2012年10月15日

4.泰麺世界の旅  ミャンマー旅の暖かい記憶

 まだ旅行は終わっていないけど、一応思ったことをツラツラって書いてみます。
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 久し振りの海外は、おおいなる♪刺激を与えてくれました。勝手が分かる国内旅行とは違い、良きも悪くも自分に生命力を与えてくれて、眠っていた探究心、好奇心を復活させてくれたように感じます。まだまだ私もいろいろと足が元気なようです。
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 今回のメインステージであるマャンマーは、思いも寄らなかった出会いや出来事が毎日のように散乱 し、旅の日々の夢の眠りの中を泳いでいるようでした。これらは、年がら年中、あちこちと旅行していては養えない鋭い感受と発想の力を発掘させられた感じです。

 この国を旅していると、次からつぎへと現地の人たちが話しかけてきます。特に独りでになった時、例えば列車に乗ってぼんやり過ごしていると、彼らは何を考えているのか、私を放ってはおいてはくれません。時には少しうっとうしくも感じるけ時もあるけど、冷静になって彼らの表情を観ると驚くほど眼が純粋なんですね。嘘はつかないし、あまり悪巧みを交わさない。物は盗まないし、礼儀正しい。こういった面でのおかげで私はとても快適に旅ができました。
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 実は私は、在ミャンマー時間の多くを欧米系のバックパッカー(長期旅行者)たちと行動を共にしました。なぜならば、同じ旅の話や国際情勢に興味を持っているなど会話の波長が合うし、英語が通じるなど。だから意外と居心地がよかったからでしょうね。思ったのは、欧米系の若い女性パッカーの方々は、ため息が出るほど活動的であり、そして自己主張が強い。それがちょっと疲れさせる時がある反面、そう感じた時は独自の交通手段を使うと決め、行動に起こします。すると、彼女たちが私の後を追うようについてくる事に少しおかしく思いました(笑)。
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 ところで、地元のマャンマー人たちは、こうした外国人旅行者一向に出会うと、かなり意識しながらアプローチしてきます。自分の英語を試したい者、異文化と触れ合いたい者、単にものめずらしさから、などなど。様子を観ていると、やはり眼が青い人たちよりも、同じアジア人の顔をした私の方が近づきやすいのですかね。心なしか、欧米系には一線を引いているように見えましたが気のせいでしょうか。

 一方、マャンマーで困った事もありました。まずは衛生面、蚊の問題、そしてタクシーやシェアバスなどいちいち値段交渉しなければいけない、などなど、シチ面倒な事は多かったような気がします。また、意外とアルファベット併記が少なく、あの丸っこい、地元のマャンマー文字のみの看板や表記が多く、買い物や食べ物の注文に苦労しました。食に関してはあまり“はずれ'はなかったのが幸いでしたが、タイと違って衛生面では不安があり、路上の屋台の飯は、耐性のない日本人は危険でしょうね。犠牲者(死んだという意ではない)を何人かから聞いています。
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 ミャンマーを旅するにあたっての注意点は、外国人は行動が制限される事です。好き勝手にマャンマー全土を訪問できるわけではなく、入れない州もあります。なぜならば、まだ中央政府が完全に支配しきっていないからです。そして、鉄道などの政府系の乗り物は、USドルしか受け付けてくれません。宿も政府指定のホテルなどは基本ドル払いですので、ある程度アメリカドルを持って歩かねばなりません。

 日本円の両替は難しいです。路上での闇両替もあるにはありますが、騙される確率大!と聞いていたので利用はしませんでしたが、例外的にヤンゴンの、とある両替屋で、10000円=105000チャット(K)で交換してくれました。ドルベースだと、100$=86000チャットですので、円建てだとあまり率はよくありませんが、これでも、円→ドル→チャット、と間接両替するよりは良いでしょうね。ちなみに、食堂で腹一杯ご馳走を食べたら、4000チャット(約400円)、タクシーヤンゴン市内3km 程度が2000チャットくらい、ヤンゴンの安宿シングルが、13ドル、ヤンゴン〜マンダレー間の寝台利用で33ドルでした。タイに比べて物によっては安いですが、旅行者物価はタイよりも高いでしょう。

 つまり、それだけ物価高とインフレが激しく、人々の生活はかなり苦しい、とのこと。ここ一年でマャンマーはかなり変わりました。国を西側に開け、資本を誘致し始めたばかりですので、街を歩いていてもかなり経済の過熱を感じます。

 しかし、いろいろとマャンマー人の話を聞いているとなかなか難しい問題もあるようです。
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 (次へ続く)
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2012年04月27日

新たなページ

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4月も早いものでもうすぐ終わり・・・

毎日毎日馬車馬のごとく日々が過ぎ去っています。

友人のnicoちゃんなんか、タイに愉快な仲間たちを集めてドンちゃんパーティー〜、もううらやましいったらありゃしない。

アタイなんかしばらく海外出られない、と思うともうフラストレーションが溜まって溜まって・・・

ところで報告があります。

わたくし、この春から訳あって臨時的に学生になりました。クロがいなくなり、寂しかったですが、新たなページが開きます。

もう、手続きが済んで金払って、履修登録まですませました。1年間という期限付きでありますが、久しぶりに学生に戻り、学問に携わる喜びをかみ締めたいと思います。学生という視点からもいろいろ思うことを書こうと思っています。

無事、取るべき単位がすべて取り終わったら、来年2013年4月、いよいよ動こうと思っております。

もちろん、仕事もしながらの苦学生ですので、相当忙しい日々になりそうです。
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2012年04月07日

大往生 さよなら クロちゃん

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 さよならクロちゃん

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 去る平成24年4月4日、わが愛猫クロ(本名チコ)は静かに天寿をまっとういたしました。平成と共に享年23(推定)、誰もいない居間のコタツの外で倒れて衰弱死していたのを仕事から帰ってきた父が発見したのが最後でした。

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 (クロのなきがら)
 
 亡骸は瞳孔が見開いてしまい、かわいそうでした。しかし、最後まで頭と尻尾の毛は綺麗でした。

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 (きれいなしっぽ)

 4月2日に、最後の診察を受けた際には、病気ではないため手の施しようもなく、先生もお手上げ状態でしたので、点滴を打り、最後のあいさつをし帰って来ました。

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 (最後の診察)

 点滴のおかげでその日は歩く事もできましたが、翌日からは再び衰弱が激しくなり、ついには強引に水をあげようとしても飲み込む力がなくなってしまいました。

 死ぬ1ヶ月前から、私がクロに薬やら食べ物やらを強引に口に含ませる役目を負い、そんな日々でしたので、クロにとっては「何てひどい事をする男なんだ」と映ったかもしれません。居間に居ても私の膝の上には着ませんでした。

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 (衰弱していったクロ)

 この私のプログでは時々クロのことを書きました。一他人の飼い猫に過ぎないのに、数名の方々からクロへの励ましや書き込みを頂き、私も嬉しかったです。ありがとうございました。

http://kitekikaido.sblo.jp/article/41087400.html

 クロは23歳でした。しかしこれは推定であり、実際はもっとプラスαかもしれません。というのは、平成2年時にわが家に飛び込んできた当時は、すでに毛がふさふさしていたツヤツヤの若ネコでして、どこかで手入れされていた爪の切り跡があったのです。おそらく近所で捨てられたか、もしくは脱走してきたか、の可能性が高く、まあ、仮にその元飼い主がいるのならば、今の今までクロが生きていた何て想像できないでしょうね。

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 (家に着たばかりのころのクロ)
 
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 (すでに我が家にはチビタという齢下のオスネコがいた)

 迷い込んできた時、すでに我が家には『チビタ』というオスネコの子猫がすでに居を陣取っていて、家の中で喧嘩をおっぱじめる事態に。
 
 1997.3月 クロチビ.jpg(チビタと喧嘩をするクロ)

 あまりにも両者不仲なので、彼らが喧嘩したとき母が一回頭を引っぱ叩きました。すると今度は豹変、チビタを弟のように抱き込んでペロペロなめ始めるではありませんか。クロもこの家に住むためにはチビタと仲良くしなければいけない、と悟ったのでしょう。

 そんなある日、外庭に外敵が侵入してきました。見慣れない野良猫です。
すると、クロとチビタはスクラムを組んでその野良猫に威嚇をし挑戦しました。飼い猫は基本的に甘ちゃんなので、到底喧嘩で野良猫にはかなうはずもありません。威嚇のうめき声だけは騒がしくも、おしっこは恐怖で漏らしてしまうほどオドオドしていたものです。

 そんな日々も今となっては思い出です。チビタが平成15年に15歳で死に、野良猫がすっかり居なくなり、クロにとってここ数年、飼い主である我が家の人間だけが相手をしてくれる日々でした。寂しいものもあったことでしょう。

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 (家族の一員の日々)

 平成21年には神奈川県より長寿ネコとして表彰され、製薬会社のホームページにも載りました。   http://www.animalabo.com/gochouju/all_entries/index.php?t=2&p=3 (の227番)

 因みに、ここでは名前が『チコ』となっていますが、改めましてこれが本名です。実は、このネコが我が家に迷いネコとして来た時、まだ名前がありませんでした。そしてこのネコを飼う、と決めたころ、このネコはどうしても外に行きたがり、ノラのオスと遊びほうけ、2,3日帰ってこなかった事が頻繁にありました。

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 (長寿ネコの表彰状には本名が)

 もし子どもでも生んでいたらどうしよう〜、そんなおもいに駆り出され、ついに動物病院で避妊をしようという事になり病院にいきました。

 すると、作成するカルテに付ける名前がありません。そこで、いくつか名前の候補として挙がっていあた名『チコ』を瞬間的に採用。つまり、人間で言う戸籍上の名前がその瞬間ここで決まったのでした。

 しかし、この『チコ』という名は日常生活では定着せず、黒いのでいつの間にか『クロ』と呼ばれはじめ、ついにはあだ名と本名が並存するカタチで20数年も生きたのでした。

 サクラの季節と共にこの世を去ったクロ。飼い始めたペットは最後まで飼わなければいけないというのは常識。しかしこれがけっこう難しいのが世の現実。人間の都合で引越ししたり、経済的に困窮したり、はたまたは『飽きたから』という事情で捨てる人間もいたりと、理由はさまざまですが、捨てる事には変わりがなく、今の人間占拠の社会では、ペットを供給するシステムは豊富だけど、捨てられた犬猫を救う体制は実に脆弱です。神奈川県の江ノ島に行けばその現実がわかります。

 そうした現実を思えば、うちのクロが天寿を無事費やし、我が家のほうも何とか最後まで飼えたことに、少し義務を果たした、という安堵もあるかもしれません。ネコや犬は孤独を嫌います。最後は寂しい想いをさせてしまったかもしれませんが、クロが我が家で23年間過ごせた事は幸せであった、と勝手に思うことにし、しばしその精神的ショックを引きずり、時間が経つのを待ちたいと思います。

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 皆様、本当にありがとうございました。
 
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 (あばよ・・・)


 
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2012年03月29日

クロちゃん 最後の春



 23年間連れ添ってきたクロちゃん、想えば私が高校生のころからずっと自分の生き様を眺められてきたわけだ。

 そのクロちゃんがまもなく生涯を終えようとしている。

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 (20年前のクロ)

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 (そして今のクロ)

 どんどん体が小さくなっていくので先日、かかりつけの動物病院(小泉純一郎邸のとなりのとなり)で診察を受けたところ、甲状腺が弱っていて衰弱過程にあることを改めて痛感した。

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 (病院行きを嫌がり、悲しく泣くクロ)

 2006年には5.12kgあった体重は、2006年4.95kg→2010年3.84kg→2011年3月3.05kg→2011年10月 2.88kg→2012年 2.58kgへと衰弱してゆき、ついに3月に入って 2.38kgとなってしまった。

 今のクロの状態は、じっとしていてもマラソンをしているような状況で、水や食べ物を食べても燃焼しやせこけてしまう感じだ。

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 (水を飲む、飲む、そして飲む)

 診察中は先生に噛み付こうとするなどまだまだ抵抗心は旺盛なのだが、以前と比べてその迫力はなくなってる。右足もおかしいので、貯まった粘着液を注射で抜き、とりあえず診察終了。

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 (おとなしく診察を受けているようにも見えるが・・)
 
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 (爪の手入れに入ると先生に牙を・・・)
 

 人間と同じように薬袋をもらい、何とか強引に米粒の半分ほどの固形の錠剤を飲ませ、ここ1ヶ月間、1日2回、彼女を追い回しては飲ませてきた。

 クロは私の顔を見かけるや否や、『またクスリか!?』と察知し、嫌な顔して逃げようとするが、私も心を鬼にして捕まえては、少々力ずくで口を開けさせ、‘ポン’と瞬間的に口の奥のほうへ放り投げてきた。

 しかし私の今は家と職場の往復であるセブンイレブン状態なので12時間きっかりで投与できないのが辛いところだが、何とか1日2回は実行してきた。

 今日、クロはついに自分から食べ物を食べなくなってしまった。薬だけでなくえさまでも強引に口に含ませる状態となり、ついに来るべきものが来るかな〜、と覚悟をしなければいけない時がさざなみのように迫ってきている。

 ネコは飼い主を慕い、その傍で生きるより、その家に住み着き、空間に愛着をもつ動物だ、と言われているが、クロが生きた23年間のこの家、そしてこの近所のコンクリートと花壇の雑草に別れを告げる。

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 (久しぶりのひなたぼっこ)

 本日は久しぶりの休日だったので、クロを春風漂う外の庭に連れ出し、お天道様に照らされた枯れた芝生の上にチョコンと置いた。

 毛が黒色なので、お日様の陽はすぐにクロの体を暖かくするが、風が少し冷たいからか、10分ほどして家の玄関へ向けて歩き出してしまった。

 ノッシノッシとよろめきながら進むクロだが、何とか自力で5段ある玄関の階段をのぼり、そして家の中に戻る。

 動物を飼えば必ずしや別れがやってくるのは宿命。私はそれが嫌なので子どものころは犬猫を飼いたくなかった。その記憶がまた巻き戻り、今度は23年も一緒だった愛猫とも別れることにその想いが一層強くなってしまう。

 さあ、最後の奉公としてめいいっぱい看病に努めよう。

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2012年03月19日

映画『MIS、(ミリタリーインテリジェンスサービス)』の記事

 仕事の帰り道だった。時計の針が午前へ回るころ、何も考えずに歩きながら路面が濡れている裏路地に吸い込まれた。すると、とある小さなカレー屋が眼に入った。馬車馬のような一日の末、空腹が悲鳴を上げていたので、ほんの少しの迷いの挙句そのカレー屋に入り、置いてあった読売新聞を片手に持ってテーブルについた。

 政治面、国際面と眼を通しているうちに、ふと小さな記事が眉毛がつまづくように留まった。それは、私が尊敬する監督の映画に関するものだった。

 その映画は、『MIS (ミリタリーインテリジェンスサービス)』。すずきじゅんいち監督のアメリカ日系人部隊シリーズ第三弾だ。記事は、ロサンゼルスで上映された映画を読売新聞ロサンゼルス支社の記者が鑑賞し、その評価と内容に関する話が書かれていて、それが右隅にやや大きく掲載されていた。

 MISとは、かつて日本とアメリカが戦争状態になっていた時、アメリカに籍をもつ日系人で編成された情報部隊の事である。アメリカに籍を持っているとはいえ、彼らの父母や祖父母は日本から渡ってきた日本人移民。特にMISのメンバーは日本滞在経験があり、また日本語が堪能。よって祖国愛のため、100%、敵国日本を憎む事ができず、かといって忠誠先はアメリカ。それが返って辛らかった。

 そうした祖国愛と本国への忠誠心をアメリカという国は利用した。戦時中、捕虜となった日本兵を詰問する任務にあたり、顔カタチが日本人である風貌に多くの日本兵捕虜は心を開いた。

 一方、戦争前に日本に帰国した日系人もいて、彼らの多くは戦場に狩り出された。太平洋の小さな島で同じ境遇を経たり、場合によっては肉親同士だった日系人たちが同じ戦場で敵味方に分かれて戦っていた事もあった。

 そのような悲劇を経て敗北し、廃墟となった日本。戦後、MISはその後の復興や憲法製作にも携わったので、戦後から続く現代日本の礎は彼らの汗も混ざっている事にもなるのだ。

 私はまだこの映画を観ていないので詳細は触れられないが、とても興味を感じる、いや、観なくてはならない作品だと思っている。

 監督のアメリカ日系人シリーズ第一弾は、『東洋宮武が覗いた時代』(とうようみやたけがのぞいたじだい)であった。(in 2008年製作 すずきじゅんいち企画・監督[日・米合作])

http://www.toyoscamera.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=9818

 そして二作目は、『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』
http://www.cinematoday.jp/movie/T0009394

 そして今回が三作目である。一、二作目とは違う点は、直接日本が関わっている点だ。さらに、情報部隊という事で長い間存在自体すら秘密にされ、MISのメンバーたちも固く口を閉ざさねばならなかった。二作目の442部隊も長年シークレット扱いだったが、近年名誉が回復されたことは有名になってきている。

 しかし、MISのメンバーは、442の部隊メンバーよりもさらに高齢の人たちが多いだけでなく、口を開いてくれるかどうか一層難しかったであろう。これは私の推測であるが、きっと監督もこの点には苦労したであろうし、長期にわたるドキュメンタリー作品の製作なのでお金の面も大変だったと思う。映画の完成は監督や関係者の努力だけでなく、監督の人間性が基礎にあり、それが作品に結びついていると確信している。映画監督というのは実に想像を超えた総合商社のような芸術職業であると、今更ながら知った次第である。

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 私は場末のカレー屋で独り寂しくカレーを食べながら記事を読んでいたが、読み終わって一息つくと、知らずと、
「俺もがんばんなきゃな」
と、本当になぜだか知らないが勇気が湧いてきた。最近文化活動から遠く離れてしまっているが、作りたいものを創る、そんな素直な生き方をしたい、と改めて思ってしまった。 
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2011年10月22日

BBCと東上線

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 与那国の話から少し離れて小休憩・・・

 今、BGMにはまっています。これらBGMを聴くと、当時の時代時代の自分を思い出します。


●  一つは、BBC.

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 今、BBCのNEWS のオープニングにはまっています。

 数あるニュース番組のオープニングも、やっぱりBBCが一番いいなあぁ。これ観ると、イギリスにいた時を思い出します〜。

http://www.youtube.com/watch?v=U2Iq76m9g6k&feature=related

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3400974

 イギリス国内版は、夕方6時と10時のニュースの時はこのオープニングが出て、次に、各地域のローカル局になります。朝がたのブレックファストは、何だかリラックスしているキャスター2人で進められ、これを観ると、学校へ行かなきゃ、と感じてしまいます。

 イギリスには居なくても、BBCワールドしか観れられるけど、残念ながら、うちのケーブル局はBBCを配信してないので、海外に出た時のホテルでしか観る機会がありません。日本では観ないのでこれ観ると、海外に行きたくなります。

 http://www.youtube.com/watch?v=MgR5AFsqaIY

 ヨーロッパでも、ベルギーとかオランダはBBC英国版が観られますので、現地の放送じゃチンプンカンプンだったのですが、BBCが受信できたおかげで、イラク戦争の開戦の様子が観られたのを思い出します。

 因みに、アメリカ ABCやCNNは・・・正直、何言っているのかよく分かりません。


●  二つめ・・

 いいねぇ〜、この東武東上線の池袋駅の旧メロディー。

 『Passenger』っていうんだ?。知らなかった。神戸の女性アマチュア作曲家が作曲したそうで、1991年8月、東武宇都宮駅を皮切りに上の各駅で使われるようになったとのこと。


 学生時代を思い出すぅ〜、一番東側の番線で、対向電車が入線しないと発車できないから、過密な朝のラッシュ時間帯が特に、このメロディーが発車ギリギリまで流れるんだよね。あと、最終電車もエンドレス版が聴けたらしい。「今日は何回聴けるか?!」でくだらない期待をしたものだ。半音上げ下げってゆくのがまたいい!

 なくなってしまった、らしく、寂しい限りです。



 http://www.nicovideo.jp/watch/sm12885813

 携帯の着信音にしたいな。できないかな?

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2011年09月19日

本当に円高?

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 円高円高、と騒がれているけど、あくまでも額面だけの話であって、決して本当の意味での円高ではないです。

 購買力平価というものがあって、それで本当の通貨の力がわかります。
http://stats.oecd.org/Index.aspx?datasetcode=SNA_TABLE4
(購買力平価 By OECD. USAを1.00とみる)
 
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 例えば、アメリカで1ドルのハンバーガーがあります。1ドルが100円ならば、日本でも100円で買えるように勤める、というのが為替相場の原則です。

 ところが、為替相場で1ドルが80円になった場合、そのハンバーガーは80円で買える計算になります。100ドルのメガネが、1ドル100円ならば1万円ですが、1ドル80円になれば8000円で買えます。

 また逆に、アメリカさんからみれば、100ドルで買えるメガネが、1ドル80円ならば、125ドル出さないと日本でメガネは買えません。つまり、この場合だけ日本円は価値が騰がった、と見えます。

 アメリカではドルを中心に為替レートが表示されますので、100¥≒1.3$、または、1¥≒0.013017$、と表示されます。私がイギリスにいた時は、1英ポンドが1ユーロいくらなのか?とか出ていて、当時は1ポンド1.5か1.6ユーロでした。逆に欧州側から見れば、1ユーロ0.66ポンド、とか出るわけです。

 ところが、昨今の円高は本当の‘戦後市場(史上)最高値’の円高ではありません(あくまでも最高値ではない、よいう意を強調)。また、通貨(お金)の価値は、株式のように会社の価値とかではなく、基準となるものがありません。円の価値=日本国の価値ではないです。

 今、日本円は1ドル76円くらいで落ち着いてます。円高だ!輸出企業がピンチだ!政府や日銀は何とかしろ!とマスコミが騒いでいますが、本当にそうなのでしょうか。どうも、輸出企業が海外に出る口実を作ろうとしているとしか思えません。

 例えば、先ほどのハンバーガーですが、1ドルのハンバーガーが100円から80円で買えたなら円高ですよね。ところが、では、アメリカ様のハンバーガーが1ドルから1.3ドルに値上げしたらどうでしょうか。1ドル80円計算で104円もします。これだと円高とは感じませんね。

 同様に、石油の値段が2000年のころは、1ドル105円、1バレル(158.987295 リットル)28ドル前後でしたので、リッター18〜20円程度ということですね。

 さて現在は・・・、ここ3ヶ月の為替相場と石油相場は、1ドル80円程度として、1バレル90ドル前後です。つまり、リッター45円程度になります。いくら円高と叫ばれても、11年前に比べて石油は2倍以上も日本では値上がっています。それでもガソリンスタンドでは2倍は超えていないのを観ると、けっこう石油業界は努力しているのかな?と感じます。

 石油は先物なので市場で取引されるのは何ヶ月も先の石油の値段であり、さらに、タンカーに積み込まれた時、その運賃と保険料、陸上での輸送代、製油のコスト、税金等によってガソリンの値段がああなっています。だから、産地から遠くても製油の技術が優れている日本のほうがガソリンが安い、という珍現象も多々観られます。トルコなどは、産油国が隣にあるのに日本より高いんですよ。

 (石油の値段は、産地によって値段がまちまちで、不純物が少なく、ガソリンや灯油向けに使われる軽質油はWTIが有名で高値で取引され、反対に重質で硫黄が多いドバイ原油はWTIより若干安くなる傾向がある)。

 話は元に戻しますが、円高円高と騒いでいるわりには円高ではないんですよ。以下にとあるプログを見つけましたので、参考としてリンクします。

 http://ameblo.jp/fwic7889/entry-10857299636.html

 高いでしょう。

 欧州やアメリカ様は、お札をジャブジャブ刷って世の中にお金をばら撒きました。当然ながらそのお札の価値は下がります。つまりインフレです。リーマンショックで景気が一気に冷えこみ、輸出産業を助け、日本みたいにデフレを避けるため、インフレにわざとしたのです。

 ヨーロッパもインフレが怖いためアメリカほどジャブジャブにしませんでしたが、それでもかなりのインフレになっています。それでいてユーロはアメリカドルに比べてかなり割高なレートといるかもしれません。

 日本はデフレです。値上がりしたのはタクシーの運賃や石油でしょうか。ほかはかわらず、または安くなってます。JRなんか消費税を除けば全然値上げしていません。ヨーロッパの鉄道は毎年値上げしています。国によって高い安いはありますが、英国・ドイツはメチャクチャ高く、イタリアやギリシャは交通費は安いです。しかし、イタリア人の平均月収は15万円くらい、とイタリア在住の親戚が言っていました。なのに、日本とさほど変わらない、食べ物とかは日本よりも高いので相当不満が溜まっているようです。交通費はまだまだ安いですが。

 こうしてみると、1ドル76円で止まっているのは、政府が隠れ介入をやっているのでは?と感じてしまいます。もし、給料が低いまま円安になって物価が騰がればどうなるのでしょうか。スタグフレーションほど恐ろしいものはありませんね。

 とにかく、石油の値段が暴落して、飛行機のサーチャージゼロにならないかな?

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2011年09月15日

残暑見舞い

 旅行の計画をたてています。

「え?この前琉球行ったきたばかりじゃなの?」

と言われそうですが、あれは序章です。与那国や西表のことを書こう、と思っているのですが、どうもやる気が・・・

 で、いつ出発するか分かりませんが、一応描きつつあります。旅トモで近年国境越えていないの私だけだからね。

 帰ってきてから、墓参りとか、各種手当ての申請したり、ゆうちょをネットバンキングする手続きしたり、お葬式やあいさつ回り、友人との会談とかけっこう忙しいです。まあ、勤めている人から見れば怒られそうですが。

 そーいえば、失業者って、国保の保険料がすっげー安くなるんですよ。ただ、去年の税金やお国の延滞税、重加算ぜいはまけてくれません。

 話は変わって・・・

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この前、福島の母方の墓参りに行ってきました。青春18で横須賀から福島まで一日がかりで普通電車で単純往復してきました。朝4時半に出たのに、墓に居たのはわずか1時間でした。往復14時間、何ともアホですね。

 この墓は、母と叔母が昭和54年にたてたお墓で、本当は7人か8人兄弟がいるのですが、母の一番近い姉(叔母)の二人だけでたて、ほかは消息知れずです。母が幼い頃に両親が亡くなったので、お墓を造るまでずっとお寺に預けられていました。

 彼らは、小笠原・父島へ商売しに行っていたらしく、太平洋戦争で小笠原が強制疎開された時に、先祖の地福島に戻ってきた、とのことです。

 数年前、父島に行った時に当時の消息を散々しらべたら、一応、戸籍にはありました。しかし、当時普通ではない離縁の記録があり、何だか観てはいけなかったのかな?と思っています。

 今年の福島は特別です。放射能を気にしても仕方がないので、草をむしりながら、今までの勝ってをお互いざんげしようではないか、と祈っていました。

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2011年08月25日

国境S 与那国生活

 こちらは毎日激烈な晴天が続いております。

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 My 与那国について早10日目、のんびりしているかと思えば、非常に濃いひびだったりもします。

 観光客はほとんど見かけません。ダイビングショップにはいるでしょうが。
一人旅の女の子、まったく宿に来ません。そうこうしているうちにもうすぐ台風が・・・

 結局、女の子とのシュノーケルは実現しませんでした。

 与那国馬乗馬、有名ドラマロケ地、陶工房、酒造見学、台湾確認、島一周、犬散歩、町議員さんとの酌み交し・・・実に充実しています。

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 (乗馬)
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  (酒造)
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 (陶工房)
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 (ロケ地)
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 (台湾)
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 (犬散歩)
 
 その中で強烈な印象は、昨日の与那国町議会の傍聴でした。これは強い衝撃を受けました。後ほど、いろいろ書きます。あと、昨日島で死亡事件がありました。

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 因みに、

 私は観光客です。
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2011年08月09日

出陣

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一ヶ月ぶりの更新です。

いろいろありまして、精神的に参って何もやる気がなくなった時がありました。ゴミ箱にごみさえ捨てるのも。

少し回復しました。世の中、何が何だか分からなくなってしまいました。

多くは書きません。

明日からしばらく遠出をしようと考えています。3年ぶりの長期遠征になりそうです。そして久しぶりに『交通新聞社』と『Thomas cook』の時刻表を買いました。

どこへ行くか。

分かりません。

とりあえず、さいころが手前に一つ、青春18切符が3回分あります。

1が出たら北。
2が出たら北陸方向
3が出たらとりあえず東海道線で西へ。
4がでったら、中央線方向。
5が出たら、船で伊豆諸島方向
6が出たら、成田空港.

明日早朝、転がします。

持って行く本は、上記2つの時刻表と、3『地球の歩き方 インド』、4.渡辺雄三 著『食べてはいけない添加物 食べてもいい添加物』、5.『原発と放射能』そして、持って行こうか迷っていますが、6.ドラえもんです。

ではまた。

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2011年06月19日

小笠原諸島を想う

1998.5.8-18 小笠原諸島・母島 (110).jpg
 
 あ〜、。毎日がどん底です。特にこの日曜のよる・・・希望も見えずにお先真っ暗。先日、かすかに知っている私の知人が自殺未遂をしたという話を聞きショックでした。なんで30代に多いのでしょうか。私も人事ではなく、人間、生きる希望をなくしてしまったら本当にそうなってしまうんだ、と恐怖に包まれています。

さて、話を変えます。

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 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110616-00000082-san-soci

 小笠原諸島が自然遺産に登録されるそうです。ですが、私は日本における、この『〜遺産』という価値基準がどうも好きにはなれません。否定はしないですが、そこには、自然を大事にしよう、という概念よりもむしろ、『注目される』『観光業が潤う』といった金がらみの強い概念が透けて見えるからです。その証拠に、地球はこんなにも広いのに、先進国に多く集中しているのが分かるでしょう。

 小笠原は屋久島の約3人の一程度の面積。いや、面積などは関係ない、周辺の海を価値に入れれば壮大な広さになる。そんな小笠原が自然遺産として受け入れられたのは、固有種が多い、という理由も大きいのですが、父島・母島に人間が移住してきて以来、小笠原の自然は壊滅的な破壊を経験しました。昔持ち込まれた大型カエルやペットの猫はもちろん、植物における外来種が島の固有種を脅かしています。これらを護るための遺産登録の意もあるようです。それなら歓迎しますが・・・

 重要なのは、当の小笠原の住人たちがどれくらい自然保護に関心を持っているかです。

 私は過去3回、小笠原を旅しました。

 母方の先祖が父島にいた軌跡も手伝って、不思議な縁をつないでくれたのですが(出会った数少ない女性も小笠原でしたが・・・)、思ったのは、この島は土建屋の島ということ。公共事業である道路工事や住宅建設のためにやってきている人たち多く、それが主な産業でした。

 他にも、役所や学校などの公共機関、そして自衛隊関係、次いで観光業といったところでしょうか。観光に携わっている人や役所の方々などは自然保護への想いが強い人たちも多いのですが、そのほかはあまり関心がないように映りました。

 つい最近まで飛行場を建設しようと相当な活動していたくらいでしたが、ただ、飛行場建設がポシャッて以降、自然保護に関するお話をよく聞くようになってきました。それが今回の自然遺産登録です。以前から登録話があったのですが、あ〜ぁ〜、ついに、という感じです。

 私個人としては、小笠原はいつまでも注目されずにそっとしておいて欲しかった。小笠原が好きな人は、万難を排して片道二十数時間の船旅を経てやって来ます。それも5日に一便程度しかないものだから、行ってすぐに帰ってくるわけにもいかず、一便か二便見逃すのです。そうすれば、休みは何週間単位も取らねばいけないでしょう。そうなれば、自然と本当に好きな人しか訪れないので、訪れた者同士意気投合してしまう心地よさがありました。

 そして、すごい人はそのまま移住してしまう。島の男と結婚し、世帯を持ってしまう人が結構いたようです。その証拠に、小笠原の父島・母島では、他の離島でみられるおばあちゃん、おじいちゃんばかりの島とは違い、若い世代の割合がとても高いのです。もちろん、戦争で強制疎開となり、人口が断絶してしまった事情もありますが。

 この新しい島の悩みは他にもあり、その一つに、学校を卒業した若者が就く仕事がないのが現状です。公共事業ばかりという事は何を意味しているのか、それは、外地からのお金に頼っている、という事です。

 小笠原で育った子どもたちが成人して、血も涙もない東京へ働きに出るという事は、固有種が外来種に向かって戦いを挑むようなもの。心配です。

 そんな話はともかく、自然遺産に登録されても、相変わらず船便は今のままのようなので、自然なる入島規制は継続される模様。
 
 最近、NHK・民放などで小笠原の特集をやっていますが、狭い島々なのでどこも行ったところばかりを採り上げてくれます。なつかしなぁ〜と思いながら眺めていますが、私もそろそろどこか遠いところへ行きたい今日この頃。海外に行かずともワールド級の目的地が国内にあるではないか。

 精神が病んでいる今、もっとも旅への価値が高まっている私です。ただ、この国で少し長い旅をすれば、人生を捨てる事にもなりかねません。悩ましいです。

 さあ、今年の夏は人生を捨ててどこへ行くのでしょうか。

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2011年06月12日

ダーウィンがきる

1997.8.12 津軽鉄道 撮影 (1).jpg

 梅雨のこの時期、シメジメしていて天気悪いしうっとおしい!と嫌われているが、僕は案外好きな季節の一つとして感じている。

 昨日、久しぶりにゆっくりとした時間が出来たので、うちのクロを庭先の草花に連れ出した。

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 すると、あの独特の雨上がりの空気にポワーんとなった。なんだか懐かしく、小さい頃、梅雨時にカタツムリを散々取りに行った時の匂い、学生時代、梅雨時によくクルマを飛ばしては、軽井沢や東北の峠で感じたあの匂い、そんな記憶が瞬時に蘇ってくるのだ。

 やっぱり、なんだかんだ言ってそうした記憶って生涯に渡って本能的に宿るもんだし、人は自然の子なんだ、と日々自然から離れている生活を振り返りながら、自然が恋しくなったなぁ〜、と思った。

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 その自然を相手にして仕事を営む友人が何人かいる。その中で一人、学生時代の同級生Nがいる。彼は生き物のドキュメンタリー番組の映像を撮っていて、そんな彼と昨夜、電話で少し話しをした。

 Nは、学生時代から自然好きで、よく一緒に沼や森に連れられたが(私はそこまでに至る道の線路際の光景に興味があったのでスタンスは違った)、その趣味が仕事に発展した数少ない友人だ。

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(1997年会津鉄道にて:筆者撮影)

 彼の仕事は普通の感覚の仕事とは全く違う。たとえば、白神山地や秋田の山奥で虫や動物を半年単位で住み込みで撮り続けたり、日本全国の山や里をくまなく歩き、その土地の自然や動物の生態系を調べてきた。そんな彼が今手がけているのが『トンボ』だ。

 今、彼が住み込みで撮り続けている場所が静岡県の磐田。お茶畑が点在する台地の土地で、そこのトンボに眼をつけたらしい。

 トンボを撮る、といっても人間側の描く通りに動いてはくれず、孵化もその成長も交尾も戦いもいつ起きるか分からない。常に標的を観ていなければいけない。

 NHKでよく動物モノの番組をやっている。『ダーウィンが来た』という番組はご存知だろうか。わずか30分番組だが、実際撮ったフィルムは気の遠くなるような時間のはずで、それも山にこもったり、時には自然界へ挑戦して命を賭けるようなことさえも起きる。そんな苦労を一切感じさせずに、子どもたちの興味が湧くように演出されている。

 たとえば、鳥の子どもを守るために親鳥が奮闘しているシーンが必ず出てくるが、いつ奮闘するかは分からないし、奮闘しない可能性すらある。しかし、いくら苦労してフィルムを撮ったとしても、ドラマ性のない、奮闘しないノンベンダらりん的内容をNHKが買い取って放映させてくれることはまずない。

 さらに例を一つ、北海道中から集まったムクドリが越冬のため南下、そこで津軽海峡を集団で一気に渡るシーンを撮るとする。まず、海峡を渡るXデーがいつ来るのか分からないし、渡っているシーンを船から撮っていても、ただ穏やかに渡ってしまったらドラマにもならない。時には天敵に遭遇し、危機を乗り越え、あきらめて引き返し、さらにリベンジする、そうしてくれないと困る。そんな人間側の勝手な都合を暗に自然界に要求してしまわざる得ないのだ。それでも人間は当然自然界に合わせるしかない。

 彼は言う。

「好きでないと出来ないね、この仕事は」

 因みに、そんな大苦労をした末に完成し、見事NHKに納入できても収入などこれっぽっちで、人が一人1年何とか生きていかれるだけの額。毎日のんべんだらりんと椅子に座ってインターンットしながら、出来上がってきた書類にハンコを押すだけ、それでも途方もない高給取りだったりする大企業の中間管理職を傍らで毎日見ている私は、Nの境遇と比較する事自体無意味だが、世の中って・・・と思ったりもする。

 さらに、もし撮影がうまくいかず、企画書通りの内容が撮れなかったらもうお仕事はこない。厳しい世界だ。

 それでも彼は言う。

「NHKに不満はあるし、文句も出るけど、やっぱりNHKなんだよね。こんな大金にならないシロモノを買い取ってくれるのはNHKだけなんだから。民放じゃまず相手にしてもらえないよ。自然モノはコストの割りに金にならないから。でもね、金=良質なモノとは限らないんだよ。最近強くそう感じるよ。NHKは日本の文化を支えていると思うし、NHKがなかったら日本の映像文化はボロボロだよ」

 なるほどな、と思った。思えば、民放で流れている番組は、スポンサーと芸能界中心の低俗なものばかりで、そのシステム上、大衆受けするものしか造れないことくらいは分かっているつもりでも、改めて最近の民放のひどさを思い返した。

 文化ってなんだろう、と思ったとき、沢山ある中の一つに、記憶に残るものと残らないものへ分けられる事に気付いた。それは、その人の興味や価値観に左右されるけど、価値あるものは記憶に残り、時間をかけて見直されるものだと・・・。

 それは、先日のすずきじゅんいち監督の映画『442』に通じるところもある。観客動員数やマスコミへの露出度に踊らされている人々が果たしてどのくらい、こういったドキュメンタリー映画に足を運んでくれるのであろうか。もし少なければそれが民度というものか。

 トンボの生態を四六時中観察撮影してるNは、今日も屋外、室内で地道に絶え間なくファインダを彼らに向けては覗いている。その気力の源は何か。

 それは多分、ただ好きなだけではなくて、うまく撮影が成功してNHKによって放映されれば、全国の学校や図書館に置いてもらえると思えばやる気が出てくる、というものもあるかもしれない。そんな前向きで希望に満ちた私と同い年程度のNが少し羨ましい。そんな彼の手がけた映像が実際NHKで放映されるのは、11月ごろの『ダーウィンが来た・生き物新伝説』番組内になるらしい。

 今日もトンボはそんな人間界の都合などあざ笑うかのように自由気ままに生活している。しかし、その自由も一瞬のひと時である。私たちの人生のように。

〔写真はいずれも筆者撮影〕

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(高原の半野生鹿:ノルウェーにて 2002年)
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2011年05月02日

シベリア横断(前) 〜 黄色い海を越えて〜A

 4. 青島〜天津 746km

  23.青島市内 鉄道2.jpg

 6:29、定刻通り列車は青島を出発し、これから北京まで883km、101元(約1500円)の汽車旅が実行に移される。

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 この列車は普通快車といい、日本で言えば準急レベルの列車なのだが、中国の鉄道のスケールの大きさからか、いくら準急でも駅間隔が長いので長い間爆走してゆく。例えば、青島を発車すれば、次の停車駅藍村駅までいきなり52km、42分間走りっぱなしという具合である。

 列車はしばらく山東半島の付け根部を行き、大豆や青菜などの畑を横目に豪快にかっ飛ばす。地図で見れば天津までわけないと思うのだが、実はこの距離を見くびっていたことを白状しなければならず、これを12時間掛けて走る事態を軽く考えていた。中国の移動を甘くは見られない。

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 延々と続く畑と、時折大送電線が跨ぐ程度の景色に飽きがこみ上げてくる。人民たちは寝る者、トランプ遊びに興じる者、酒に溺れる者、と各々の世界を築いているが、ひと時だけ皆同じ行動を取る時がある。それは弁当の時間だ。

 食堂車から転がってきた売り子の弁当台車が通路を塞ぎながら次第にこちらに近づき、座席ごとで弁当が買われてゆく度に車内には食気が漂い、この時だけ一体感が極まってくる。我々も三者三様の弁当を買ってみては互いに味比較をしながらこの暇な道中を紛らわすのだが、これが終われば便所の行列が始まる。

 だが停車している間は車掌によって鍵がかかって糞便を阻止されるのだ。列車が動き出せば再び鍵が開き、待っていた人民がすかさず突入するのだが、よほど汚く使用したのか、車掌から怒鳴られている者もいる。車掌は切符の検札だけではなく、便所掃除や車内の治安を任されており、日本の様に、「はいはい、お客様〜」では通じないのである。やはり車掌は多少威厳がないとこの人民を統率できないかもしれない。

 弁当では駅売りもある。

 28.青島-天津 列車 済南にて.jpg
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 途中駅では湯気をほろほろとあげた屋台がホーム上に立ち並び、到着し、ドアが開かれた途端、人民が屋台に猛烈に群がってゆく。そうした小さな戦場のような光景の中にあっていろいろとトラブルも時には起こる。
 
「おれは50元出したのに何でつり銭がこれしかなんだ!」
「計算はあっている。さっさと消えな!」
「くやしい!金返せ!」

 目の前で人民の喧嘩が繰り広げられるもそれもいつもの光景だからなのだろうか、慣れた表情で他の人民が仲裁に入り、駅員に関しては完全無視の態度はさすが貫禄十分。

 そんな道中が約12時間延々と続き、列車は順調に北部へと駒が進んでいく。
 31.青島-天津 列車内4.jpg
 
 列車は予定より15分ほど遅れて18:20ごろ天津に到着。

 さて次にやることは、乗り換え先の北京行き普通快車列車の切符を買うこと。意外と簡単に手に入り、何とかこの日中に北京に着くことが見えてきた。
 (Bにつづく・・)

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2011年05月01日

シベリア横断(前) 〜 黄色い海を越えて〜@

今宵の5月連休は2年連続どっ〜こへも行きません。

 シベリア横断
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 夕暮れの関門海峡は艶やかに靡き、振り返って陸を眺めると、背の低い建物たちが、背後の丘の懐に囲まれながらどんどん小さくなってゆく。右・左と陸に挟まれた航路も程なく終わり、外海に出ては、祖国の土が急速にしぼんでゆく。その光景を確実に懐に収めながら陽が劣るまでかの地と向き合っていた。

 今から10年前の2001年7月、まだ少し若かった筆者は単純にイギリスへ遊学する、というお題目を掲げて日本を出発した。その将来に安らかな視線を与えられたかのように思えたが、本人にとってそれがとりあえず気持ちのよいものではなかった、という事だけはここで披露させてもらおう。

 ところで、普通なら飛行機で飛ぶ。何を考えていたのかよく解らないが、当時本人は列車で行こう、と思いついた。距離にして約1万4千`、だが一方、この大陸横断が特段すごい旅である認識は必要ないと悟った。それは、北京から列車がモスクワまで普通に走り、それも一つの選択肢に過ぎない、という感じに思えたからだった。しかしその考えは徐々に修正されることになる。

 これは、海を渡り、乾いた大地をひたすら西へ進んだ、21世紀最初の旅の記録である。
@ウランバートル - イルクーツク  - コピー.jpg

 1. 日本出航

 神奈川から下関までの道中、普通電車をジグザグに乗り継ぎながら4日間かけて下関に着いた。京都に泊まり、ディーゼルカーで若狭湾を見ながら疾駆するローカル線を跨ぎ、山陽道を西へ目指し、瀬戸大橋観光し、ここまでやってきた。もう十分に旅は満喫したはずであるが、実はこれからなのである。

 本人は、飛行機を使わないで、海路と陸路で留学先のイギリスまで目指すとしている。つまり、ここ下関までの話は序章にもならず、これからの大陸話も、全体における単なる‘往路’という位置づけにしかならない。この位置づけが妙に心地よかったはずなのだが、大陸の横断がしたいのか、飛行機が嫌いなだけなのか、この時本人は明確な青写真を備えていなかった。

 さて、下関港。

 下関港は国際航路の発着港で、ここから主に韓国の釜山へ向かう客貨船が出入りするが、船の主な主役は圧倒的に貨物だ。国際航路船の旅客など、貨物の‘ついで’に乗せてやっているようなもので、待遇も雰囲気も飛行機のようなものを思い浮かべてはならない。

 空港と同じように、フェリーターミナルに入った瞬間から早速異国は始まる。ここは主に釜山行きの便を中心に扱うので、雰囲気はほとんど‘韓国チック’なのだが、中にはひねくれ者もいて、中国便もある。実は今回世話になる船は中国・青島行の船。この瞬間だけターミナルは中国チックな飛び声がビュビュン靡いている。

 ついに出国の時がやって来る。といっても書類上のことだけだが、本人にとって、この先数年にも及ぶ脱出劇になるのだから、感慨にふける意外に感じるものはない。

‘ボン!’と鈍いスタンプ音があっけなくパスポート上に響き、ここから青島までは日本でも中国でもない、灰色ゾーンを歩く事になる。

 今宵の本船は『ゆうとぴあ』という、2万6千トンほどの大型船。これに東のシナ海、黄海上の針路を託すのだが、これだけ大きいにも関わらず、二等船室客がウロウロ出来るのはごく一部のエリアだけなのだ。まあ、不満というものでもないが、1万8千円程度で海を渡らせてくれるのだから、『ありがたい』という一言に尽きる。

 17:20、タラップが外されついに出帆の合図だ。船内にはボーイ/ガールスカウトらしきもの共が乗っているのであろうか、岸側には、見送りの家族が100人ほど散らばり、銅鑼の音が終わると、両者気持ちの高揚が最高潮に達する。
42.出航(下関港).jpg  
  (銅鑼の音の出帆)

「生きて帰れよ〜」「〜ちゃん、強くなるんだよ〜」など、まるで戦場にでも出かけるような声が陸側から聞こえてくる。その言葉を自分にかけてもらいたかった、という心境も無いとは言えないのが、実は本音だろう。憎らしくもある出帆風景だが、意外と早く記憶の底に沈んでいく。そんな船発ちであった。
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 (関門海峡の最期の風)

 目的地に着くまで、2泊3日。底の浅い東シナ海をゆくわが航路の先は視界不良だ。今はその拍数の真ん中の中日。何もすることはないはずだ。だが、航海中はこの空間を共有している船員・客たちとは運命共同体。よって心の帷子が同空間の宙に溶け出すのは容易で、誰も指図を受けずに見知らぬ者同士話の波長が定まってくる。
 
 雑魚寝部屋の対角線上に位置している、小柄な、同年代風で少々服がくたびれている女に、定石通りの話しかけ方でまずは相手の出方を見る。一見だらしなさそうに見えるこういったタイプの方が波長が合いそうだ、と思ったのであろう。

 相手は泥を被ったかのように瞬時驚いた様子だが、それほど拒否反応を見せる素振りを見せない。暇な刻みを利用して面白おかしく機関銃のようにしゃべりまくりながら彼女の素性を探求してみる。彼女の名はひろ、日本人らしい。
「なぜ、船を選んだの?」
いかにも彼女の行動に興味ありますよ、といった仮反応を示してみる。
「中国へ一人で旅行しようと思ったんだけど、飛行機のチケットが安くなく、だったらこの青島便の安いやつで行くことにしたんですよ。でも、おかげで往きも帰りも船を使わねばいけなくなったけどね」

『中国まで船で行こう』、その発想から行動へと辿り着くその素顔は、街を歩く標準的な日本女の感覚から少々普通ではない、とその奇異に惚れてしまう。そして早速空回りが始まる。
「青島からどうするの?」

 早速その後の彼女の行動を探ってみて、裏心に問い合わせようとしてみる。

「船が青島に着いたら、もう真っ直ぐ駅に向かって、その日の足で北京へ向かおうと思っているの」

 どうやら青島にはほとんど滞在しない。それでは困る。せっかく訪れる土地を素通りしたら勿体ない。何とか彼女を引き止めて、数日間一緒の行動を取らせるべく、説得が始まる。

「中国の列車は本数は少ないし、席が無ければ切符は売ってはくれないよ。それも青島から北京まで早くて12、13時間はかかるし、切符は取れたとしても硬座という座席車だから、人民と一緒くたで女の子がそこで夜を過ごすのはきついよ」

 ここでは鉄道に関して絶対的な自信がある。これから旅立つ私の眼の先は純然とした大陸の銀路よりも目の前の女だ。それしか眼中はない。意気揚々と彼女に中国汽車旅の過酷さをこんこんと表現し、何とか翌日の便で行くように薦めるが、相手は頑なに全面否定。

「いや、何が何でもその日の夜行で行く。どんな座席であろうと構わないし、切符は絶対に取れる」

 とまるで聞く耳を持ってはくれない。彼女が北京に行くか行かないか、一切関係の無いことだが、ここまで説得を受け入れてくれずに、また言う事を何もかも聞き入れてくれないと、私の方もほぼ意固地になってしまう。くらいついては跳ね除ける彼女。そんな消耗戦はやがて消化されてしまった。
 
 
 船の中の刻みは長いようで短く、気づけばもう夕方。位置的には北朝鮮か韓国沖を北に進んでいるはずだが、そんな確証は自眼からはさっぱり。波先の淀んだ水平線が広がるだけ。はっきりとした夕暮れを感じることは出来ないが、確実に夜が忍び寄る余韻に気づくことが出来る。

 やがて船内から灯かりがフツフツと闇海にも漏れ始め、宴会場でのカラオケパーティーが開催されては妙な盛り上がりを呈している。美声と醜声が入れ替わり、そんな醜歌にダンスの調べにうってつけなのか、自然発生的に踊りだす男女が現れる。
 見れば日本勢よりも中国勢の方が腰つきから足つきまで軽やかで、日本人とはどうも踊るのは不器用な民族に思える。こうして皆、これから始まる大陸の嵐に巻き込まれる覚悟を養う為に精一杯歌い、底が尽きるまでチンタオピジュー(青島ビール)を投入してゆき、日中両国の流行り歌が長く胸を突いてくるのであった。

 2. 激烈中華人民共和国


 翌朝、甲板に出てみると、黄色く濁った波間に揺れる木造のオンボロな漁船があちらこちらに散らばって漁をしている光景が広がっていた。見れば瞬時に異国の漁船と分かるその光景を見れば、いよいよ異国が目の前にやってきた、と神経は高ぶる。
 やがて黄色い泥の海の向こうに陸地がやって来る。そう、中華人共和国、青島に着いたのである。船はゆっくりと青島港に傍らに差し掛かり、次第に巨大なクレーンが整列する、一大港湾風景がその姿をさらし始める。さすがは大陸中国だ。何もかも日本のそれより大粒でどでかい。
 1.青島港1.jpg
 (青島港上陸)

 まもなく下船のオーラーが船内の旅客たちを包み始める。
「これからしばらく一緒に行動しませんか?」
そう声を掛けたのは、船内で卓球がきっかけで集まった日本人たちであった。彼らも中国旅行をこの船を起点に選んだ者たち。そんな発想の持ち主たちと波長が合わないわけは無い。経験が浅く、不安広がる人民中国の旅に、私はこれからバトルへと突き進む援軍を得たような気持ちなった。そんな縁あって、上陸後しばらく彼らと輪になって大陸を行くのである。

 下船が開始され、岸壁で待っていた港湾バスが乗船客を事務所に連れてゆく。入国の儀式、入管と税関の関所を潜るためだ。
 イミグレはその国を訪れる者にとって一番最初に出会う国の姿だ。怒号を飛ばす箒ババァやら、気分悪そうな皺くちゃな面持ちをした役人たちにマークされ、落ち着かないざわめきが第一印象だった。
 
 乗船客の中に、スペイン出身の白人が独りだけいる。名はアレックスといい、これから中国国内を飛行機でチベットを目指すらしい。白人たちの旅行指南書、ロンリープラネットにはこの航路の存在がなく、どうやって船のことを知ったのか聞いてみると、アレックスは日本の友人にこの航路の存在を教わったらしい。おそらくその日本人も旅好きの可能性が高い。
因みに、このアレックスを知ったのは船内の浴場で、彼の一物の大きさに感嘆し、羨望の眼差しを向けてしまった。それ以来、アレックス=いちもつ、という概念が私の脳裏の隅に出来上がってしまったことを記録しておく。
 
 さて、‘儀式’はあっけなく終わり、いざ中国、いや、大陸本番がやってくる。港の門を出ればそこは漢字のみの雑多雑音の世界が展開される。だが、慣れない異国の地に突然放り出されてもどうしようもない。両替・宿・交通機関・・・やることはたんまりあるが整理しきれない。すると船内で知り合った中国勢が助けを差し伸べ、タクシーを果敢にゲットすると、

「乗り込め」

と奇声を発する。とにかく、一旦タクシーの中に納まった日本勢たちは、中国勢の後を追って市内を混走してゆく。

 ザワザワした光景が流れ、中国語のラジオ放送がビンビンと車内にこだまし、後部座席と運転席との間には強盗よけの柵が仕切られ、改めて異国に着いた刺激をめい一杯吸っている。これが私の、これから長きに渡る大陸旅の起点の瞬間であった。
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 (青島市内)

 中国勢の力を借りながらようやく駅前に到達し、銀行で中国元を手に入れる。1万2千円を窓口へ放り投げると、781元の札が‘ポン’と返ってくる。この時はまだこれがどのくらいの価値なのか分からないが、私の心底では、これが大きな価値なのだ、と日本円の優越感から来る余裕が透けていた。だが、それは想像するほどの価値ではない事にすぐに気づく。

 両替が終わり、ついに船内組の男女たちはここで散りじりに別れてゆく。もう二度と会えないであろう、彼らとの出会い。こうした繰り返しが今後に巻き起こる運命が待っている。

 最後に残った日本人たちは、しばしここ青島を共に過ごす。互いに役割を分担して行動する事で合意し、鉄道知識が豊富な私は中国の鉄道切符を託される。目的地が北京と上海で別れるので、違う切符を同時に買えるかどうか、不安が残った。
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 (青島駅前)

 駅の母屋の外れにある切符売場では、並ばぬ人民に苦戦しながら必死に手持ちの時刻表にある北京行き列車にマークをし、時刻と等級と車次(列車番号)をメモに綴りながら順番を待つ。ようやく窓口が目の前に現れると、窓口にしがみつきながらババァ駅員に向かってメモを示しながら指差す。漢字と数字がキチンと相手が読めれば成功するはずだ。ババァは一瞬理解出来ない様な目つきでこちらを睨むが、瞬時に表情を変えては、まじめにパソコンのキーを叩き始める。この瞬間はかなりのドキドキ劇なのだ。
「没有!」(席はない)

 出た、有名な中国式ネガティブ単語だ。この一言でずべてが片付けられる。この事態を想定していたのか、‘硬臥→硬座’‘明天(明日)→后天(明後日)’と球を変えてアタック。だが結果はどれも
「没有!」

 さあ、球も切れていよいよまずくなってきた。ここまで無いとは想定していない。

「ババァよ、本当に無いのかよ」

と言いたくなる。唖然としていると横入りの嵐。するとこの時、私の頭のコンピューターがある事を思いつく。

『天津』

 そう、北京に近い、この要所の駅名を書き、これをババァに見せる。ババァは面倒臭そうに画面を見つめていると、一つのメモ書きを私に渡す。
『8/9 6:29 有座 91元』
その殴り書きされたメモに思わず笑いがこみ上げ、

「是(シー)是(シー)」

と連呼すれば、辛うじて北京組3人分の切符を手に入れることに成功する。バトルの結果、天津行きの出発は明後日になった。一方、別の組の上海行きは手に入らなかったが、旅行会社で手数料を払って頼むと上海行きもすぐに手に入れた。旅行会社枠というものがあるらしく、さらにその旅行会社の人間と鉄道側との人間関係によって左右される仕組みのようだ。

 とにかく任務遂行とばかりに仲間のもとに帰還する。一応面目は保てたようだ。
 宿探しの方も大変だった。いくつかのタクシーにすがって市内を迷走された末に、何とか線路際の安い人民宿にありつくことが出来た。汽車の汽笛が時折響き渡るこの‘ぼろ宿’は、テレビは映らずそれは飾り物、便所はスペシャルダーティー(汚い)、シャワーは水、ベッドには虫コロらしき生物が・・・それでも私たちにとっては天国にさえ思える空間であった。何でもいいからようやくありつけたベッド。倒れるように横になる事が幸せを痛感する瞬間でもあった。

 こうして一日置いて北京を目指すことになった。おかげで青島見物する余裕が生まれた、と思えばいいではないか、といい方に考えることにする。海水浴を楽しみ、ドイツ植民地であったかつての匂いを感じるために旧市街を歩くなど、思わなかった青島を歩いた。
12.青島 市内 ドイツ時代の教会.jpg14.青島 市内 ドイツ時代の教会3.jpg
8.青島市内 下町2.jpg   
 (青島は旧ドイツ租借地だったのでそんな時代の名残がある)

10.青島市内 下町風景3.jpg9.青島市内 下町風景2.jpg11.青島市内 下町風景.jpg17.青島市内 海水浴場.jpg  
(青島市内の様子 In 2001)
 
 3. 大陸横断 ファンファーレ


 今回の大陸旅はここ青島から始まる。

 その初端に相応しくすがすがしい早朝の湯気が駅前に舞い上がっている。このユーラシア大陸の東から西までおよそおおよそ1万5千キロの鉄路を手繰る行進がここからきって落とされる。

日本のように鉄道が通勤に利用されていないからか、早朝の青島駅は、昼間の騒騒から一転して物静かで落ち着いていて、駅前の屋台でゆっくりとワンタンをかき混ぜているおばちゃんの目の前にほっとしたように座ってみる。

「どうだい、うまそうだろ、喰っていきなよ」

おばちゃんはそう言っているのであろうか、おばちゃんは容器にワンタンを満々とつぐ。珍しくあの中国らしい脂っこさがなく、程よく塩味の余韻を残して唾液と共に空腹を満足させた我々、実は、2泊3日青島で食した食事の中でこれが一番旨い、と思わず口に出してしまうのであった。

1406次6:29発、通化(中国東北地方)行き客車は予定通りに発車出来る体勢にいた。殆ど線路と段差の無いプラットホームに中国の鉄道文化を晴れやかに感じ入り、‘これぞ中国の列車’という堂々とした心動を抑えきれずに落ち着き無くホームを眺めてしまっている。
25.青島駅 北京行き発車.jpg
(青島駅の列車)

 切符には『12车110号』とある。つまり12号車、110番の座席という意味だ。

 これからしばらくこういった中国式漢字(簡体字)との戦いの日々を予感しながら深緑色の機関車と客車を眺め、そのまま後方を見つめると、遠く18輌の客車の最後尾が霞んで見えるそのスケールに、大陸中国に来た今を我に知らしめられたのである。

 青島発車時は、数字が大きい方が進行方向前方になっているので、18輌ある客車のうち12号車は前から7輌ということ。中国鉄道のシステムがどうなっているのか、この時はまだ分からなかった。

 車内に入ると、3人の座席であるはずの番号にすでに人民が占拠していて、いきなり万事休すか、と震撼させるが、水戸黄門の印籠のように切符を見せると、

「チッ!」

 と憎たらしい顔つきを晒しながらその男たちはどこかへ消えてゆく。どうやあ立席切符も販売されているようで、見渡せば無座の切符を持った、席なし難民が車輌の端にあふれている。席あり人民たちを羨ましそうにこちらを眺め、硬臥が取れなくて硬座で大変だ〜と悲観していたが、席があるだけでもありがたい事なのだ、と悟った瞬間であった。

 車内の人民に秩序はあるようだ。

 人民たちの荷物は、我々よりも大きいものを複数持ち込んでいる者が多く、荷物置場確保をめぐって小競り合いもあちこちで発生している。やがてあれに巻き込まれるのか、と不安になるのだが、

「外国人なのだからどけてやれよ」

とでも言っているのであろうか、皆で声を掛け合っては網棚の荷物を順に詰めて、何とか我々のために荷物スペース分が空けてくれるのだ。この人民たちは悪い人たちではなさそうな、と安堵の心地で北への旅を始める。

 6:29、定刻通り列車は青島を出発し、これから北京まで883km、101元(約1500円)の汽車旅が実行に移される。
23.青島市内 鉄道2.jpg

 (シベリア横断(前) 〜 黄色い海を越えて〜Aに続く)
24.青島市内 鉄道1.jpg
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2011年04月17日

線路は国家の基盤 - 迂回路としての在来線

4..1993.3.14 羽越本線 鶴岡〜秋田 (34).jpg 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110417-00000473-yom-soci
 早い。わずか1ヶ月余りで復旧とは。これで迂回路とはおさらばか。

 震災発生以降復旧に全力を挙げているJRは、徐々にその路線網を取り戻しつつある。しかしながら、三陸の沿岸鉄道たちにはまだ過酷な現実が突きつけられている。

 まずJRでは、青森・岩手・宮城県の三陸海岸沿い(北から、八戸線、山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線、仙石線)、そして震災+原発事故に悩まされている宮城・福島県の常磐線、津波のニュースで隠れがちな内陸の東北本線などが被災路線。
 4月4日時点で、駅舎の流出が23駅、線路の流出・大損壊・埋没が65箇所、距離数約60キロメートル、橋げたの流出・埋没が101箇所という。
2.北海道旅行(車)東北部 岩手県 (1).jpg
(ある日の三陸の列車・山田線)
1997.9.17 石巻線 女川〜小牛田 (3).jpg
(被災前の石巻線・万石浦付近)

 JR以外では、三陸鉄道の北リアス線の島越〜田野畑間、南リアス線、唐丹、釜石付近、岩手開発鉄道、仙台空港鉄道、仙台臨海鉄道、そして、茨城県のひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道など関東地方沿岸も復旧のめどすら立たないほど被害を受けている。
仙台臨海鉄道 ゆめ交流博 1997.9.17 (9).jpg 
(被災前の仙台臨海鉄道・仙台港駅)

 さらに東北以外おいてでも、長野・新潟県境付近も被災、今回の連鎖地震の標的となり、飯山線の盛り土が一挙に谷底に崩れて線路が中吊りになるなど、東日本の鉄道網は今なおズタズタの状態だ。

 一方、2009年11月の台風18号によって三重県の名松線の末端区間(家城〜伊勢奥津)間も相変わらず運休状態であるし、岩手の岩泉線のがけ崩れ、美祢線なども災害で不通の状態が続いており、日本全体で見ても時刻表の鉄道地図ズタズタ、日本はいかに災害大国であると痛感する。

 こうした路線網の寸断で困るのは旅客輸送だけではない。貨物輸送も深刻な打撃を受けている。特に石油輸送は道路輸送では限界があるため大きく鉄道輸送に頼っているが、大幹線の東北・常磐線がこのような状況であったためどうしようもない。 それも解消されるのだが。

 しかし、東北線が復旧するまでば在来線には迂回ルートをいくつか設定された。今回の震災で大活躍しているのは日本海側の羽越本線だ。一部単線区間があるため調子よく本数を増やせないが、かなり重宝されているようだ。

 石油貨物列車は、大製油所から地域の製油基地への輸送が柱だ。神奈川県横浜市に根岸製油所があり、そこに臨海鉄道が敷かれている。今なお多くの石油コンビナートにはこうした鉄道貨物線路が活躍しており、製油輸送が鉄道に頼っている事を感じさせてくれる。
 特に、根岸の貨物臨海鉄道はけっこうな本数があり、その貨車がJR根岸線に入り、横浜スタジアムの脇を通過し、桜木町付近で高島貨物線に突入、生麦で東海道貨物線、新鶴見より武蔵野貨物線を経由して中央本線や東北本線、常磐線へと散らばるのである。

 うかいろ.jpg
(迂回路線の図・青が上越・羽越・奥羽・青い森鉄道、いわて銀河鉄道。黒線が磐越西線)

 今回の震災で一早く復旧した根岸製油所は、日あたり27万バレル(日本全体で消費される原油消費量の6%ほど)を生産を開始、しかし、それを被災地に運ぶ手段がなくなっていた。そこでJR貨物は、上越・羽越・奥羽線経由青森 → 盛岡行き貨物列車を設定したりした。3月18日、タンク車18輌編成が運転を開始し、その鉄道タンク車18輌という輸送力は、タンクローリー車40台分に匹敵する。
1..1993.3.14 羽越本線 新津〜鶴岡 (12).jpg 
 (羽越本線)
 さらに、迂回線として幹線だけでなくローカル線にも担ってもらい、そこで磐越西線(新潟県 新津〜福島県 郡山)が登場する。だが、ここ何年も貨物列車が通っていない路線で、ただ線路があるからって簡単に乗り入れる事は出来ない。

 規格、勾配、人員確保、そしてダイヤ作成、そして、旅客列車とは重量も違うためチェック項目が多く、通常ならクリアするために相当な時間がかかるのだが、今回は国家非常事態のため血眼になってチェックし、結果、わずか1日でクリアしたという。
 また、タンク車はJRの所有ではなく、石油会社、タンク車リース会社所有のため手配が大変であるのだが、何とかかき集めて大輸送が実現し、こうして製油されたガソリンと軽油が福島県郡山へと運ばれた。 


 私は仕事の関係でよく根岸製油所へ行った事があるのだが、とにかく製油所の敷地も施設もでかい。あそこにインドネシアなどからタンカー直接横付けし、6時間くらい掛けて陸揚げする。

 因みに、東京湾外には沢山のタンカーが待機していて、市原のコスモ石油の製油所も含めれば、東京湾(京浜・京葉港)だけで相当な石油精製能力があるのだ。実は、私が勤務したある年がちょっとした冷夏で石油が思ったほど消費されずに、多めに手配したタンカーを相当時間湾外に待たせた時があった。待たせている間は石油代に匹敵するほど延長料金がかかる。
 だから、少し電力の節約意識を高めれば石油が足りなくなる事態を恐れることはないかと。火力発電所の石油消費量は、これから来る夏に意外なほど伸びずに対応出来るのではないか、と個人的に思ったりもする。 超猛暑だったら事態は違うかもしれないが。

 さて、話を元に戻すと、こうした災害時の鉄道迂回路線の存在は、平時だと邪魔者扱いされるのだが、緊急時になると一挙に格が上がることもある。
 阪神大震災時は、東海道本線が壊れたため、迂回路として福知山、山陰本、播但、加古川線みたいな路線が迂回路とされたし、北海道の有珠山噴火の際には、普段ヨレヨレのローカルとなっている函館本線 山線区間(長万部〜小樽)が幹線に返り咲いたかのように貨物代(大)街道と化した(優等列車も運転)。

しかし、新幹線開業のたびにそれと平行している在来線はいつもピンチだった。今のところ、新幹線が開業して完全廃止された平行在来線は、信越本線の横川〜軽井沢間(群馬・長野県)だけだが、しかし、JRの管轄から離れて、地元自治体へ経営と所有を丸投げしてしまった区間が多く出現してしまった。

 こうしてみると、新幹線開業などで一気に平行在来線の存在が危うくなる場面ばかり遭遇している昨今のJRの状況だが、国鉄時代は国家の鉄道インフラ基盤を預かっている観点からこのような事態にはならなかった。

 今回、九州新幹線の博多〜熊本間が開業したが、珍しく平行在来線が廃止されなかった。これはローカル輸送だけでも人はけっこう乗るのでJRは手放さなかっただけなのだ。一方、南側の不採算区間、肥薩おれんじ鉄道(八代〜川内116km)は第三セクター路線となりJRから見放されている。

 しかしながら、しなの鉄道以外の、残された並行在来線の多くはJR貨物による貨物輸送を担っている。特に今回は、東北新幹線の新青森延伸でJRから見放された、いわて銀河鉄道、青い森鉄道は貨物輸送で普段以上に存在感を発揮した。これらの鉄道は決して地元だけの線路ではないことが証明され、それが今回の震災で在来線の貨物輸送の重要性が改めて認識された。

 国家インフラ基盤としての在来線鉄道、まだまだ重要な役目を担っている事を考えると、一民間会社、自治体会社だけに任せるのではなく、その存続を国家として支援する事は出来ないものだろうか。
http://www.kitekikaido.com/
1.北海道旅行(車)東北部 宮城県 (5).jpg 
(気仙沼線のとある春の記憶)
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2011年04月10日

黄金ライブ 北千住にて

「豆腐をつぶしたような顔」
 「娘の胸をもんで怒られました!」
 そんな自虐の笑いが満載された、昔ながらのコンビ漫才のライブを観にいってきました。
http://ameblo.jp/daikagura-senwaka/image-10818071656-11084944443.html

 事後報告で申し訳ないですが、これがとっても笑えたライブでした。私はこのようなライブにほとんど足を運んだ事がなかったのですが、やっぱりテレビで眺めるのと訳が違いますね。私にとって大きな発見でもありました。

 このライブは『黄金笑時代 ライブその2』
と銘打って北千住駅前の丸井デパート10階/シアター1010内会場の扉を開けて開催されました。

 出演者は、主役のビックボーイズをはじめとして、ダンシングチーム“弾心”による前座のダンス披露、ヘルシー松田さんのパントマイム、仙若さんの江戸太神楽・曲芸。おそらく名前を聞いても知らないと感じる人もいるでしょう。

 ビックボーイズとは、漫才協会所属のお笑いコンビでして、1992(平成4)年結成され、さがみ三太・良太さんを師匠としています。
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(ビックボーイズのご両人、フラッシュなしでぶれてしまいましたが・・・)

 ボケ役は主になべかずおさん、 北海道・滝川市出身。26歳の時に神戸で鳶職をしていたとき、オレたちひょうきん族の素人コーナー「なんですかまん・コンテスト」に出演し、それをきっかけに浅草フランス座で修行していた、との事です。

 相方さんは羽生ちゃん、優しそうな性格で舞台上ではいかにも突っ込み役といった方。静岡市(旧清水市)出身で、過去に大道芸人の三雲いおりさんと「プリーズ」というコンビで活動していた、との事です。
 ビックボーイズのコンビは約5年前に真打ちに昇進しています。

 昨日の舞台、ビックボーイズのコントはなかなかテンポよく、そして軽快に続き、持ち時間40分ほどの時間があっという間に感じられました。逆立ちしたり、空手を披露したりと、体力披露の場面もあり、その臨場感の味わいはまさにライブならではのもの。もちろん、体を動かすのは主に羽生ちゃんの役目。逆立ちさせられて、「もう下ろしてくれ」と叫ぶ羽生ちゃんになべさんは羽入ちゃんのズボンの袖を降ろしたり、両足を開かしたり、とまあ、躍動感激しいですね。

 ビックボーイズのコントの次は、ヘルシー松田さんのパントマイム。これがさすが大道芸人と知らしめる技の技術でして、はっきり言って言葉はいりません。野球選手のバッターボックス上の表情をスローモーションにしたりコマ送りを表現したり、つまり『表情』一つですべてを表現し勝負をしています。

 パントマイムは日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、ヨーロッパではなかなか地位が高い芸でして、たとえば、アムテルダムの市庁舎前広場などでは毎日、大道芸人たちの競争が繰り広げられています。極められたパントマイムにはけっこうな小銭が入っているのを確認しています。

 こうした‘静’なる芸もテレビで表現するにはなかなか難しいでしょうね。

 これに対して‘動’の芸である、仙若さんの江戸太神楽・曲芸は、失敗の可能性もあるのでハラドキ’のショー。急須の傘回しは緊張はしたものの何とか成功、見事でした。後で仙若さんに聞いたところ、相当練習したらしいですが、最大の夢は、今1歳になる息子さんと曲芸をやることらしいです。
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(仙若さんの傘回し曲芸の様子)

 こうしたベテラン勢のライブはお客さんの平均年齢が高くなりがちなもの。笑いのツボも若者と高齢者とは全然違ってきます。そうした高齢者への笑いに挑戦したのが‘世界少年’というコンビです。
http://ameblo.jp/sekaisho-nen/
 特徴的な顔立ちなので観ればすぐに記憶に残る事かと思います。当日のコントは、少し時事ネタっぽい感じでして、確かに若者向けかなぁ〜と感じました。私も「若者と年配方の笑いのツボの違いとは?」と考えてしまったのですが、今の若者向けの笑いとは、言葉や芸の技術よりも勢いや面白いと思わせる力があるかないか、なのかな?ちょっと自信がないですが。

 でも、この『世界少年』、『世帯少年』になる前にぜひ『ナイツ』さんのように羽ばたいて欲しいです。チャレンジ精神旺盛で夢がありますよ。
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(世界少年のご両人:筆者本人がすごくめっだってしまいましたが・・・)

 ライブの後、二次会で出演された芸人さんたちと飲む機会に恵まれましたが、皆さん、普段の服を着てしまうとやっぱり‘普通’の市民に戻ってしまうのですね(笑)。私は芸人さんってテレビの向こうの存在だから、我々とは違う世界からやってきた人たちだという認識が強くありました。

 大震災以降、東日本では笑いすら恐れ多い事態になっていました。私も先日の日記で、自粛について書きましたが、少し悲観的に鳴いてしまったような気がしました。こうした時こそ黄金笑ライブのような身近な『笑い』が必要なんだ、と改めて感じました。そんな笑いを求めた人が多かったのでしょうか、当日は椅子が足りなくなるほど盛況でした。

 なべさんは、「震災でこんな状況だからライブをやるかどうか迷いました」と吐露していましたが、周りの方々から「今だからこそやれ」というアドバイスがあり決断下との事です。結果的に正解でしたね。

 私はお笑いのライブの楽しさと重要さを改めて見つけました。先のことを見通して暗くなっても自分ではどーする事も出来ないのです。どうせ死ぬのなら楽しんで死ぬのもまた一考。今回は陶芸家の寒河江先生のお誘いでこうした機会をいただきましたが、今度は自分がお笑いライブを誰かを誘って足を運んでみようかと、と思っています。
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2011年03月27日

私も猫も体調不良(日曜雑談)

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 地震から15日以上がたち、原子力関連の騒動はまだ深刻な段階です。うちの親戚は福島県の二本松市にいるのですが、風向きの関係で数値が高くなる日があるそうで怖がっています。そして、米とじゃがいもを出荷している農家なのですが(昔は蚕とタバコの葉っぱもやっていた)、もう壊滅状態との事です。原子力の事故はすべてを、未来に渡って本当にすべてを失います。
 
こんな罪深い事態に今後の責任のこと、原子力政策のこと、エネルギー全般の事、いろいろと追求されると思いますが、日本マスコミは大きなところに牛耳られていますので、原子力産業という巨大利権を敵に回せるのか疑問が残ります。

 彼らは日本国民の命よりも利権と保身が優先なのは明白なのだし、危ない仕事は電力会社やその下請けに任せればいい、という発想しか持っていないのですから恐ろしい事です。浜岡原発が東海地震の震源域の中に造った事がそれを証明しています。まして津波よけは現在数メートル分のみで、おもいっきり今も稼動してます。

 こうした事故が起こっても一時的に軌道修正するえしょうが、あの巨大利権集団が消滅するとは思えませんし、でも戦わなければいけないと思います。

 太陽光は沢山の土地が必要な割にはたいした電力を出さないし、風力も同様。地熱は場所が限られる上、たいした電力を出しません。潮力発電というのはまだ日本にありませんが、今後の課題でしょう。
 とすると、火力か水力?どれだけ相当な原油や石炭、天然ガスを使うのでしょうか。原発をただ廃止する!という事は無茶なことだと現実は語ってます。しかし、今後新しく造る分はもうストップすべきだと思っています。

 関東圏では日曜日の『たかじん委員会』の番組が流されないので観れないのが残念ですが、以下を載せます。
http://www.youtube.com/watch?v=SfnjwOYF268&feature=youtube_gdata_player


 さて、わたくしごとですが、体調を崩しました。いろいろありまして、精神的にも弱っていたときにこうです。40度以上の熱が出ましたが、病院にいったら「インフルエンザではない」との事だったので安心して安静にしていました。

 しかし、食欲がでず、体も重く、電話で少ししゃべるくらいで後は誰とも話をしていません。なんか、こう、気力が弱っている自分がわかるんですよね。明日の職場の事を思うととっても陰鬱にんるんです。「なにやってんだろ」と思うも何も出来ず・・

 昨日、愛猫のクロを動物病院まで迎えに行きました。クロは先月あたりから体下半分の毛が固まってしまい、また歯槽膿漏の限界がきていました。あまりにも臭いのでついに病院に連れて行きました。
 医者は、「人間で言うと100歳を超えているので、今は以前より柔らかな麻酔がありますが、麻酔を打ったら死んでしまうかもしれません。それでもよかったら、毛の塊を取るのと、歯を抜けますが。」結局、麻酔をお願いして一晩病院に預けました、
 翌日、迎えに行くと、他のワンちゃんたちよりも甲高い叫び声が聞こえてきます。クロです。威嚇と恐怖の声で全身が震えていました。
 観ると、口元はきれいになり、全部ではありませんが、多くの毛玉はきれいにはがされていました。先生曰く、毛玉の下には膿が溜まっていて大変な事になっていたと。だから治療も相当苦労した、と言っていました。

 おかげで治療費もすさまじかったです。

 病院からの帰り道、国道のトラックやバイクの音、そして寒さに震え、この世のものとは思えない血相をしていました。そんなクロが自宅に到着すると、いつもと変わらぬだみ声でえさを早速要求してきました。いやはや、この気が強さが長生きの秘訣なのかもしれません。

 うちのクロはもう少し長寿の記録を伸ばしそうです。
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2011年03月21日

震災10日眼

 昨日、ドイツの友人から電話があり、
「日本は放射能でもうおしまい、っていう感じの報道だよ。生きてるの?」との事。一応生きているし、軽く見ていけないし、楽観もまだ早いけど、絶望まではいっていないよ。難しい状況だけど全然大丈夫だよ」と言っておきました。欧州では、昨日からリビアのカダフィーの報道と日本の原発の報道で騒いでいるそうです。

 さて、震災から10日ほど経った、東北地方の鉄道の現況です。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20110317/546478/?SS=imgview&FD=1305623194

 在来線の重要幹線では、東北本線と常磐線がズタズタの状況です。常磐線が全線復旧する事など、原発の事を考えたら絶望的ですし、東北本線の復旧がなされないと、対北海道などの物流に深刻な影響を長期にわたって及ぼします。羽越線は単線の区間が多いためすぐに限界がきます。

 今はまだ被災者の救出と生存を優先する段階なので、ローカル線の今後を考える状況ではないのですが、三陸鉄道の一部が復旧し、地元の人々に小さな喜びを与えたと聞きます。汽車の汽笛が聞こえてくる事は、どこか心理的に安心感を与えてくれるのでしょうか。


 さて、首都圏の鉄道は、停電の影響でまだ間引きですが、東京に近いエリアはほぼ準平常どおりって言ってもよいのではないでしょうか。また、停電も解消されつつあるとの事です。ただ、地域にすごい差をつけていうようで、旧東京市域と菅直人の地元武蔵野の選挙区あたりは除外されているとの事。

 これだけ科学技術が発達した今、病院や行政機関に優先してピンポイントで電力がいく、というような仕組みがなっていないのに意外感はあります。
 それに、都区内の中心部は街の無駄なネオンがすぐに戻ってくるのでしょうか。のどモト過ぎればすぐに忘れますからね。まだ事態は非常時なのに。

 鉄道の回復はあくまでも東京に近いエリアと地震と関係がなかった日本海側だけです。相模線や御殿場線、房総の一部、(北関東その他たくさん)などは相変わらず復旧しておらず、また、動いていても東京から離れるに従って運休率が高いです。

 実は東海道線は、熱海から西は1時間に2本体制を採っています。熱海までは特急以外はフツウに動いてるのですが、丹那トンネル越えの列車が激少です。でも新幹線はガンガン走っているというこの矛盾。実は、静岡県は富士川より東は東京電力管内で、該当の東海道線の電気は東京電力から引いているため影響があるらしく大きな間引きをしてます。

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(沼津駅の暫定時刻表 2011.3.20現在)

 東海道新幹線は、富士川より東は東電から引いていますが、周波数を変電所で換えて走らせています。自主電源ではありません。新大阪〜米原までは関西電力、岐阜羽島〜静岡までが中部電力、そして新富士〜東京までが東京電力です。浜松町・綱島・西相模・沼津の4箇所にある周波数変換変電所で東京電力から受電後50Hzから60Hzへの変換を行っています・駅構内の電源周波数は50Hzのままです。経済的に在来線を止めるよりも新幹線が止まったら影響が大きいのを考慮しての現状でしょうか。よくは解りません。

 そんな中、昨日・おとといと静岡県沼津市にある親戚のところへ行ってお彼岸の墓参りに行ってきました。思えば、ここ4,5ヶ月、いろいろな事がありすぎました。世の中、まだ落ち着いてはいませんが、何とか静かに墓前の前で手を合わせてきました。

 親戚の家は、駿河湾の一番奥にあり、よって、一番津波が怖いところに位置しています。家は海抜50センチのところにあり、あの東北太平洋の津波の映像を嫌というほど観てしまった今となっては覚悟をするしかありません。

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 現地では、「今まで東海地震、地震って騒いで防災訓練とかしていたけど、全然アマちゃんだったね。ここは三陸の人たちに比べて決して防災意識が高いなんて言えないよ。」
 幸いな事に、この集落には目の前に高台が迫っているので、10分もあれば避難できます。ただ、避難したところで家は確実に流されるし、その後の生活に絶望するだけのこと。脱力感だけが漂います。

 もっと深刻なのは沼津市中心部です。あそこには一応、海岸線に沿って5メートルほどの堤防が築かれていますが(中心部付近だけさらに高いけどそれでも10メートルいくかいかないか)、あの津波が着たら確実に、そしてゆうに津波が超えて街ごとさらいます。特に市内は高台がはるか遠くにあり、高台避難は難しく、マンションなど高層建築物が流されなければよいのですが、想像を絶する被害が出ることは間違えないでしょう。

 そんな事を思いながら街をゆくとガソリンスタンドにぶちあたります。関東圏と違って車の列が出来ていません。スーパーにもカップラーメンが沢山あります。さすがに電池は空っぽでしたが・・・ある人が言っていました。
「物流の停滞も影響あるけど、確実に買いだめしていた人が沢山いたよ」との事。地震の被災地、間接被災地関係なく、全国的な事態なのでしょうか。

 因みに、今日突然また放射線測定値が上昇しています。報道では何も触れられていません。何かきな臭く、隠しているのではないか、と不信に陥っています。
http://www.atom.pref.kanagawa.jp/cgi-bin2/telemeter_dat.cgi?Area=6&Type=W

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2011年03月13日

東北太平洋大震災:鉄道被害状況

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200487

昨日は昼に帰りましたが、乗車規制をしていまして、混雑で大変でした。京急から観ると、横須賀線は鶴見付近で地震発生当時のまま立ち往生でしたし、東海道線も運行開始したとはいえまだダイヤがマヒ状態でした。京浜急行との違いは、会社や路線網が大きいので迅速な動きができないことでしょうか。京浜急行には感謝です。

 私も徒歩で帰ろうとしましたが、40キロも無理だと悟った結果、おとなしく電車が動くまで会社で待機していました。水もあるし、非常食もくれるしね。ただ、オフィスは7階で余震はものすごく毎回揺れました。それに、電車の復旧見通しが立たなければ徒歩を覚悟していました。
 家に着いた時は本当にホッとしました。ただ、私には彼女も奥さんもいないので、私のような苦労など、家庭持ちの人に比べれば屁の様なものです。

 やはり、通勤距離が長いことは問題ですね。

 
 ところで、地震に関する報道をずっと観てました。あまりにも現状が悲惨で涙が出そうになりました。これが日本で起こったことか、私が知っている大船渡、宮古、釜石の町、浜通りの常磐線はどんな惨状になっているかと思うといたたまれない想いです。

 多くの方が震災関連のことを書いているので、私は鉄道について少し書きます。

 
 ● 今回の地震で鉄道路線も相当やられています。特に地震よりも津波の方が甚大です。そしていくつかの列車が津波に飲み込まれました。

 震災直後の報道による列車の被災情報は、常磐線、大船渡線、山田線 仙石線、気仙沼線、三陸鉄道で、そのうち、連絡が取れないと報道されたのは列車は6本(大船渡線2、山田線、仙石線、気仙沼線、三陸鉄道南リアス線の各1)との事でした。その後、この記事にある通り、人命についてはいくつか無事である事が確認されています。もちろん、車輌は・・・

 津波発生後53時間たった今の報道の情報ですが、まず、岩手県の三陸鉄道です。三陸鉄道は、八戸線と接続する久慈と宮古を結ぶ北リアス線と、釜石と大船渡市の盛とを結ぶ南リアス線とがあります。状況は、

 ○ 三陸鉄道

・北リアス線 116D - 白井海岸→普代間で停車。昨晩中に全員無事救出。
・南リアス線 213D - 吉浜→唐丹間で消息を経つ??

 ・吉浜駅:駅が避難所になってると言う情報有。
 ・甫嶺駅:津波で流出した模様。
・陸前赤崎駅:周辺が壊滅的な被害を受けてる模様。駅の流出の有無等の詳細は不明。
2..三陸鉄道 宮古〜田老〜久慈 (2).jpg
(田老付近を走る三陸鉄道北リアス線:筆者撮影・1995年)
1..1995.8.10 三陸鉄道 盛〜釜石 (4).jpg
(釜石駅構内に入る北リアス線からの写真:1995年)

 八戸線は、多くを青森県側を走っています。脱線、死者などの報道はありませんが、津波で陸中八木駅流された、という情報だけはあります。

 ○ 山田線

 山田線は、宮古から釜石までが海岸地域を走ります。情報としては、
 ・山田線…1647Dと思われる列車が被災?

 ○ 大船渡線:
 大船渡線は一関と大船渡を結ぶ路線ですが、気仙沼から大船渡・盛まで海岸地域を走ります。被災状況は、大船渡を走っていた列車の確認が12日に取れた模様です。この記事にあるとおり乗客は共に地元の小学校へ避難し、全員無事(車両不明) らしいです。大船渡線に関しては以下の状況のようです。

・大船渡線の盛駅付近…列車が被災
・大船渡線の大船渡〜下船渡間…列車が被災
http://jan.2chan.net/up/r/src/1299857182625.jpg
(大船渡付近の線路の様子)

 大船渡線は、大船渡の市内と陸前高田、気仙沼などの市街地は比較的海に近いところを通ってますが、その他は山の中です。その市街地部でやられた模様です。
1995.8.10 大船渡線 一ノ関〜盛 (8).jpg
(大船渡湾沿岸を走る大船渡線列車(1995年)、ここは被災した模様です)

 駅の被災情報です。
 列車は、大船渡線の盛駅付近、大船渡〜下船渡間…列車が被災。
 ・盛駅:津波が到達し浸水した模様。流出の有無等の詳細は不明。
 ・大船渡駅:駅舎が流出(ANNより私Kei@ツバサ先輩が確認)。駅名標の流出も確認。
 ・細浦駅:地区の被害は甚大らしいが、駅自体の詳細は不明。
 ・小友駅:津波の被害に遭った模様。
 ・陸前高田駅:駅舎は流されて跡形もない模様。

 ○ 続いて気仙沼線です。

 気仙沼線は、車窓に海はあまり見えず、比較的新しく開業した路線で路盤は強く造られているはずで、他と比べて高架橋区間が多いのですが、気仙沼-志津川の南まで約40キロは、海に近いところを走る区間が多いです。
 気仙沼線の被災については、気仙沼湾沿いの最知〜松岩駅間…2942D が脱線 し、運転手が津波到達前に乗客を誘導しているらしいですが、その後連絡が取れていないようです。場所が場所ですので・・・
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200155
 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110313t13020.htm
 不動の沢駅:火事が来ておらず無事の模様。
 南気仙沼駅:駅舎は跡形もなくプラットホームだけとなり、無残な姿に。
 松岩駅:近くのコンビニの屋根まで津波が来た模様。駅自体の詳細は不明。

 ○ 石巻線:
 
 石巻線は海辺を走る区間はあまりないのですが、内湾の万石浦という海スレスレを走っており、万石浦に津波が入ってきた、という報道もあるので被災した可能性もあります。因みに、終点の女川の町は外海に面しており、悲惨な被害を受けています。

 ・女川駅:壊滅的な被害を受けてる模様。
 ・浦宿駅:津波は到達した模様だが、規模は不明。駅自体の詳細も不明。
 ・万石浦駅:詳細は不明。
 ・渡波駅:周辺が壊滅的な被害を受けてるそうだが、駅自体の詳細は不明。
 ・陸前稲井駅:津波は到達した模様だが、規模は不明。駅自体の詳細も不明。
 ・石巻駅:ホームまで水が溢れた模様だが、駅自体の詳細は不明。

 ○ 仙石線です。こちらは頻繁に報道されていました。仙石線の野蒜〜東名間…1426S(205系M9編成・仙セン)、野蒜〜松岩間…3353S(205系)が被災(乗客救助済み?) が津波で流され脱線、横転しました。報道では、『地震発生以来、連絡がつかなかった岩手、宮城両県の海岸沿いを走る列車計4本のうち、宮城県東松島市のJR仙石線野蒜(のびる)駅と東名(とうな)駅の間を走っていた4両編成の列車では、取り残されていた乗客11人が県警のヘリコプターに救助された。』とあります。よかったです。

 列車は山側に流され、線路から外れて連結部分でL字型に折れ曲がり脱線している状態で止まっていたようです。
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/110312/trd11031214240009-p1.htm
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0312/TKY201103120267.jpg
http://www.yomiuri.co.jp/feature/graph/201012wind/garticle.htm?ge=863&gr=3497&id=105207

 ○ 最後に常磐線です。常磐線は、宮城県岩沼市から、福島県浜通り地方を通って茨城県太平洋沿岸、日立市南部より内陸に入り、水戸を経由して首都圏にいたる幹線です。基本的には海岸地域を走っていますが、実際の海岸線より2キロから5キロ内陸に入ったところを走っており、海はあまり見えないのですが、そんなところにも津波が押し寄せ、壊滅的な被害を受けました。
 列車の被害です。

・常磐線の新地駅…244M(E721系2両×2編成・編成不明)が、津波で流され横転・大破  
http://up.pandoravote.net/up4/img/panflash00027741.jpg
http://www.sanspo.com/shakai/photos/110313/sha1103130507014-p1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110312/dst11031222110288-p1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110312/dst11031222110288-p9.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110312/dst11031222110288-p4.htm
(いずれも産経の記事と画像)

 福島県新地町のJR常磐線新地駅構内では、4両編成の列車が横転。大津波警報で駅構内に緊急停車したあと、駅舎とともに波に流されたとみられ、しかし、乗客と乗員全員は、被災前に避難して無事だった、との事です。

・常磐線 高貨92レ - 山元町内で転覆(ED75 1039牽引)、乗務員無事確認
http://up.pandoravote.net/up4/img/panflash00027718.jpg
 貨物列車は、北海道から首都圏へ紙製品や野菜を運んでいた模様で、重い機関車だけが踏ん張り、あとのコンテナは流されたようです。
 
 (写真・テレビ画像は、いずれも大手報道機関のものを利用させてもらいました)

 これら被災した鉄道各線の情報は今も混乱したままです。おそらく、三陸の鉄道はもう復旧できないかもしれません。このまま廃線が濃厚です。仙石線や常磐線は復旧するかもしれませんが、ただ、福島の原発がすごく心配です。政府の隠蔽体質がすごくむかつきます。

 私も母方に福島県二本松市に親戚がおりますので、とっても心配です。

 今回の震災は、北海道から茨城県の沿岸に掛けて、大津波は想像を絶する規模の被害をもたらしました。何百年に一回、という災害が生きているうちにやってきた事に毛が震えます。日本に住んでいる以上、運命なのかもしれません。

 大金はたいて自然に立ち向かうべく大堤防を築くか、それとも自然を受け入れていかに生き延びることを重視するか、それしかないのかな?

 これで東海・南海沖地震は絶対に来るし、大津波が来ればどのような事になるか簡単に想像できるようになりました。私も真剣に防災意識をしなければ、と痛感しました。

 明日、ここ横須賀は夜7時から計画停電だそうです。でも、被災者のことを思うとそんなの屁でもありません。心が痛みます。
1992年3.28 大船渡線 〜盛 (1).jpg
posted by kazunn2005 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年02月04日

拝啓 アメリカ様

1ガントリーで吊り上げられるコンテナ (6).JPG
エジプトがさらに大混乱のようですね。

 ところで、今回の穏健イスラーム諸国の騒動のそもそもの発端は急激な値上がりの食料品や資源価格による生活苦が原因です。なぜそうなったかというと、アメリカ様がサブプライム破裂によるリーマンショックで経済がおかしくなったので、お金を市場にたくさん供給して(お札刷ると人は言いますが・・)お金ジャブジャブにして経済を活性化させようとするアメリカ様の都合からきたものでした。

 アメリカ様は日本のバブル崩壊をよく研究し、日本みたいにならないぞ、という思いで相当お金を刷りましたが、そのお金たちは投機マネーとなって石油に、穀物にながれてゆきました。こうしてリーマンショック前のようなバブルがまた再燃してしまいました。アメリカドルは史上空前の売られようで、相当ドルの価値が下がっています。円にだけ!対して下がっているわけではないのです。スイスフランもオーストラリアドルもアメリカドルに対して相当高くなっています。

 日本から見れば円高なので、外国に比べてそれほど苦しさは和らいでいますが、エジプトなど経済が弱い国々などは外国との取引はドルで取引していますので、そのドルの価値が下がって資源価格が騰がれば困ります。

 バルチック海運指数というのがあります。世界の不定期貨物船の運賃の指標を示す値なのですが、騰がれば騰がるほど世界の貨物船は盛況、逆に下がればガラガラです。

 資源価格や石油価格が騰がるという事は、それだけ欲しい(需要)があるから騰がっているのでしょうか。しかしそうではありません。このバルチック海運指数を見るとどんどん下がっていて、リーマンショック後の悲惨な数値に近づきつつあります。つまり、世界の貨物船は運ぶものがなくて活況がない事を示しています。つまり、この値上がりしている資源価格は実需ではないのです。中国やインドが経済過熱しているからではない事も分かります。

 リーマンショック前まであアメリカ様がいろんな国々の製品を借金してまで買ってくれたので世界景気を引っ張っていたのも事実でした。しかしリーマンショックで今度はアメリカ様が危機なので、アメリカ製をたくさん輸出したいためにドルの大安売りし、お金をバンバン作って世界に撒き散らしています。みんなバブルの可能性が高いのです。

 アメリカ様の仕業で新たな反米国家が出来る可能性もあり、なんとも皮肉です。そして、こんな状態はいつまでも続かないでしょう。つまりバブルの再度の崩壊がやってくるかもしれません。

 資本主義って怖いですね。
2007[1].10.29.JPG
(写真はいずれも筆者、単なるイメージです)
posted by kazunn2005 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記