2011年10月26日

なぎさの中の孤島 (さめた国境の島 ) 与那国島〜

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前回は、与那国と台湾の交流の歴史について少し触れた。では、現代の与那国は台湾との交流はあるのか。

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 以下が、町’として公式に動いたその事業史である。

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 1982年:台湾・花蓮市※1.と姉妹都市締結.

 1990年:シンポジウム開催にあたって、フェリーよなぐにを花蓮市へ直行運行、与那国文化交流団が花蓮市を訪問.

 1992年:8月、与那国の児童・生徒による花蓮市ホームスティー事業が始まり、同10月、花蓮市より親善訪問団が来島.

 1995年:姉妹都市親善交流事業の一環、中国語講座が開講.
 
 1996年:花蓮市より知音合唱団が来島、歌や踊りの交流.

 1997年:姉妹都市15周年を記念して花蓮市側から与那国町訪問団144人が来島.

 2000年:花蓮〜与那国島親善ヨットレースが開催(2001年も開催)

 2002年:姉妹都市20周年記念、与那国側から訪問、一方、児童・生徒によるホームスティー事業が中断、2003年より中国語講座も中断.

2007年:花蓮市・与那国町姉妹都市締結25周年式典、事務所開設。与那国町長と蔡啓塔(ツァイチータ)花蓮市長が「両市町国境交流強化に関する協議書2007」に署名.

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(以上が与那国町勢要覧・第三次与那国町総合計画参照)

 2008年:7月4日だけ 台湾の復興航空による与那国―花蓮間初のチャーター便運航。同年、
運行計画にあった船での運行が中止に.

 2009年:数回だけ与那国―花蓮間にチャーター便. 同年12月22日、 与那国花蓮縣交流発展協会が設立(与那国側・野党系による)

 2010年: 社会実験実施として、台湾側からサトウキビ肥料を台湾航路を持つ大東海運産業(株)の貨物船を利用し輸入.

※1.花蓮市・・・与那国島の対岸にある台湾東部地域にある最大の都市で、鉄道が通る。人口約108,000人(市域2011年時)。山岳が海岸近くまで迫り、平地がわずかしかない。鉱山資源が豊富で大理石の産出などで有名。

 6.1996.8.11-19 台湾・台東〜蘇澳 (18).jpg
 (花蓮駅:1996年)
 
 いろいろとやってきているようだが、結論から先に書こう。

 はっきり言ってうまくいっていない。過去にこのような事があった。

 2008年に、与那国町が日本政府との『再生事業』の一環として与那国・花蓮間のチャーター船の運航が計画されていたが、突然、天候を理由とした運行中止が発表された。すでに申し込みが済んでいた段階(日本側からは53人、台湾側で約250人)での中止だったため、当然多くの批判が起こった。
 
 町によると、台湾の船会社側で役員や出資者に変動があり、会社側が花蓮市の関係者と面談して運航延期の方針を示した、というが、真の理由はよくは解らない。
 
 交流事業には相手もいる事なので、台湾側から観て与那国との交流にどれだけメリットがあるのか考えなくてはならない。金銭的に観ればそれほどメリットはないかもしれないが、台湾東部の人たちにとって『外国に行ける』という事だけでも大きな魅力らしい。現に、台湾領東部に浮かぶ小さな島に多くの観光客が訪れている。

 よって、観光事業として成り立つ可能性はおおいにある。さらに、台湾側の有力者や民間会社は、与那国を含めた交流事業に意外なほど前向きな事業者が多い、との事。しかしなぜ、30年も取り組んできた交流事業がなかなか実を結ばないのか。

 それは日本側の事情によるものが大きいと見る。

 少し難しい話になるが勘弁願いたい。まず、与那国に外国の船舶を入港させるためには、日本国の船舶法や関税法に基づいた『開港』をしなければいけない。外国航路が開かれるならば、そこに入管も税関も海上保安庁も置かなければいけないし、国境としての機能がなければいけない。

 開港するには、外航船の入船数、貨物取扱量、港湾設備の整備状況、必要官公署の設置などいろいろと厳しい条件があるため、当面『不開港』の港として、国の支援(補助金)による交流事業などで実績を積む努力がなされてきた。

 さらに、与那国島の中心町、祖内の港の整備を行い、2000トン級の船が接岸できるようにしてきた。よって、美しい砂浜があった祖内の港はコンクリートだらけの港と化してしまった。

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 (祖納のみなと)

 しかし、いつまでたっても開港が出来ない。台湾側も「いつになったら開港してくれるんだ」といらだつ。実は、日本側の開港の条件として、年間50隻、5000トン級バースを前提とする法律が壁となっていた。その後挑戦してみたところ、この壁のクリアは今の与那国の規模では到底無理だ、ということが実感として沸いてきたため、この厳しい開港条件を与那国には適用せず、査証(ビザ)を免除するなど特区扱いしてほしい、と町は長い間陳情してきた。

 税関の問題は財務省、直接航行の問題は国土交通省、査証は外務省と役所が分かれているのも問題であった。さらに、台湾は日本国政府が認めている正式な国家ではないため、事実上、交流は認めにくい流れが出来てしまった。

 また、与那国・祖内港の岸壁に欠陥が見つかり、石垣とを結んでいるフェリー(1482トン)ですら入港出来ていない。だからわざわざ遠回りして西の久部良港に入港しているわけだ。与那国町としては、このフェリーを台湾に乗り入れたいと願っているが、規制が邪魔して動けない。因みに、このフェリーは台湾・花蓮港へ『短国際航海(60海里)』として行った実績がある。

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 (フェリー‘よなぐに’)

 結局、そうこうしている間に島民の熱もさめ、行政もただただ補助金の消化に明け暮れる、そんな状況となり、そんな町の現状を国は見透かしてしまったために、未だに特区には至っていない。

 与那国島は、国境の島ということを逆手にとり、国境を開いて夢を抱いてきた。与那国島だけをゾーン指定の免税特区、査証免除となれば台湾からいくらかの観光客が島に立ち寄り、物産展が賑わい雇用が増え、逆に島の人は、石垣よりも近い台湾へ買い物に出かけたり、もしかしたら病院にも苦労せずいけるかもしれない。

 また、沖縄(琉球)を中心にして地図を眺めれば、台湾を飛び越えてフィリピンや大陸、香港などが日本本土とさほど変わらない距離に位置し、与那国がその玄関口になりうる。人だけでなく物資の中継点として期待できる・・・。そんな可能性も頭をよぎっていた。

 「戦前のあのころがもう一度よみがえる」

 しかし、現実は厳しすぎた。交流が発展するどころか逆に衰退し、2008年、八重山地方と台湾とを結んでいた唯一の旅客フェリーが、経営難のため廃止になった。こうして人々は、はるばる那覇を経由するしか台湾に行けない状況となってしまった。遠い北海道や東京にはたくさんの台湾人観光客が訪れ、沖縄本島でも年間10万人が訪れているにもかかわらず、与那国はゼロ。おかしな状況だ。

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 (台湾行きの船から眺める与那国:1996年)

 国の補助金を食いつぶすだけの事業になり下がり、島は相変わらず人口が減ってゆく。国から見離され、もう島の人たちは台湾に期待しなくなった。

 こうした中、最後の活路として見出されたのが、自衛隊だった。


 次は、島を揺るがす自衛隊問題

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(写真はすべて筆者撮影)
posted by kazunn2005 at 00:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅行
この記事へのコメント
ホンマにアホな国やなー!建前を崩さないのも官僚のやり方!TPPよりももっと効果あるんやないか!この国の行末は絶望メルトダウン開始じゃー
Posted by 帝国大提督大大将 at 2011年12月31日 20:48
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