欧州の首脳、国民投票問題でギリシャを非難
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111103-00000001-wsj-int ギリシャはけしからん、怠け者ギリシャはつぶしてしまえ、という声がネット上で溢れています。ギリシャという国を弁護するわけではないですが、もう一回、ギリシャという国を観て見ます。過去の内容と一部重複しますが、お許しください。
先月、ギリシャへの債務不履行をどうごまかすか、すったもんだした挙句、ユーロ圏、EU圏は、ギリシャ債権を保有している銀行団に対して50パーセントの減免を脅迫要求し、合意させました。
これで一時的に欧州危機は去った、時間稼ぎは出来た、という見る向きが強くなり、ある筋では、『欧州危機に悲観しすぎ!悲観ばかりになったら株は買いだ』という雰囲気が熟成されました。
しか〜し、そんなおめでたい雰囲気も1っ週間とてもちませんでした。国民投票などやってどうしようというのでしょうか。破滅への引き金をひく可能性というものが冗談ではないかもしれません。
何でこんなにギリシャが騒がれなきゃならなかったのか。何でギリシャの高利回りの債務がこんなにも世界の金融機関を渡り歩いて取引されてきたのか、不勉強な私はもう少し調べなきゃいけませんが、少なくとも、極端な無駄遣いカット、公務員首切りで経済が縮み、よけい収入が減って借金がまた増えるという悪循環になって国はボロボロになりつつあります。
借金踏み倒しを『ヘアカット』だ何て、モノは言いようですね。これからどうなるのでしょうか。
ギリシャの総人口は約1100万人、うち約370万人がアテネ首都圏に集まっています。私がギリシャに行ったのは2002年と2003年、計4週間ほどです。その頃から広場では毎日毎日デモばかりやっていて、警官隊とにらめっこをしていました。
通貨はすでにユーロになっていて、物価が騰がった、と人々は嘆いていましたが、ドイツとかに比べるとレストラン以外は安かったです。観光と海運業(今では衰退)でもっていた国なので、遺跡の保存には力を入れていて、ホテルとかは沢山あるのですが、うるさいクラクションは堪りませんでした。
行ってみて最初の印象は、車の洪水とクラクション、そして盛んなデモでとにかくやかましく、古代都市のイメージとはちょっと違う感じでした。
ギリシャは軍事国家です。なが〜い間トルコに支配され、武力闘争で独立を勝ち取った歴史的経緯と、長かった軍政、そして、トルコ、ブルガリア、スコピエ政府〔マケドニア共〕、アルバニアと、周りを敵国に囲まれ、兵隊さんが多い国だな、と感じました。
ギリシャ人は昔、イギリスの影響下にあったので英語が出来る人が多いですが、言語はギリシャ語で、数学の公式に出てくるあのギリシャ文字を使用しているので、何書いてあるのかよく解りません。
私が行った時代はユーロに参加仕立てのころで、景気もよく、アテネ市内はとても賑わっていました。今では暴力的なデモでしかその余韻は感じられません。
ギリシャ人はドイツが概して嫌いです。それは、第二次大戦中、ナチスドイツによって虐殺や飢饉などでとても苦しめられたからです。今のギリシャ首相、パパンドレウは政治の家系です。彼の父や祖父は、ナチスやその後の王政、軍事政権に苦しめられたので、彼の中に欧州北部に対する感情的なものがあるのかもそれません。因みに彼はアメリカで育ちましたので、インタビューでも流暢な英語を話します。
ギリシャは、長い間軍事政権や隣国との戦争に明け暮れたので、ユーロの参加はインチキでもして成し遂げたかったのでしょうね。観光と海運(衰退)でしかウリがなかった国家なのに、それを餌食にした欧米の金融怪物が一番の癌だと思います。彼らが気の毒です。
ギリシャに平穏が戻ったら、ぜひ観光でも行ってあげてください。新婚旅行するには最高ですよ。
以下は、半年前の2011年4月に書いた、プログのものです。
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ここ近年、この南欧の小国で財政危機と盛んに騒がれているギリシャ。昨年の今頃あたりから自国の債務に「返せないから助けて!」とECB(ヨーロッパ中央銀行)に擦り寄り、何とか自転車操業的なやり方で1年持たせましたが、ついに今度は「返せなくなるかも」ときました。去年より深刻な事態なのに、市場では昨年ほど騒がれていません。ところで、ギリシャとはどういう国か。今日はこのギリシャという国を取り上げてみます。
【ギリシャ共和国】
── なめる様に青い空、紺碧のエーゲ海と輝く島々、そして古代遺跡 ──
よく、『今までどこの国が一番よかったですか?』と聞かれます。答えるのに一番難しい質問なんですが、‘自然が良い国、人が良い国、滞在していて良い国’と、その‘良かった?’という内容によって答えが違ってくるのですね。そこで、単なる『観光』でいうのなら、私はギリシャという名を挙げたいと思います。新婚旅行などで行くにはベストではないか?と思います。
1. ギリシャ概略
ギリシャの位置です。

(欧州広域)
トルコとイタリアの間にあります。エーゲ海とアドリア海に挟まれた半島と島々から成り立っています。
ギリシャの地図です。

(ギリシャ旅工程図)
色の線がついているのは実際に通ったところです。
この国の首都はアテネです。数年前にオリンピックをやったので覚えている方もいると思いますが、オリンピック発祥の地です。

(アテネ市内上空からアテネ中心部の全景です。ギリシャの総人口約1100万人のうち約370万人がアテネ首都圏に集まっています。車の洪水とクラクション、そして盛んなデモでとにかくやかましく、古代都市のイメージとはちょっと違う感じでした)


(アテネの市場です。海に近いため、ヨーロッパでは珍しく海の幸が豊かです)


(アテネ市内の様子、朝から晩までクルマのクラクションがうるさい)
面積は北海道の2倍弱程度で、人口は国全体で東京都ほどの約1千百万人。国土は半島部と大陸部、そしてたくさんの島から成り立っていて、トルコの大陸目の前の島までギリシャ領になっています。
冬は雨が降り、夏は乾燥して気温が高いのですが、一年を通じて雨量はそんなに無いので森はまばらです。しかし、北の大陸部は高い山々もあるため、他のギリシャの地方とは気候が違います。
2. ギリシャの小史
ギリシャといえば古代ギリシャ文明で有名ですね。オリンピアという町が半島部西部にあり。そこに古代オリンピックの遺跡があります。

(オリンピア遺跡)
一見すると石ころばかりですね。
紀元前に有名な都市国家(ポリス)が発達しました。ギリシャは今もこの古代文明を誇りに思っていて、自分たちがヨーロッパの起源だという想いを持っている人が多いようです。でも古代ギリシャと現代ギリシャ人は血統が違うらしいです。
やがて古代ギリシャはローマ帝国の支配下になっていきます。
ローマ帝国が東西に分裂したのち、ギリシャは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に属しました。この帝国はギリシャ文化が中心でしたので、ギリシャの帝国と言っていいかもしれません。しかし1453年、歴史的大事件が起きます。東ローマ帝国がイスラム教徒のオスマン帝国によって滅ぼされ、その支配下に置かれます。以後400年近く、ギリシャはオスマン帝国の統治が続きました。
19世紀、ギリシャ独立戦争が始まり、海の戦で勝って独立を獲得しました。約400年ぶりにギリシャの国家が復活し、ドイツのバイエルン王国から王様をすえました。
そして逆にトルコに二度も侵攻しましたが、今度はコテンパに負けました。その後は戦争の歴史で、今の国境線は第一次大戦の結果の影響が大きいです。第二次大戦ではナチスドイツの攻撃も受けました。
第二次大戦後は内戦で混乱したりと、どうも国づくりをしっかりする時代が続かず、軍事政権が続いていました。
そして1974年に民主的に王政から共和制になり、現在は何とかEUに加盟し、ユーロにも加わりました。しかし、ギリシャはまだ比較的最貧困地域であることは変わりなく、政治的にも保守的です。
3. ギリシャ経済
ギリシャのお金はユーロです。
![800px-EUR_50_obverse_%282002_issue%29[1].jpg](http://kiteki-kaido.sakura.ne.jp/sblo_files/kitekikaido/image/800px-EUR_50_obverse_25282002_issue25295B15D-thumbnail2.jpg)
(50ユーロ紙幣【見本】)
しかしドイツで使う1ユーロとギリシャで使う1ユーロは価値が違います。以下の物価は2002年11月当時です。
アテネの地下鉄初乗りが0.7ユーロ(約100円)、安宿1泊6ユーロ(約800円)、たばこが2.5ユーロ(320円)、缶コーラーが0.6(80円)、缶ビールが0.6(80円)、チーズバーガ1.2ユーロ(150円)くらいです。それに比べて外食が異様に高く、ランチでも4ユーロ(約500円)はどうしても下回りませんでした。観光地はそれなりに高いのです。
世界経済を騒がせているのはこのギリシャです。かつて海運業が盛んでしたが今は観光程度しか目だった産業も無く、そのうえ放漫財政をずっとしてきました。年金が60歳から現役時代の8割もらえるらしいですね。
ユーロに加盟する時、一生懸命背伸びをしたのですが、最近、その時の経済指標が嘘っぱちだった事が分かり、ギリシャはユーロ圏の問題国とされています。以降、緊縮財政を強いられてますが、デモ好きで手ごわい労組はかなり抵抗し、今、ギリシャは債務棒引きという危機を迎えています。
ドイツと同じ通貨であることに、旅行者の立場から見ても違和感を感じます。これからユーロはどうなるんでしょうかね。
4. ギリシャの鉄道
ギリシャの鉄道です。
管理・運営OSE(ギリシャ鉄道)
軌間: 1,435mm (約1,565km→
現在約1800km? ) 、1,000mm (961km→現在推定730km)、その他
創業年 : 1869年
営業キロ : 2,751km
電化キロ : 76km (AC25kV:50Hz )
右側通行
都市鉄道を除いて国鉄が運営しています。国鉄は、国土が山岳地帯や狭い半島、そして島々ばかりなので鉄道はそれほど路線がないです。ただ大きく分けて2つに分けられます。
一つは標準軌鉄道です。大陸部を南北に貫く鉄道エリアです。これは隣国などに繋がる鉄道網でして、ギリシャ北部からアテネまで延びています。一応国際列車が運行されています。
トルコとの戦争で鉄道の重要性を知り、1916年にアテネから北部のテッサロニキまで繋がり、バルカン諸国と鉄道で結ばれました。やがてパリとアテネを結ぶ国際列車が運行を開始しました。映画などで有名なオリエント急行はアテネにも顔を出しました。




(テッサロニキからアテネまでの標準軌線の旅。山岳地帯を貫きます)
写真は大陸部の標準軌線の車窓です。
北部から南部にかけては山地が列なり、鉄道はいくつか峠を越えます。見事な峠越えで、盆地へ入れば車窓にはオリーブの木々や綿花畑など、いかにもギリシャらしい畑作地帯を眺められます。
現在ギリシャ国鉄は国家予算を投じてゆくゆくはイタリア並みの水準に持って行きたいようですが、この素晴らしい鉄道車窓を眺められ、行きかう旅人もこのように風を感じられるような鉄道路線を今のまま残るのでしょうか。
もう一つは半島部の狭いレール幅の鉄道です。鉄道が初めてこの国に出来た1869年の時代はギリシャの国土は今の4割ほどで国力が小さく、建設費が安いメーターゲージを採用した経緯がありました。その後半島部のほうへ伸びていきました。
私が行った時はアテネ市内から狭軌でしたが、現在は半島部の北岸まで標準軌に換えられて、さらにどんどんメーターゲージ線は無くなりつつあります。
(狭軌線のピレウス駅)
(今では見られない、狭軌線 アテネ駅の列車)
(今では見られない、アテネ市内のナロー鉄道の軌道と併走する標準軌の列車)
真上の写真はアテネ市内を走る標準軌の列車です。港まで標準軌と狭軌の線路が並走していました。
アテネの鉄道駅は長い間、狭軌駅と標準軌駅が位置することとなりましたが、現在は狭軌駅のほうは閉鎖されているようです。
ギリシャの鉄道はオリンピックを境にとても変化が激しいようで、DVDに収録されている様子はギリギリ最後の郷愁を記録したものとなってしまいました。
アテネの地下鉄・都市鉄道です。当時、地下区間は少ししかありませんでした。
(アテネ市の都市鉄道)
100万都市でありながら長らく地下鉄や路面電車は近年まで乏しいものでした。2000年以降順次開業し、オリンピック以後は空港へ連絡する地下鉄線も開業したようです。また、近郊電車も整備中です。因みに料金は、90分以内券が0.6ユーロ(約90円)で、一日共通券は2.90ユーロ(約350円)でした。
5. ペロポネソス半島

この写真はコリントス運河を渡っている狭軌の列車です。運河は1893年に完成し、それまでペロポネソス半島を迂回していました。船舶は一気に400kmも短縮されましたが、小型船舶しか航行できず、それでも年間約11,000隻の往来があるらしいです。

地図で言うとこの辺ですね。

(コリントス運河の位置)
ペロポネソス半島と本土にわずかに繋がる細い地峡をバッサリと切り落としたように一直線に横切っている運河です。こっちがペロポネソス半島です。

鉄道は半島を一周するように描いています。ペロポネソス半島は四国より少し大きいほどの半島で、コリントス運河のおかげで実質島になりました

狭軌線をゆくギリシャ6460型列車です。列車は、ゴツゴツした崖に埃っぽい山岳地帯の中をミカン畑やオリーブの木々に囲まれながら走ります。この車窓こそギリシャの風景でして、線路はクネクネ左右に曲がりに曲がり、単調でない地形の為、鉄道は大きく回り込みながらループを描いて山越えをしていきます。さぞかしこの路線を建設するのに資金がかかり難工事であったでしょう。ローカル色がとっても濃く、オンボロ列車が通っています。

(キパリシア駅に停車中の列車)
半島西南部のキパリシア駅に停車中の列車です。1902年に最後のピルゴス(Pirgos)とキパリシリア(Kiparissia)間が完成し、半島一周線が全通しました。キパリシアは古代都市の歴史を持つ人口約4000人の美しいビーチを持つ町で、毎年観光客が多く訪れます。

古代オリンピック遺跡があるオリンピアへ向かう路線が出ているピルゴス駅です。私が行った時は工事運休中でした。やってきた列車は、ピレウス行き303列車で、オレンジのディーゼル機関車と荷物車2輌、普通車3輌の計5輌編成の客車でした。

ピルゴス駅では、荷物車から家電製品や食料品、新聞などの大荷物を搬出・搬入する作業でにわかに活気が興ります。まだまだギリシャの田舎の駅では鉄道が日常生活のドラマとして現役の舞台であるようです。


(ピルゴス駅での小さな小さなにぎわい)

車内でであった少女です。学生さんたちで賑わっていました。

(学生列車の華やかなにおい)
6. エーゲ海地方

変わってエーゲ海の島です。ここではサントリーニ島を紹介します。
写真はサントリーニ島で、ギリシャ本土から南東へ約200`の位置にあります。よく絵や写真の舞台になる景色の美しい島です。

(サントリーニ島名物の500段階段のロバたち)
サントリーニ島の本港は強烈ながけ下にあって、一気に標高100メートルほど上がらなければ市街へ行けません。写真は観光客をがけ上の市街へタクシー代わりとなって観光客を運んでいる様子(因みにロープウェーもあります)。


(サントリーニ島の静寂の沈陽)
サントリーニ島の夕陽は世界三大夕陽と言われているようです。誰がそう言ったかは知りませんが、よくガイドブックに書かれています。確かにおっとりするほど見事です。あとは北海道の釧路といううわさも・・・
島には古代遺跡もあります。フィラ遺跡といいます。ギリシャにはあちこちに遺跡がありますね。でもここの遺跡はかなり山の上にあります。

(山の上にあるフィラ遺跡)
19世紀にドイツの考古学者グループに発見されました。長い歴史を含んでいるのでどれがどの時代の遺跡かは混乱してしまいますけど、東方エーゲ海を監視・支配する上で都合のいい場所にあったので長く繁栄したらしいです。でもまあ、行きにくいからこそ観光客が少なくてじっくりと古代を感じることが出来るのではないでしょうか。



(フィラ遺跡の残骸)
エーゲ海の島々は他にも魅力的な島がいっぱいあります。新婚旅行など、雰囲気重視の旅ならぜったいおススメです。夏には海岸をスッポンポンで歩いている男女の光景も観られます。
7. 北部・北東部マケドニア・トラキア地方

さて、長くなりましたが最期にテッサロニキ駅です。アテネとは全く違う都市圏です。ここはギリシャでも北部にあたり、バルカン諸国が近くまで迫っている土地柄で、第一次大戦までギリシャ領ではありませんでした。
アテネまでは約500`、ブルガリアのソフィアは350`、マケドニア(共)のスコピエは270`、という位置関係です。アテネまでの502kmをICが27ユーロ(約3300円)/ 約5時間30分、急行が14.10ユーロ(約1100円)/ 約7時間くらいです。安いでしょ。
テッサロニキは、人口約105万、ギリシャ第二の都市であり、サロニカとも呼ばれています。長い間オスマン・トルコの領土でしたが、1912年のバルカン戦争でギリシャ領になりました。東方訛りや文化的にトルコに近いこともあり、アテネとはまた違った雰囲気です。

(テッサロニキ市内の全景)
ギリシャ・マケドニア地方の中心でして、ギリシャのマケドニアこそが本当のマケドニアとして譲らず旧ユーゴ・マケドニアの国名を絶対に認めません。理由は実際マケドニア地域は3国に跨っているからです。
現在、マケドニアという名前の独立国家はスラブ語系民族が実権を握っている国です。彼らはブルガリア語と酷似した言葉を使い、この新マケドニアに対してブルガリアでは『あなたたちは私たち』と思っているとのこと。ギリシャだけではなく、したがってブルガリアも、ギリシャの一地方名を使用していることを快く思っていないようです。因みに、ユーゴスラビア統一のチトー時代に、ここの本当の名前は‘ヴァルダルスカ’とするはずだったとのこと。

さて写真はトルコ方面へ走る列車で撮った遠足の子どもたちです。テッサロニキからイスタンブールへは820kmです。
ギリシャは観光国の顔を持ちながら、一方では軍事国家で、ブルガリア・マケドニア(共)、そしてトルコとの間で今なお穏やかではなく、テッサロニキより東は歴史的経緯により緊張地帯となっています。よって、兵隊の輸送など、軍事的に鉄道も活用されています。
(列車で任地へ向かうギリシャ兵たち)
最期にギリシャ・トルコ国境の駅です。国境を越える列車は一日1往復運行されています。長い間ヨーロッパを周りついにトルコへ入る瞬間は感慨にふけります。

(ギリシャ・トルコ国境駅の様子)
それでは出かけて見ますか?
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