2012年11月18日

最後のフロンティア 2 (ヤンゴン 自画像の旅 ) ミャンマー編

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 2.ヤンゴン 自画像の旅 

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 ヤンゴン環状線。1周およそ3時間である。

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(サークル線路線図)

 例えば、時計周りで旅でヤンゴン中央駅を出ると、1km程度走ってはすぐに停車場に到着し、人の影を吐き出し別の群れがまた吸い込まれる。それらの出と入りのカウントは常に激しく、静脈のように脈をつき、息を放っているこのヤンゴンの縮図が、私は妙に気に入った。

 彼らは、ただの通勤通学に利用している若者、バナナやパイナップルを大量に持ち込んでは輸送車代わりに利用している行商人、商売の宣伝をする怪しい青年、オバちゃんたちの井戸端。区間によっては大混雑する箇所もあるし、一気にガラガラになったりとなかなかワクワクする。
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(サークルトレイン車内の様子)

 一方、窓の外を観ると、木造の住宅から、鉄筋団地のような住宅群。その傍らには、芯まで汚いどぶ川と水溜りが控え、それは猛烈に鼻につく重い異臭をふんだんに発し、やがて顔がつぶされそうになる時も。目を下方に向けると、線路際では軒先の列車が去るとちゃぶ台を広げたり、店を出しなおしたりて線路が商店街になっているところもあり、どちらも最強のエキサイティング。
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(線路端)

 しだいに郊外に放たれるにしたがって少しずつ駅間が長くなってくると、辺りは畑や更地が目立つようになる。『Golf Course』何ていう駅名もあり、かつてはイギリス人がここでゴルフでもしていたんだろう、と勝手に想像するしかない名前のその駅には畑しかなかったり、とイギリス時代の名残も感じることができる。

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(ゴルフコース駅付近)

 そのゴルフコース駅あたりがヤンゴンから一番遠い地点で、ここまで来ると都市の雰囲気はあまりない。その後、Wa Bar Gi駅付近で国際空港に近づき、再び都市っぽい喧騒が始まる。やがて、マンダレーからの本線が合流すると Ma Hiwa Gone駅。この辺りでもう運行サービスは終わりだよ、というような雰囲気が広がり、乗客がほぼいなくなるが、次の駅からまた乗り込んできて、列車はまたヤンゴン中央駅に戻ってゆく。
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(やがてヤンゴン中央駅に戻る)
 
 そんなサークルトレインに乗ってヤンゴンの町を感じるのもいいかも。因みに外国人は一周1ドル、駅のホーム上の事務所みたいなところで切符を買う。



 ● 旅行者から遠ざかる鉄道

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 この、人口約250万人を数えるミャンマー最大都市である旧首都ヤンゴン。その陸の玄関口であるヤンゴン中央駅は、イギリス植民地時代の1877年に開業した。陸橋から観るヤンゴン中央駅の構内は堂々とし、狭い線路幅の軌道が低いホームを挟んで秩序よく並んでいる。ミャンマー鉄道のレールの幅は1,000mm、つまり1メートルゲージで、タイ、マレーシアやベトナム、カンボジアなどの東南アジア諸国と同じである。

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 2010年現在、総延長5,403kmだが、そのうち41%ほどにあたる2,242kmが1988年以降に開業しており、つまり独裁軍事政権時代に造られたことになる。

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(ミャンマー鉄道路線図)

 とある新聞記事によると(※3)、2012-13年の計画では、中国やインドから融資を受けてさらに拡張してゆくらしい。インドは歴史的な経緯でシステムが似ているのでわかるが、中国とは関連がない。しかし、ミャンマーにおける政治的な中国の影響力の大きさが鉄道面からみて感じ取れる。特に中国は、機関車、貨車そして客車も多く譲渡している。

 そんなことを思うと、北側に正面を向いている今のヤンゴン中央駅のその駅舎は、どこかで観たような?。それは北京駅の駅舎に似ている、と直感的に思った。

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(北京駅舎:2003年)

 これも中国影響か?と思ってしまうが、調べてみると、この華麗で立派な駅舎は、第二次大戦でイギリス軍によって駅が破壊されてしまった駅舎に代わって、戦後、ミャンマーの建築家、シン・ユー・ティン(Sithu U Tin)によるデザインで、1954年に駅舎が完成したらしい。

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(現ヤンゴン中央駅舎)

 因みに、中央駅は将来的に30kmほど東の郊外へ移転する話があるが、詳しいことは分からない。

 その駅前は典型的な車だまりの広場を形成している。その真ん中に草木を植えた庭が‘ちょこん’と意外と堂々とした感じで佇み、大都会の真ん中とは思えない穏やかさが漂うロータリーである。それにしても外国人の姿が一切ない。それもそのはず、外国人はミャンマー人の10倍もする特別運賃が組まれていて、競合する長距離バスよりもはるかに高い設定となっているからだ。よって、よほど鉄道が好きではない限り、外国人旅行者がミャンマーの列車で長距離の旅をするなんてないであろう。

 因みに、ミャンマーの通貨はチャット(Kyat)。1ドル≒860チャット程度(2012年9月)が為替レートで、空港で換えることが出来る。空港のレートは悪くはなく、市内の闇レートでの交換はそれほどうまみはなくなったようにも感じる。

 お札は1、5、10、15、20、35、45、75、50、90、100、200、500、1,000、5,000,10,000、とあるらしいが、100以下はインフレのためほぼ存在価値なしでみる事はなかった。

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(ミャンマーの紙幣)

 外国人は、政府の運営するものや、宿の支払などは米ドル現金を要求され、両替も、ドルやユーロ、シンガポールドル以外はなかなか交換出来ない。因みに日本円は、不利ながらもヤンゴン市内の両替屋で換えることができるが、地方都市は難しい。

 100ドル換えると86000チャットに化けて出てくるわけだが、少し金持ちになった気がしても市内の物価はそう安くはない。宿代がヤンゴンの場合はだいたい13ドル程度、食事も3,000チャットが平均、タクシーも一回乗れば市内だけで最低2,000チャット、と、バンコクに比べてそんなに割安感は感じず、それでいてレストランや売られている物の品質は悪いので、物価安を目当てに来たらがっかりするかもしれない。もちろん、日本に比べれば格段に安いことは間違いないが。

 肝心の列車であるが、ヤンゴン−マンダレー間は、寝台だと33ドル、1等座席車30ドル、準一等が22ドル、一般座席車が11ドルとなっている。外国人は米ドル払いを必ず要求される。

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(ヤンゴン−マンダレー 鉄道切符)

 さあ、これから中部の都市、マンダレーへ列車で行こう。まずは切符だ。ミャンマーの長距離列車の切符の買い方はあほらしいほど面倒だ。まず、前売り券と当日券の売り場が異なる。前売り券は、駅南にある、鉄格子の窓口が並んでいるところで売られている。薄暗くて野良犬がたくさんタムロしている陰気な場所なのであまり行きたくはない。さらに前売り券は1日前から3日前までで、4日後以降の切符は買えない。電話も難しく、だから、忙しいあなたが、直接、人気のある寝台券など抑えるのはなかなか難しい。

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(離れにある切符売り場)

 さて、午後3時ころを過ぎると、中央駅構内は、ミャンマー各地へ走る長距離列車が続々と発車を迎え庶民の声に包まれ賑やかになる。私が目指すのは、中部にある第二の都市、マンダレーへ突っ走る5番列車だ。このヤンゴン(Yangon)−マンダレー(Mandalay)間は、日本で言う東海道線みたいなもので、全線複線化されている一大幹線といっていいだろう。

 マンダレーまで通しで走る列車は上下3本。622kmを約15〜16時間かけて走るのだが、近隣諸国の列車と比べてなかなか遅い。因みに、日本で同じような距離をディーゼル列車では、1980年(昭和55年)の函館〜幌延間の急行列車でみるとそれでも11時間だから、よほど遅いか分かる。

さあ、出発!

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続く
参考文献
※3)『CHINADAILY.com.cn』 http://www.chinadaily.com.cn/business/2012-02/16/content_14622694.htm
posted by kazunn2005 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行
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