2012年12月06日

シャン族の駅長 (最後のフロンティア 9 ミャンマー編)

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● シャン族の駅長
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(シポー駅)

 かつて明治や昭和の時代、駅長といえば、郵便局長や校長、警察署長と並んで地元の名士の一つとして社会的地位が高かった。それは、あらゆる交通機関の中で鉄道はすべての交通の基本だったからである。

 日本の鉄道はイギリスをお手本としたものであり、‘駅長が偉い’という概念はおそらく本家英国からであったかもしれない。調べてみると、イギリスの駅長もけっこう社会的地位が高く、なぜなら、駅長(Station Master)はVIPや外国の首脳をお迎えする大役を仰せつかっていたため、まあそれなりの風格が必要だったからであろう。その名残の香がまだインドやエジプトなど旧大英帝国域内では残っていて、ミャンマーもその一つであろう。

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(シポー駅時刻表)

 この山村、シポー(Hsipaw)のやや町外れに、ホームが一本延びるひなびた情をかもし出す小さな鉄道駅が、炎天下をさえぎる木陰の林の下で静かに息づいている。この木陰の下が賑わうのは、一日の中で午前と午後の二回だけ。それもほんの一瞬だが、そのひと時こそが、この駅の威厳を保たせているのである。

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(シポー駅の玄関)

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(昼下がりのシポーの駅)

 陽火が下る午後の昼下がり、今日の野良犬が見回りに来る頃、牛たちと一緒に明日の切符を買いに駅の玄関口に立つ。影に暗い駅舎の中に入ると、一人、すべてにやる気を無くしている若い駅助役が電話交換機を暇つぶしにいじくっている光景がポツンと流れているだけで、私は物珍しそうな顔つきでその助役の顔を覗き込みながら尋ねる。

「おい、駅長はいるか?」

 彼は遠い目つきで私を眺めると、

「しらねーよ。さっきまで居たけどな。どーせ離れの小屋にでも行ってテレビでも観てるんだろ」

「切符を買いたいんだ。売ってくれ」

「ああ?、外国人に切符を売るのは駅長しかできねーんだ。しょうがないな。呼んで来るよ」

そう言い放ち、青年が駅長を呼びに向かったはいいが、牛が構内の草をすべて食べ終わるのではないか、と思うほどずいぶんと砂時計が零れ落ちた頃、デカパンとランニングの姿でコミカルな威厳と共に駅長がやっと登城(場)する。何なんだ、この倦怠感は!?

 どうやらこの駅は、駅長の住居も兼ねている様で、手下の駅員たちはこの駅長に雇われているようだ。この構図は宗主国大英帝国の鉄道文化の名残であろう。※6)

 駅員たちが腫れ物を触るように駅長に接している光景を観ていると、この駅長は確かに町の名士っぽいオーラーを感じてしまう。しかし、それと仕事ぶりとは別の話だ。たかがカーボン紙を下敷きにして手書きの切符を書き上げるのに遥かなる時間が流れ、その間、訪れる町人ヅラの男とくっちゃべり、ニワトリに餌をやり、可愛い孫娘を相手にお散歩ごっこを繰り広げたりと、まさにわが道を行き続ける駅長。目の前の日本人は少〜しイライラしつつも、この男を怒らせては切符は買えない、と言い聞かせ、う〜ん、駅長とは実に偉いお方なのだ、と痛感してしまう。

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(駅長)

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(元気な駅長の孫娘たち)

「明日の朝10時ころに列車は来るので、30分前くらいには来なさい!」
とグチャグチャな英語で‘命令’する駅長だが、孫娘が真横にいるためか、その表情はゆがんでいて柔らかそうだ。この男に明日の午前、また世話にななるとは、やれやれ・・・。

● 第132列車

 午前10時ころ、プラットホームの上はもう、列車を迎え撃つ準備が整っていて、すでに乗客たちで賑わっている。

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(列車を待つシポーの人たち)

 やがて北東のラーショ方面から、川を渡ったあたりだろうか、かすかに鳴り響いたの機関車のタイフォンに気づくと、それまで退屈な線路風景が一変して豪快な大列車が‘ゴゴゴ〜’と現れる。マンダレー行き第132列車だ。


(動画1:第132列車入線)

 さあ、一挙に忙しくなる。他の外国人旅行者が切符を買い求めるべく駅長に擦り寄るが、爺さん駅長は部下とペチャクチャしゃべりながら手は動かず足も動かず、なかなか切符を発行してくれない。切符の運賃は外国人1人3ドルだ。
「1ドル札3枚分の紙幣番号を書かなければいけないんだよ。悪いけど、この1ドル札5枚を渡すから、5ドル札一枚にしてくれない?」

何で俺が?もう、実にめんどくさいシステムである。

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(列車の時間だけ大忙し?の駅長)

 列車が到着したプラットホームでは、果物や地元料理を頭に担いだ売り子たちの群れが一斉に列車になだれ込み、乗客たちに必死のアピール合戦を繰り広げる。そのほとんどが女たちであり、男はあまり見当たらない。ミャンマーの女たちは働き者で、かつ、強い。因みに、スイカの4分の一の切り分けで200チャット(約20円)である。

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(スイカ売りの少女)

 時刻表上の発車だと9:40だが、時計はもう10時半を回ろうとしている。先頭の機関車の方を眺めると、機関士や駅員たちが集まっては何やら機関車の床下でモグモグ作業をしている。どうやら機関車の調子が悪いようだ。別の機関士がエンジンオイルみたいなものを駅から取り寄せて、バーを持ってまた床下に入る。

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(第135列車の機関車)

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(なかなかエンジンがかからない機関車)

 そんなこんなで30分ほど格闘した末、ようやくエンジンが入り、長声一発出発進行!。

 世話なったシポーの駅が後ろに流れ、列車は草蒸した本線に掻き分けるように進軍を始め、横切る踏切りで列車の威厳を大いに放つ。援蒋ルート街道の車たちもこの時ばかりは踏み切りで立ち往生しなければいけない。
「列車様のお通りだ!」


(動画2:シポー駅を発車し、援蒋道路を横切る)

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(列車のために渋滞する援蒋道路)

(10へ続く・・・)

 ※6)『Woodford Station Master's house.』 http://www.transportarchive.org.uk/getobject.php?rnum=L1335&searchitem=&mtv=&pnum=

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posted by kazunn2005 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行