2011年09月19日

本当に円高?

1 アウトバーン.jpg

 円高円高、と騒がれているけど、あくまでも額面だけの話であって、決して本当の意味での円高ではないです。

 購買力平価というものがあって、それで本当の通貨の力がわかります。
http://stats.oecd.org/Index.aspx?datasetcode=SNA_TABLE4
(購買力平価 By OECD. USAを1.00とみる)
 
 13.アイルランドポンド.jpg

 例えば、アメリカで1ドルのハンバーガーがあります。1ドルが100円ならば、日本でも100円で買えるように勤める、というのが為替相場の原則です。

 ところが、為替相場で1ドルが80円になった場合、そのハンバーガーは80円で買える計算になります。100ドルのメガネが、1ドル100円ならば1万円ですが、1ドル80円になれば8000円で買えます。

 また逆に、アメリカさんからみれば、100ドルで買えるメガネが、1ドル80円ならば、125ドル出さないと日本でメガネは買えません。つまり、この場合だけ日本円は価値が騰がった、と見えます。

 アメリカではドルを中心に為替レートが表示されますので、100¥≒1.3$、または、1¥≒0.013017$、と表示されます。私がイギリスにいた時は、1英ポンドが1ユーロいくらなのか?とか出ていて、当時は1ポンド1.5か1.6ユーロでした。逆に欧州側から見れば、1ユーロ0.66ポンド、とか出るわけです。

 ところが、昨今の円高は本当の‘戦後市場(史上)最高値’の円高ではありません(あくまでも最高値ではない、よいう意を強調)。また、通貨(お金)の価値は、株式のように会社の価値とかではなく、基準となるものがありません。円の価値=日本国の価値ではないです。

 今、日本円は1ドル76円くらいで落ち着いてます。円高だ!輸出企業がピンチだ!政府や日銀は何とかしろ!とマスコミが騒いでいますが、本当にそうなのでしょうか。どうも、輸出企業が海外に出る口実を作ろうとしているとしか思えません。

 例えば、先ほどのハンバーガーですが、1ドルのハンバーガーが100円から80円で買えたなら円高ですよね。ところが、では、アメリカ様のハンバーガーが1ドルから1.3ドルに値上げしたらどうでしょうか。1ドル80円計算で104円もします。これだと円高とは感じませんね。

 同様に、石油の値段が2000年のころは、1ドル105円、1バレル(158.987295 リットル)28ドル前後でしたので、リッター18〜20円程度ということですね。

 さて現在は・・・、ここ3ヶ月の為替相場と石油相場は、1ドル80円程度として、1バレル90ドル前後です。つまり、リッター45円程度になります。いくら円高と叫ばれても、11年前に比べて石油は2倍以上も日本では値上がっています。それでもガソリンスタンドでは2倍は超えていないのを観ると、けっこう石油業界は努力しているのかな?と感じます。

 石油は先物なので市場で取引されるのは何ヶ月も先の石油の値段であり、さらに、タンカーに積み込まれた時、その運賃と保険料、陸上での輸送代、製油のコスト、税金等によってガソリンの値段がああなっています。だから、産地から遠くても製油の技術が優れている日本のほうがガソリンが安い、という珍現象も多々観られます。トルコなどは、産油国が隣にあるのに日本より高いんですよ。

 (石油の値段は、産地によって値段がまちまちで、不純物が少なく、ガソリンや灯油向けに使われる軽質油はWTIが有名で高値で取引され、反対に重質で硫黄が多いドバイ原油はWTIより若干安くなる傾向がある)。

 話は元に戻しますが、円高円高と騒いでいるわりには円高ではないんですよ。以下にとあるプログを見つけましたので、参考としてリンクします。

 http://ameblo.jp/fwic7889/entry-10857299636.html

 高いでしょう。

 欧州やアメリカ様は、お札をジャブジャブ刷って世の中にお金をばら撒きました。当然ながらそのお札の価値は下がります。つまりインフレです。リーマンショックで景気が一気に冷えこみ、輸出産業を助け、日本みたいにデフレを避けるため、インフレにわざとしたのです。

 ヨーロッパもインフレが怖いためアメリカほどジャブジャブにしませんでしたが、それでもかなりのインフレになっています。それでいてユーロはアメリカドルに比べてかなり割高なレートといるかもしれません。

 日本はデフレです。値上がりしたのはタクシーの運賃や石油でしょうか。ほかはかわらず、または安くなってます。JRなんか消費税を除けば全然値上げしていません。ヨーロッパの鉄道は毎年値上げしています。国によって高い安いはありますが、英国・ドイツはメチャクチャ高く、イタリアやギリシャは交通費は安いです。しかし、イタリア人の平均月収は15万円くらい、とイタリア在住の親戚が言っていました。なのに、日本とさほど変わらない、食べ物とかは日本よりも高いので相当不満が溜まっているようです。交通費はまだまだ安いですが。

 こうしてみると、1ドル76円で止まっているのは、政府が隠れ介入をやっているのでは?と感じてしまいます。もし、給料が低いまま円安になって物価が騰がればどうなるのでしょうか。スタグフレーションほど恐ろしいものはありませんね。

 とにかく、石油の値段が暴落して、飛行機のサーチャージゼロにならないかな?

 イラク フセイン札.jpg


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2011年09月17日

為替と旅

為替と旅

8.ベルンスイス国会.jpg

 スイス中銀が金利据え置き、スイスフランの上限も維持
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110915-00000121-reu-int

 先日、スイス国立銀行(スイスの中央銀行)が、日本同様通貨高で困っているスイスフラン(CHF)に業を煮やし、ついに行動を起こしました。
 
 10スイスフラン現金(表) - コピー.jpg
 (10CHF札)10フラン≒880.16〜21日円(9月16日午前4時21分現在)

 それは、ユーロに対して対1.2ユーロよりもスイスフラン高になったら、無制限に介入しますよ!ということでした。

 つまり、日本円が米ドルに対して75円よりも円高になったら、問答無用で介入するよ、と宣言したようなものです。

 スイスの首都はベルン、高度な自治州の集まりの連邦国家でして、主に金融財政と外交、軍事は連邦政府が担っています。ユーロに取り囲まれている山の国で、周りがあれよあれよと通貨がユーロになっていっても、英国ポンドやスイスフランはまだ独自通貨のままです。

 7.ベルン チェス.jpg
 (ベルンの連邦政府の議事堂)

 一時、みんなユーロになろう!と、大木の下にみんな集まるかのように、という感じで各国めざしましたが、ギリシャのような、ふたを開けたらトンデモ国家も中にいた!、というような国まで入れてしまったため、宝石とたわしが混じったわけの分からない通貨になってしまいました。

 そしてその咎めが今に至っています。「ユーロはおっかねーから、とりあえず、お隣のスイスさんに資金を移しておこーと」と、、こぞってスイスフランにお金が流れていきました。そして昨年、対ドルで史上最高値を更新し続け、ついに1ドル≒1Sフランを突破し、そして先月、ユーロですら、1Sフラン≒1ユーロ寸前まできました。

 スイス財政当局はこれまでも何回とやら為替介入しましたが、結局効果はありませんでした。なぜならば、いくらがんばっても相手(アメリカ様)がジャブジャブでお金刷っていれば焼け石に水ですからね。

 アメリカ国内では、1ドルで買えるものがどんどんなくなって目減りしているのに、お札も余り刷らず、物価が安定しているスイスの通貨が米ドルと同じように安くなるわけがありません。

 ところが、今度はアメリカだけでなく、隣のユーロも火がつき、いっそう避難資金が流入してきました。さすがにもう我慢の限界!といった感じで、ついに無制限介入という手を出してきました。

 スイス中銀の総裁は、元ファンド筋のフィリップ・ヒルデブラント総裁。彼は投機勢がどういう動きをするのか知っていますが、彼も賭けに出たのでしょう。

 なぜならば、為替レートを都合よく留めさせることなど不可能に近い、と彼自身が一番知っているはずです。もちろん、アメリカのFRBのバーナンキ議長も米ドル安にここ数年仕向けていますが、この咎めはいつか来るでしょう。

 さて、私は今回のスイス中銀の無制限加入のニュースを聞いて、そんな事可能なんじゃろうか?と疑問に思いました。

 これは、対ユーロにおいてスイスフランはペッグ制を採る、という意味なのでしょうか。つまり、スイスとユーロ以外の他の通貨との関係は、ユーロの値動きに準ずる、という意味なのでしょうか。 こんな事が出来れば、円なども対ドルで最低為替レート設定できるのでしょうか。

 ○世界の為替制度

 まず、世界の通貨に関して大まかに分けて以下の制度があります。

※変動相場制(米ユーロ日英スイス豪など)

※固定相場制、半固定相場制(いろんな国)
(一定の変動幅を許容し介入によって事実上ほぼ固定レートとしたもの)

 1.ペッグ制(香港ドル、サウジアラビアリアル:対米ドル)、(デンマーク・クローネ、ブルガリアレフ:対ユーロ)など)

 ブルガリア.png
 (一例:ブルガリア・レフのチャート)

お金 旧東欧 ブルガリア 表@.jpg
 (ブルガリア・レフ札)

 一定の変動幅を許容し、介入によって事実上ほぼ半固定のレートとしたものですが、固定相手が対米ドルだけといった、特定の国だけに対しての固定相場。変動幅は、IMFが示した1パーセントです。中東の多くの国々が米ドルにペッグ(繋ぎとめ)しているので、石油の支払い≒米ドルという図式が成り立ちます。
 米ドルに対して弱い通貨の国にとって、米ドル自体が弱く石油が騰がることは、その国にとってそれ以上に石油が高騰する結果になり、それが各国の物価高に結ばれていきます。

 2.バスケット制(シンガポールドルや人民元など)

 1国のみの通貨ではなく、複数の通貨レートの平均値と自国通貨を連動させ、一国の金融事情に偏ることをさけるための固定相場制度。中身を公表していない国もあります。

 3.管理フロート制

 為替レートを市場メカニズムに任せる形をとるものの、その国の政府・中央銀行が介入して為替レートを管理する制度。人民元は、バスケット制の管理フロート制、香港ドルは、1US$=7.75〜7.85HK$間での変動を認めた、対米ドルペッグ制管理フロート制ともいえます。

 固定相場とは、あくまでもある国の通貨に対してだけの意味であり、すべての国の通貨に対して固定は不可能です(全世界の通貨が固定になれば可能)。

 ○スイスフランは?

 で、話はスイスフランに戻しまして、今回の無制限介入は一見すると、ユーロに対してほぼ固定するよ、と採れなくもないですが、世界の固定相場レートは変動幅を設定しているもの対して、スイスの場合は上限のみ設定した、という事なのでペッグ制ではありません。

 例えば、今回スイス中銀が発表したものは、スイス・フランが対ユーロに対して1.20よりスイス高になった場合は、無制限のスイス売り介入を実施するぞ、という「1.20フロアー制」導入という解釈もあります。

 実は、ユーロに対してペッグ制を導入すれば、ユーロの金融政策、例えば、ユーロが金利を上げれば、どんな経済状況にも関わらずユーロに追随して金利を上げなければいけない羽目になります。スイス中銀は対ユーロを「一定の範囲に収めたい訳ではなく、あくまでも1.20以上のスイス高を避けたい」だけです。

 それを思えば、自国の金融政策権を放棄してまで、それも固定どころか通貨さえも捨てた不況のスペインやイタリアは、もし今、ペセタや伊リラがあれば金利など上げなかったでしょう。その点、英国ポンドは良かったと思います。

 では、果たして、変動相場制の通貨の相場の変動幅を抑える事など可能なのか?つまり、最低為替レート設定が可能であるのか?

 私は素人なので解りませんが、たぶん無理でしょう。もしある国が本気で最低為替レートを設定、何てことは不可能〜。

 もし、日本が「対ドルで円の上限を75円で設定する」としたければ、設定だけは可能だと思います。ただ、なぜそれをしないのか。それはあまりにも大きな賭けだからです。

 ○変動為替レートは操作可能?

 現在市場の一部では、スイス中銀が1.20を死守するには、最低でも1兆ユーロ規模のユーロ買い/スイス売り を継続しなければならないと噂されています。1兆ユーロって、約100兆円ですよ。

 仮に、1兆ユーロ使っても1.20を守りきれず、スイス高がどんどん加速してしまったらどうなるのでしょうか?スイスの経済規模は約5,000億ドルです。1兆ユーロ規模の介入を実施したと想定した場合、スイス中銀の介入による為替損失額を計算すると

10ポイント(1.2000が1.1990へ)動いた場合、損失は10億フラン(約880億円)
100ポイント(1.2000が1.1900へ)動いた場合、損失は100億フラン(約8800億円)
1,000ポイント(1.2000が1.1000へ)動いた場合、損失は1,000億フラン(約8兆8千億円)→  スイスGDP規模の2割の損失 

 さらに、金額的な損失だけでなく、国際金融的信用も失い、さらにスイス高を加速させる・・・失うものは甚大です。これらを日本ができる度胸はあるでしょうか。

 因みに、日本円は、円高円高と騒がれている割には、スイスほど実質実効為替レート(物価とか勘案した本当の意味での為替レート)が対ドルで騰がっているわけではありません。つまり、名目上円高でも、あちらがインフレなので、外国で買えるモノやサービスの価値がそれほど有利になっているわけではない、という事です。諸外国に、「うちは円高で苦しいよ〜、だから円安にしてよ」といっても、「おたくはスイスさんにくらべてしそれほどではないでしょ」
 と、理解してもらえません。だから、日銀の円売り介入なんかは、おおよそお金の無駄遣いに終わるでしょう。マスコミが「日銀は円高を放置している」なんて騒ぐから、いやいややるんでしょうけど。マスコミは、介入がカネの無駄遣いということ、解っているのかな?

 ○旅のヨーロッパのいろんな通貨

 因みに、私が訪れたヨーロッパ各国の小さな国において、訪問するたびにその国の為替レートをチェックしていました。ヨーロッパにはまだまだユーロになっていない通貨がたくさんあります。

 バルト三国のラトビアのラッツ(LVL)なんかは、小国のくせにまるで英国ポンドのようなレートで、5ラッツ札(当時220×5円くらいだった)でけっこうモノが買えました。

 お金 旧東欧 ラトビア 表@.jpg
 (ラトビアのラッツ(LVL))

 チェコとスロバキアのコルナは、国力を反映して似たような国なのにスロバキアのお金がチェコよりも多く換金できましたし、物価が安かったのを記憶しています。今はスロバキアはユーロになってしまいました。

お金 旧東欧 スロバキア 表@.jpg
 (旧スロバキアコルナ)

 アルバニアのレク(ALL)なんか、ギリシャですらごみ扱いされ、国内でもユーロ求められたりして紙幣が泣いていたし、ルーマニア・レウ(RON)は、桁数が多くて混乱し、日々為替レートが全然違うし、お金にもその国の個性が色濃く出てました。

お金 南欧 アルバニア 表.jpg
 (アルバニア・レク札)

 そして、オーストリアの東隣の小国、ハンガリー。変動通貨なのにハンガリーホリント(HUF)などはあまりうごかななぁ〜、と感じたことがあるのですが、規模が小さいと変動幅が小さくなるものなのでしょうか。因みに、HUFは、対ユーロでここ数日けっこう上昇(ホリント高)しています。何かの予兆でしょうか。ユーロがダメなのでHUFにも資金が流れてきています。

お金 旧東欧 ハンガリー 表@.jpg
 (ハンガリーホリント札)

ハンガリー.png
 (ハンガリー・ホリントの対ユーロ相場)

 ポーランドのズロチ(PLN)は、ユーロ入りを悲願としていますが、どうも最近怪しいです。

お金 旧東欧 ポーランド 表@.jpg
 (ポーランド・ズロチの札)

ポーランド.png
 (ズロチの対ユーロレート)

 
 チェココルナ(CZK)は、スイスの代わりの避難通貨として注目されているらしいですが・・・

お金 旧東欧 チェコ 表@.jpg
 (チェココルナ札)

cheko.png
 (チェココルナの対ユーロレート)

 ルーマニア・レウ(RON)はデノミして普通の通貨になりましたが、まだ超弱通貨です。

お金 旧東欧 ルーマニア 表@.jpg
 (ルーマニア・レウ札)

ルーマニア.png
 (ルーマニア・レウ:対ユーロ)

 
 あと、スイスフランはお隣リヒテンシュタイン公国でも使用されています。もちろんユーロも流通しています。お互いが等価になったら彼らはどう感じるのでしょうかね。リヒテンスタインの三分の一は銀行業で喰っているらしいですが、この国の立ち位置は微妙ですね。

 モンテネグロのように正式なユーロ圏ではないのにユーロを流通させているところもあるし、通貨政策はユーロ圏のみならず、東欧諸国にも大きな影響がありますね。

 こうやって、通貨のことも気にしながら旅をするともっと楽しく出来る、kazunn2005でした。
 
 (お札の画像はいずれも2002年時のものです)
 
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2011年09月15日

残暑見舞い

 旅行の計画をたてています。

「え?この前琉球行ったきたばかりじゃなの?」

と言われそうですが、あれは序章です。与那国や西表のことを書こう、と思っているのですが、どうもやる気が・・・

 で、いつ出発するか分かりませんが、一応描きつつあります。旅トモで近年国境越えていないの私だけだからね。

 帰ってきてから、墓参りとか、各種手当ての申請したり、ゆうちょをネットバンキングする手続きしたり、お葬式やあいさつ回り、友人との会談とかけっこう忙しいです。まあ、勤めている人から見れば怒られそうですが。

 そーいえば、失業者って、国保の保険料がすっげー安くなるんですよ。ただ、去年の税金やお国の延滞税、重加算ぜいはまけてくれません。

 話は変わって・・・

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この前、福島の母方の墓参りに行ってきました。青春18で横須賀から福島まで一日がかりで普通電車で単純往復してきました。朝4時半に出たのに、墓に居たのはわずか1時間でした。往復14時間、何ともアホですね。

 この墓は、母と叔母が昭和54年にたてたお墓で、本当は7人か8人兄弟がいるのですが、母の一番近い姉(叔母)の二人だけでたて、ほかは消息知れずです。母が幼い頃に両親が亡くなったので、お墓を造るまでずっとお寺に預けられていました。

 彼らは、小笠原・父島へ商売しに行っていたらしく、太平洋戦争で小笠原が強制疎開された時に、先祖の地福島に戻ってきた、とのことです。

 数年前、父島に行った時に当時の消息を散々しらべたら、一応、戸籍にはありました。しかし、当時普通ではない離縁の記録があり、何だか観てはいけなかったのかな?と思っています。

 今年の福島は特別です。放射能を気にしても仕方がないので、草をむしりながら、今までの勝ってをお互いざんげしようではないか、と祈っていました。

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2011年09月03日

潜伏解除 in Ishigaki

 数日ぶりの更新です。

 私は、与那国から脱出し、西表にいました。幸い、台風11号ナンマドルは台湾、シナ本土方面に去り、先島直撃は避けられましたが、どうも天は消化不良のためか、あれから天気はイマイチでした。

 西表潜伏期間中の滞在先では、ネットはおろか、携帯の電波もあまり届かないところでしたので、何年かぶりにパソコンのない生活を一週間以上もしてしまいました。おかげで、孤独の極みでしたが、いろんな本を読み、虫や動物と格闘していました。 また、最終日ではようやく昔のたびのように楽しい出会いがありました。

 潜伏中は寂しさ極限でしたが、いざこうやって関東に戻ろう、とすると、別の意味の寂しさがこみ上げてくるんですよね。未練タラタラです。

 今、石垣空港横の宿にいます。石垣は都会です。

 明日、羽田行きの便で護送され、この旅が完全に終焉します。

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(石垣空港横の住宅地より)
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2011年08月27日

八重山 台風接近

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スーパーちゃいふう ナンマドル(台風11号)が静かに接近!

 危険なにおいなため、明日、与那国から脱出します。

 すでに漁船は陸揚げを完了し、与那国は明日から台風モードです。

 925ミリバールの威力はどんなものか?

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2011年08月26日

国境の匂い

 国境の島

 与那国島に来て10日目になりました。

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 私がこの島を八重山の旅先として選んだのは、やはりここが国境の島という、やきとりの匂いに誘われたごとく、その魅惑な響きを求めての事でした。

 実際、ここで台湾も観えました。思えば近くにもめている尖閣列島もあり、昨今自衛隊の件で全国紙をも賑わしています。それらはすべて、この島が国境の島という所以から発するオーラーからです。

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 map_asia[1].gif

 日本地図を開くと、与那国島は地図上の左下へはみ出るように端っこにあり、そして、小さな小さな孤島です。 面積は東京の山手線内側の半分弱程度です。

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 (与那国島衛星写真・By Google Earth)

 その位置は他の先島・八重山の石垣島や西表島などの諸島群からも大きく西に外れ、自然・文化的にもけっこう他とは違う趣きを感じさせてくれます。東京を遥かかなたを見、那覇ですら異次元世界です。各地からの距離を示すと・・・

 与那国の位置

台湾(接近部)約111km
石垣 約127km
尖閣列島 約150km
那覇 約540km
東京 約1,900km

 ただ、与那国はただ単にはるか西の絶海に浮かんでいる島ではありません。その位置から他の離島とはまったく異なります。

 この島は、臺灣(Taiwan)を肉眼で観られるほどの国境の島です。防衛もそうでしょう。異国漁船も来るでしょう。異国のゴミも沢山流れてくるでしょう。そのため、普通の離島と国境離島とはその価値と重みがまったく異なることを感じさせます。
 
 多くの日本人にとって国境とは、あまりピンとこない、はるか外国のお話でしょうが、ここ与那国に立つとそうは思えなくしてくれます。異国が観えるという事それだけで、この島が 国境=最前線という現実を身近に感じさせてくれます。
 そして、国の西端に位置する離島という事が決して不利ではなく、むしろ有利であるという認識が近年高まっています。

 よって、よくある離島振興だけでなく、国境離島振興と周辺海洋振興いう考えで発展を考えるべき、という意見が学者を中心に展開されています。

 ○ 日本の国境の現状

 日本には、ロシア、韓国、そして臺灣の陸地が観える国境の大地が存在します。

 まず、対ロシアですが、ご存知のとおり日本とロシアの間には北方領土問題という、今の日本側から見ればほぼ解決不可能な問題があります。

 北海道の根室や知床からは、ロシア占領下である国後をはじめ歯舞の小さな島々があまりにもくっきり観えますが、その観える島の大地は、建前上は異国ではなく自分ところの領土である概念のため、決してその間に流れる海が国境とは考えません。

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 (北海道から観た国後島・自由使用写真から)
 
 よって、ごく一部、本当に一部の政治上の活動を除き、この海を渡る交流は皆無です。そのため、根室海峡沿岸の町にロシアの匂いはまったく感じられません。 
 ロシアに対する住民感情も悪く、多くの漁船が拿捕され、今なお傷が深まる対立の海です。

 もうひとつの対ロシア国境は稚内です。晴れていれば宗谷岬から宗谷海峡を隔てて50km先に樺太(サハリン)が観えます。
 こちらも正式には日本国政府は樺太をロシア領土とはみなしておらず、未帰属地域としていますが、現実を思えばおかしな処理でしょう。

 認めたくはありませんが、今はロシア領土です。

 その間を戦前の稚泊航路のような定期フェリーが就航しており、一応は交流があります。私は近年稚内には行っていませんが、15年前に行ったときは
それでもまったくロシアの匂いは感じませんでした。

 唯一、隣国の空気を感じたのは、長崎県の対馬です。対馬にはハングルの看板もあり、韓国を感じることができます。

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 (対馬内のハングル併記の標識・看板)

 対馬は今、他の過疎の離島と同じように経済がジリ貧状態です。どうしたら活路を見出せるか、模索した結果、対岸50km先に観える韓国からの観光客を誘致することです。

 韓国人にとっても、対馬は北朝鮮を除けば唯一隣国を眺められる島ですし、異国への憧れも手伝って一度は行きたい島として関心が高いようです。

 韓国人観光客にとって魅力なのは、対馬の山(標高4〜5百メートル)のようで、山登り(ハイキング)がお好きな様子。さらに免税を通るので、たばこや酒などの買い物ツアーとしても重宝されているようです。

 よって、対馬と韓国側の利害が一致して以来、韓国側から定期的に航路が開かれ、15年ほど前から観光ツアーが行われるようになりました。個人旅行も出来ます。一時期は年間8万人もの韓国人観光客が訪れ、対馬の商店や民宿にお金を落としてくれました。

 しかしながら、竹島問題にリンクされ、韓国人による不動産取得や自衛隊基地へのスパイ疑惑など、対馬が韓国人に占有される、という一部右翼系の主張が大きくなり、厄介な問題になりました。

 そのため、近年韓国側からこうした対馬進出ムードは衰え、不動産も手放し、さらには定期船も減便され、日本側のこうした保守化の動きは逆に韓国人から脅威の目で観られています。

 確かに、韓国人観光客のマナーはいい話を聞きません。対馬の人々の対韓イメージも真っ二つに割れ、交流の光と影が対馬の場合色濃く出ています。
 
 では、日本人観光客でどれだけ対馬を訪れるのでしょうか。韓国側の対馬不動産買収は、日本人がハワイやニューヨークの土地を買うのと何が違うのでしょうか。

 韓国側に悪意の買収があれば問題ですが、別荘の土地の購入と国防に影響する買収とを法律で分けて規制する事が重要かと思います。それと、韓国漁船の日本領海での取り締まりをしなければ、対馬内ですらどんどん対韓イメージが悪くなるので、こちらも解決させる必要があると思います。

 以上が日本の三箇所の国境情勢を短くまとめました。

 ☆ では与那国は?

 与那国はどうでしょうか。はっきり言って、隣国(臺灣)の匂いはほとんど感じられません。
 その理由は、戦後65年間、この海は開かれていなかったからです (訂正:厳密には、米国施政下の時代、密貿易という形で交流は存在していました)。定期船も就航しておらず、現在のところ、両国の交流は政治政策上の不定期交流だけに留まっています。

 私は多くの外国の国境を訪れましたが、多くの国境は、少なくても相手国の匂い(民族や言葉、文化、経済など)を多く感じました。もちろん、仲が悪い国同士は例外です。

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 (与那国島の民族資料館にある、戦前台湾から持ち帰った『MADE IN OCCUPIED JAPAN』の皿)
 
 日本の国境は、海が挟まるため国境である事を忘れるほど相手国の気配を感じさせてくれません。しかし対馬は、歴史的背景もあって朝鮮文化がけっこうあり、街にもハングル文字の看板が観られ、異国の感触があるのですが、住民のほとんどは韓国語は分かりませんし、両替所もありません。

 それらを思うと、日本はまだまだガードの固い保守的な島国なんだなぁ〜と思うのです。

 ☆ 与那国の挑戦

 与那国中心のこの地図で観れば・・・。

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 臺灣や大陸、フィリピン、香港などと日本本土が等距離にあるのが分かります。

 これらの日本側玄関口として与那国が生かされれば、観光だけでなく経済なども活路が大きく開けるでしょう。

 しかし現実は厳しいものです。何せ与那国だけの問題ではなくなりますので国からの支援が必要です。しかし、国は実績を積まないと支援の検討すらしない方針です。

 そこで、臺灣との交流を推進している与那国町議会議員の田里 千代基(タサト チヨキ)さんにいろいろお尋ねしました。

 次回はその点からこの島について書きます。

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2011年08月25日

国境S 与那国生活

 こちらは毎日激烈な晴天が続いております。

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 My 与那国について早10日目、のんびりしているかと思えば、非常に濃いひびだったりもします。

 観光客はほとんど見かけません。ダイビングショップにはいるでしょうが。
一人旅の女の子、まったく宿に来ません。そうこうしているうちにもうすぐ台風が・・・

 結局、女の子とのシュノーケルは実現しませんでした。

 与那国馬乗馬、有名ドラマロケ地、陶工房、酒造見学、台湾確認、島一周、犬散歩、町議員さんとの酌み交し・・・実に充実しています。

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 (乗馬)
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  (酒造)
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 (陶工房)
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 (ロケ地)
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 (台湾)
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 (犬散歩)
 
 その中で強烈な印象は、昨日の与那国町議会の傍聴でした。これは強い衝撃を受けました。後ほど、いろいろ書きます。あと、昨日島で死亡事件がありました。

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 因みに、

 私は観光客です。
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2011年08月24日

国境 S(与那国)

与那国(よなぐに)島

 対馬〜与那国.jpg 
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 (与那国の位置とルート)

 大都会石垣からドンブラコー〜と年季の入った船に揺られること約4時間半、サイハテの小島に到達しました。
 石垣に比べて一挙にイナカ度抜群のまぶしさが輝く島、そう、ここはヨナグニ(ドナン)と呼びます。

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 (与那国へ到達)

 日本最西端で知られている与那国は、名実ともに最果てです。名実とは日本の場合、正式な最北端が択捉なのに実質は稚内、など、正式なものと実質が北・南・東かみ合っていないのですが、与那国だけかみ合っています。つまり、一般の人がいける、正真正銘の最果てなのです。

 そして、同時に国境の島でもあります。対馬も国境の島ですが、対馬がそんなに最果て感がないのは地理的な理由でしょうか、こちらは最西端という点と、台湾との定期交通路がない国境というどん詰まり状態なので、日本人からしてみれば最果感はひとしおでしょう。

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 (与那国・久部良港に着桟)

 位置は北緯24度28分6秒、東経123度0分17秒、この東経123度とは、上海が121度なので時間軸からみればもう中国です。実際、朝明るくなるのは本土より遅いですが、日没がいまだに19時を過ぎます。

 条件さえ整えば島の西側では台湾が観えます。晴れて澄んだ空気、水蒸気がない、雲の通り道ではない時間など。

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 (日本最西端からみた台湾)

 多くの日本人にとっては与那国はあまり聞きなれない島の名であると思います。
 与那国島には、船と飛行機でいけます。そこは小笠原とは違いますので多少は行きやすいのですが、しかし、島外者にとっては割引も充実していないため交通費がすごく高くつきます。その結果、石垣までは観光客は多くやって来ているのですが、与那国は敬遠されているのが実情です。それは、石垣から波照間や西表などと比べて西側へピョコンと外れた離れ小島だからです。

 だからといってそれが観光客があまり来ない、決定的な理由とは必ずしもいい難いかと思われます。

 なぜならば、小笠原のように航空機もなく、5日に1便の航路しかないにもかかわらず、観光客は与那国よりも多いでしょう。それは世界遺産になる以前からです。

 小笠原と与那国と共通点もあります。それは、小笠原と与那国が国境地点であり、拠点から遠くて不便な場所であり、固有種が多く、自然学的に他にはない特徴があり、魅力ある観光資源が詰まっているため本当に好きな人しか訪れない、という点です(与那国は最近、比較的安価なホテルパックが出始め、そうとも言い切れないようになりつつありますが・・・)。

 それでも観光客がそれほど多くない理由は、結局、与那国だけではスケールが小さくてわざわざ多くの時間とお金を割いて来てくれるには力不足なのでしょうか。与那国も含む先島(八重山)諸島が一緒になって活動しないとだめでしょうね。

 与那国の観光地・・・パッと思い浮かぶ中で厳選3つを挙げます。

 与那国馬

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 (与那国馬)

 与那国町の天然記念物の今です。昔から飼育されてきた在来種の馬で、体高はおよそ110-120cmと比較的小さく、ポニーに分類され乗馬するにはやさしい馬です。古くから農作業に使われてきた馬ですが、農業が機械化されたのと、農業自体が衰退されたため、今では観光用として細々と保存活動が行われています。
 一時期は59頭まで減ったらしいですが、今では保存活動のおかげで復活してきています。オスよりもメスが重宝され、オスはペット用8歳程度で、7万円くらい、とのことです。観光客を見ると馬は、「また乗せるのか」と悟り逃げようとします。

 西崎

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 (西崎灯台)

‘いりざき’と読みます、北緯24度26分58秒東経122度56分01秒、ほとんど上海程度の位置ですね。
 正式な日本の最果ての中でただ一つ、ここだけが、一般の交通手段で誰でも自由に訪れることができるサイハテ地点です。
 運が良ければ台湾山脈が眺められます。私は岬に通うこと3日目の早朝でやっと台湾と出会うことが出来ました。対馬でも宗谷岬でも出来なかった快挙です。日本最後の夕陽もバンバン観られます。

 海底遺跡

 1986年にダイバーによって発見され、まるで人工的に切り出しされた岩などが海底の奥深くに眠っていることから、世界最古の海底遺跡か、と騒がれています。
 一応、沖縄県内の大学のおえらい様からは、「人が造ったものかどうか認定できない」という理由で、遺跡というスタンスは正式には認められていません。しかし、もぐった者がパッと観、「すげー」「これ絶対古代遺跡だよ」と思うほど見事なものだそうです。因みに、運がよければシュノーケルで上から観られるそうですが、事実上、ダイビング連中の独り占め
状態です。ダイビングが好きな人、ぜひどうぞ。

 ほかにも、陶器焼き物、泡盛醸造、与那国方言、かじきまぐろ、世界最大の蛾・ヨナグニサン、立神岩、
さとうきび、長命草などがあります。

 私のヨナグニでの生活

 朝、宿の犬に起こされます。初日から3日目までは、西崎へ向けてバイクを転がし台湾を確認しに行きました。

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 3日目の午前7時台でついにくっきりと浮かんだ台湾を確認して以来、ずいぶんと朝寝坊体制となりました。
 湿気がすごいためすぐに体がベタベタになり、1日3回はシャワー
を浴びます。朝は起きてから1時間後に朝食作戦を開始、たいてい、卵ぶっかけか納豆を自分で作ります。
 白ごはんは、宿からいただけます。ありがたいです。

 海までお散歩。はじめのうちは島一周など観光をしていましたが、最近はのんべんだらりんとした午前が続いています。ところが、いろいろと人との繋がりが増え、次第にやることが発生し、出航まで少し忙しくなりそうです。

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 お昼はNHKの天気予報とニュースを観ます。今年の8月のヨナグニでは、高気圧に覆われ晴天が続き、まだ雨の降る気配はありません。よって、12時から15時までの3時間は魔の時間であり、ひなたにいたら死にます。多くはお昼ねの時間です。ただ、来週は台風が来るようです。女の子と他の島で海水浴、という夢は幻になりそうです。

 夕方は、最初の3日間は台湾確認も兼ねて夕陽を観にいきましたが、最近は、ヨナグニ情報の分析と、研究に費やしています。その合間を縫って犬を散歩しに出かけます。また、必ずやることが発生しますので、
必ずしも完全のんべんだらりんでは無くなりました。

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 夜は夕食を自分で作り、酒を飲んでヘロヘロになります。島の方からお誘いを受けたり、宿に遊びにきていただいたりと、人との交流が思った以上に発生しています。もしかしたら、本土での日常生活よりも多くの時間を人と話しているかもしれません。

 深夜はインターネット作業です。ほぼパソコンとネットは独占状態です。ありがたいことです。ヨナグニはネット環境が充実していますが、光ファーバーがまだ来ていません。霞が関から「費用対効果」の面で却下されたそうですが、痔デジの関係で大東島に光ファイバーが引かれたため、その理屈は通用しなくなりました。

 NHKも民放も衛星も観られますし、ネットも整備され、よって、都会のくらしをハード面では大差なくなりつつあります。
 今いる宿は自由放任の宿ですが、今年は観光客が少ないため寂しいものです。一回、女の子がいっぱいいる宿に図々しくもお邪魔したことがあったのですが、会話が合わず、居心地が悪いので、やっぱり今いる宿が一番、と悟りました。

 こんな島生活でしたが、休暇と怠けの与那国旅行が次第に変な方向に向いてしまいました。

 次回はいきなりこの島の政治について書きます。

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posted by kazunn2005 at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2011年08月21日

ワープ (対馬〜沖縄〜八重山)

 北対馬から

 8月14日午後、豪雨の韓国展望台を成し遂げた私は、比田勝港に無事戻ってこれました。さあ、ここから博多へ向かう、九州郵船のフェリーに乗ります。
 比田勝のフェリーターミナルは国際と国内とで分かれていて、圧倒的に‘国際’の側が賑わっており、小さな町の港がこんなにもにぎやかなんて、普通の離島ではあまり見ることが出来ない光景です。貴重な国境越えの観光ツアーが一応成功しているように感じます。

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 (韓国人観光客でにぎわう比田勝の港ターミナル)

 15:00、一足早く釜山行きの船が出港し、その直後に博多行きが出航します。釜山行きの船は波間に揉まれながら黒煙をあげて北の方へ放れ、わが客船は一路、玄界灘を南に向きます。こうして24時間滞在した対馬は終わりました。

 博多 

 夜9時、博多港の煌びやかな夜景がゆっくりと迫り狂い、大都会の彩灯りが岸辺に繋がります。こうして油臭い港の岸壁に降り、しばし潮の香とはおさらばとなります。

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 (博多港入港)

 その後、バスで博多市内に出て博多ラーメンで空腹を満たし、博多駅前の漫画喫茶で一晩を明かすことにしました。ビジネスホテルなど高級なホテルに泊るわけにはいきません。漫画喫茶は、お茶やコーヒーをがぶ飲みし、インスタントのスープを根こそぎ持って帰ってきた事は言うまでもありません。

 博多〜熊本

 翌8月15日の朝、とりあえず熊本へ。福岡空港が目の前にあるのになぜ熊本空港なんだ!とブツブツ言いながら博多駅に向かうこと約10分、今日から出勤するお姉ちゃん群に混じって博多駅の旅行者になります。。

 熊本までは新幹線にしようかな?と思いましたが、経費節約のため、久留米まで快速電車で行ってそこから新幹線に乗ることにしました。相変わらずケチですねぇ〜。

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 (久留米に向けて出発)

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(運転席)

 8:11発の快速電車は定刻通り博多駅を発車しましたが、途中鳥栖にて長崎線の特急との接続を取るために5分停車し、おかげで久留米での新幹線への乗換えがたった3分という有様でドタバタでした。
 
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 (久留米駅入線)
 
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 (九州新幹線・つばめ号 各駅停車タイプ)

 さあ、自身初めての九州新幹線 今年3月(震災前日)に開業した新規区間です。木目の座席は広々とし、さすがはデザイン重視の客室です。ただ、乗客がほとんどいません。 

 久留米を8:59に発車した『つばめ335号』は、スムーズにスラヴ軌道を走らせ、筑後船小屋、新大牟田、そして新玉名と各駅に停車します。どこも新幹線が出来たと同時に開業しただけあって耳慣れない駅名ですが、久留米と筑後船小屋だけ在来線に隣接しています。

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 (新玉名駅)

 そういえば、この旅始まって以来初めての新幹線でしたね。さぞかしワクワク感が走るかと思いきや、やっぱり所詮新幹線。早速眠くなり、気づけば熊本、という有様でした。

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 (新幹線車内)

 すると、熊本は大雨です。まさかこの旅で熊本まで来るとは思いませんでしたが、最後の鉄道の締めが大雨とは。この旅で鉄道で巡るのはここが一番の西になります。

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 (熊本駅到着)

 熊本空港
 
 熊本駅からバスで熊本空港に向かいます。
 
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 (空港バス 熊本駅〜)

 私はなぜ今、熊本空港に向かっているのだろう、と漠然とした疑問をを持ちながら、市内から実に遠い空港まで運ばれます。おい、熊本空港、おまえ遠すぎだよ!

 駅から約1時間。結局、なんだかんだ言ってフライトまで十分間に合いました。これなら新幹線乗らずに熊本まで普通電車で行っても大丈夫でした。

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 (熊本空港)

 熊本からのフライトは、ANA 3727便、定刻通り12:10に動き出しますが、厳密に言えばこれはANA便ではなく、ソラシドエアーという、宮崎に本社がある、ANAの子会社みたいな航空会社運行のようです。経費節減でANAが零細路線を切り離したのでしょうかね。

 フライト(熊本〜沖縄)

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 (離陸〜) 

 熊本空港を飛び立つと、しばらく雲の中をもがくようにガクガク飛びます。そして、知覧上空あたりで厚い雲は途切れ、一気に東シナ海上の紺碧のブルーシートが下界にドーンと広がり、以後、飛び石のように続く南西諸島の上をつなぐ様に飛びます。

 早速、種子島・屋久島が観えてきました。屋久島は、高い山がありますので、南側から雲がぶつかってモクモクしているのが分かります。
 
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 (山にぶつかって雲が出来ている屋久島)

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 (屋久島の隣の口之永良部島)

 次にトカラ列島が始まります。3年前のリーマンショック時にトカラ列島にいましたので、形を観ればどの島なのか分かります。口之島、中ノ島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、横当島などが窓下に光ります(宝島は機体の真下だったため一瞬しか分からず)。

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 (トカラ列島・口ノ島、中ノ島)

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 (トカラ・諏訪ノ瀬島)

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 (トカラ・悪石島)

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 (トカラ・小宝島)

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 (トカラ・横当島)

 やがて向こうに奄美大島が観えてきます。
 
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 (奄美大島、北側から)

 さすがは大きいですね。南側に回りますと、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島、与論島などの奄美群島が連なります。与論島は上から見ると、本当に珊瑚に囲まれている様子が分かります。

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 (徳之島)
 
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 (沖永良部島)

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 (与論島)

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 (伊平屋島 野甫島)

 そしてついに沖縄本島に到達。翼を旋回させ高度を下げ、13:40、定刻通りに那覇空港に着陸しました。

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 (那覇市街)

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 (那覇空港着陸)

 那覇での乗り継ぎ時間は4時間。長すぎです。観光客でごった返している那覇空港は、家族連れやカップルの悲鳴が所狭しと奏でられ、セキュリティーチェックは長蛇の列。皆さん、大変ですね。

 とにかく、那覇空港はカード会社のラウンジもないし、土産物屋とコンビニ程度しかないので、一人旅にとっては少々きつい空港かもしれません。

 ビールでも飲んで待合室の椅子でダラーンと待つこと3時間半、ようやくチェックインの時間が来ました。次の便は、1779便 16:55発石垣行きです。これは、ANA本体が運行する便のようで、なぜかオトク感を与えられます。

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 (ANA1779便 16:55発)

 定刻通りに離陸した期待は、順調に宮古列島上空を貫き、わずか1時間のフライトで無事、石垣空港に着陸しました。

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 (宮古島上空)

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 (水納島上空、人口は2人しかいないらしい)

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 (石垣島)

 さあ、沖縄・八重山列島に来ましたよ。対馬から一挙に石垣です。これからまた、新しい旅が始まります。
 
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2011年08月19日

対馬脱出 アリバイ トリック

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kazunn2005アリバイサスペンス

 そういえばさいころの旅、まだ続いていましたね。

 時計の針は厳原に戻して、ここを拠点にさいころをふります。

1が出たら・・・韓国(南朝鮮)
2が出たら博多
3が出たら博多
4がでったら、博多
5が出たら、博多
6が出たら、長崎

 結果は・・・ 5(よかった、1が出なくて)

 まあ、博多へ引き返すしかないので、問題は博多の先です。それではここでそれも、さいころで決めてしまいましょう。

1が出たら・・・佐賀・長崎方面
2が出たら・・・東京
3が出たら・・・鹿児島方面
4がでったら、大分・宮崎方面
5が出たら、山陰地方
6が出たら、空港

結果は・・・ 6

 空港!  空港です、空港。さあ、次のさいころは壮大な旅行範囲になります。三回目のさいころです。

1が出たら・・・北海道
2が出たら東北
3が出たら四国
4がでったら、沖縄方面
5が出たら、お家へ帰る
6が出たら、とにかく外国!

さあ、ふります。コロコロ・・・

4! 沖縄です、沖縄!

と言うことで、次なる目的地は沖縄に決定いたしました。

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 時は8月13日の旧盆真っ只中。飛行機となると予約をしなければいけません。

 飛行機はワンパスのマイル消費を充てます。めったに乗らないヒコウキのマイルは、海外で貯めて国内線で消費するのが一番費用対効果が高いもの。
よって、行き帰りで12,000マイル消費で沖縄へ飛ぶことにします。ただ3週間をきっているので、75ドルの手数料が発生します。

 チケットセンターに電話すると、

「あいにく、福岡空港から那覇・石垣乗り継ぎ便がお取りできない状況になっております」
との事。旧盆の一番混んでいるこの時期、やっぱり満席状況のご様子。取れる一番近い日付は20日だという。

 私はかなり悩みました。20日まであと一週間、そんなに長い期間対馬や九州にいたくない。

 すると、あることにひらめきました。

「九州内どこからのフライトでいいから、那覇便の空席はないのですか?」

と伝えると、コールセンターのお姉さんは、こんな私のリクエストに真剣に応えてくれて、せっせといろいろ調べてくれています。

 すると、

「ありました。熊本から那覇までの便が、来週の月曜日、15日にお取りできる状況です。しかし、次は19日まで空きがありません」

15日ってあさってではないか。それまでの間に対馬観光して、韓国展望所まで行き、そこから博多へ戻り、熊本空港まで行くことが出来るか?

 私は一か八かにかけてこの熊本空港発の那覇便の予約を入れてしまいました。払い戻しも変更は可能ですが、けっこう手数料がかかります。

 さあ、ここからが大変です。あさって15日の熊本12:10のフライトに間に合うにはどうしたらよいのでしょうか。翌日14日の15:25時の夜便で博多に向かい、一泊して熊本に行くのが現実的です。

 しかし、対馬北部・比田勝へ行って、路線バスにて厳原に15時までに戻るのは不可能です。比田勝行きをあきらめて厳原でじっと待つしかなく、それでは何のために対馬に来たのか分からなくなります。

 高速船も便がありません。離島の正規料金航空券は高すぎです。残る手立ては、厳原発早朝4:50発の臨時配船フェリーです。これなら博多港に15日の8:45に着きます。

ところがです。博多から最悪9:18の新幹線に乗らないと熊本空港12時に着けません。そして、時刻表どおりに8:45に博多港に着けても、最悪の新幹線に乗れるでしょうか。その差30分ほど。

 港から駅までそれほど遠くはないので30分でも不可能ではありませんが、しかし、船が少しでも遅れたらアウトです。航空券もろとも海の藻屑に消えてしまう運命が待っています。

 そんなハラハラのスケジュールは出来れば御免こうむりたいっす。それでも離島発の飛行機の世話にはなりたくありません(策がなければやもえないかも)。

 対馬北端の韓国展望台に行けて、安いフェリーで博多に戻れて、熊本空港に15日12時まで着くにはどうしたらしたらよいのか。

kazunn2005のアリバイ作りに苦労が走ります。

 すると、時刻表を眺めていたら一つ、ありました。それは、対馬北端の比田勝から博多に直接向かう便が15:05にあるではありませんか。これなら厳原に戻る必要はなく、前日夜の博多着なので余裕があります。

 結論が出ました。比田勝15:05のフェリーです。船賃は5,720円です(当然2等)。

 つづく

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posted by kazunn2005 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行