時代、梅雨時によくクルマを飛ばしては、軽井沢や東北の峠で感じたあの匂い、そんな記憶が瞬時に蘇ってくるのだ。

 やっぱり、なんだかんだ言ってそうした記憶って生涯に渡って本能的に宿るもんだし、人は自然の子なんだ、と日々自然から離れている生活を振り返りながら、自然が恋しくなったなぁ〜、と思った。

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 その自然を相手にして仕事を営む友人が何人かいる。その中で一人、学生時代の同級生Nがいる。彼は生き物のドキュメンタリー番組の映像を撮っていて、そんな彼と昨夜、電話で少し話しをした。

 Nは、学生時代から自然好きで、よく一緒に沼や森に連れられたが(私はそこまでに至る道の線路際の光景に興味があったのでスタンスは違った)、その趣味が仕事に発展した数少ない友人だ。

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(1997年会津鉄道にて:筆者撮影)

 彼の仕事は普通の感覚の仕事とは全く違う。たとえば、白神山地や秋田の山奥で虫や動物を半年単位で住み込みで撮り続けたり、日本全国の山や里をくまなく歩き、その土地の自然や動物の生態系を調べてきた。そんな彼が今手がけているのが『トンボ』だ。

 今、彼が住み込みで撮り続けている場所が静岡県の磐田。お茶畑が点在する台地の土地で、そこのトンボに眼をつけたらしい。

 トンボを撮る、といっても人間側の描く通りに動いてはくれず、孵化もその成長も交尾も戦いもいつ起きるか分からない。常に標的を観ていなければいけない。

 NHKでよく動物モノの番組をやっている。『ダーウィンが来た』という番組はご存知だろうか。わずか30分番組だが、実際撮ったフィルムは気の遠くなるような時間のはずで、それも山にこもったり、時には自然界へ挑戦して命を賭けるようなことさえも起きる。そんな苦労を一切感じさせずに、子どもたちの興味が湧くように演出されている。

 たとえば、鳥の子どもを守るために親鳥が奮闘しているシーンが必ず出てくるが、いつ奮闘するかは分からないし、奮闘しない可能性すらある。しかし、いくら苦労してフィルムを撮ったとしても、ドラマ性のない、奮闘しないノンベンダらりん的内容をNHKが買い取って放映させてくれることはまずない。

 さらに例を一つ、北海道中から集まったムクドリが越冬のため南下、そこで津軽海峡を集団で一気に渡るシーンを撮るとする。まず、海峡を渡るXデーがいつ来るのか分からないし、渡っているシーンを船から撮っていても、ただ穏やかに渡ってしまったらドラマにもならない。時には天敵に遭遇し、危機を乗り越え、あきらめて引き返し、さらにリベンジする、そうしてくれないと困る。そんな人間側の勝手な都合を暗に自然界に要求してしまわざる得ないのだ。それでも人間は当然自然界に合わせるしかない。

 彼は言う。

「好きでないと出来ないね、この仕事は」

 因みに、そんな大苦労をした末に完成し、見事NHKに納入できても収入などこれっぽっちで、人が一人1年何とか生きていかれるだけの額。毎日のんべんだらりんと椅子に座ってインターンットしながら、出来上がってきた書類にハンコを押すだけ、それでも途方もない高給取りだったりする大企業の中間管理職を傍らで毎日見ている私は、Nの境遇と比較する事自体無意味だが、世の中って・・・と思ったりもする。

 さらに、もし撮影がうまくいかず、企画書通りの内容が撮れなかったらもうお仕事はこない。厳しい世界だ。

 それでも彼は言う。

「NHKに不満はあるし、文句も出るけど、やっぱりNHKなんだよね。こんな大金にならないシロモノを買い取ってくれるのはNHKだけなんだから。民放じゃまず相手にしてもらえないよ。自然モノはコストの割りに金にならないから。でもね、金=良質なモノとは限らないんだよ。最近強くそう感じるよ。NHKは日本の文化を支えていると思うし、NHKがなかったら日本の映像文化はボロボロだよ」

 なるほどな、と思った。思えば、民放で流れている番組は、スポンサーと芸能界中心の低俗なものばかりで、そのシステム上、大衆受けするものしか造れないことくらいは分かっているつもりでも、改めて最近の民放のひどさを思い返した。

 文化ってなんだろう、と思ったとき、沢山ある中の一つに、記憶に残るものと残らないものへ分けられる事に気付いた。それは、その人の興味や価値観に左右されるけど、価値あるものは記憶に残り、時間をかけて見直されるものだと・・・。

 それは、先日のすずきじゅんいち監督の映画『442』に通じるところもある。観客動員数やマスコミへの露出度に踊らされている人々が果たしてどのくらい、こういったドキュメンタリー映画に足を運んでくれるのであろうか。もし少なければそれが民度というものか。

 トンボの生態を四六時中観察撮影してるNは、今日も屋外、室内で地道に絶え間なくファインダを彼らに向けては覗いている。その気力の源は何か。

 それは多分、ただ好きなだけではなくて、うまく撮影が成功してNHKによって放映されれば、全国の学校や図書館に置いてもらえると思えばやる気が出てくる、というものもあるかもしれない。そんな前向きで希望に満ちた私と同い年程度のNが少し羨ましい。そんな彼の手がけた映像が実際NHKで放映されるのは、11月ごろの『ダーウィンが来た・生き物新伝説』番組内になるらしい。

 今日もトンボはそんな人間界の都合などあざ笑うかのように自由気ままに生活している。しかし、その自由も一瞬のひと時である。私たちの人生のように。

〔写真はいずれも筆者撮影〕

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(高原の半野生鹿:ノルウェーにて 2002年)
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