2011年11月28日

今宵のフォト (ルーマニア)

今日の一枚 + 一枚、こよいはルーマニアです。

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 ルーマニア中部、ブラショフで出会ったルーマニア正教の結婚式です。見ず知らずの東洋人を、快く式に招いてくれて、おまけに写真まで撮らせてくれました。この写真を彼らに渡したいのですが、郵便は戻ってしまいました。その住所録も、今は定かではありません。

 ルーマニアはヨーロッパ圏でとても貧しい国の一つ。周りがスラヴの国々に囲まれている中、ピョコンと位置し、南欧の気質溢れるラテン系のおおらかさと適当さ、そして人懐っこさが旅人を出迎えてくれます。

 下の写真のように、駅構内で子どもたちがフッボール(サッカ)をしていても誰も文句はいいません。

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 もう一つの写真は、

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 ルーマニア国鉄の車掌さんです。眼がりりしいですね。

 鉄道員はきっちり仕事をしてます。ルーマニア国鉄の車掌さんはとても給料が安く、中にはタバコをくれ、とかいろいろとねだってきますが、物を取るようなまねはしないと思います(どこかの旧社会主義国の汽車屋とは違います)。

 またルーマニアの写真をアップしようと思います。どこかに行きたいなぁ〜。


 さて、うちのクロが動物医療のフォトコンテストに載りましたので、ご報告申し上げます。

 エントリーNo.227です。一応、カルテ名(本名)で載せています。

http://www.animalabo.com/gochouju/all_entries/index.php?t=2&p=3


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2011年11月21日

今日の一枚+一枚(クロアチア)

 クロアチアでのショットです。

 11 ザグレブトラム 親子(2003年5月)1600画素.jpg

 欧州の、地下鉄がない10万人以上クラスの都市や町の多くで、トラム(路面電車)が街を貫いています。西ヨーロッパや北欧はピカピカの電車ですが、東ヨーロッパに行くと、年季が入った車輌がウンウンうなりながら通りを引きずっています。

 旧ユーゴスラビアの国々は、どちらかというと東側にあたるのでしょうか。そんなイメージで行くと、ルーマニアやブルガリアなどと比較して、洗練された感じの町並みや人々の暮らしぶりが目に入ります。一応、昔のユーゴ連邦というのは、ソ連系の社会主義と一線を引き、独自の路線を突き進んだので、けっこうインフラがしっかりしています。それが、90年代の戦争でメチャクチャになったのが残念です。

 写真はクロアチア共和国の首都、ザグレブで撮った瞬間です。街から北外れの終着停留所で、運転手がのんびりと折り返しまで休憩をしている間に、親子がノッシノッシと電車に向かって線路上を歩いています。日が傾く夕方の西陽に照らされる頃、友人の家からの帰りなのか、それとも、これから街へ繰り出して、夜のディナーにも行くのでしょうか。

 今日はもう一枚アップします。

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 クロアチアのザグレブからスプリト(Split)という海辺の町までの長距離列車からのワンシーンです。これも夕方の西陽にやや強烈に車体を射している最中、雄大な峠道を疾駆しています。

 この辺はダルマチア地方と呼びます。ザグレブなどがある、旧オーストリア・ハンガリー領と違い、海岸地方などは旧ベネチア領でしたので文化が違います。線路は海岸沿いには決して引かれていないのですが、いくつかの峠を越える際に車窓に浮かぶその大地は余りにも雄大で、私個人としては、ヨーロッパの鉄道の中で指折りの車窓の景色だと感じております。

 静かな山のふもとに向けて、列車の奏でる擬音だけが孤高に放たれていました。

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2011年11月13日

今日の一枚(ドイツ)

 今日の一枚(ドイツ)

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 ヨーロッパの車掌さんは、あまり車掌室に閉じこもらず、客席でいつも忙しそうに駆けずり回ってます。ドアの開閉も中間扉で操作していました。

 ガラガラの時は、乗客とだべっていたり、すごいのは、ドカっと寝そべっていたりもします。そんな、規則規則でがんじがらめではない社会もいいな、と思った次第です。
 
 (写真:ドイツ連邦共和国・レゲンスブルク中央駅にて 2002年)

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2011年11月10日

今日の一枚(ジャイアンツ・コーズウェー)


北アイルランド(ウルスター・UK領)のジャイアンツ・コーズウェー(Giant's Causeway)の五角形の岩です。

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火山活動で現れた石柱群の一部。溶岩が海に流れ、チョーク状の地層に入ったものが急速に冷やされて収縮した結果だそう。

これにまつわる伝説もあり、近くのビジターセンターで案内されています。

アイルランド北部というと、カトリック勢力と英国国教会勢力とで長い間争いが続き、治安が良くないのではないか、と思いましたが、普通の観光客という立場であれば問題ありません。アイルランド共和国側からでも普通に行けます。

スコットランド側から船で渡る方法もありです。


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2011年11月07日

いのちの価値差

殺処分のガス室生き残った犬、“2度目のチャンス”に引き取り希望殺到。
http://www.narinari.com/Nd/20111116676.html

注目される固体だけ引き取り手あまた・・・ってもうやめてほしいなぁ〜。

うちのクロは迷い猫だったけど、もし猫をまた飼うとすれば、愛護団体などで里親探しているのが沢山あるし、保健所行けば可愛いのが沢山いるので、そこから引きとります。きちんと予防注射もしてくれるよ。

でも、結局、人々はペットショップに行ってしまうんだよね。ブランド感覚がどこかあるような気もするし。それがまた、動物マーケットの維持に繋がるんだよね。ペット業界なんて、ひどいよ。店先で売られているのはまだいいほう。私たちが知らない、裏では、とってもヒサンな目にあっている固体が沢山居る事を知ってます。かといって、あるペットショップがつぶれたら、悲劇が待っている固体も沢山いる。

そういえば、イギリスではペットショップを見掛けなかったな。保護センターに一回だけ行ったことがあるけど、ここで里親探しや、ノラで連れてこられた個体を世話していたけど、どうしても殺処分になる固体はあるらしい。でも、日本の10分の一程度の数。

確かに、保健所の固体は人間慣れしていないものも多く、扱いづらい子もいるし、里親の出現を待ちわびている子もいるし、いろいろ。でも、そこから命を感じるのではないかな。命に値段?人間って本当に罪な生き物だと思う。

日本の動物愛護の感覚なんて、この20年、あまり進歩していない。

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2011年11月06日

ギリシャの生き様

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 ギリシャ

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 テッサロニキ(サロニカ)からアテネに向かう列車に乗っていると、綿花やオリーブの畑とよく出会う。それに対し、木々の気配がほとんどない、貧弱で乾いた大地が延々と広がるのもギリシャの車窓だ。これこそ、ギリシャの辛さを表した一面かもしれない。

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 ギリシャは地中海性気候という、あまり雨が降らない温暖な気候と、石灰がむき出し、土がない大地のため土地はやせ、牧畜や穀物が出来ない。そのため、ギリシャはオリーブやオレンジなどのかんきつ類、そして綿花などを生産し、穀物を輸入してきた。土地が貧しいという点ではアイルランドも似ていて、どうも近年の経済危機にこの両小国が関わっているのは偶然ではない気もする。

 7.テッサロニキ−アテネ広軌線5 車窓.jpg

 そんな農業が振るわないギリシャは、古代から近代にかけて地中海をまたにかけた海運業を興し、農業では足りないものを補ってきた。オナシス家などの有名な海運王がギリシャにあり、船舶保有量は世界第四位らしいが、近年、ギリシャ人船主はさらに税金が安い安いパナマやリベリアに籍を移し、船員もトルコやフィリピン、インド人にとって代わってしまわれ、主な収入源ではなくなってしまった。

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 ● 歴史のあらすじ

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 そんなギリシャは、歴史的には華やかな一面があった。まずヨーロッパ史をやった方ならご存知な、東・西ローマ帝国における‘東’側はギリシャの帝国とみなされている。それは、古代ギリシャ文明と共にギリシャ人の大きなプライドの糧である。

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 因みに、現代ギリシャ人は、古代ギリシャ人のルーツを受けず、どちらかといえばスラヴ系である。さて、その東ローマ(ビザンチン帝国)とは、西(カトリック)と相対する正教会の盟主でり、西欧でも東ローマの皇帝を『ギリシアの皇帝』とも呼んだほど、支配層はギリシャ人によって固められ、古代ギリシャの伝統を受け継いだ。

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 それが今のギリシャ人のプライドの大きさに関係しているかもしれない。そんなプライドを複雑にしたのが、13世紀の西欧からの十字軍と、15世紀(1453年)、オスマン(トルコ)の侵略によって帝国が滅んだことだ。さらに、東西から攻められた挙句、ギリシャは19世紀まで異教徒・イスラムのオスマン帝国によって380年も支配された。

 近代になって、イギリスなどの支援によって独立を達成し、バイエルン王国(ドイツ)から王様を呼んでギリシャ王国が建国された(1833年)。しかし、王による政治は安定せず、またカネは最初から外国から借りてしまうほど税制はボロボロ、さらに王の独断専行が目だった為に軍が反旗を翻し、結局この王は退位、英仏露などの後押しでデンマーク王室から王様がギリシャ王に即位した。これが近代ギリシャの出発点であった。

 ここから興味深い歴史が始まる。独立以降、ギリシャの債務問題はなかなか解決せず、国家財政の4割を債務の返済に充てなければならないほどになっていた。そして、1893年、ギリシャは財政破綻し、多くの国民がアメリカやオーストラリアへと移住していった。

 そんな中、1896年には第1回近代オリンピックが開催され、ギリシャが西欧国家の一員であることを欧米に示した。しかし、西欧の観光客が殺害されるという事件をネタに列強は莫大な賠償金を要求、さらに野蛮国のレッテルを貼られたギリシャの評判はがた落ち、散々だった。

 その後、オスマン帝国との戦争にも敗北したことにより、さらに借金。結局、列強国の債権者代表で作られた委員会の監視下に置かれることになった。これって、2004年オリンピック以後のギリシャの状況と似ていない?

 その後ギリシャは、トルコと、そしてブルガリアやセルビアなどのバルカン諸国と戦争を重ね、いくつかの戦争に勝ったため領土を増やした。しかし、第二次大戦でイタリアと戦争、さらにはナチスドイツに占領されて、略奪や虐殺を経験した。

 第二次大戦後は、東西冷戦下でバルカン半島が共産圏になっていったためギリシャは微妙な位置に置かれた。その為、内戦を経て何とか西側陣営にとどまったものの政治は安定せず、アメリカの都合のいい軍事政権が誕生した。そんな軍政と王制が終わり、今の民主国家となったのは1974年のことである。

 ● 破綻の経緯

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 以上がギリシャの簡単な歴史のあらすじだ。こうしてみると、今のギリシャの債務問題が外国を巻き込んでの大騒ぎという状況はまさに‘かつて来た道’に近い状況かもしれない。しかし、今回はどこか様相が違う。

 まず、ギリシャは農業や海運業などが主産業であったが、そんな国にこんな多額の投資をするわけがない。それを可能にしたのが、インチキデーターでもってユーロに参加した事だ。人々はそれを『ギリシャ神話』という。おかげ為替リスクがなくなり、国力や信用に見合わない低金利でお金が借りることが常に可能になった。

 そして、外資がドドッとギリシャに押し寄せ、郊外に大規模店舗を乱立させた。この外資の店は品揃えは良く、中心部の細々とした商店たちは軒並みやられた。おかげで個人事業主が減り、雇われ人が急増したため定年を迎える人口が増えた。

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 これは日本でも似たような状況だが、日本と違うのは、いくら大規模店舗が儲けても、そのお金は日本国内に株の配当や生産者、労働者に還流するのに対し、ギリシャの場合は、儲けた金はほとんど外国の債権者や企業へ流れていった。そして商品のほとんどは輸入品のため、自国の産業が育たない。

 こうして、外資は外で作ったモノをギリシャで売り、その儲けを外に流すものだから地方は疲弊し、産業や文化が育たなくなっていった。

 それにプラスして観光業の衰退だ。ギリシャ・エーゲ海の島々は、欧米の金持ちたちにとって実にまばゆいほどの輝きを放つ。エーゲ海の島々は昔から農業などできないほど土地は痩せていたが、外国からみた島々の輝きの付加価値は大きく膨らみ、それは島民にとって願ってもないチャンスだった。

 始めのうちは観光客が押し寄せ、島々には観光業が発達した。サブプライムバブルのころ、次々と不動産投資が島々をかき乱し、別荘が豪華絢爛に建ち乱れた。しかし、リーマンショック後のバブル崩壊で不動産価値は暴落、放棄された別荘地やホテル、そして巨額の負債だけが島々に残ってしまい、今、繁盛しているのは、ミコノス島やサントリーニ島のような名の通った有名どころだけ辛うじて観光業が成立しているだけらしい。

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 こうした産業構造のため、どうにかして雇用を確保しなければいけない。それを支えたのが『公務員』だった。彼らは労働人口の1/4を占め、その財源はやっぱり借金(国債)。しかし、ユーロ圏でも独自の利率で債権を発行できるため入札は成功していた。しかし、バブルが崩壊し、他国から「カネ貸してんだから、せつやくしろや、コラァ!」という形で人員削減、給与カットを突きつけられ、そして確実に内需は落ち込み税収は減り、また借金は返せない、という悪循環が生まれるのであった。

 もう、国家財政の破綻は間違いない。

 ● 意外としたたかなギリシャ

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 しかし一方、彼らにカネを貸したり、高利率の債権を買ったり、不動産投資をしたのは、欧米の銀行団だ。特にドイツとフランスの銀行が醜い。彼らは『ギリシャを救済する』と意気込むが、実際は、自国の銀行を助ける、という事だ。結局50パーセントは債務放棄にしろ、と半ば脅迫に近い形で受け入れさせたが、さらに悪いことに、『債権放棄』なのだからデフォルト(破綻)ではないため、破綻時に保障をしてもらう保険金(CDS)の対象ではない!ときた。当然、一気に‘信用’というものがなくなった。

 そんな事をしたため、EFSFという、欧州の債務危機に対応するための基金を作っても、誰も金を出さなくなってしまった。プールは作ったけど水が入らない状況だ。そりゃそうだ。国家の都合でルールが破られる事を目の当たりにしたのだから。 信用という何事にも換えられがたいものを犠牲にして目先の安泰を手に入れた格好だ。

 さて、バブル時の笛につられて踊っていた銀行団は、ギリシャに対して大きな点を見過ごしていた。それは、この国の『持ち味』だという。とにかく、ギリシャの歴史を見ればわかる通り、借金をし破綻することなどそれほど深刻に受け止めない。

 さらにもう一つ、‘アリとキリギリス’の話の‘キリギリス’的な国民性な点だ。それを知らずに金を貸したのなら貸した方が悪いと言われても仕方がない。もしかして、金を貸せばすぐに使い果たすと知っていたのではないだろうか。しかし、『ユーロ圏』という魔法じみたブランド力が判断を鈍らせたのかもしれない。これが旧通貨ドラクマ経済だったら・・・

 2000年代、ギリシャは高級車ポルシェの購入台数が人口当たり世界一。昨年の自動車ローン総額は80億ユーロ(現レート約8800億円)に上る。この額は、昨年6月以降、ギリシャに対して3カ月ごとにユーロ加盟国がしているつなぎ融資と同規模だ。これをどう観るか。

 こんな事を可能にしたのも、西欧の強欲な金融戦略だった。

 公務員優遇と放漫財政、貧しい大地に過剰な外資の資本、不動産投資にギリシャの国民性・・・。借金に借金を重ねて消費し、経済を伸ばしてきた果てが今のギリシャ。米国の著名な経済学者は、「成長経済は債務なしにはあり得ない」と言う。しかし、いったん財政危機に陥ると、「債務のコストは利益と同様、不平等に配分され貧困と格差を助長する」との事。実際、ギリシャの福祉は削られ、貧困、格差、社会不安が広がっている。

 これらの債務危機の発端は、ちょうどリーマンショックが起こったころ、今のギリシャ首相が財政赤字のインチキを暴露したことから始まった。これ自体は評価すべきだが、ある人たちにとっては、『余計なことを・・・』と受け止められたかもしれない。理想や正直者が不幸を観る、典型的な例だと・・・。

 そして、今更ギリシャ人の怠け草など治るわけがなし、長い間帝国の植民地だったギリシャ人は意外と強いかもしれない。私も何度かギリシャ人の商売にイライラしたことがあった。ある日、案内されたホテルの住所はめちゃくちゃだった事もあったし、宿のレセプションは毎日、競馬中継を観ながらエキサイティングしていたのを思い出す。それがギリシャのすべてというわけでもないが。

 アテネの街角には、宝くじが溢れていた。それでもギリシャの人々は何を悩むわけでもなくノー天気だった。何でこんなインチキなことばかりなんだ、と聞いても、「さあ、知らないよ、なぞだらけだよ〜ん」とニヤニヤしている顔が目に浮かぶ。

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2011年11月03日

ギリシャ レファレンダム



欧州の首脳、国民投票問題でギリシャを非難
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111103-00000001-wsj-int

 ギリシャはけしからん、怠け者ギリシャはつぶしてしまえ、という声がネット上で溢れています。ギリシャという国を弁護するわけではないですが、もう一回、ギリシャという国を観て見ます。過去の内容と一部重複しますが、お許しください。

 先月、ギリシャへの債務不履行をどうごまかすか、すったもんだした挙句、ユーロ圏、EU圏は、ギリシャ債権を保有している銀行団に対して50パーセントの減免を脅迫要求し、合意させました。

 これで一時的に欧州危機は去った、時間稼ぎは出来た、という見る向きが強くなり、ある筋では、『欧州危機に悲観しすぎ!悲観ばかりになったら株は買いだ』という雰囲気が熟成されました。

 しか〜し、そんなおめでたい雰囲気も1っ週間とてもちませんでした。国民投票などやってどうしようというのでしょうか。破滅への引き金をひく可能性というものが冗談ではないかもしれません。

 何でこんなにギリシャが騒がれなきゃならなかったのか。何でギリシャの高利回りの債務がこんなにも世界の金融機関を渡り歩いて取引されてきたのか、不勉強な私はもう少し調べなきゃいけませんが、少なくとも、極端な無駄遣いカット、公務員首切りで経済が縮み、よけい収入が減って借金がまた増えるという悪循環になって国はボロボロになりつつあります。

 借金踏み倒しを『ヘアカット』だ何て、モノは言いようですね。これからどうなるのでしょうか。

 ギリシャの総人口は約1100万人、うち約370万人がアテネ首都圏に集まっています。私がギリシャに行ったのは2002年と2003年、計4週間ほどです。その頃から広場では毎日毎日デモばかりやっていて、警官隊とにらめっこをしていました。

 通貨はすでにユーロになっていて、物価が騰がった、と人々は嘆いていましたが、ドイツとかに比べるとレストラン以外は安かったです。観光と海運業(今では衰退)でもっていた国なので、遺跡の保存には力を入れていて、ホテルとかは沢山あるのですが、うるさいクラクションは堪りませんでした。

 行ってみて最初の印象は、車の洪水とクラクション、そして盛んなデモでとにかくやかましく、古代都市のイメージとはちょっと違う感じでした。

ギリシャは軍事国家です。なが〜い間トルコに支配され、武力闘争で独立を勝ち取った歴史的経緯と、長かった軍政、そして、トルコ、ブルガリア、スコピエ政府〔マケドニア共〕、アルバニアと、周りを敵国に囲まれ、兵隊さんが多い国だな、と感じました。

 ギリシャ人は昔、イギリスの影響下にあったので英語が出来る人が多いですが、言語はギリシャ語で、数学の公式に出てくるあのギリシャ文字を使用しているので、何書いてあるのかよく解りません。

 私が行った時代はユーロに参加仕立てのころで、景気もよく、アテネ市内はとても賑わっていました。今では暴力的なデモでしかその余韻は感じられません。

 ギリシャ人はドイツが概して嫌いです。それは、第二次大戦中、ナチスドイツによって虐殺や飢饉などでとても苦しめられたからです。今のギリシャ首相、パパンドレウは政治の家系です。彼の父や祖父は、ナチスやその後の王政、軍事政権に苦しめられたので、彼の中に欧州北部に対する感情的なものがあるのかもそれません。因みに彼はアメリカで育ちましたので、インタビューでも流暢な英語を話します。

 ギリシャは、長い間軍事政権や隣国との戦争に明け暮れたので、ユーロの参加はインチキでもして成し遂げたかったのでしょうね。観光と海運(衰退)でしかウリがなかった国家なのに、それを餌食にした欧米の金融怪物が一番の癌だと思います。彼らが気の毒です。

 ギリシャに平穏が戻ったら、ぜひ観光でも行ってあげてください。新婚旅行するには最高ですよ。

以下は、半年前の2011年4月に書いた、プログのものです。

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ここ近年、この南欧の小国で財政危機と盛んに騒がれているギリシャ。昨年の今頃あたりから自国の債務に「返せないから助けて!」とECB(ヨーロッパ中央銀行)に擦り寄り、何とか自転車操業的なやり方で1年持たせましたが、ついに今度は「返せなくなるかも」ときました。去年より深刻な事態なのに、市場では昨年ほど騒がれていません。ところで、ギリシャとはどういう国か。今日はこのギリシャという国を取り上げてみます。

 【ギリシャ共和国】

── なめる様に青い空、紺碧のエーゲ海と輝く島々、そして古代遺跡 ──

 よく、『今までどこの国が一番よかったですか?』と聞かれます。答えるのに一番難しい質問なんですが、‘自然が良い国、人が良い国、滞在していて良い国’と、その‘良かった?’という内容によって答えが違ってくるのですね。そこで、単なる『観光』でいうのなら、私はギリシャという名を挙げたいと思います。新婚旅行などで行くにはベストではないか?と思います。

 1. ギリシャ概略

 ギリシャの位置です。
500 ギリシャ広域ギリシャ楕円 google.JPG
(欧州広域)

トルコとイタリアの間にあります。エーゲ海とアドリア海に挟まれた半島と島々から成り立っています。

 ギリシャの地図です。
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(ギリシャ旅工程図)

 色の線がついているのは実際に通ったところです。

 この国の首都はアテネです。数年前にオリンピックをやったので覚えている方もいると思いますが、オリンピック発祥の地です。 

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(アテネ市内上空からアテネ中心部の全景です。ギリシャの総人口約1100万人のうち約370万人がアテネ首都圏に集まっています。車の洪水とクラクション、そして盛んなデモでとにかくやかましく、古代都市のイメージとはちょっと違う感じでした)
10.アテネ市場 - コピー.jpg9.アテネ市場2.jpg
(アテネの市場です。海に近いため、ヨーロッパでは珍しく海の幸が豊かです)

12.アテネ市内列車広軌踏み切り.jpg7.アテネ市街4.jpg
(アテネ市内の様子、朝から晩までクルマのクラクションがうるさい)

 面積は北海道の2倍弱程度で、人口は国全体で東京都ほどの約1千百万人。国土は半島部と大陸部、そしてたくさんの島から成り立っていて、トルコの大陸目の前の島までギリシャ領になっています。
 冬は雨が降り、夏は乾燥して気温が高いのですが、一年を通じて雨量はそんなに無いので森はまばらです。しかし、北の大陸部は高い山々もあるため、他のギリシャの地方とは気候が違います。

 2. ギリシャの小史

 ギリシャといえば古代ギリシャ文明で有名ですね。オリンピアという町が半島部西部にあり。そこに古代オリンピックの遺跡があります。

9.オリンピア1.jpg
(オリンピア遺跡)

一見すると石ころばかりですね。

 紀元前に有名な都市国家(ポリス)が発達しました。ギリシャは今もこの古代文明を誇りに思っていて、自分たちがヨーロッパの起源だという想いを持っている人が多いようです。でも古代ギリシャと現代ギリシャ人は血統が違うらしいです。

 やがて古代ギリシャはローマ帝国の支配下になっていきます。
 ローマ帝国が東西に分裂したのち、ギリシャは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に属しました。この帝国はギリシャ文化が中心でしたので、ギリシャの帝国と言っていいかもしれません。しかし1453年、歴史的大事件が起きます。東ローマ帝国がイスラム教徒のオスマン帝国によって滅ぼされ、その支配下に置かれます。以後400年近く、ギリシャはオスマン帝国の統治が続きました。

 19世紀、ギリシャ独立戦争が始まり、海の戦で勝って独立を獲得しました。約400年ぶりにギリシャの国家が復活し、ドイツのバイエルン王国から王様をすえました。

 そして逆にトルコに二度も侵攻しましたが、今度はコテンパに負けました。その後は戦争の歴史で、今の国境線は第一次大戦の結果の影響が大きいです。第二次大戦ではナチスドイツの攻撃も受けました。

 第二次大戦後は内戦で混乱したりと、どうも国づくりをしっかりする時代が続かず、軍事政権が続いていました。
 そして1974年に民主的に王政から共和制になり、現在は何とかEUに加盟し、ユーロにも加わりました。しかし、ギリシャはまだ比較的最貧困地域であることは変わりなく、政治的にも保守的です。

 3. ギリシャ経済

 ギリシャのお金はユーロです。
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(50ユーロ紙幣【見本】)

 しかしドイツで使う1ユーロとギリシャで使う1ユーロは価値が違います。以下の物価は2002年11月当時です。
 アテネの地下鉄初乗りが0.7ユーロ(約100円)、安宿1泊6ユーロ(約800円)、たばこが2.5ユーロ(320円)、缶コーラーが0.6(80円)、缶ビールが0.6(80円)、チーズバーガ1.2ユーロ(150円)くらいです。それに比べて外食が異様に高く、ランチでも4ユーロ(約500円)はどうしても下回りませんでした。観光地はそれなりに高いのです。

 世界経済を騒がせているのはこのギリシャです。かつて海運業が盛んでしたが今は観光程度しか目だった産業も無く、そのうえ放漫財政をずっとしてきました。年金が60歳から現役時代の8割もらえるらしいですね。

 ユーロに加盟する時、一生懸命背伸びをしたのですが、最近、その時の経済指標が嘘っぱちだった事が分かり、ギリシャはユーロ圏の問題国とされています。以降、緊縮財政を強いられてますが、デモ好きで手ごわい労組はかなり抵抗し、今、ギリシャは債務棒引きという危機を迎えています。
 ドイツと同じ通貨であることに、旅行者の立場から見ても違和感を感じます。これからユーロはどうなるんでしょうかね。

 4. ギリシャの鉄道

ギリシャの鉄道です。

管理・運営OSE(ギリシャ鉄道)
軌間: 1,435mm (約1,565km→
現在約1800km? ) 、1,000mm (961km→現在推定730km)、その他
創業年 : 1869年 
営業キロ : 2,751km
電化キロ : 76km (AC25kV:50Hz )
右側通行

 都市鉄道を除いて国鉄が運営しています。国鉄は、国土が山岳地帯や狭い半島、そして島々ばかりなので鉄道はそれほど路線がないです。ただ大きく分けて2つに分けられます。

 一つは標準軌鉄道です。大陸部を南北に貫く鉄道エリアです。これは隣国などに繋がる鉄道網でして、ギリシャ北部からアテネまで延びています。一応国際列車が運行されています。
 トルコとの戦争で鉄道の重要性を知り、1916年にアテネから北部のテッサロニキまで繋がり、バルカン諸国と鉄道で結ばれました。やがてパリとアテネを結ぶ国際列車が運行を開始しました。映画などで有名なオリエント急行はアテネにも顔を出しました。

3.テッサロニキ−アテネ広軌線2.jpg
4.テッサロニキ−アテネ広軌線3 車内.jpg
5.テッサロニキ−アテネ広軌線4 車窓.jpg
6.テッサロニキ−アテネ広軌線1 山越え.jpg
7.テッサロニキ−アテネ広軌線5 車窓.jpg 
(テッサロニキからアテネまでの標準軌線の旅。山岳地帯を貫きます)

 写真は大陸部の標準軌線の車窓です。
 北部から南部にかけては山地が列なり、鉄道はいくつか峠を越えます。見事な峠越えで、盆地へ入れば車窓にはオリーブの木々や綿花畑など、いかにもギリシャらしい畑作地帯を眺められます。

 現在ギリシャ国鉄は国家予算を投じてゆくゆくはイタリア並みの水準に持って行きたいようですが、この素晴らしい鉄道車窓を眺められ、行きかう旅人もこのように風を感じられるような鉄道路線を今のまま残るのでしょうか。

 もう一つは半島部の狭いレール幅の鉄道です。鉄道が初めてこの国に出来た1869年の時代はギリシャの国土は今の4割ほどで国力が小さく、建設費が安いメーターゲージを採用した経緯がありました。その後半島部のほうへ伸びていきました。
 私が行った時はアテネ市内から狭軌でしたが、現在は半島部の北岸まで標準軌に換えられて、さらにどんどんメーターゲージ線は無くなりつつあります。

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(狭軌線のピレウス駅)

11.アテネ市内列車狭軌.jpg 
(今では見られない、狭軌線 アテネ駅の列車)

13.再アテネ市内列車広軌.jpg 
(今では見られない、アテネ市内のナロー鉄道の軌道と併走する標準軌の列車)
 真上の写真はアテネ市内を走る標準軌の列車です。港まで標準軌と狭軌の線路が並走していました。
 アテネの鉄道駅は長い間、狭軌駅と標準軌駅が位置することとなりましたが、現在は狭軌駅のほうは閉鎖されているようです。

 ギリシャの鉄道はオリンピックを境にとても変化が激しいようで、DVDに収録されている様子はギリギリ最後の郷愁を記録したものとなってしまいました。
 
 アテネの地下鉄・都市鉄道です。当時、地下区間は少ししかありませんでした。

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 (アテネ市の都市鉄道)

 100万都市でありながら長らく地下鉄や路面電車は近年まで乏しいものでした。2000年以降順次開業し、オリンピック以後は空港へ連絡する地下鉄線も開業したようです。また、近郊電車も整備中です。因みに料金は、90分以内券が0.6ユーロ(約90円)で、一日共通券は2.90ユーロ(約350円)でした。

 5. ペロポネソス半島

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 この写真はコリントス運河を渡っている狭軌の列車です。運河は1893年に完成し、それまでペロポネソス半島を迂回していました。船舶は一気に400kmも短縮されましたが、小型船舶しか航行できず、それでも年間約11,000隻の往来があるらしいです。
5.列車からコリントス運河.jpg

 地図で言うとこの辺ですね。

520 ペロポネソス半島 コリントス運河 Google.JPG
(コリントス運河の位置)

 ペロポネソス半島と本土にわずかに繋がる細い地峡をバッサリと切り落としたように一直線に横切っている運河です。こっちがペロポネソス半島です。

コリントス運河Google.jpg
 鉄道は半島を一周するように描いています。ペロポネソス半島は四国より少し大きいほどの半島で、コリントス運河のおかげで実質島になりました

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 狭軌線をゆくギリシャ6460型列車です。列車は、ゴツゴツした崖に埃っぽい山岳地帯の中をミカン畑やオリーブの木々に囲まれながら走ります。この車窓こそギリシャの風景でして、線路はクネクネ左右に曲がりに曲がり、単調でない地形の為、鉄道は大きく回り込みながらループを描いて山越えをしていきます。さぞかしこの路線を建設するのに資金がかかり難工事であったでしょう。ローカル色がとっても濃く、オンボロ列車が通っています。

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(キパリシア駅に停車中の列車)
 半島西南部のキパリシア駅に停車中の列車です。1902年に最後のピルゴス(Pirgos)とキパリシリア(Kiparissia)間が完成し、半島一周線が全通しました。キパリシアは古代都市の歴史を持つ人口約4000人の美しいビーチを持つ町で、毎年観光客が多く訪れます。

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 古代オリンピック遺跡があるオリンピアへ向かう路線が出ているピルゴス駅です。私が行った時は工事運休中でした。やってきた列車は、ピレウス行き303列車で、オレンジのディーゼル機関車と荷物車2輌、普通車3輌の計5輌編成の客車でした。

10.半島一周鉄道4ピルゴス駅.jpg
 ピルゴス駅では、荷物車から家電製品や食料品、新聞などの大荷物を搬出・搬入する作業でにわかに活気が興ります。まだまだギリシャの田舎の駅では鉄道が日常生活のドラマとして現役の舞台であるようです。
 
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(ピルゴス駅での小さな小さなにぎわい)

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 車内でであった少女です。学生さんたちで賑わっていました。

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(学生列車の華やかなにおい)

 6. エーゲ海地方

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 変わってエーゲ海の島です。ここではサントリーニ島を紹介します。

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 写真はサントリーニ島で、ギリシャ本土から南東へ約200`の位置にあります。よく絵や写真の舞台になる景色の美しい島です。
 
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17.サントリーニ 旧港ロバ2.jpg 
(サントリーニ島名物の500段階段のロバたち)
 サントリーニ島の本港は強烈ながけ下にあって、一気に標高100メートルほど上がらなければ市街へ行けません。写真は観光客をがけ上の市街へタクシー代わりとなって観光客を運んでいる様子(因みにロープウェーもあります)。

29.サントリーニ夕陽夕焼け.jpg20.サントリーニ 夕陽2.jpg
(サントリーニ島の静寂の沈陽)

 サントリーニ島の夕陽は世界三大夕陽と言われているようです。誰がそう言ったかは知りませんが、よくガイドブックに書かれています。確かにおっとりするほど見事です。あとは北海道の釧路といううわさも・・・
 

 島には古代遺跡もあります。フィラ遺跡といいます。ギリシャにはあちこちに遺跡がありますね。でもここの遺跡はかなり山の上にあります。

6.サントリーニ・フィラ遺跡5遠景.jpg
(山の上にあるフィラ遺跡)

 19世紀にドイツの考古学者グループに発見されました。長い歴史を含んでいるのでどれがどの時代の遺跡かは混乱してしまいますけど、東方エーゲ海を監視・支配する上で都合のいい場所にあったので長く繁栄したらしいです。でもまあ、行きにくいからこそ観光客が少なくてじっくりと古代を感じることが出来るのではないでしょうか。
  
5.サントリーニ・フィラ遺跡4.jpg
2.サントリーニ・フィラ遺跡1.jpg
4.サントリーニ・フィラ遺跡3.jpg
(フィラ遺跡の残骸)

 エーゲ海の島々は他にも魅力的な島がいっぱいあります。新婚旅行など、雰囲気重視の旅ならぜったいおススメです。夏には海岸をスッポンポンで歩いている男女の光景も観られます。

 7. 北部・北東部マケドニア・トラキア地方

1.テッサロニキ駅.jpg
 さて、長くなりましたが最期にテッサロニキ駅です。アテネとは全く違う都市圏です。ここはギリシャでも北部にあたり、バルカン諸国が近くまで迫っている土地柄で、第一次大戦までギリシャ領ではありませんでした。
 
 アテネまでは約500`、ブルガリアのソフィアは350`、マケドニア(共)のスコピエは270`、という位置関係です。アテネまでの502kmをICが27ユーロ(約3300円)/ 約5時間30分、急行が14.10ユーロ(約1100円)/ 約7時間くらいです。安いでしょ。

 テッサロニキは、人口約105万、ギリシャ第二の都市であり、サロニカとも呼ばれています。長い間オスマン・トルコの領土でしたが、1912年のバルカン戦争でギリシャ領になりました。東方訛りや文化的にトルコに近いこともあり、アテネとはまた違った雰囲気です。

1.テッサロニキ全景.jpg
(テッサロニキ市内の全景)

 ギリシャ・マケドニア地方の中心でして、ギリシャのマケドニアこそが本当のマケドニアとして譲らず旧ユーゴ・マケドニアの国名を絶対に認めません。理由は実際マケドニア地域は3国に跨っているからです。

 現在、マケドニアという名前の独立国家はスラブ語系民族が実権を握っている国です。彼らはブルガリア語と酷似した言葉を使い、この新マケドニアに対してブルガリアでは『あなたたちは私たち』と思っているとのこと。ギリシャだけではなく、したがってブルガリアも、ギリシャの一地方名を使用していることを快く思っていないようです。因みに、ユーゴスラビア統一のチトー時代に、ここの本当の名前は‘ヴァルダルスカ’とするはずだったとのこと。

4.遠足2.jpg5.遠足子どもたち.jpg 
 さて写真はトルコ方面へ走る列車で撮った遠足の子どもたちです。テッサロニキからイスタンブールへは820kmです。

 ギリシャは観光国の顔を持ちながら、一方では軍事国家で、ブルガリア・マケドニア(共)、そしてトルコとの間で今なお穏やかではなく、テッサロニキより東は歴史的経緯により緊張地帯となっています。よって、兵隊の輸送など、軍事的に鉄道も活用されています。

8.ギリシャ兵士.jpg 
(列車で任地へ向かうギリシャ兵たち)

 最期にギリシャ・トルコ国境の駅です。国境を越える列車は一日1往復運行されています。長い間ヨーロッパを周りついにトルコへ入る瞬間は感慨にふけります。
 
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9.トルコ国境駅2.jpg 
(ギリシャ・トルコ国境駅の様子)

 それでは出かけて見ますか?
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11.国境駅駅長.jpg
posted by kazunn2005 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行