2012年11月03日

感想 『二つの祖国で 日系陸軍情報部』

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  『二つの祖国で 日系陸軍情報部』米題 『MIS (Military Intelligence Service)』

 作品を観終わった時、MISのメンバーの素晴らしさに感嘆すると共に、思わず我が日本の情けなさを感じた。こう書くとネガティブに伝わるかもしれないが。

 この映画は、単なる証言集ではなく、映像や写真、そして資料を駆使して裏づけし、若干エピソードを添えながら日系人の目線で表現されており、それでも観るものを熱くさせる作品になっている。

 恥ずかしながら私は、ドキュメンタリー番組は観るけれど、ドキュメンタリー‘映画’という作品を、近年まで映画館で観た事はなかった。映画というのは、主人公がいて、物語があり、脚本・台詞があって、結末に期待を寄せる、そんな劇作品のことを指すのだと思っていた。やがて映画自体観ることが少なくなった。

 最後はアメリカ一番、のハリウッド映画に慣れるのも良い。しかし、そんなものばかりが映画ではなく、すずきじゅんいち監督の一連の日系人シリーズに出会ってからは、ドキュメンタリー映画の存在を意識し、イラン映画など違った角度での作品も面白いということに気付いた。その後、回数はまだまだ少ないながらも、映画館へ脚を向けるようになった。

 さて本編の感想である。

 最初に思ったことは、証言と同時並行で映される白黒の映像だ。これらは単なる参考資料ではなく、証言に沿った脈絡がある映像だった。例えば、MIS(米日系陸軍情報部)の兵士が、捕虜(日本兵)の尋問に際し、タバコを与えて相手の警戒を和らげる場面の話をする。その時、静かな笑みを浮かべてタバコを与えているその映像を添えるのである。

 証言を集めることも大変な作業だが、「よくこんな映像が残っているな、よく見つけてくるな、」とその収集能力のすごさに感嘆した。おそらくアメリカ側の映像だろうが、英米の『記録』に対する執念が伝わった。

 ところで、前作2作目と違い、本作は直接我が日本が関わってくる。そして、MISというのは情報部隊であるため、二作目の442の実戦部隊のような派手さが少ないかもしれないが、日本軍の兵士と直接関わる点でイメージがしやすい。

 しかし、敵である日本軍兵士をやっつける、とか、実戦での成果を強調するものでは決してなく、ハリウッド映画にあるような、アメリカは正義だ、何ていうプロパガンダの要素はない。その代わり、敵である祖国日本への愛情がいたるところで感じられ、私は正直ほっとした。

 むしろ、当時の日本軍の愚かさ・幼稚さに、分かっていたつもりでも改めて心底驚き、怒りさえ感じてしまう。諜報を軽視し、作戦が筒抜けで海と空で戦うなんて、兵士を捨て駒のように殺しにいくようなものである。

 MISの方々の素晴らしいところは、置かれた立場の悲劇性や優秀さを忘れさせてくれるほど、敵軍兵士に対する愛情を強く感じる点である。日本軍としては、彼らを敵として扱わなければならなかったことに不運が襲ったが、日本人としてはこれは真に幸運だったといえよう。

 顔や言葉が通じるだけでなく、精神や感覚が分かり合える人間性を持ちえた『帰米』部隊に捕虜の尋問を担当させたり、沖縄の地上戦で洞窟へ逃げ隠れている一般民の説得に起用するなど、アメリカ軍はソフトの面でも考え方が優れていた。

 沖縄戦の話しでも、たまたまMISのメンバーに説得されて命を拾った洞窟もあったが、では助からなかった洞窟はなぜ悲劇を迎えなかればいけなかったのか。コミュニケーションがある・ないで命が助かる運命の分かれ目はあまりにも辛い。沖縄戦のことは、戦後の教育で知っている‘つもり’になっていた私も改めて自分の無知を確認した。

 少しはずれるが、日本は沖縄(琉球)を併合し、地上戦で犠牲にし、そして今も米軍基地や不平等条約で沖縄に冷たい歴史を歩んできた。こんなことをし続けていると、本当に沖縄は独立するか、中国の属国になるぞ、という事が冗談話ではすまなくなるかもしれない。
 
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 そして戦争が終わった後のMISの活躍だ。

 白黒はっきりさせるアメリカ文化、対して玉虫色が大好きな日本文化。当然、占領政策にも文化や考え方が影響してくるが、どちらの精神性を兼ね備えているMISのメンバーはまさに戦後日本の占領政策の架け橋となった。

 サンフランシスコ講和条約までたった6年で占領が終わるなんて、ある意味奇跡だが、その背後にはMISの活躍があったから、と思うとは思い上がりであろうか。その後のベトナムやイラク、アフガニスタンの例でも分かるように、占領される側との間に立つ人間がいないとうまくいかないのではないか。

 一方、占領がうまくいったもう一つの要素は、我々日本人が持っていた性(さが)かもしれない。日系人は、明治生まれの1世に育てられ、日本人性というものを受け継いだ。日本人とは何か?と問われて私は即座に答えられない。なぜならば失っているからだ。なぜ失っているのか?それはアメリカ占領後に生まれた世代で多くのものを捨てたからだ。

 おそらく、それらは、宗教観であったり、年上の人を敬ったり、主人を尊敬し、弱者をいたわり・・・・つまり武士道と言われるものも入っていると思うが、MISの方々始め、日系人にはそれが残っている。我々本国の日本人が、逆に彼らから日本人とは何か?を学ぶしか日本人を理解できないのではないか、と思うのである。

 時が経つにすれ、人々の記憶から歴史は遠くなる。一方、外交文書の公表やいろいろな証拠が出てきたりして歴史がより鮮明になる側面もある。そして、時の経過は人の心もほぐし、体験者の重い証言が得られやすくなる。記録映画になるという事で、重い口を開けた方もいるだろう。

 印象に残ったのは、日本の精神を教えてもらった叔父に会いたかったけど、敵国であるアメリカに肉親を殺された叔父に会えなかったばかりか、何も伝えられなかった無念さをようやく吐露した方がいた。その思いは、まるで映画のスクリーンの向こうに現れるであろう我々日本人に向けた、最後の訴えに近いものを感じた。

 新しい事実が出たけれども、漫然と公表されては誰の関心も払われずに静かに埋もれる歴史もあれば、記録や証言を集めて学会やマスコミなどを通じて発信され、注目を集める歴史もある。アメリカの日系人の話は、今では多くの人々があの事実を知るようになったのだが、それは、コツコツと証言を集めて映画化した、すずきじゅんいち監督のおかげであろう。監督がもしこの映画を作らなかったのであれば、日系人の一連の話はこれほどまでに関心を集めなかった。

 私は、監督が第3作目の『MIS (Military Intelligence Service)』 の製作を始めた、と聞いた時、1作、2作目のような、豊富な証言が詰まった内容に仕上げられるのであろうか、と素人ながら心配した。なぜならば、今回の主役たちは、日系二世、三世たちよりもさらに年配で、90歳を超える方々が大変多い。しかし、監督はそんな困難を承知で手がけた。

 そして作品は完成し、封が切られた米国での反響を聞いていた私は最初に思った。『間に合ったんだ。』監督は歴史のギリギリのところでメガホンを取っていたのだ。

 そして今日、鑑賞する機会に恵まれた。作品は、ドキュメンタリーと記録映画作品として質の高い内容に仕上げられ、後世を生きる人間たちへ、遺産としての価値を十分手渡せる内容であった。
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2012年10月31日

『二つの祖国で 日系陸軍情報部』

邦題 『二つの祖国で 日系陸軍情報部』  米題 『MIS (Military Intelligence Service)』
(東京映画祭 TIFF in 日本橋 / ヒューマン・ドキュメンタリー/ 「山路ふみ子賞」の文化功労賞の受賞作品)

http://2012.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=191
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今年も東京映画祭の季節がやってきた。数多くの優良な作品が都内の各映画館で上映され、芸術の秋、文化の秋真っ盛り。そこで、たまには社会性のある作品を鑑賞して、いろいろ感じてみようではないか。そんな作品を観るきっかけを作ってくれるのも映画祭の魅力であろう。

その一つ、『二つの祖国で 日系陸軍情報部』を紹介したい。すずきじゅんいち監督のアメリカ日系人部隊シリーズ第三弾だ。すでに米国にて『MIS (ミリタリーインテリジェンスサービス)』という題で封が切られており、多くの新聞や雑誌がこの映画に関する内容や社会現象の記事にしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111103-00000016-cnn-int
(日系人部隊出身者に米最高勲章に関する記事だったが、削除)
http://www.us-lighthouse.com/specialla/e-587.html
3月18日付 読売新聞ロサンゼルス支社発記事など・・

そして、「山路ふみ子賞」の文化功労賞を受賞した。社会的反響はかなりのものだ。

その日本版の発表が、去る10月24日、東京国際映画祭の作品として日本橋室町の三井コレドホールにて行われた。すずきじゅんいち監督の挨拶から始まり、ちょっぴり硬くなった雰囲気の中、‘監督の監督’の紹介、つまり、奥様の榊原るみさんの登場。プチ独演会??も添えて会場は和やかになったところで、『二つの祖国で・日系陸軍情報部』が上映された。上映後、監督と、ハーバート・ヤナムラさん(元MIS兵士)が登壇、Q&Aも交えて内容の濃い2時間だった。

ここで、 『二つの祖国で 日系陸軍情報部』 のあらすじを紹介する。



 MISとは、かつて日本とアメリカが戦争状態になっていた時、アメリカに籍をもつ日系人で編成された情報部隊の事である。アメリカに籍を持っているとはいえ、彼らの父母や祖父母は日本から渡ってきた日本人移民である。

 特にMISのメンバーは日本滞在経験があり、また日本語が堪能、つまりこの時点では日本人としてのアメリカ人だった。前作2作で扱われた日系二世とは決定的に違うのは、自分の祖先の祖国・日本という国を知っていることである。彼らは‘帰米’とも呼ばれ、日系二世たちとは違うカテゴリーにに分けられた。

 帰米日系人は、日系二世たちよりもはるかに強い祖国愛のため敵国日本を憎む事ができず、かといって忠誠先はアメリカに向けなければいけない。また、日本にいればアメリカ人、アメリカにいれば日本人としてみられ、外からも内面においても悩みが深かった。その二つの祖国がよりによって交戦状態となり、彼らはもっとも辛い境遇に置かれた。
 
 彼らがアメリカへ忠誠を示すことを証明するには軍隊に入隊する以外、道はなかった。そうした祖国愛と本国への忠誠心という特殊な立場を、アメリカという国家は利用した。

 戦時中、情報戦を軽視していた当時の日本軍は、暗号もずさんで、多くは日本語さえ解れば作戦すら解読されるという有様だった。MIS部隊は、その情報収集任務を任され、山本五十六長官を打ち落とすきっかけを作るなど、その活躍は目覚しかった。また、捕虜となった日本兵を詰問する任務にもあたり、顔カタチが日本人だけでなく、流暢な日本語を話す彼らに、多くの日本兵捕虜は心を開いた。ここでも多くの情報を手に入れるなど、アメリカ軍が対日戦をかなり有利に進める原動力を果たした。

 一方、戦争前に日本に帰国した日系人もいて、彼らの多くは日本軍兵として戦場に狩り出された。太平洋の小さな島で同じ境遇を経たり、場合によっては肉親同士だった日系人たちが同じ戦場で敵味方に分かれて戦っていた事もあった。

 そのような悲劇を経て敗北し、廃墟となった日本。戦後、MISはその後の復興や憲法製作にも携わった他、ソ連への対抗から共産党活動への封じ込めにも活躍し、戦後から続く現代日本の礎を担った。つまり、現代日本の繁栄は彼らの汗も混ざっている事にもなるのだ。

 しかし、彼らがいかにすばらしかったか、いかに優秀だったか、だけに焦点をあてると、この映画を観る上で訴えるものがぼやけてしまうかもしれない。

 彼ら『帰米』や日系二世、三世・・・たちは、明治以前の『日本人性』を思い出させてしまう。明治時代に育った一世がアメリカ本土やハワイに渡り、子供たちを日本の昔ながらのやり方で育てたため、二世や帰米の方は今でも日本人性を持っている。まるで時が止まったように。

 一方、本国の日本人たちは、戦争に負けたことによって、自信を失い、世界観が180度変わった影響も手伝い、あまりにも多くの大和魂が消えてしまった。戦後の日本人は、自ら日本人性を捨てたのであろうか。

 そして、その‘日本人性’とは何であろうか。MIS部隊が捕虜を尋問する時のその こころ、白人と日本人との間にたってコミュニケーションを大事にする配慮、そして日本の叔父に謝意を伝えたかったが果たせなかったその なみだ、いろいろな場面や証言から日本人のこころとは何か、を感じることと思う。

 この映画は、日系人部隊の歴史的事実と心を体験者たちのインタビューと記録映像をまじえてドキュメンタリーとして仕上がっている。しかしその内容は決して重苦しい雰囲気ではなく、明るく、前向きで、そして優しく描かれている。そして功績の誇らしげを強調するものでもない。 まじめな映画を鑑賞する前に、「では楽しんで」と言うと怒られるかもしれないが、映画を観るということは楽しいことだ。何も緊張して神妙になる必要はない。ここであえて言う。

「楽しんで観てください。」

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2011年06月05日

映画『442』 静岡上映会

 去る5月22日、静岡にて映画『442』の上映会がありました。2週間も経った事後報告で恐縮ですが、現地での上映会、監督ご夫妻のご様子など、この場をお借りして報告したいと思います。

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 当日は雨が若干滴ったものの、予定通り会場はいっぱいになり大成功を収めました。このように、映画の内容とは縁がない日本の地方都市でも成功を収めた事はすごいです。
 
 音頭をとったのは、地元旧清水市に活動の拠点がある、NPO法人『ヤングカレッジ』。
http://www.k3.dion.ne.jp/~young/
 
 清水青年団の流れを汲む非営利団体です。大規模な商業活動や組織を持っている法人ではありませんが、やっている活動はまじめで且つ献身的で、地元企業や行政からの信頼も年々増しています。このように書いてしまうとお堅い感じがしますが、アットホームな若い女性たちが中心となって地域に密着した活動を精力的に行っています。

 こうした行政系NPO法人というのは、わたしの地元でもそうですが、比較的ご高齢の方々が日々の活動の中心になりがちです。このヤングカレッジも、必ずしも若い人が多いとは書きませんが、そこそこ新世代が活躍しているような気がします。そんな若い世代を影で支えてくれている先輩方たち、そんな暖かい世代間交流を魅せてくれています。

 さて、そのヤングカレッジが主催する映画『442』の上映会。静岡駅近くにあるサールナートホールで5月22日に開催されました。話に聞くと、この映画館はお寺さん系の施設のようで、採算度外視の、価値ある映画を数多く日々上映しています。

 そういえば、最近映画館行っていないな・・・

 上映会には、製作者のすずきじゅんいち・るみ監督夫妻が駆けつけてくれました。

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(いつも陽気な監督ご夫妻、私はいつも目の前にいると緊張してしまいます)

 詳しい上映会の様子などはヤングカレッジのホームページ上にあるのでここでは割愛させていただきますが、
http://youngcollege.eshizuoka.jp/e745340.html

 一つ知ったことは、映画そのものに関心をもっていただこう、とする努力やご苦労がいかに重要である事。当日は、テレビ局・ラジオ、そして新聞社などが取材に見え、監督ご夫妻はてんてこ舞いでしたが、何だかスポットライトを浴びている人はやっぱり違うなぁ〜、とただただ思ってしまいました。

 しかしながら、監督がここに来る、という事はもちろん、マスコミ各社が自然に、勝手にくる事は決してありません。ここに至るには、マスコミ各社との人脈、アポイント、そして説得の努力があったからです。映画『442』は、誰も傷つかず、社会性が含んだ内容であり、そして、採り上げる価値がある、と多くの方がご判断されたからこそ当日の賑わいがありました。

 これは、監督の作品におけるこれまでの実績と信用、そして監督夫妻ご自身のお人柄もあるでしょう。監督自ら細かく地方へ出向き、広報活動もしておられます。しかし、大きな営利が動かないドキュメンタリー作品の監督が動かねばならない事情も一つの悩みでもあるのですが・・・

 こうした上映会の様子などは、告知したり宣伝する事によってまた次に繋がります。実は、こうした一連の活動の裏には、ヤングカレッジを主宰しておられます、『快傑ガンコ親父』こと、松韻窯陶房(旧清水市)の主事・寒河江先生の存在があります。
 http://www.ab.auone-net.jp/~shouin/

 先生の人脈、行動力こそがヤングカレッジの活動の源です。先生はもう、若い人たちにバトンを渡したがっているようですが、まだまだそれは世間が許してくれなさそうです(笑)。そして、このような報告をなぜ私のような人間がしているのか不思議ですが、これも何かの縁ですね。

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(今回の上映会を取り仕切ったヤングカレッジの津島理事)

 このようにして、マスコミへのインタビューや取材を順番にこなしてゆき、最後は、200人以上の観客を目の前にして監督ご夫妻によるインタビュー形式のトークショーが行われました。

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(舞台上でトークショーを。当日は3方からの質問を受けました。写真は手振れのため他にロクな画像がなく、これでご勘弁を)

 トークショーの概要は、おおむね昨年六本木で行われた東京国際映画祭の内容と被ってしまうのですが、ここで一つだけ挙げるとすれば、映画の中で日系部隊が最後、ダッハウの強制収容所に到達し解放する話です。この事実を長い間アメリカ側は隠していました。無論、442部隊の存在すら一般には知られず、軍関係者の間でしか知られていませんでした。

さらに、ダッハウを開放したことは軍レベルでも長い間相当秘密にしていました。それは、自由を標榜するアメリカ合衆(州)国が、その国是を否定する強制収容所を建設し、そこに日系人を隔離し、さらに、その収容所に入れられた体験を持つ人たちの部隊によって敵国の強制収容所を開放したことは大きな矛盾でもあり、さらに正義の大国であるはずのアメリカの恥なのです。アメリカという国の本質が少しでも発見できたと共に、祖国を想う事への重要性を改めて認識させてくれました。

そして、私は『442』を鑑賞するのは3回目でしたが、観る度にまた違った角度で感じる事ができ、そして理解がよりいっそう深まりました。

 私は、3年間海外を出ていた頃、必然と自分の国を祖国して認識し、自然とそれを思う心、周りは異国人ばかりなので当然、私は日本人である、という心が強く芽生えました。国旗や国家、そして、その国の元首を想う心はどこの民族でも普通の概念として流れていることに気付きました。それを堂々と我が日本で想う事を許されない、今の現実に少し嘆いている次第でもあります。

 すずきじゅんいち監督は、昨年秋、大きな自動車事故を起こし、生死をさ迷いましたが、見事我々の前にカムバックしました。それは、神様が『まだまだやる事があるぞ』と、あの世から追い返えされた、とご本人は言っておられます。その『やる事』とは、これから上映準備に差し掛かります、東洋宮武、442に続く第三弾、『Military Intelligence Service, MIS』という、これまた日系人のドキュメンタリー作品の事です。いよいよお話は次回作へと参ります。

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(最後にサイン会で盛り上がる上映会)

 最後に、当日はヤングカレッジの皆様、じゅんいちご夫妻、がんこ親父さま、こんなわたくしを暖かく迎えてくださって本当にありがとうございました。

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-----------『映画442を知らない方々へ、簡単な概略のご案内』---------

 そもそも映画『442』とは?

 すずきじゅんち監督の大きなライフワークの柱の一つである、記録に残す事、この事業とも呼べる活動をドキュメンタリー作品という目に見える形で映画を製作発表しています。映画『442』はその一環の一つです。

 前作は『洋宮武が覗いた時代』。映画『442』は、これに続く第二弾として受け止められています。監督夫妻は今、米国・西海岸に居を構えておられ、その縁で通じた日系社会との交わりの中で、第二次大戦中の実戦を経験された方々がご健在中にぜひ、アメリカ人として戦った日系人の記録を残そう、と思い製作してこられました。

 本作『442』は若干、前作・東洋宮武〜から脈を受けています。前作は、第二次世界大戦中に強制収容所の日系アメリカ人を撮り続けた日系人カメラマン、宮武東洋の写真記録を基にドキュメンタリー作品として描かれました。当時の日系社会が受けた差別、アメリカの理念とは相反する強制収容所を国策として進めた事実、そして親の世代の祖国と戦っている自分たちの祖国に対する葛藤など。

 『442』は、その強制収容所の対象となった日系2世たちがアメリカ兵として戦地に赴き、その活躍とは裏腹に彼らの悩み、恐怖、それでいて暗さを感じさせない、脚色を入れず、できるだけ主観を除いて描かれたドキュメンタリー作品です。

 概略を簡単に説明すると・・・

 『1941年12月、日本はアメリカに対して真珠湾攻撃を断行し、攻撃後宣戦布告をした。これに対してアメリカは、ハワイ・および本土にいた日系人を強制収容所(Concentration camp)に収容した。
 同じ枢軸国移民であるドイツ・イタリア系には実施しなかった事は、明らかに人種差別的な政策をあえて採った意思を表している。

 このアメリカの国是とは相反する理念に、当局はこの日系人たちの扱いに困ることになり、その後、アメリカに忠誠を誓うことを確認した者たちによる部隊が編成された。
 まず、指揮官を除くハワイの日系人による第100歩兵大隊(100th infantry battalion)が編成された。軍事訓練の成果が後押しし、本土でも日系アメリカ人だけによる志願兵、第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)が誕生した。
 これはあくまでも日本人ではなく二世たち‘日系人’による部隊であり、彼らの祖国はアメリカである。しかし、彼らの理念の中には、一世たちから受け継いだ、大和魂も含んでいた。

 100歩兵大隊、442部隊は、ヨーロッパ戦線に送り込まれ、父母たちの祖国の同盟国相手に熾烈な戦いを繰り広げていた。特にイタリアの中南部、ローマ南東130キロ地点にあるモンテ・カッシーノでの戦いでは、はるか丘の上にある修道院(ドイツ軍が要塞化していた)を攻略するために多大な犠牲を払って奪還した。しかし、首都ローマ進軍は許されず、ローマを迂回させられたので、ローマ解放には立ち会っていない。

 また、部隊はフランス東部アルザス地方に移動し、ブリュイエールの街を攻略するため、周囲の高地に陣取るドイツ軍と激戦を繰り広げた。悪天候と寒い気温の悪条件の下、森林地帯を歩兵だけで攻撃して見事奪還した。戦後、『442連隊通り』と名づけられた名称の通りが誕生している。そして次の試練は、アメリカのテキサス大隊211名がドイツ軍に包囲され、その救出を命ぜられたのであった。その作戦に442連隊では約800名が死傷した。

 その後1945年、二次大戦 ヨーロッパ戦線末期、イタリア北部のゴシックラインと呼ばれる、ドイツ軍の防衛線をわずか31分で攻略した。実は442部隊が離れていた半年間、まったく攻略されておらず、だから日系部隊が呼ばれたのだった。この時点になってそれほどに、日系部隊は相当着目されていた証明でもあった。
 ちなみに、連合軍がゴシックラインを突破して半月後、ヒトラーが自殺し、翌月、ドイツ軍は降伏した。

 戦後、日本との戦争関係が終わり、堂々と勲章が授与され、その数はアメリカ陸軍史上最多となった。しかし、それにもかかわらず彼らが待っていたのは激しい人種差別との戦いであり、その戦いが終わるのは1960年代の公民権法以降となる。

 この映画は、日系人部隊がいかに優秀で勇敢であったかを伝えるために、その歴史的事実を体験者たちのインタビューと記録映像をまじえてドキュメンタリーとして仕上がっている。しかしその内容は決して重苦しい雰囲気ではなく、明るく、前向きで、そして優しく描かれており、また、功績の誇らしげを強調するものでもない。

 この映画の製作にあたって、体験者たちへのインタビューが難しい事を思うかもしれないが、実は想定していたほどでもなかった、という。製作グループが、退役軍人たちとヨーロッパへのメモリアルツアーに同行しているうちに良き人間関係が出来上がったため、インタビューにも快く応じてくれた、という。』

 以上が概要です。

 
 映画とは、商業映画のように単にエキサイティングするものもあれば、社会性に訴えたり、主張し、記録を披露する文化的なものもあり、制作費をかけられない映画の中にも魅力溢れるものがたくさんあります。映画館に出向いていろいろなタイトルの作品に眼を通していただきたいです。
 
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2010年11月04日

映画『442』 in 東京国際映画祭 (感想) 

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上映後 Q & Aタイムのじゅんいち監督

映画『442』(感想)

 アメリカで製作されたこの映画は、すでに本国で上映されており、多くの反響が寄せられている。そのほとんどがこの部隊を賞賛し、当時のアメリカの行った政策を悔いる内容のようだ。では日本ではどのような反響が出るのであろうか。

 ヨーロッパ戦線で日本人、および日系人が活躍した戦争は二つある。一つは、この映画で出てきた第二次大戦中の日系人部隊、もう一つが、第一次大戦における日本海軍の地中海における護衛作戦である。両者とも戦地においてその活躍を称える記念碑が建てられていて、今なお現地の人々によって大切にされている。ところが、その戦地という場所がひとたび『敗北』の地となると状況は違う。慰霊碑どころか、憎しみの対象になってしまう。

 私は、前作の『東洋宮武』を鑑賞したとき、収容所とはいえ、当時の日本の生活をはるかに凌駕する生活レベル、それを観たらとても同情なんて出来ない、と感じた。やはりそこは戦勝国と敗戦国との違いがどうしても色濃く出てしまうのではないか、と思ってしまう。

 戦中、戦後と激しい苦難をくぐり、そして人種差別という試練を経たが、今はやはり‘英雄’には違いなのだ。それに対して、負けた日本兵は決して英雄にはなれない。この差は大きいと思う。当時を経験した日本の人がこの映画を観てどう思うのであろうか。それは羨望に映ってしまうのではないか、と。ほとんどの日本人は人種差別というものが解らないのだから。

 この映画の目指すものは別にある。新たな過ちを犯さないために何が出来るのかを。人種差別は経験した者にしか分からない。実は私も小さいながらも激しい差別を受けた経験があった。

 旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナを訪れた時だった。路面電車に乗ろうとしたその瞬間、乗客たちから『サーズは乗るな!』と叫ばれた。そして、行く先々で少年たちから石を投げられたりした。

 どうしてかな?と思った。

 当時、中国を中心に悪性のインフルエンザ・サーズが大流行し、ヨーロッパにもその余波が及んでいた。そのため、人々の中に潜んでいた東洋人差別の意識がそれをきっかけに表に出たわけだ。

 売店でりんごを買おうとした時、「イエローモンキー出て行け」と言われた時はショックを受けた。差別を受けた側にしか分からないこの屈辱、これが戦争の芽を生むのだ。

 442の部隊の人たちをはじめとして、当時アメリカや南米に移民として生きていた日系アメリカ人、ブラジル人たちは、私の受けた差別など比較にはならない経験をしてきたであろう。人種差別は二世、三世たち日系人たちの分断をもたらした。こんなアメリカにどうして忠誠など誓えるのであろうか。いや、移民として、アメリカ国民として生きていくならば国家に誓うのは当然だ、というグループと。どちらも正論だし、間違いではない。その苦悩は私たち日系日本人には分かるまい。

 ところで、日系人は日本人ではない。そこのところをじゅんいち監督は非常に強く強調していた。つまり、日本で『日系人』と言っても分かってもらえない、ピンと来ない、だから、日系人を『日本人』と称したドラマや映画がある。しかし、それでは真意は伝わらない。‘日系人’と‘日本人’は全く違うのだ。

 日本には、今でこそ増えてきたが、あまり移民がおらず、そして身近な存在ではない。私の住んでいる町はアメリカ軍の基地があるのだが、仕事の関係で日本に来たアメリカ人も、日本で子どもが生まれて日本で育てれば、その子はアメリカ人ではない。顔はハーフになるが、決してアメリカ人ではないのだ。

 移民が増えればもともといた人たちといざこざが絶えない例がたくさんある。ヨーロッパの各国では、旧植民地からやってきたり、経済的な事情で貧困国から移ってきた移民たちがたくさんいて、その二世三世たちが暴動を働いたり、社会から排除されたりしている。なぜだろうか。

 これにはいろいろな要因があって一概に何とも言えないのだが、ある説によれば、移民は弱者とみなされ、国家からさまざまな保護や支援、アドバンテージを受けており、現地人に溶け込まない、という。移民問題は常に受け入れ側の責任ばかり強調され、移民は歩み寄ろうとしない。相互理解が不完全なまま互いの不満を含み長い時が流れてしまっている、という背景がある。

 それを思うと、この映画『442』に出てくる戦争体験者を重ね合わせてしまうのだ。彼らだって二世、三世だし、その子や孫だってたくさんいる。しかし、日系人はアメリカ社会で今なお火種の存在としてみなされているだろうか。答えは‘否’だ。

 日系人たちは、戦争中から戦後長い間、アメリカの法律に従い、そしてアメリカ国家に忠誠を誓っていた。決して本国のために存在していたわけではない。そこで得た利益はその国に還元し、その余りを、貧しさにあえいでいた日本に少しだけ送っていた。あくまでも日系人たちはアメリカ国民としてアメリカ社会に貢献してきたのだ。それは大々的に宣伝などせず、ひっそりと静かに黙々と・・・

 それが今日、彼らが『英雄』として存在できる一つのキーではないか。さらに言えば、負けた日本が反米国家にならなかった、という点もあろう。

 私は、それに比べてアジアは感情面で何と遅れているのであろうか、と思ってしまわざる得ない。ヨーロッパにおいては乗り越えられた戦争中の悪い感情が、アジアではまだ乗り越えられないでいる。憎しみの連鎖は続き、今なお日本に対して復讐を誓っている若者がアジア大陸では多くいる。私は、一度再び憎しみの連鎖が行動に移られれば、もう決して後戻りは出来ない、最悪の時代を迎える恐れを抱いている。それは世界の歴史が証明している。

 その意味で、アメリカの戦後日系人の歴史は鏡とすべきものが多いと思っている。

 最後に、アメリカの日系人の中でも多くの派閥があると聞いている。我々日本人から見れば、戦時中の従軍慰安婦のことを大々的に取り上げ、日本バッシングしている議員の名前は気持ちのいいものではない。一方では従軍慰安婦など、そんな存在は無かった、とする意見もあり、どっちが本当なのかよく分からない。

 戦争を知らない、分からない世代が大半を占めるこの時代、そんな不確定な事でナショナリズムを煽ることほど恐ろしいものはない。私はつくづく、映画『442』に出てくる戦争体験者の証言と、それに基づいた資料や記録映像は非常に重要だと思うし、この映画の価値は高いものだと確信している。

 変に飾らず、主観を入れず、正直に取材し編集する(これは一言で述べるほど簡単ではない)。我々日本人は感情を乗り越え、理性で動く民族であることを確信している。それは、日系人たちが体現してくれたと思っている。そんなことを教えてくれた映画であると感じた。

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2010年11月01日

映画『442』in 東京国際映画祭(概略)

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(上映後の すずき監督との Q & A タイムの様子)

映画 『442』

 嵐の日のその当日、私の敬愛する すずきじゅんいち監督 は、何事もなかったかのような笑顔で招待者たちを迎えていた。しかし、その左手には明らかに‘何事かあった’事を隠せないでいた。

 9月、監督は、アメリカ・ラスベガスにて自動車事故に遭い、

http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/28/0003563854.shtml

 一時はその生命さえ危ぶまれたほどだったが、私の目の前に監督はいる。るみ さん(奥様)からの詳細話を聞いて、それは奇跡の一言でしか表現できないものであった、と確信した。一方、神から少しの苦難を与えられても、まだ生きることを託された、そんな気さえ感じた。それは、まだまだやらねばならない事があるからだ。

 映画『442』、日本での上映を私は少し心配をしていた。どれほどだけの観客が、この遠い海の向こうの日系史に関心があるのか。多くの人々は、映画館の劇映画を目当てにすると思っていた。果たしてドキュメンタリー系のものはどれくらい観客が訪れているのか、少々不安だった。しかしそれは杞憂に終わった気がする。満席とはいかなくても、これほどまで集まってくれている当日の光景に安堵した、それが私の一つ目の愚直な感想だ。

東洋宮武に続く米国・日系史ドキュメンタリーシリーズ第二弾『442』、ようやく日本での上映の運びになった。概略を説明すると・・・



 1941年12月、日本はアメリカに対して真珠湾攻撃を断行し、攻撃後宣戦布告をした。これに対してアメリカは、ハワイ・および本土にいた日系人を強制収容所(Concentration camp)に収容した。同じ枢軸国移民であるドイツ・イタリア系には実施しなかった事は、明らかに人種差別的な政策をあえて採った意思を表している。その収容所での話は、前作によって描かれている。

 このアメリカの国是とは相反する理念に、当局はこの日系人たちの扱いに困ることになり、その後、アメリカに忠誠を誓うことを確認した者たちによる部隊が編成された。まず、指揮官を除くハワイの日系人による第100歩兵大隊(100th infantry battalion)が編成された。軍事訓練の成果が後押しし、本土でも日系アメリカ人だけによる志願兵、第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)が誕生した。これはあくまでも日本人ではなく二世たち‘日系人’による部隊であり、彼らの祖国はアメリカである。しかし、彼らの理念の中には、一世たちから受け継いだ、

 「シリョクヲ ツクセ(死力を尽くせ!)」「アタッテクダケロ(当たって砕けろ!)」

など、大和魂も含んでいた。その意味は、我々日本人にとって、渦巻く心の奥の中に通う信号を呼び起こすものかもしれない。まったく、はるかな関係のない存在ではないのだ。

 100歩兵大隊、442部隊は、ヨーロッパ戦線に送り込まれ、父母たちの祖国の同盟国相手に熾烈な戦いを繰り広げていた。特にイタリアの中南部、ローマ南東130キロ地点にあるモンテ・カッシーノでの戦いでは、はるか丘の上にある修道院(ドイツ軍が要塞化していた)を攻略するために多大な犠牲を払って奪還した。しかし、首都ローマ進軍は許されず、ローマを迂回させられたので、ローマ解放には立ち会っていない。

 また、部隊はフランス東部アルザス地方に移動し、ブリュイエールの街を攻略するため、周囲の高地に陣取るドイツ軍と激戦を繰り広げた。悪天候と寒い気温の悪条件の下、森林地帯を歩兵だけで攻撃して見事奪還した。戦後、『442連隊通り』と名づけられた名称の通りが誕生している。そして次の試練は、アメリカのテキサス大隊211名がドイツ軍に包囲され、その救出を命ぜられたのであった。その作戦に442連隊では約800名が死傷した。

 その後1945年、二次大戦 ヨーロッパ戦線末期、イタリア北部のゴシックラインと呼ばれる、ドイツ軍の防衛線をわずか31分で攻略した。実は442部隊が離れていた半年間、まったく攻略されておらず、だから日系部隊が呼ばれたのだった。この時点になってそれほどに、日系部隊は相当着目されていた証明でもあった。
 ちなみに、連合軍がゴシックラインを突破して半月後、ヒトラーが自殺し、翌月、ドイツ軍は降伏した。

 戦後、日本との戦争関係が終わり、堂々と勲章が授与され、その数はアメリカ陸軍史上最多となった。しかし、それにもかかわらず彼らが待っていたのは激しい人種差別との戦いであり、その戦いが終わるのは1960年代の公民権法以降となる。

 この映画は、日系人部隊がいかに優秀で勇敢であったかを伝えるために、その歴史的事実を体験者たちのインタビューと記録映像をまじえてドキュメンタリーとして仕上がっている。しかしその内容は決して重苦しい雰囲気ではなく、明るく、前向きで、そして優しく描かれており、また、功績の誇らしげを強調するものでもない。

 この映画の製作にあたって、体験者たちへのインタビューが難しい事を思うかもしれないが、実は想定していたほどでもなかった、という。製作グループが、退役軍人たちとヨーロッパへのメモリアルツアーに同行しているうちに良き人間関係が出来上がったため、インタビューにも快く応じてくれた、というエピソードを、上映後のディスカッション時に監督が披露した。

 以上が私なりに今書けるあらすじであり、442部隊に関する情報を少しでも鑑賞前に仕入れていただけるきっかけになれば、よりいっそう理解が深まるかな、と思っている。

 本回の東京国際映画祭は何かと政治的なトラブルで話題になっているが、当日の上映はそんな殺伐としたオーラーは一切なかった。そして、そうした政治的話題を提供してくれるほど、東京の映画祭も価値が出てきた、と思えばいいだろう。

 映画とは、商業映画のように単にエキサイティングするものもあれば、社会性に訴えたり、主張し、記録を披露する文化的なものもあり、制作費をかけられない映画の中にも魅力溢れるものがたくさんある。映画館に出向いていろいろなタイトルの作品に眼を通していただきたい。きっと、磨けば玉となる作品が見つかるだろう。そんな作業もまた楽しい。

 次回は『442』の私なりの感想を簡単に書いてみたい。

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posted by kazunn2005 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画