2012年12月18日

天空の軌道 (最後のフロンティア 11 ミャンマー編)

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 ミャンマー北部のこの地では、中国とのいざこざが近年になって急増してきました。どこの民族も、あの国家へ抱く感情は同じのようです。では、最終段階になった紀行話に・・・

(10からの続き・・・そして ナウンペンから約1時間、今日のスーパーカット、ゴッティー橋(Gokteik Viaduct)が眼の前に現れる。)

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(ラーショ線地図)

 巨龍の鉄骨が天を架けるゴッティー橋(Gokteik Viaduct)は、この鉄道旅の最大のターゲットでもあり、見せ場である。またあの谷が目の前に迫ってきたわけだ。

 思い出せば、車の道路旅で散々苦しんだ大崖のような谷は、紙に描かれる地震波のようなつづら折りで克服した。その谷が今度は今ゆくレールの先でまた迫ってくるのだが、道路橋の川幅よりもずっと広く、そして渓谷が峡谷になっている。列車は車よりも勾配に弱い。小回りが利かないためどうやってあの谷を越えるのであろうか。

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(一瞬姿を現したゴッティー橋の遠景)

 進行方向左手に、草陰の向こうにチラッと巨橋が一瞬姿を現した。そう、どうやら一挙に橋でぶち抜けるようだ。橋が観えたかと思うと、また草むらにもぐり、眼下にループの軌道を一瞬見つけては、急坂を斜め降りて蚊取り線香の形ように線形をクネクネ辿りながらトンネルを交えておりてゆく。

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(ゴッティー橋手前のループ状の線形)

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(橋が現れるのを待つ少女)

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(トンネルを出ると・・・)

 そしてもうこれ以上は無理!というところでそあのゴッティー橋が登場する。日本の餘部鉄橋を‘さらに倍’にした感じの大橋梁が、グランドキャニオンのような大峡谷をドーンと跨いでいるのだ。

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(ゴッティー橋(Gokteik Viaduct))

 この大鉄橋は、当時の支配国、イギリスが1901年に建設した(工期は9ヶ月間)。施工はアメリカの会社、『Pennsylvania and Maryland Bridge Construction社』が建設し、鉄はアメリカはペンシルバニア鉄工所から調達した。開業時は、当時の大英帝国の領土の中で最も高さが高い橋だった。その後、1950年に補修されたが、1990年に時のビルマ政府によって第二次補修工事が施され、とりあえず、放棄する意思はない姿勢を示している。橋の全長は689m、一番深い水の流れまでは高さ102m、14の橋脚塔に1つの二重塔を含めた橋梁からなる。そして当時のお金で約113,200英ポンドかかった※6)。

 イギリスは同じころ、スコットランドにも鉄骨製の大橋脚, フォースブリッジ(Forth Bridge)を建設しており、当時の大英帝国の国力をうかがえさせる。芸術として、そして歴史遺産としても貴重な存在だが、建設後この橋は、中国国民党軍を背後から助けた実用的な実績もある。1930年代後半、ラングーン(ヤンゴン)港に荷揚げした物資を重慶の蒋介石支援の為に輸送した際に威力を発揮した。

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(イギリス フォースブリッジ[2002年筆者撮影])

 そんな歴史は遠に忘れたの如く、ローカルな列車は、まるで歓喜する乗客たちにしばしの空中散歩を体験させてあげようとあえてゆっくり、ゆっくりと歩くような速さで惰走しているかのようで、とびっきりのエンターテインメントをいただいた感じである。思い起こせばここも写真撮影禁止と聞いていた。しかし、目の前の旅行者は堂々とフラッシュを焚いており、改革解放によって昔のような厳しいものはなくなった証かもしれない。

 
 (動画6:ゴッティー橋)

 橋を渡り終えるとソロリソロリと ゴッティ駅(Gokteik)に到着する。

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(ゴッティ駅(Gokteik)に到着)

 因みに、マンダレー方向からやってきてこの駅で降り、橋脚を渡って次の駅まで歩いたところで、逆からの列車がやって来るタイミングもありなので、そうした日帰りスケジュールも組めてしまう。

 その後列車は、再び峡谷を登る坂道をくねり登り、振り返ると、はるか後方にさがったゴッティー橋の最後の遠景が小さく、小さくなってゆく。

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(最後のゴッティー橋の遠景)

 さて、台地に到達したあたりでナウンショー(Nawnghkio)に停車。すると、ここで思いもしなかった、貨物列車との行き違いと出会う。見捨てられているかと思っていたこの鉄路であったが、貨物輸送の担い手としてまだ活躍していており、そんな貨車の汽笛を聴けるとは実に嬉しいものである。

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(出会ってしまった貨物列車)

 この駅でしばし賑わいを感じていればすぐに発車時間となって、列車は再び西を目指し始める。こうして一連のハイライトが終わったからであろうか、車内には倦怠感が漂い始める。

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(小さな駅での出会いと別れ)

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(蒸気機関車時代の名残り)

 徐々に木々の高さが低くなり、気温も少しながら涼しくなってくると高原地帯に入ってゆく。‘軽井沢ゾーン’に入ってきたようだ。

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(高原地帯をゆく列車)

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(焼き畑農業の火・・・)

 突如、雲行きが怪しくなり、進行方向がかなり視界が悪いゾーンが出現。間違いなく雨が降っていると察知し、急いで窓を閉めれば案の定、土砂降りが雨戸を叩く。

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(突然の土砂降り)

 そんな土砂降りの中、列車は17:10、ゴッティー橋から55km、定刻より約1時間強遅れて高原の町、ピン・ウールィン(Pyin U Lwin)に到着する。ビシャビシャになったおんぼろ客車だが、深刻なトラブルもなく何とか140キロを走りぬいたのであった。

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(ピン・ウールィン(Pyin U Lwin)駅到着、標高はフィート標記だ)

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(高原の町の名物、イギリス馬車)

 時刻表通りだと列車は17:40に発車する予定だが、駅員に聞くと、あと数十分は発車しない、との事。そうすると、マンダレー到着が午前0時を過ぎる可能性もあり、それは実に困る。なぜならば、宿の確保に問題が生じるからだ。楽しみにしていたこの先のスイッチバックは闇の中で観えないだろうし、私は断腸の思いでマンダレーまでの汽車旅を断念し、ここからピックアップバスでマンダレーに向かうのであった。

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(ピン・ウールィン駅舎)

(次回は最終回&あとがき)

※1) 『by : E conomic & World Urbanization Prospects The 2007 Revision』
※2) 『戦史叢書 シッタン・明号作戦』, pp.501-502。厚生省援護局1952年調べ。陸軍のみであり、航空部隊は含まない。
※3)『メコン圏を題材とする 書籍』 http://www.mekong.ne.jp/books/nonfiction/020801.htm
※4)『Burma Lifeline 』 http://www.burmalifeline.org/projects/bll_twilight_over_burma.shtml
※5)『シャン州を訪ねる』 http://www51.tok2.com/home/cafemondiale/nss1.htm
※6)『Woodford Station Master's house.』 http://www.transportarchive.org.uk/getobject.php?rnum=L1335&searchitem=&mtv=&pnum=
※6)『Welcome to HighestBridges.com 』 http://highestbridges.com/wiki/index.php?title=Gokteik_Viaduct
James Waite, "The Burma Mines Railway, Namtu"

その他:

http://www.news24.jp/articles/2012/04/11/10203633.html

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posted by kazunn2005 at 23:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅行