2012年11月03日

感想 『二つの祖国で 日系陸軍情報部』

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  『二つの祖国で 日系陸軍情報部』米題 『MIS (Military Intelligence Service)』

 作品を観終わった時、MISのメンバーの素晴らしさに感嘆すると共に、思わず我が日本の情けなさを感じた。こう書くとネガティブに伝わるかもしれないが。

 この映画は、単なる証言集ではなく、映像や写真、そして資料を駆使して裏づけし、若干エピソードを添えながら日系人の目線で表現されており、それでも観るものを熱くさせる作品になっている。

 恥ずかしながら私は、ドキュメンタリー番組は観るけれど、ドキュメンタリー‘映画’という作品を、近年まで映画館で観た事はなかった。映画というのは、主人公がいて、物語があり、脚本・台詞があって、結末に期待を寄せる、そんな劇作品のことを指すのだと思っていた。やがて映画自体観ることが少なくなった。

 最後はアメリカ一番、のハリウッド映画に慣れるのも良い。しかし、そんなものばかりが映画ではなく、すずきじゅんいち監督の一連の日系人シリーズに出会ってからは、ドキュメンタリー映画の存在を意識し、イラン映画など違った角度での作品も面白いということに気付いた。その後、回数はまだまだ少ないながらも、映画館へ脚を向けるようになった。

 さて本編の感想である。

 最初に思ったことは、証言と同時並行で映される白黒の映像だ。これらは単なる参考資料ではなく、証言に沿った脈絡がある映像だった。例えば、MIS(米日系陸軍情報部)の兵士が、捕虜(日本兵)の尋問に際し、タバコを与えて相手の警戒を和らげる場面の話をする。その時、静かな笑みを浮かべてタバコを与えているその映像を添えるのである。

 証言を集めることも大変な作業だが、「よくこんな映像が残っているな、よく見つけてくるな、」とその収集能力のすごさに感嘆した。おそらくアメリカ側の映像だろうが、英米の『記録』に対する執念が伝わった。

 ところで、前作2作目と違い、本作は直接我が日本が関わってくる。そして、MISというのは情報部隊であるため、二作目の442の実戦部隊のような派手さが少ないかもしれないが、日本軍の兵士と直接関わる点でイメージがしやすい。

 しかし、敵である日本軍兵士をやっつける、とか、実戦での成果を強調するものでは決してなく、ハリウッド映画にあるような、アメリカは正義だ、何ていうプロパガンダの要素はない。その代わり、敵である祖国日本への愛情がいたるところで感じられ、私は正直ほっとした。

 むしろ、当時の日本軍の愚かさ・幼稚さに、分かっていたつもりでも改めて心底驚き、怒りさえ感じてしまう。諜報を軽視し、作戦が筒抜けで海と空で戦うなんて、兵士を捨て駒のように殺しにいくようなものである。

 MISの方々の素晴らしいところは、置かれた立場の悲劇性や優秀さを忘れさせてくれるほど、敵軍兵士に対する愛情を強く感じる点である。日本軍としては、彼らを敵として扱わなければならなかったことに不運が襲ったが、日本人としてはこれは真に幸運だったといえよう。

 顔や言葉が通じるだけでなく、精神や感覚が分かり合える人間性を持ちえた『帰米』部隊に捕虜の尋問を担当させたり、沖縄の地上戦で洞窟へ逃げ隠れている一般民の説得に起用するなど、アメリカ軍はソフトの面でも考え方が優れていた。

 沖縄戦の話しでも、たまたまMISのメンバーに説得されて命を拾った洞窟もあったが、では助からなかった洞窟はなぜ悲劇を迎えなかればいけなかったのか。コミュニケーションがある・ないで命が助かる運命の分かれ目はあまりにも辛い。沖縄戦のことは、戦後の教育で知っている‘つもり’になっていた私も改めて自分の無知を確認した。

 少しはずれるが、日本は沖縄(琉球)を併合し、地上戦で犠牲にし、そして今も米軍基地や不平等条約で沖縄に冷たい歴史を歩んできた。こんなことをし続けていると、本当に沖縄は独立するか、中国の属国になるぞ、という事が冗談話ではすまなくなるかもしれない。
 
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 そして戦争が終わった後のMISの活躍だ。

 白黒はっきりさせるアメリカ文化、対して玉虫色が大好きな日本文化。当然、占領政策にも文化や考え方が影響してくるが、どちらの精神性を兼ね備えているMISのメンバーはまさに戦後日本の占領政策の架け橋となった。

 サンフランシスコ講和条約までたった6年で占領が終わるなんて、ある意味奇跡だが、その背後にはMISの活躍があったから、と思うとは思い上がりであろうか。その後のベトナムやイラク、アフガニスタンの例でも分かるように、占領される側との間に立つ人間がいないとうまくいかないのではないか。

 一方、占領がうまくいったもう一つの要素は、我々日本人が持っていた性(さが)かもしれない。日系人は、明治生まれの1世に育てられ、日本人性というものを受け継いだ。日本人とは何か?と問われて私は即座に答えられない。なぜならば失っているからだ。なぜ失っているのか?それはアメリカ占領後に生まれた世代で多くのものを捨てたからだ。

 おそらく、それらは、宗教観であったり、年上の人を敬ったり、主人を尊敬し、弱者をいたわり・・・・つまり武士道と言われるものも入っていると思うが、MISの方々始め、日系人にはそれが残っている。我々本国の日本人が、逆に彼らから日本人とは何か?を学ぶしか日本人を理解できないのではないか、と思うのである。

 時が経つにすれ、人々の記憶から歴史は遠くなる。一方、外交文書の公表やいろいろな証拠が出てきたりして歴史がより鮮明になる側面もある。そして、時の経過は人の心もほぐし、体験者の重い証言が得られやすくなる。記録映画になるという事で、重い口を開けた方もいるだろう。

 印象に残ったのは、日本の精神を教えてもらった叔父に会いたかったけど、敵国であるアメリカに肉親を殺された叔父に会えなかったばかりか、何も伝えられなかった無念さをようやく吐露した方がいた。その思いは、まるで映画のスクリーンの向こうに現れるであろう我々日本人に向けた、最後の訴えに近いものを感じた。

 新しい事実が出たけれども、漫然と公表されては誰の関心も払われずに静かに埋もれる歴史もあれば、記録や証言を集めて学会やマスコミなどを通じて発信され、注目を集める歴史もある。アメリカの日系人の話は、今では多くの人々があの事実を知るようになったのだが、それは、コツコツと証言を集めて映画化した、すずきじゅんいち監督のおかげであろう。監督がもしこの映画を作らなかったのであれば、日系人の一連の話はこれほどまでに関心を集めなかった。

 私は、監督が第3作目の『MIS (Military Intelligence Service)』 の製作を始めた、と聞いた時、1作、2作目のような、豊富な証言が詰まった内容に仕上げられるのであろうか、と素人ながら心配した。なぜならば、今回の主役たちは、日系二世、三世たちよりもさらに年配で、90歳を超える方々が大変多い。しかし、監督はそんな困難を承知で手がけた。

 そして作品は完成し、封が切られた米国での反響を聞いていた私は最初に思った。『間に合ったんだ。』監督は歴史のギリギリのところでメガホンを取っていたのだ。

 そして今日、鑑賞する機会に恵まれた。作品は、ドキュメンタリーと記録映画作品として質の高い内容に仕上げられ、後世を生きる人間たちへ、遺産としての価値を十分手渡せる内容であった。
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posted by kazunn2005 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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