2012年11月29日

マンダレーの峠道 (最後のフロンティア 6 ミャンマー編)

 援蒋ルートを辿る

援蒋ルート.jpg
(援蒋ルートの一部)

 マンダレーから北東方向へ中国へ通じる道がある。これがかつての援蒋ルートの一部であり、これに沿って鉄道が伸びている。この鉄道が西洋人旅行者にとってけっこう人気のようだが、マンダレー発朝の4時というとんでもない時間に発車するため、いろいろ考え抜いた。そこで、この鉄道を逆方向から乗ってみることにし、往路は車で移動するする事にする。

P9231425.JPG

 蒸し暑い当日の朝、泊まっている宿に私を迎えに来てくれたのはタクシー会社の男だった。バスはかなり早い時間に出てしまうので、前日からタクシーを予約していたからだ。タクシーといっても、一般乗用車に乗れるだけ同じ方向へ行きたい同志を集めてシェアするスタイルで、シェアタクシーとも呼ばれている。経済的だし、タクシー会社も人数分儲かるのでお互い都合がいい。日本ではこういうビジネスは不可能だが。

 シェアタクシーは、予約していた同乗者の家にいちいち立ち寄るためなかなか町を出発できない。ある者は工場の従業員部屋から、ある者は、団地の奥から。運転手は会社から渡された住所のメモだけを頼りに付近を右往左往。そして最後は中国人ビジネスマンの男を乗せてようやく出発!となった。

P9231429.JPG

 南に伸びるマンダレー市内の大通りをゆくと、とある交差点で左に曲がる。実質的にここから援蒋ルートが始まった。マンダレーは盆地の中にある町だが、やがてそれが終わりかけ、江戸旧街道のように木々がざわめく気持ちいい並木街道の景色に移り代わり、道は立ちはだかる眼前の山魂に向かって一直線に伸びる。

P9231428.JPG
(平らな緑の道は山にぶつかるまで)

 その山魂がすぐに額ほどの距離まで近づくと、当たり前のように急勾配が登場する。登り下りが大樹で分けられたつづら折りの険しい道路に、福山通運ロゴのトラックや、京王観光ロゴのバスなどが数珠を連ねるようにもがき登っていて、それを横目にわれ等が年代モノのトヨタ乗用車が煤をぶちまけて抜いてゆく。積載名やトン数まで日本語標記になっている強敵タンクローリなどは抜くほうもハラハラする、まるで碓氷峠か箱根の1号バイパスを登っているようだ。

P9231431.JPG
(ミャンマー版碓氷峠)

 九十九折のこの道こそ、かつて日本軍を大いに苦しませた悲劇の道であり、今、日本車が溢れるその道を這いで行っている私は、鳥肌が少しざわめくほど実に複雑な思いがするのだ。

(つづく)

P9231432.JPG
posted by kazunn2005 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/60403552

この記事へのトラックバック