2012年09月16日

2.泰麺世界の旅

2. バンコク通信難民

思えば、論文やレポートをせっせと書き上げている頃の暑い最中でした。それは8月の終わり、そろそろタイへの旅を画策し始めたころ、集中力を割いてはチャットやメールの返事に精を出している自分の姿がありました。

もはやバンコクで観光などいまさらしても仕方がない私は、インターネットでタイの友人作りに精を出し、何とか知り合った3人のタイ人の友人たちとコミュニケーションを取ることに成功しました。お互い英語が出来るので話が滑らかに進んでいきます。

印象としては、タイ人はどうやら日本が大好きな人が多いようです。AKBやジャニーズの嵐、そして原宿やシブヤにあこがれている子が多く、日本へ旅行に行きたくてしょうがない感じが伝わってきます。そんなに良いかな〜、日本?、いろいろやり取りしていると、先方の対日観が徐々にわかってきます。さあ、次は出会いの日への手続きにワンステップ進みます。

と、いうことで、今回の旅の前半は『タイ人の友人たちと一緒に遊んで交流を深めよう〜』、というのが今回のスタンスとなりました。

さあ、タイ入国の日を迎えます。
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ところで、5年前と大きく異なる点として、通信事情があります。
私が汽笛街道のユーラシア一周をした際の2000年一桁時代は、インターネットを通じて電子メールで本国の友人たちとやり取りする事がとっても画期的な瞬間でした。その後、街中にインターネットカフェがポンポンと芽が生えてはあっという間に雑草のごとく乱立したのを覚えています。

そして、ニホンゴも打てる端末も豊富にお目にかかれるようになり、旅をしながら随時外の世界と交信することが普通になりました。

ところが、今回バンコク中心部のスクンビット通りを歩いてみると、すっかりインターネットカフェが少なくなっている事に気づきます。あるのは旅行者が溢れる観光客相手の歓楽街や宿屋街くらいです。

なぜならば、タイにおける携帯電話の普及率が関係しているからでした。いまやパソコンから携帯、そして個人が普通に一人一台携帯とパソコンを持つ時代となったバンコク市民。当然、それまでのお客だった『携帯・パソコンを持たない通信難民』が少なくなったからです。

今回の私のバンコクの旅は、この通信事情との戦いから幕を開けました。
日本から持ってきたスマートフォンは、特別なバカ高い料金を払わない限り使い物になりません。唯一、WI-FIが使えるところに逃げ込んではニッポンスマフォでいちいち文字で返信したりするのは難儀なことこのうえない。

電話も、ストリートの公衆電話の多くはぶち壊されているものばかり。
コインを入れても通話はできないどころか、コインが戻ってこない可能性もあるシロモノに頭を抱えて、土砂降りの下、「こんなの我慢できない!」と叫ぶ始末。

そこで、ついにやってしまいました。それは、当地バンコクの携帯電話を手に入れたのです。

携帯代が800B、SIMカードが200B、その他100、飾り物100Bで、計1200B(約3100円)です。市内約60分間通話可能で、これが高いかどうかはその後の費用対効果で検証しなければなりません。全部タイ語で何がなんだかわからずかなり苦労しましたが。。。
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(みんなタイ語、英語すらありません)

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(`左〜がサムスン製のバンコク用携帯電話)

さあ、友人に電話をします。
「ハーイ、カズンだよ!」
「カズン?ホントニ カズン ナノ?電話、テニイレタノ?」
「うん、君とお話したいために」
「アリガトウ。デモ キョウハ イソガシイカラ ゲツヨウビ 二 アイマセンカ?」
「オブ コース!」
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てな具合で、今まで文字でタラタラやり合っていたのが一瞬で会話が成立。これほど電話のありがたさを身にしみたことはないです。日本の携帯電話は、いったん外に出てしまうとなかなか使えない、使えたとしても莫大な金額がかかるため、あっという間に通信難民になります。
中国や韓国の携帯は問題ないのに、日本という国の特殊な異様さを感じます。

バンコクは今日も重そうな空です。雨季のため、カラッと晴れる瞬間はなかなかやってこず、いつも上を眺めては、滴の嵐が落ちてこないか心配しながら歩いています。すると、‘どおお〜!`と言いながらあまりにも激しいぶっ太い雨がたたきつけてきます。

5年前と今と比べて、私が感じるバンコクとはそんなに変わっていません。ただ、食料品や遊びの物価がけっこう上げっていることと、公共交通網がかな整ってきた感じがします。

今、バンコク中心部には、MRTという日本の経済援助で建設された地下鉄と、高架式鉄道・BTS、そして空港連絡鉄道(Suvarnnabhumi Aieport Rail Link)があります。道路渋滞は相変わらずなのでとても重宝します。
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(地下鉄MRT)

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(高架式鉄道BTS)
地下鉄とBTSは5年前と比べてかなり路線長が長くなりましたし、朝・夕の通勤時間帯は以前よりも増して混雑が激しくなった感があります。

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(混雑する車内)

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(道路渋滞とBTS)
一方、前回、空港からのエアポートリンク(空港連絡鉄道)に触れた際、今までの国鉄在来線の様子を書きましたが、写真で観るとこんな感じで相変わらずです。
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しばらくしたらタイ国鉄にも乗ると思いますので、そのときに詳しく書きます。ちなみにこのような鉄道式の交通機関は本当にバンコク中心部だけで、ちょっと郊外に行くにはまだまだバスかタクシーしかありません。

次回は、タイの友人たちとの語らいや、夜の部を書くつもりですので、夜の部においては切り離してご報告申し上げ奉ります。
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1.ぶらり思いつき泰麺世界の旅

ぶらり思いつき泰麺世界の旅

1.現実逃避

ここには蝉はいません。まったくいません。聞こえるのは道路の喧騒と人々の小さなささやきの塊しか聞こえてきません。しかしどうも日本の延長線のようにしか感じられないのです。

成田を離陸し、5年ぶりとなる国外脱出にもかかわらず、心は他に向いていたような覚えがあります。5年も空いたのにちっともわくわく感やドキドキがないのが意外な感じがしました。

となりの座席の人が、食い入るように到着先のガイドブックを凝視して、「あれが不安だ」「これが不安だ」というような面持ちでいるのを、私がそこに横槍をいれて、その街の過ごし方、などをアドバイスをしている自分がとっても嫌な感じでした。

今、私はタイ王国の首都・バンコクにいます。東京から片道総額14200円。つい、画面のクリックを押してしまい、航空券を買ってしまったのが運の尽きでした。

バンコクに着いたのは、当地時間午後3時半。6時間のフライトでした。‘Aiecraftを降りるとそこは広大な空港敷地の端っこに追いやられていて、そこから入国審査、Baggage Claim`を経てついに入国!

昔はドンムアン空港というやや汚い空港だったけど、顔を覆い尽くす、あの「ムワっ」という熱気がバンコク歓迎光臨の鳴らし合図だったのだけど、今の空港は近代的過ぎてそんなものはありません。その代わり、「クロッサーン〜」から始まるタイ独特の案内放送を聞いたらたちまち元気が出てきました。
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5年前と大きく異なるのは、空港から市内に伸びる新しい鉄道、エアポートリンクが走っていることです。片道90バーツ(約230円)、以前はタクシーで渋滞に巻き込まれながら向かっていたのを思い出すと便利さが一気に増しました。これならボッタクラレなくてもすみますね。
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実はこの鉄道、タイ国鉄が運行しているのですが、財政火の車の路線でして、新幹線かと思うほどの立派な設備とターミナルを造ったのはいいのですが、お客さんがぜんぜんいません。私が乗ったときも1両に5人ほどしかいませんでした。こんな豪勢な造りで開業したのに、下に並行して走る国鉄の在来線はちっとも手を施していないようで、昔ながらの小汚いヨレヨレ線路が大渋滞の踏み切りのでかみ殺されているのが観えてきます。
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まあ、なんだかんだ言って今は喧騒の街バンコクでひっそり生きています。ただ、意外とやることが多くてのんびりしていません。今日はとある国の大使館に朝早くから行ってビザ申請の戦いをしてきましたし。

この事は後ほど書きます。さあ、旅が始まりました。

つづく。
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2012年09月13日

冷たい残暑

冷たい残暑

蝉がシクシク泣いています。

最近の夏は後にずれているような気がして、夏が好きな私にとっては、9月こそベストな夕暮れ時の夏休みと感じてます。

先般、わが恩師である生徒時代の先生が亡くなりました。享年75、ちょっと早すぎるんじゃないの?と、冷たくなった頭を触りながら思わず口に出してしまう。あまりにも静かな表情をし、それでいて厳しくこちらを今にも叱りそうな、そんなお顔を奏でていました。

恩師は、私が小学生のころ、小学校2年生だったけな、当時は近所に餓鬼ンちょたちがいっぱいいて、誰かしら習い事をしていた。特にそろばん教室は絶大の人気で、いつも教室に行けば、仲間が必ず何人かいました。

そんなごく普通の小学生の一人であった私が、恩師に見初められてそろばんの道をひた走り、中学の段階で1級を取得しました。そのころになると同級生たちは高校入試のために学習塾に通う子がほとんどになり、中学生になってまでそろばんをやっている子はごく少数でした。

それでも私はやめず、いや、そろばんが好きだったのかもそれない。本人にはその自覚はなかったのですが、恩師の叱る言葉が実に心地よかったのかもしれません。

そして、ついに運命は高校に移ります。
「おまえ、行きたい高校はあるのか?」
「市立か津久井浜高とかになるかも」
「だったら商業来い」

その言葉で私の高校生活が確定いたしました。無事入学を果たし、ふたを開けてみると、そろばん教室の恩師が今度は担任になるじゃありませんか。実に複雑な心境であり、そのような経緯があろうとは周りは知るはずもなく、私もあえて黙っていました。

所属した部活も珠算部。珠算の競技大会では、市レベルではもちをん一位でしたが、恩師は目にも留まってくれません。恩師の目指す先は全国大会でした。

そして私が3年生の時、そして珠算部の部長として、ついに神奈川県代表の一員として全国大会に行けたのでした。その年の大会は岐阜市で行われ、恩師はその岐阜までの鉄道に乗ることも楽しんでいました。つまり鉄道好きでした。

そんな縁もあって、北海道での競技大会では、終わった後に稚内行きの夜行列車に乗り込んでは北に向かっていました。翌朝、8月だというのに15度しかない車内で震えていた恩師に長袖のシャツを着せたのはいい思い出でした。

時が過ぎ、最後にお会いしたのは今年の7月。お見舞いのために病室をノックする前に、足音で解ったのですかね、「おい、ノムラ!」と叫んだのです。さらに、「おまえは結婚もせず、いいかげんしっかりせい!」とお叱りの言葉をいただいたときには、内心、「あ、大丈夫そうだな」と確信したのですが・・・

去る9月7日、恩師は突然、そしてあっという間に我々から離れて逝ってしまました。報を聞いた瞬間、悲しみよりも、大きな、大きな後悔だけが残ってしまいました。

恩師の最後の私への指示は、英語の教員免許を取れ!でした。現在、学生をしているのもそのためです。しかし、間に合わなかったのが悔しい限りです。

今年に入って、悲しみばかりが重なり、自分もなかなか元気がでていない、と悟るようになりました。少し区切りをつけるために、ちょっと旅に出てきます。もちろん、天国の恩師には内緒で。また怒られるかな。

「目覚めが遅い!」

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2012年08月15日

平成24、終戦記念 靖国参拝

 靖国神社へ参拝しに行って参りました。

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 学校から歩いていける距離でしたが、もろもろ雑務を終わらしていけば、門が閉まるギリギリ19時になってしまいました。

 靖国神社へ行く手前、右翼団体のおどろおどろしい宣叫集団と、法輪功の中共反人権弾圧集会、そして反天皇制グループと親天皇制グループ、韓国・中国非難グループなど、様々な政治勢力が界隈に集まり、一種、8月15日の靖国周辺はお祭り騒ぎでした。

 しかし、一歩後ろに下がって一礼をして鳥居をくぐり、手水舎で身を清め、閉まる寸前の門をくぐれば、そこは大太鼓が重く鎮まるように響き、参拝者たちの手合わせの2拍手のみが鋭く伝わる神聖な空間でした。ここでは、つい先ほどまでの隣国への怒りが嘘のように消え去り、奥の神殿に向けて、日ごろの感謝と、英霊の鎮魂、国家の安泰を祈りました。

 驚いた事に、会社帰りと思われる人たちや観光客が19時を過ぎても列をなし、黙々と静かに参拝をしている光景でした。聴けば、いつもの年よりも遥かに多い人が参拝に訪れている、との事です。

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 中には、なんと可愛らしいお嬢さんが一人で参拝しているではありませんか。あそこにもあちらにも。そして、参拝後、「あ、お母さん、今参拝終わったよ」と携帯電話で自然に話す仕草が心象的でした。

 英霊を敬い、国家を憂う人々がこんなにもいるんだな、と意外でしたが、これが特殊な光景なのかどうかはよく解りません。茶屋では、おっさんたちが、核武装反対賛成で議論していたり、政治議論で賑わっている光景を眺めていたら、靖国神社の及ぼす神力というものは実は相当奥が深いかもしれません。

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2012年05月22日

ラダックのロバ

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今さっき、たまたまNHKBS1の海外ニュースを観てたら、インドのラダックの特集をやっていました。

そのラダック特集の主役は人間ではなくて、ロバ。それも捨てられた‘野良ロバ’。

それまで農作業などで活躍していたロバたちが、ここ数年の急速な経済発展の影響でロバを捨て、トラックや耕運機に切り替える農家が増えました。その結果、街には野良化したロバで増えてしまい、交通事故などに遭うケースが後を絶たない、とのこと。

そこで、有志のボランティアが野良のロバたちを保護し、えさを与えながら健康を取り戻させ、飼い主たちに返そう、と奔走しますが、やはり、引き取りを拒否されることが多い、との事です。

ロバのえさ代だけで年間約70万円ほど。とてもそのボランティアたちだけで続けられるものではなく、観光などで里親を募集したり、訪れた観光客から寄付を集めたりしていましたが、ついにボランティアの範疇を越えてしまい、NGOに登録して本格的な寄付集めをするのだそう。

私は昨年、そのラダックに行こうと、ビザまで取るところまで行ったのですが、家庭と経済事情などで断念した経緯があり、もうあきらめかけていた時でした。

これを観て、もう一回、インド行きを夢み、こうした活動の手助けをしたい、と改めて想ったのでした。

今日のこの番組を観て思ったことは、NHKだからこそ、視聴者受けしなくともこのような意義のある特集を組めた、という事です。民放だったら、ラダックへ芸能人でも引き連れて観光土産案内で終わったことでしょう。たった今、偶然にもNHKBS1の特集を観まして、心を打たれました。

しかし、それは、感動を意味するものではなく、寂しさと哀れさから来るものです。

人間たちの不幸な境遇など、いつもクローズアップされがちな発展途上の国々の話題が多い中、動物も不幸な運命を辿ることを忘れがちです。

人間の不幸は、自然災害などを除けば人間自身からでたものですが、今回のロバのようなケースもやはり人間が起因すること。

私も経済的に余裕があれば、何か小さな力になれたら、といつも思います。

友人にはラダック好きなやつらが多く居て、いつもラダックのよさを聴きます。いつかは行ってみたいのですが、もう無理かもしれません。

しかし、こうして報道にてラダックの現状を観、もう一度ラダックに想いをはせたいと感じています。

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2012年04月27日

新たなページ

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4月も早いものでもうすぐ終わり・・・

毎日毎日馬車馬のごとく日々が過ぎ去っています。

友人のnicoちゃんなんか、タイに愉快な仲間たちを集めてドンちゃんパーティー〜、もううらやましいったらありゃしない。

アタイなんかしばらく海外出られない、と思うともうフラストレーションが溜まって溜まって・・・

ところで報告があります。

わたくし、この春から訳あって臨時的に学生になりました。クロがいなくなり、寂しかったですが、新たなページが開きます。

もう、手続きが済んで金払って、履修登録まですませました。1年間という期限付きでありますが、久しぶりに学生に戻り、学問に携わる喜びをかみ締めたいと思います。学生という視点からもいろいろ思うことを書こうと思っています。

無事、取るべき単位がすべて取り終わったら、来年2013年4月、いよいよ動こうと思っております。

もちろん、仕事もしながらの苦学生ですので、相当忙しい日々になりそうです。
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2012年04月07日

大往生 さよなら クロちゃん

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 さよならクロちゃん

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 去る平成24年4月4日、わが愛猫クロ(本名チコ)は静かに天寿をまっとういたしました。平成と共に享年23(推定)、誰もいない居間のコタツの外で倒れて衰弱死していたのを仕事から帰ってきた父が発見したのが最後でした。

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 (クロのなきがら)
 
 亡骸は瞳孔が見開いてしまい、かわいそうでした。しかし、最後まで頭と尻尾の毛は綺麗でした。

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 (きれいなしっぽ)

 4月2日に、最後の診察を受けた際には、病気ではないため手の施しようもなく、先生もお手上げ状態でしたので、点滴を打り、最後のあいさつをし帰って来ました。

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 (最後の診察)

 点滴のおかげでその日は歩く事もできましたが、翌日からは再び衰弱が激しくなり、ついには強引に水をあげようとしても飲み込む力がなくなってしまいました。

 死ぬ1ヶ月前から、私がクロに薬やら食べ物やらを強引に口に含ませる役目を負い、そんな日々でしたので、クロにとっては「何てひどい事をする男なんだ」と映ったかもしれません。居間に居ても私の膝の上には着ませんでした。

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 (衰弱していったクロ)

 この私のプログでは時々クロのことを書きました。一他人の飼い猫に過ぎないのに、数名の方々からクロへの励ましや書き込みを頂き、私も嬉しかったです。ありがとうございました。

http://kitekikaido.sblo.jp/article/41087400.html

 クロは23歳でした。しかしこれは推定であり、実際はもっとプラスαかもしれません。というのは、平成2年時にわが家に飛び込んできた当時は、すでに毛がふさふさしていたツヤツヤの若ネコでして、どこかで手入れされていた爪の切り跡があったのです。おそらく近所で捨てられたか、もしくは脱走してきたか、の可能性が高く、まあ、仮にその元飼い主がいるのならば、今の今までクロが生きていた何て想像できないでしょうね。

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 (家に着たばかりのころのクロ)
 
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 (すでに我が家にはチビタという齢下のオスネコがいた)

 迷い込んできた時、すでに我が家には『チビタ』というオスネコの子猫がすでに居を陣取っていて、家の中で喧嘩をおっぱじめる事態に。
 
 1997.3月 クロチビ.jpg(チビタと喧嘩をするクロ)

 あまりにも両者不仲なので、彼らが喧嘩したとき母が一回頭を引っぱ叩きました。すると今度は豹変、チビタを弟のように抱き込んでペロペロなめ始めるではありませんか。クロもこの家に住むためにはチビタと仲良くしなければいけない、と悟ったのでしょう。

 そんなある日、外庭に外敵が侵入してきました。見慣れない野良猫です。
すると、クロとチビタはスクラムを組んでその野良猫に威嚇をし挑戦しました。飼い猫は基本的に甘ちゃんなので、到底喧嘩で野良猫にはかなうはずもありません。威嚇のうめき声だけは騒がしくも、おしっこは恐怖で漏らしてしまうほどオドオドしていたものです。

 そんな日々も今となっては思い出です。チビタが平成15年に15歳で死に、野良猫がすっかり居なくなり、クロにとってここ数年、飼い主である我が家の人間だけが相手をしてくれる日々でした。寂しいものもあったことでしょう。

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 (家族の一員の日々)

 平成21年には神奈川県より長寿ネコとして表彰され、製薬会社のホームページにも載りました。   http://www.animalabo.com/gochouju/all_entries/index.php?t=2&p=3 (の227番)

 因みに、ここでは名前が『チコ』となっていますが、改めましてこれが本名です。実は、このネコが我が家に迷いネコとして来た時、まだ名前がありませんでした。そしてこのネコを飼う、と決めたころ、このネコはどうしても外に行きたがり、ノラのオスと遊びほうけ、2,3日帰ってこなかった事が頻繁にありました。

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 (長寿ネコの表彰状には本名が)

 もし子どもでも生んでいたらどうしよう〜、そんなおもいに駆り出され、ついに動物病院で避妊をしようという事になり病院にいきました。

 すると、作成するカルテに付ける名前がありません。そこで、いくつか名前の候補として挙がっていあた名『チコ』を瞬間的に採用。つまり、人間で言う戸籍上の名前がその瞬間ここで決まったのでした。

 しかし、この『チコ』という名は日常生活では定着せず、黒いのでいつの間にか『クロ』と呼ばれはじめ、ついにはあだ名と本名が並存するカタチで20数年も生きたのでした。

 サクラの季節と共にこの世を去ったクロ。飼い始めたペットは最後まで飼わなければいけないというのは常識。しかしこれがけっこう難しいのが世の現実。人間の都合で引越ししたり、経済的に困窮したり、はたまたは『飽きたから』という事情で捨てる人間もいたりと、理由はさまざまですが、捨てる事には変わりがなく、今の人間占拠の社会では、ペットを供給するシステムは豊富だけど、捨てられた犬猫を救う体制は実に脆弱です。神奈川県の江ノ島に行けばその現実がわかります。

 そうした現実を思えば、うちのクロが天寿を無事費やし、我が家のほうも何とか最後まで飼えたことに、少し義務を果たした、という安堵もあるかもしれません。ネコや犬は孤独を嫌います。最後は寂しい想いをさせてしまったかもしれませんが、クロが我が家で23年間過ごせた事は幸せであった、と勝手に思うことにし、しばしその精神的ショックを引きずり、時間が経つのを待ちたいと思います。

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 皆様、本当にありがとうございました。
 
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 (あばよ・・・)


 
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2012年03月29日

クロちゃん 最後の春



 23年間連れ添ってきたクロちゃん、想えば私が高校生のころからずっと自分の生き様を眺められてきたわけだ。

 そのクロちゃんがまもなく生涯を終えようとしている。

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 (20年前のクロ)

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 (そして今のクロ)

 どんどん体が小さくなっていくので先日、かかりつけの動物病院(小泉純一郎邸のとなりのとなり)で診察を受けたところ、甲状腺が弱っていて衰弱過程にあることを改めて痛感した。

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 (病院行きを嫌がり、悲しく泣くクロ)

 2006年には5.12kgあった体重は、2006年4.95kg→2010年3.84kg→2011年3月3.05kg→2011年10月 2.88kg→2012年 2.58kgへと衰弱してゆき、ついに3月に入って 2.38kgとなってしまった。

 今のクロの状態は、じっとしていてもマラソンをしているような状況で、水や食べ物を食べても燃焼しやせこけてしまう感じだ。

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 (水を飲む、飲む、そして飲む)

 診察中は先生に噛み付こうとするなどまだまだ抵抗心は旺盛なのだが、以前と比べてその迫力はなくなってる。右足もおかしいので、貯まった粘着液を注射で抜き、とりあえず診察終了。

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 (おとなしく診察を受けているようにも見えるが・・)
 
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 (爪の手入れに入ると先生に牙を・・・)
 

 人間と同じように薬袋をもらい、何とか強引に米粒の半分ほどの固形の錠剤を飲ませ、ここ1ヶ月間、1日2回、彼女を追い回しては飲ませてきた。

 クロは私の顔を見かけるや否や、『またクスリか!?』と察知し、嫌な顔して逃げようとするが、私も心を鬼にして捕まえては、少々力ずくで口を開けさせ、‘ポン’と瞬間的に口の奥のほうへ放り投げてきた。

 しかし私の今は家と職場の往復であるセブンイレブン状態なので12時間きっかりで投与できないのが辛いところだが、何とか1日2回は実行してきた。

 今日、クロはついに自分から食べ物を食べなくなってしまった。薬だけでなくえさまでも強引に口に含ませる状態となり、ついに来るべきものが来るかな〜、と覚悟をしなければいけない時がさざなみのように迫ってきている。

 ネコは飼い主を慕い、その傍で生きるより、その家に住み着き、空間に愛着をもつ動物だ、と言われているが、クロが生きた23年間のこの家、そしてこの近所のコンクリートと花壇の雑草に別れを告げる。

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 (久しぶりのひなたぼっこ)

 本日は久しぶりの休日だったので、クロを春風漂う外の庭に連れ出し、お天道様に照らされた枯れた芝生の上にチョコンと置いた。

 毛が黒色なので、お日様の陽はすぐにクロの体を暖かくするが、風が少し冷たいからか、10分ほどして家の玄関へ向けて歩き出してしまった。

 ノッシノッシとよろめきながら進むクロだが、何とか自力で5段ある玄関の階段をのぼり、そして家の中に戻る。

 動物を飼えば必ずしや別れがやってくるのは宿命。私はそれが嫌なので子どものころは犬猫を飼いたくなかった。その記憶がまた巻き戻り、今度は23年も一緒だった愛猫とも別れることにその想いが一層強くなってしまう。

 さあ、最後の奉公としてめいいっぱい看病に努めよう。

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2012年03月19日

映画『MIS、(ミリタリーインテリジェンスサービス)』の記事

 仕事の帰り道だった。時計の針が午前へ回るころ、何も考えずに歩きながら路面が濡れている裏路地に吸い込まれた。すると、とある小さなカレー屋が眼に入った。馬車馬のような一日の末、空腹が悲鳴を上げていたので、ほんの少しの迷いの挙句そのカレー屋に入り、置いてあった読売新聞を片手に持ってテーブルについた。

 政治面、国際面と眼を通しているうちに、ふと小さな記事が眉毛がつまづくように留まった。それは、私が尊敬する監督の映画に関するものだった。

 その映画は、『MIS (ミリタリーインテリジェンスサービス)』。すずきじゅんいち監督のアメリカ日系人部隊シリーズ第三弾だ。記事は、ロサンゼルスで上映された映画を読売新聞ロサンゼルス支社の記者が鑑賞し、その評価と内容に関する話が書かれていて、それが右隅にやや大きく掲載されていた。

 MISとは、かつて日本とアメリカが戦争状態になっていた時、アメリカに籍をもつ日系人で編成された情報部隊の事である。アメリカに籍を持っているとはいえ、彼らの父母や祖父母は日本から渡ってきた日本人移民。特にMISのメンバーは日本滞在経験があり、また日本語が堪能。よって祖国愛のため、100%、敵国日本を憎む事ができず、かといって忠誠先はアメリカ。それが返って辛らかった。

 そうした祖国愛と本国への忠誠心をアメリカという国は利用した。戦時中、捕虜となった日本兵を詰問する任務にあたり、顔カタチが日本人である風貌に多くの日本兵捕虜は心を開いた。

 一方、戦争前に日本に帰国した日系人もいて、彼らの多くは戦場に狩り出された。太平洋の小さな島で同じ境遇を経たり、場合によっては肉親同士だった日系人たちが同じ戦場で敵味方に分かれて戦っていた事もあった。

 そのような悲劇を経て敗北し、廃墟となった日本。戦後、MISはその後の復興や憲法製作にも携わったので、戦後から続く現代日本の礎は彼らの汗も混ざっている事にもなるのだ。

 私はまだこの映画を観ていないので詳細は触れられないが、とても興味を感じる、いや、観なくてはならない作品だと思っている。

 監督のアメリカ日系人シリーズ第一弾は、『東洋宮武が覗いた時代』(とうようみやたけがのぞいたじだい)であった。(in 2008年製作 すずきじゅんいち企画・監督[日・米合作])

http://www.toyoscamera.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=9818

 そして二作目は、『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』
http://www.cinematoday.jp/movie/T0009394

 そして今回が三作目である。一、二作目とは違う点は、直接日本が関わっている点だ。さらに、情報部隊という事で長い間存在自体すら秘密にされ、MISのメンバーたちも固く口を閉ざさねばならなかった。二作目の442部隊も長年シークレット扱いだったが、近年名誉が回復されたことは有名になってきている。

 しかし、MISのメンバーは、442の部隊メンバーよりもさらに高齢の人たちが多いだけでなく、口を開いてくれるかどうか一層難しかったであろう。これは私の推測であるが、きっと監督もこの点には苦労したであろうし、長期にわたるドキュメンタリー作品の製作なのでお金の面も大変だったと思う。映画の完成は監督や関係者の努力だけでなく、監督の人間性が基礎にあり、それが作品に結びついていると確信している。映画監督というのは実に想像を超えた総合商社のような芸術職業であると、今更ながら知った次第である。

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 私は場末のカレー屋で独り寂しくカレーを食べながら記事を読んでいたが、読み終わって一息つくと、知らずと、
「俺もがんばんなきゃな」
と、本当になぜだか知らないが勇気が湧いてきた。最近文化活動から遠く離れてしまっているが、作りたいものを創る、そんな素直な生き方をしたい、と改めて思ってしまった。 
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2011年11月28日

今宵のフォト (ルーマニア)

今日の一枚 + 一枚、こよいはルーマニアです。

 10.ブラショフ結婚式6.jpg

9.ブラショフ結婚式5.jpg

 ルーマニア中部、ブラショフで出会ったルーマニア正教の結婚式です。見ず知らずの東洋人を、快く式に招いてくれて、おまけに写真まで撮らせてくれました。この写真を彼らに渡したいのですが、郵便は戻ってしまいました。その住所録も、今は定かではありません。

 ルーマニアはヨーロッパ圏でとても貧しい国の一つ。周りがスラヴの国々に囲まれている中、ピョコンと位置し、南欧の気質溢れるラテン系のおおらかさと適当さ、そして人懐っこさが旅人を出迎えてくれます。

 下の写真のように、駅構内で子どもたちがフッボール(サッカ)をしていても誰も文句はいいません。

 59.マンガリア駅フッボール少年.jpg


 もう一つの写真は、

 28.ブシュテニ駅にて.jpg

 ルーマニア国鉄の車掌さんです。眼がりりしいですね。

 鉄道員はきっちり仕事をしてます。ルーマニア国鉄の車掌さんはとても給料が安く、中にはタバコをくれ、とかいろいろとねだってきますが、物を取るようなまねはしないと思います(どこかの旧社会主義国の汽車屋とは違います)。

 またルーマニアの写真をアップしようと思います。どこかに行きたいなぁ〜。


 さて、うちのクロが動物医療のフォトコンテストに載りましたので、ご報告申し上げます。

 エントリーNo.227です。一応、カルテ名(本名)で載せています。

http://www.animalabo.com/gochouju/all_entries/index.php?t=2&p=3


57..マンガリア駅.jpg
posted by kazunn2005 at 17:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行