2012年09月16日

2.泰麺世界の旅

2. バンコク通信難民

思えば、論文やレポートをせっせと書き上げている頃の暑い最中でした。それは8月の終わり、そろそろタイへの旅を画策し始めたころ、集中力を割いてはチャットやメールの返事に精を出している自分の姿がありました。

もはやバンコクで観光などいまさらしても仕方がない私は、インターネットでタイの友人作りに精を出し、何とか知り合った3人のタイ人の友人たちとコミュニケーションを取ることに成功しました。お互い英語が出来るので話が滑らかに進んでいきます。

印象としては、タイ人はどうやら日本が大好きな人が多いようです。AKBやジャニーズの嵐、そして原宿やシブヤにあこがれている子が多く、日本へ旅行に行きたくてしょうがない感じが伝わってきます。そんなに良いかな〜、日本?、いろいろやり取りしていると、先方の対日観が徐々にわかってきます。さあ、次は出会いの日への手続きにワンステップ進みます。

と、いうことで、今回の旅の前半は『タイ人の友人たちと一緒に遊んで交流を深めよう〜』、というのが今回のスタンスとなりました。

さあ、タイ入国の日を迎えます。
Copy (2) of P9131018.JPG

ところで、5年前と大きく異なる点として、通信事情があります。
私が汽笛街道のユーラシア一周をした際の2000年一桁時代は、インターネットを通じて電子メールで本国の友人たちとやり取りする事がとっても画期的な瞬間でした。その後、街中にインターネットカフェがポンポンと芽が生えてはあっという間に雑草のごとく乱立したのを覚えています。

そして、ニホンゴも打てる端末も豊富にお目にかかれるようになり、旅をしながら随時外の世界と交信することが普通になりました。

ところが、今回バンコク中心部のスクンビット通りを歩いてみると、すっかりインターネットカフェが少なくなっている事に気づきます。あるのは旅行者が溢れる観光客相手の歓楽街や宿屋街くらいです。

なぜならば、タイにおける携帯電話の普及率が関係しているからでした。いまやパソコンから携帯、そして個人が普通に一人一台携帯とパソコンを持つ時代となったバンコク市民。当然、それまでのお客だった『携帯・パソコンを持たない通信難民』が少なくなったからです。

今回の私のバンコクの旅は、この通信事情との戦いから幕を開けました。
日本から持ってきたスマートフォンは、特別なバカ高い料金を払わない限り使い物になりません。唯一、WI-FIが使えるところに逃げ込んではニッポンスマフォでいちいち文字で返信したりするのは難儀なことこのうえない。

電話も、ストリートの公衆電話の多くはぶち壊されているものばかり。
コインを入れても通話はできないどころか、コインが戻ってこない可能性もあるシロモノに頭を抱えて、土砂降りの下、「こんなの我慢できない!」と叫ぶ始末。

そこで、ついにやってしまいました。それは、当地バンコクの携帯電話を手に入れたのです。

携帯代が800B、SIMカードが200B、その他100、飾り物100Bで、計1200B(約3100円)です。市内約60分間通話可能で、これが高いかどうかはその後の費用対効果で検証しなければなりません。全部タイ語で何がなんだかわからずかなり苦労しましたが。。。
P9151061.JPG
P9151063.JPG
(みんなタイ語、英語すらありません)

P9161095.JPG
(`左〜がサムスン製のバンコク用携帯電話)

さあ、友人に電話をします。
「ハーイ、カズンだよ!」
「カズン?ホントニ カズン ナノ?電話、テニイレタノ?」
「うん、君とお話したいために」
「アリガトウ。デモ キョウハ イソガシイカラ ゲツヨウビ 二 アイマセンカ?」
「オブ コース!」
P9151075.JPG

てな具合で、今まで文字でタラタラやり合っていたのが一瞬で会話が成立。これほど電話のありがたさを身にしみたことはないです。日本の携帯電話は、いったん外に出てしまうとなかなか使えない、使えたとしても莫大な金額がかかるため、あっという間に通信難民になります。
中国や韓国の携帯は問題ないのに、日本という国の特殊な異様さを感じます。

バンコクは今日も重そうな空です。雨季のため、カラッと晴れる瞬間はなかなかやってこず、いつも上を眺めては、滴の嵐が落ちてこないか心配しながら歩いています。すると、‘どおお〜!`と言いながらあまりにも激しいぶっ太い雨がたたきつけてきます。

5年前と今と比べて、私が感じるバンコクとはそんなに変わっていません。ただ、食料品や遊びの物価がけっこう上げっていることと、公共交通網がかな整ってきた感じがします。

今、バンコク中心部には、MRTという日本の経済援助で建設された地下鉄と、高架式鉄道・BTS、そして空港連絡鉄道(Suvarnnabhumi Aieport Rail Link)があります。道路渋滞は相変わらずなのでとても重宝します。
P9141044.JPG
(地下鉄MRT)

P9151066.JPG
P9151056.JPG
(高架式鉄道BTS)
地下鉄とBTSは5年前と比べてかなり路線長が長くなりましたし、朝・夕の通勤時間帯は以前よりも増して混雑が激しくなった感があります。

Copy of P9141047.JPG
(混雑する車内)

P9151054.JPG
P9151055.JPG
(道路渋滞とBTS)
一方、前回、空港からのエアポートリンク(空港連絡鉄道)に触れた際、今までの国鉄在来線の様子を書きましたが、写真で観るとこんな感じで相変わらずです。
Copy (2) of P9131031.JPG
Copy (2) of P9131033.JPG

しばらくしたらタイ国鉄にも乗ると思いますので、そのときに詳しく書きます。ちなみにこのような鉄道式の交通機関は本当にバンコク中心部だけで、ちょっと郊外に行くにはまだまだバスかタクシーしかありません。

次回は、タイの友人たちとの語らいや、夜の部を書くつもりですので、夜の部においては切り離してご報告申し上げ奉ります。
P9151057.JPG
posted by kazunn2005 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

1.ぶらり思いつき泰麺世界の旅

ぶらり思いつき泰麺世界の旅

1.現実逃避

ここには蝉はいません。まったくいません。聞こえるのは道路の喧騒と人々の小さなささやきの塊しか聞こえてきません。しかしどうも日本の延長線のようにしか感じられないのです。

成田を離陸し、5年ぶりとなる国外脱出にもかかわらず、心は他に向いていたような覚えがあります。5年も空いたのにちっともわくわく感やドキドキがないのが意外な感じがしました。

となりの座席の人が、食い入るように到着先のガイドブックを凝視して、「あれが不安だ」「これが不安だ」というような面持ちでいるのを、私がそこに横槍をいれて、その街の過ごし方、などをアドバイスをしている自分がとっても嫌な感じでした。

今、私はタイ王国の首都・バンコクにいます。東京から片道総額14200円。つい、画面のクリックを押してしまい、航空券を買ってしまったのが運の尽きでした。

バンコクに着いたのは、当地時間午後3時半。6時間のフライトでした。‘Aiecraftを降りるとそこは広大な空港敷地の端っこに追いやられていて、そこから入国審査、Baggage Claim`を経てついに入国!

昔はドンムアン空港というやや汚い空港だったけど、顔を覆い尽くす、あの「ムワっ」という熱気がバンコク歓迎光臨の鳴らし合図だったのだけど、今の空港は近代的過ぎてそんなものはありません。その代わり、「クロッサーン〜」から始まるタイ独特の案内放送を聞いたらたちまち元気が出てきました。
Copy (2) of P9131018.JPG

5年前と大きく異なるのは、空港から市内に伸びる新しい鉄道、エアポートリンクが走っていることです。片道90バーツ(約230円)、以前はタクシーで渋滞に巻き込まれながら向かっていたのを思い出すと便利さが一気に増しました。これならボッタクラレなくてもすみますね。
Copy (2) of P9131027.JPG

実はこの鉄道、タイ国鉄が運行しているのですが、財政火の車の路線でして、新幹線かと思うほどの立派な設備とターミナルを造ったのはいいのですが、お客さんがぜんぜんいません。私が乗ったときも1両に5人ほどしかいませんでした。こんな豪勢な造りで開業したのに、下に並行して走る国鉄の在来線はちっとも手を施していないようで、昔ながらの小汚いヨレヨレ線路が大渋滞の踏み切りのでかみ殺されているのが観えてきます。
Copy of P9131033.JPG

まあ、なんだかんだ言って今は喧騒の街バンコクでひっそり生きています。ただ、意外とやることが多くてのんびりしていません。今日はとある国の大使館に朝早くから行ってビザ申請の戦いをしてきましたし。

この事は後ほど書きます。さあ、旅が始まりました。

つづく。
Copy (2) of P9131022.JPG
Copy (2) of P9131023.JPG
posted by kazunn2005 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2012年09月13日

冷たい残暑

冷たい残暑

蝉がシクシク泣いています。

最近の夏は後にずれているような気がして、夏が好きな私にとっては、9月こそベストな夕暮れ時の夏休みと感じてます。

先般、わが恩師である生徒時代の先生が亡くなりました。享年75、ちょっと早すぎるんじゃないの?と、冷たくなった頭を触りながら思わず口に出してしまう。あまりにも静かな表情をし、それでいて厳しくこちらを今にも叱りそうな、そんなお顔を奏でていました。

恩師は、私が小学生のころ、小学校2年生だったけな、当時は近所に餓鬼ンちょたちがいっぱいいて、誰かしら習い事をしていた。特にそろばん教室は絶大の人気で、いつも教室に行けば、仲間が必ず何人かいました。

そんなごく普通の小学生の一人であった私が、恩師に見初められてそろばんの道をひた走り、中学の段階で1級を取得しました。そのころになると同級生たちは高校入試のために学習塾に通う子がほとんどになり、中学生になってまでそろばんをやっている子はごく少数でした。

それでも私はやめず、いや、そろばんが好きだったのかもそれない。本人にはその自覚はなかったのですが、恩師の叱る言葉が実に心地よかったのかもしれません。

そして、ついに運命は高校に移ります。
「おまえ、行きたい高校はあるのか?」
「市立か津久井浜高とかになるかも」
「だったら商業来い」

その言葉で私の高校生活が確定いたしました。無事入学を果たし、ふたを開けてみると、そろばん教室の恩師が今度は担任になるじゃありませんか。実に複雑な心境であり、そのような経緯があろうとは周りは知るはずもなく、私もあえて黙っていました。

所属した部活も珠算部。珠算の競技大会では、市レベルではもちをん一位でしたが、恩師は目にも留まってくれません。恩師の目指す先は全国大会でした。

そして私が3年生の時、そして珠算部の部長として、ついに神奈川県代表の一員として全国大会に行けたのでした。その年の大会は岐阜市で行われ、恩師はその岐阜までの鉄道に乗ることも楽しんでいました。つまり鉄道好きでした。

そんな縁もあって、北海道での競技大会では、終わった後に稚内行きの夜行列車に乗り込んでは北に向かっていました。翌朝、8月だというのに15度しかない車内で震えていた恩師に長袖のシャツを着せたのはいい思い出でした。

時が過ぎ、最後にお会いしたのは今年の7月。お見舞いのために病室をノックする前に、足音で解ったのですかね、「おい、ノムラ!」と叫んだのです。さらに、「おまえは結婚もせず、いいかげんしっかりせい!」とお叱りの言葉をいただいたときには、内心、「あ、大丈夫そうだな」と確信したのですが・・・

去る9月7日、恩師は突然、そしてあっという間に我々から離れて逝ってしまました。報を聞いた瞬間、悲しみよりも、大きな、大きな後悔だけが残ってしまいました。

恩師の最後の私への指示は、英語の教員免許を取れ!でした。現在、学生をしているのもそのためです。しかし、間に合わなかったのが悔しい限りです。

今年に入って、悲しみばかりが重なり、自分もなかなか元気がでていない、と悟るようになりました。少し区切りをつけるために、ちょっと旅に出てきます。もちろん、天国の恩師には内緒で。また怒られるかな。

「目覚めが遅い!」

1..1993.8月上旬 植田先生・礼文島〜 (3).jpg
posted by kazunn2005 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行