2011年10月31日

(終)なぎさの中の孤島 (遠くなる隣国 ) 与那国島〜

 遠くなる隣国 (最終回)

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 石垣には、かつて台湾から移り住んだ住民の集落と台湾文化が花咲いている地区がある。実は、石垣や西表のパイン産業は元は台湾からやってきた人たちが興したものであり、また、かつて西表島にあった炭鉱に多くの台湾人が働いていた。

 また、昔は農業、今では観光で活躍している水牛も台湾から持ち込まれた。

 石垣島にある台湾人の集落では、今日でも台湾的な習慣の香りが漂っている。旧盆の精霊(シャウリョウ)送りの日には、台湾風の長い線香をたき、『ポエ』と呼ばれる三日月型の神具を使って、家の精霊が満足したかを尋ねる光景が観られる。これは琉球ではない、台湾式の伝統的なしきたりだ。

 しかし、八重山の人たちはあまり台湾系の人たちの話をしたがらない傾向があるらしい。それは、過去、彼らをどこかで差別してきた歴史と関係があるようだ。その話はここではあまり触れない。

 一方、台湾人は沖縄をいまだに『琉球』と呼ぶが、それは、あちらから観て沖縄を兄弟分とみなしているほど歴史的関わりが深い証拠かもしれない。しかし、沖縄の人々にとって台湾は意外と遠い存在になりつつある。

 明治以前の沖縄(琉球)は琉球独自の歴史と文化が華やいでいた。かつて琉球王国が中国王朝の朝貢国であった事と、後に薩摩藩に間接支配された結果、中国と日本の文化が入り混じったものとなった。そしてそれ自体が琉球独自の文化ということにもなる。
 
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 (琉球時代の城跡:勝蓮城跡・沖縄本島)

 さらに、明治期には日本に編入され、台湾も日本の植民地となったので、垣根もなくなっていっそう台湾文化もミックスされた。しかし、第二次大戦で状況は一変。沖縄戦という過酷な被害を受け、また、日本から離れた台湾側は大陸の国民党が流れてきて現地住民を苦しめた。2.28事件という虐殺事件も加わり、沖縄へ亡命してきた台湾人も多くいた。

 台湾との間に決定的な境が出来てしまった沖縄は、戦後の米国統治、日本復帰を歩んでいるうちにその境が鎖のように固くなってゆき、次第に隣国文化の度合いが薄くなってきた。

 私は以前、那覇や石垣から国際フェリーに乗って台湾に向かった事がある。当時(1996年)は、八重山(石垣)と台湾の間の国境の海を渡っていた旅客船があった。

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 (高雄行きフェリー、1996年)

 その時はまだ掘っ立て小屋風の石垣島のイミグレオフィスで、それをパスすれば早速そこは台湾語、普通中国語が流れる異国に見事にチェンジ!。那覇や八重山から台湾へ戻る台湾系の帰省客や台湾からの観光客で賑わっていた。

 船内放送もみんなあちらの言葉。いかに台湾との結びつきが強いかをその時知った。船内で知り合った、石垣島に住む台湾系の人にいろいろお話を伺いながら次第に仲良くなり、現地の港に着くと、親切にも私を鉄道駅まで案内してくれて頼もしかった。

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 (高雄〔カオシュン〕駅)
 
 思えば貴重な体験だったが、今、そのフェリーは存在しない。2011年10月現在、八重山から台湾へ船で行くことはおろか、飛行機ですらない状態だ。那覇まで上ってそこから中華航空の飛行機で台北を目指すのが現実的で、それには石垣から那覇までの航空代と、さらに最低3万から4万かかる台湾までの往復代がかかってしまう。かつてのフェリーでは石垣から1万円しない程度で台湾へ渡れたのを思うと、時代はおかしな方向へ向かっている。

 一応、台湾側の復興航空という会社が飛行機を石垣に飛ばす、と地元の新聞が報じているが、試験運行の域から発展せず、年に数回程度しか飛んでいない。運賃も運航日もよく分からず、気軽に乗れるような状況ではない。因みに、関西空港から台湾まで格安航空会社が就航しているが、片道8,000の安さである。これはいったい何なのであろうか。

 沖縄の台湾系の人々は、このフェリーの復活を強く嘆願してきたが、船の売却を急いだ霞ヶ関との溝は深く、次第にフェリー復活の熱は冷めてしまった。復活活動は今でも細々と続いているようだが、どうにも実現しそうにない状況のようだ。

 私は世界のいろいろな国境を越えてきたが、互いの国の仲がそんなに悪くないのに状況が悪化している例はあまりないように思う。あの仲が悪いギリシャとトルコの間の島の国境ですら旅客航路はあるのに。

 八重山全体で動いても航路一つですら復活できないのだから、与那国町独力で国境越え航路が出来るとは到底思えない。あの『フェリーよなぐに』を台湾への定期航路として直行させる事は意外にも夢物語になりつつある。結局、これは日本国政府の姿勢が映されたものであり、いかに沖縄を軽視しているかが伺える。

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 (台湾の東海岸、晴れた日には与那国島が観えるらしいが)


 与那国に話を戻す。

 この島は、『よなぐに』とあるとおり、島ではない‘くに’でありたいと思い続けている。強い保守的なくにから、いかに開かれた‘くに’になるのか。将来華やぐのか、それとも無人島へまっしぐらなのか、今後10年程度で将来が決まる、そんな気がするのは私だけであろうか。

 正直言って、与那国島の将来はよそ者をどう受け入れるか、国内・国外に向かって開くしか活路はないように思える。幸い、与那国島はよそからの移住者を不遇するほど閉鎖的ではないように思える。うまく共存し、新しい発想としがらみのない環境を作る事によってのみ、活路が見出せるかもしれない。それは自衛隊を受け入れろ、という意でもない。

 台湾の人々にも『与那国』の事を知ってもらいたい。相手が相手を知らなければ不信にも繋がりやすい。今、与那国で異国の地を感じるのは、海岸に大量に打ち上げられた異国からのゴミしかない。それだけではいかにも寂しいではないか。与那国島の海岸は想像以上にゴミでやられている。これを与那国島の中で解決させるのは少し酷だ。

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 (海岸の草木にもゴミがからみついている)

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 (たった30分で集めた海岸のゴミ)

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 (ペットボトルや漁具が多い)

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 (7割以上が中国大陸からのゴミだった)
 
 理想としては、与那国の土着の人と台湾系の人と、よそ(国内)から与那国に惚れて移り住んだ者と、そしてあまり多すぎない自衛隊員と・・・そんな小さな島で共存共栄することなど、はるかな夢物語なのであろうか。

 なぎさは波と陸地が交互に交わる境界ゾーン。波打ち際の島の苦悩は曲がり角に来ている。

 2011(平成23)年10月

 おわり
 
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2011年10月28日

なぎさの中の孤島 (目覚めた国境の島 ) 与那国島〜

 島を揺るがす自衛隊問題

 今や全国紙をも賑わしている与那国の自衛隊誘致問題。

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 その自衛隊とは陸上自衛隊(陸自)のことだ。離島の情報部隊に海上でも航空でもない、陸上の部隊を置こうとしている。その背景にある国側の事情とはよく解らないが、島側の事情はそれほど不明ではない。それは、島が生きるか死ぬ(無人島)かの瀬戸際に追いやられた末のものであることは簡単に想像できる。

 内地の尺度では、国境の島なのだから自衛隊がいて当然、という概念が大きいが、島の人にとっては、その国境防衛の意識は薄く、自分たちの島の将来感に即つながる意識で考える。

 2010年、与那国の北方約150キロの尖閣列島で、日本の海上保安庁が中国大陸の漁船に攻撃衝突され、両国で大騒ぎとなった。この地域の漁民は、漁場を中国・台湾の漁船のやりたい放題に長年頭を抱えてきたが、こうした年々エスカレートする中国側の実力行使はついに日本当局の危機感を決定的にし目覚めさせた。ただ、大陸側に海域を侵しているという感覚はなく、向こうも人民の好戦的な世相におされ、国家のメンツも手伝って事は長期化の様相である。ただ、国境防備の話が持ち上がったのはこれがきっかけではない。

 与那国島では、2005年に長く就いてこられた町長が死去し今の町長が当選した。現在の町長は福山海運という、与那国島に人や物資を運んでいる船会社の実質オーナーで、自民党系の人だ。当初は台湾との交流に力を入れていて、例えば、台湾投資ファンドによって島の西部にゴルフ場やリゾートホテルなどのレジャー施設『台湾国際村』(仮称)を計十数億円規模で整備を計画するなど、やり方がいかにも‘自民党的’だった。

 しかし、霞ヶ関の壁は厚く万策つきると、一転、自衛隊誘致に舵をきった。2009年8月、二期目を狙う現職の町長は、誘致推進の立場だが自衛隊問題という争点をぼかしながら選挙戦に望み、直前になり立候補した野党系(民主党などが支援)の候補を破り再選した。

 よくある離島の構図は、土建屋さんが支持する議員が議会を占め、土建屋さんたちが支持する町長や村長が当選し、いかに国や県から公共事業予算をもってくるかが評価のすべてであるが、与那国島はそれにプラスして、防衛協会という組織が後ろ盾にいる。

 町長が自衛隊誘致を表明して以来、中央から大臣や政権党の幹部が島を訪れるようになった。国としても与那国に自衛隊を置きたいという方針だろう。陸自は、沖縄本島の旅団を再編成して1800人規模から2100人規模の第15旅団にするという計画がある。旅団長は那覇防衛局内にあり、旅団の上は師団で、師団は九州福岡にある。 そして、与那国にレーダー設備を完備した監視任務の部隊を置きたいらしい。

 二期目の選挙の直前、当時の防衛大臣が与那国を訪問した時、町長はマスコミの前で堂々と「日ごろ、国防上の不安はない。自衛隊誘致の目的は経済的な理由だ」と言いのけ、防衛ではなく島の経済のために誘致する事を否定しなかった。一方、長く台湾交流を支持してきた人たちを落胆させた。

 2009年7月9日 琉球新報より:
 『中国意識「国防」明確に 防衛相 与那国初訪問』

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146887-storytopic-25.html

 『歴代防衛相として初めて与那国町を訪れ、外間守吉町長(左)と会談する浜田靖一防衛相(右)=8日、同町役場

 浜田靖一防衛相が8日、歴代防衛相として初めて与那国島を訪れた。与那国島を含む県内離島への自衛隊配備を念頭にした訪問だ。浜田氏は、6月末に与那国町長らの自衛隊誘致の要請を受ける以前から、日本の最西端である与那国に関心を示し訪問を希望しており、今回の訪問は、浜田氏の強い意向を反映したものだった。
 今回の訪問について防衛省首脳は「(犬などが自らの縄張りを示す)マーキングのようなもの。(国土防衛の)意思を示すことは重要だ」と話し、尖閣諸島の領有権問題や東シナ海での資源争いなどで対峙(たいじ)する中国を意識したものだと説明する。台湾からわずか111キロしか離れていない国境の島に、わが国の国防最高幹部が降り立つことに、台湾など近隣諸国の反発も懸念されたが、同省首脳は「台湾を意識しているのではない」と述べ、視線の先には中国があることを暗ににおわせた。

■進む南西防衛強化
 国は2004年に策定した現在の防衛大綱(05〜09年)で、島嶼(とうしょ)防衛の重要性を初めて明記した。09年度中には、那覇の陸上自衛隊第1混成団(定員1800人)を300人増員し「旅団」へ格上げするなど、南西地域での防衛体制の強化を着々と進める。
 浜田氏は8日、与那国島への自衛隊配備を要請した外間守吉町長との面談後、自衛隊配備の有無は明言しなかったものの、与那国空港が有する滑走路などに関心を示し、自衛隊配置へ前向きな姿勢を示した。
 さらに、今回の与那国視察には陸上自衛隊幹部の陸上幕僚監部防衛部長が同行した。陸上自衛隊の現場幹部の同行に省内では「珍しいこと」との声があり、陸自の配備に向けた着実な一歩との見方がある。

■異なる思惑
 防衛の観点から、先島防衛の重要性を訴える国に対し、地元の思惑は異なる。
 「日ごろ、国防上の不安はない。自衛隊誘致の目的は経済的な理由だ」。7日、外間町長は断言した。100人規模の駐屯地を誘致することで、人口増や税収増、インフラ整備を期待する。与那国防衛協会副会長の糸数健一町議も「自衛隊誘致は人口減に底を打たせるための小さな起爆剤であって、基地だけに依存するつもりもない」と説明する。
 一方で、「これまで進めてきた国境交流はなんだったのか」と嘆く町民もいる。与那国町は、台湾・花蓮市との交流に自立の道を見いだし、07年には全国の自治体で初めて台湾に事務所を設置した。「与那国島への自衛隊誘致に反対する住民の会」の新崎長吉共同代表は「片方ではお付き合い、片方では基地は成り立たない」と危機感を募らせる。町内の30代男性は「町長自ら『自立ビジョン』の失策を認めたことになるのでは」と疑問を投げ掛ける。(深沢友紀、仲井間郁江)』
・・・以上が新聞報道
 
 つまりこういう図式だ。

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  台湾資本頼み→失敗→自衛隊頼み→土建産業の活性化・・・賛成派

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 台湾との細々とした交流→結果が出ない→自衛隊が来たら標的にされる・・・反対派
 
 自衛隊に関してはここで誘致反対・賛成を述べるつもりはないが、一応頭に入れておきたいのは、対馬の例にあるとおり、自衛隊が駐屯する事によって隣国の観光客が敬遠する理由とはならない事。

 しかし、事実や計算よりも感情のほうが先に走ることは致し方ないこと。例として、沖縄のマスコミは概して自衛隊反対、つまり左寄りの姿勢一辺倒であることを気にしたい。教科書に少しでも彼らの意にそぐわない内容があれば大々的なキャンペーンを張るほど、事態は内地で想像する以上にすごい。よって、いくら土建屋さん万歳の与那国でも反対派の勢力もそれなりにいて、反対・賛成で島は二分されている。

 これは、そのまま議会の勢力図に現れている。直近2010(平成22)年の議会選挙ではこの問題が大きく影響し、買収選挙吹き荒れる中でも、反対派系議員がトップ当選した。これは、島民の中で今の保守勢力への反感と、自衛隊の誘致に強烈な拒否反応を起こしている人が無視できないほど存在することがわかる。

 島の人は概ねよそ者に対しては親切だが、反対派の方々のほうが外(よそ)からの人に対して政治的な意見を堂々と言う傾向があるように思えた。それはまるで援軍に加わって欲しいかのように。その反対派の人たちの言い分は、

 「せっかく台湾との交流を深めているところなのに、自衛隊なんか来たら向こうが警戒してすべてご破算になる」
 「真っ先に与那国が標的になる」
 「その裏に隠されている石垣島への部隊配置を目論んでいる」
 「琉球列島は軍事戦略の要塞化となる」
 「どんなことでも戦争は反対」

という内容であった。

 一方、賛成派のほうは、

 「じゃあ、このまま与那国は無人島になれというのか」
 「島に駐在している二人の警察官の持つ拳銃2丁のみで食い止めろ、というのか」
 「現に中国(中共)が島を脅かしているではないか。戦争はいけない、と言っていても、相手が攻撃し、妻子が殺される運命になっても黙って従え、というのか」
 「チベットやウイグルのようになれ、というのか」

と、反対・賛成派も島の将来と共に国家的視点から考えている人もいる。

 因みに、最近になって中国の観測船や調査船、さらには怪しい船が島近辺に頻繁に現れ、海底探査やら測量らしき行為を行っているのが度々目撃されている。 何もない島なのに、体格が良い男二人連れの、それも目つきが鋭い中国人が島に来訪してきて 写真を取り捲(まく)る姿など。

 小さな島なので、そうした事件はすぐにうわさになり、これらを聞いた島民は中国大陸の恐ろしい靴の音を意識しない訳にはいかず、今、国境の島はリアルに脅威を感じている。

 もっとも、執政者が考えている最重要事項は、島の経済・国家の防衛よりもスケールははるかに小さい。一番欲しいものはもちろん、自衛隊の『票』だ。わずか8票差で議員の当落の運命が分かれてしまうこの島に、自衛隊員約200人とその家族が与那国に移り住んだらどうなるか。それは必ずやダメ押し的に賛成派・保守派の地盤になる事は確実で、反対派はおろか、土建屋に関係のない一般の人たちの票など屁でもなくなる。それが一番の恐怖であるため、反対派は絶対に認めることは出来ないのである。

 隣国が目の前にあるから監視の軍隊を置く。それは特段怪しいことではないはずだが、軍隊を置いたら隣国から標的にされる、隣国との交流が閉ざされる、よそ者に支配される、だけど島に産業がほしい、など、国境を巡る島の人々の感情が大きく揺れ動いている。

 島の中での騒動をみてみると、一連のことは与那国という小さな島だけの視点にしかすぎず、台湾への理解はいっさい感じない。しかし、八重山諸島という視点で観てみると、やはり台湾とのつながりを意識しなければいけないだろう。そうした台湾文化がじつは八重山地方でも息づいている。

 次回は最後に八重山と台湾のお話をして締めたい。

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2011年10月26日

なぎさの中の孤島 (さめた国境の島 ) 与那国島〜

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前回は、与那国と台湾の交流の歴史について少し触れた。では、現代の与那国は台湾との交流はあるのか。

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 以下が、町’として公式に動いたその事業史である。

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 1982年:台湾・花蓮市※1.と姉妹都市締結.

 1990年:シンポジウム開催にあたって、フェリーよなぐにを花蓮市へ直行運行、与那国文化交流団が花蓮市を訪問.

 1992年:8月、与那国の児童・生徒による花蓮市ホームスティー事業が始まり、同10月、花蓮市より親善訪問団が来島.

 1995年:姉妹都市親善交流事業の一環、中国語講座が開講.
 
 1996年:花蓮市より知音合唱団が来島、歌や踊りの交流.

 1997年:姉妹都市15周年を記念して花蓮市側から与那国町訪問団144人が来島.

 2000年:花蓮〜与那国島親善ヨットレースが開催(2001年も開催)

 2002年:姉妹都市20周年記念、与那国側から訪問、一方、児童・生徒によるホームスティー事業が中断、2003年より中国語講座も中断.

2007年:花蓮市・与那国町姉妹都市締結25周年式典、事務所開設。与那国町長と蔡啓塔(ツァイチータ)花蓮市長が「両市町国境交流強化に関する協議書2007」に署名.

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(以上が与那国町勢要覧・第三次与那国町総合計画参照)

 2008年:7月4日だけ 台湾の復興航空による与那国―花蓮間初のチャーター便運航。同年、
運行計画にあった船での運行が中止に.

 2009年:数回だけ与那国―花蓮間にチャーター便. 同年12月22日、 与那国花蓮縣交流発展協会が設立(与那国側・野党系による)

 2010年: 社会実験実施として、台湾側からサトウキビ肥料を台湾航路を持つ大東海運産業(株)の貨物船を利用し輸入.

※1.花蓮市・・・与那国島の対岸にある台湾東部地域にある最大の都市で、鉄道が通る。人口約108,000人(市域2011年時)。山岳が海岸近くまで迫り、平地がわずかしかない。鉱山資源が豊富で大理石の産出などで有名。

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 (花蓮駅:1996年)
 
 いろいろとやってきているようだが、結論から先に書こう。

 はっきり言ってうまくいっていない。過去にこのような事があった。

 2008年に、与那国町が日本政府との『再生事業』の一環として与那国・花蓮間のチャーター船の運航が計画されていたが、突然、天候を理由とした運行中止が発表された。すでに申し込みが済んでいた段階(日本側からは53人、台湾側で約250人)での中止だったため、当然多くの批判が起こった。
 
 町によると、台湾の船会社側で役員や出資者に変動があり、会社側が花蓮市の関係者と面談して運航延期の方針を示した、というが、真の理由はよくは解らない。
 
 交流事業には相手もいる事なので、台湾側から観て与那国との交流にどれだけメリットがあるのか考えなくてはならない。金銭的に観ればそれほどメリットはないかもしれないが、台湾東部の人たちにとって『外国に行ける』という事だけでも大きな魅力らしい。現に、台湾領東部に浮かぶ小さな島に多くの観光客が訪れている。

 よって、観光事業として成り立つ可能性はおおいにある。さらに、台湾側の有力者や民間会社は、与那国を含めた交流事業に意外なほど前向きな事業者が多い、との事。しかしなぜ、30年も取り組んできた交流事業がなかなか実を結ばないのか。

 それは日本側の事情によるものが大きいと見る。

 少し難しい話になるが勘弁願いたい。まず、与那国に外国の船舶を入港させるためには、日本国の船舶法や関税法に基づいた『開港』をしなければいけない。外国航路が開かれるならば、そこに入管も税関も海上保安庁も置かなければいけないし、国境としての機能がなければいけない。

 開港するには、外航船の入船数、貨物取扱量、港湾設備の整備状況、必要官公署の設置などいろいろと厳しい条件があるため、当面『不開港』の港として、国の支援(補助金)による交流事業などで実績を積む努力がなされてきた。

 さらに、与那国島の中心町、祖内の港の整備を行い、2000トン級の船が接岸できるようにしてきた。よって、美しい砂浜があった祖内の港はコンクリートだらけの港と化してしまった。

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 (祖納のみなと)

 しかし、いつまでたっても開港が出来ない。台湾側も「いつになったら開港してくれるんだ」といらだつ。実は、日本側の開港の条件として、年間50隻、5000トン級バースを前提とする法律が壁となっていた。その後挑戦してみたところ、この壁のクリアは今の与那国の規模では到底無理だ、ということが実感として沸いてきたため、この厳しい開港条件を与那国には適用せず、査証(ビザ)を免除するなど特区扱いしてほしい、と町は長い間陳情してきた。

 税関の問題は財務省、直接航行の問題は国土交通省、査証は外務省と役所が分かれているのも問題であった。さらに、台湾は日本国政府が認めている正式な国家ではないため、事実上、交流は認めにくい流れが出来てしまった。

 また、与那国・祖内港の岸壁に欠陥が見つかり、石垣とを結んでいるフェリー(1482トン)ですら入港出来ていない。だからわざわざ遠回りして西の久部良港に入港しているわけだ。与那国町としては、このフェリーを台湾に乗り入れたいと願っているが、規制が邪魔して動けない。因みに、このフェリーは台湾・花蓮港へ『短国際航海(60海里)』として行った実績がある。

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 (フェリー‘よなぐに’)

 結局、そうこうしている間に島民の熱もさめ、行政もただただ補助金の消化に明け暮れる、そんな状況となり、そんな町の現状を国は見透かしてしまったために、未だに特区には至っていない。

 与那国島は、国境の島ということを逆手にとり、国境を開いて夢を抱いてきた。与那国島だけをゾーン指定の免税特区、査証免除となれば台湾からいくらかの観光客が島に立ち寄り、物産展が賑わい雇用が増え、逆に島の人は、石垣よりも近い台湾へ買い物に出かけたり、もしかしたら病院にも苦労せずいけるかもしれない。

 また、沖縄(琉球)を中心にして地図を眺めれば、台湾を飛び越えてフィリピンや大陸、香港などが日本本土とさほど変わらない距離に位置し、与那国がその玄関口になりうる。人だけでなく物資の中継点として期待できる・・・。そんな可能性も頭をよぎっていた。

 「戦前のあのころがもう一度よみがえる」

 しかし、現実は厳しすぎた。交流が発展するどころか逆に衰退し、2008年、八重山地方と台湾とを結んでいた唯一の旅客フェリーが、経営難のため廃止になった。こうして人々は、はるばる那覇を経由するしか台湾に行けない状況となってしまった。遠い北海道や東京にはたくさんの台湾人観光客が訪れ、沖縄本島でも年間10万人が訪れているにもかかわらず、与那国はゼロ。おかしな状況だ。

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 (台湾行きの船から眺める与那国:1996年)

 国の補助金を食いつぶすだけの事業になり下がり、島は相変わらず人口が減ってゆく。国から見離され、もう島の人たちは台湾に期待しなくなった。

 こうした中、最後の活路として見出されたのが、自衛隊だった。


 次は、島を揺るがす自衛隊問題

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(写真はすべて筆者撮影)
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2011年10月24日

2011 トルコ東部大地震

■トルコ東部で地震、500〜1000人死亡か
(読売新聞 - 10月23日 20:16)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111023-00000595-yom-int
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報道によると、トルコ東部で大地震があった模様です。

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(トルコ東部、推定域:広域)
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(ワンを中心とした拡大図)

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(トルコ東部、ワン付近の大地)

よく読むと、『ワン』とあります。私はこの町で4泊しました。小さな町ですが、『ワン猫』というのが名物で、他にも、イラン国境が近いので、国境貿易で栄えている感じでした。

ワン湖という、塩の湖の湖岸の町でして、トルコ国鉄の鉄道連絡船があります。

自分が知っている遠い町が被害にあっているという報を聞くと無関心ではいられなくなります。状況が今ひとつよく解りません。

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(ワン駅にて)


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2011年10月23日

なぎさの中の孤島 (国境の島の歴史 ) 与那国島〜

  ここは国境の島

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 この島は国境の島だ。それは、他の離島とは違う重みがあり、厳しい現実の反面、可能性に満ちた未来も開かれる。

 さて、与那国同様、国境の島として似たような境遇にあるのが対馬(長崎県)だ。その対馬へ、与那国を訪れる直前に立ち寄ってきた。

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 (対馬の位置)
 
 対馬(島)全体の人口は約3万4千、本州・北海道・四国・九州の主要4島を除くと、第6位の大きさの島で、さらに周辺に100以上の孤島をちりばめている独立したワールド感の島だ。

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 (対馬の島影)

 対馬は対州(たいしゅう)とも呼ばれ、一島で『対馬市』という市があるだけだが、南北100キロある広い対馬を表現するには大きすぎ、合併前の旧市町村(厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町)で、ものを考える。

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 (対馬を縦断する唯一の公共交通)

 その北部、上対馬町の対馬北端部からは韓国が望むことが出来、岬から約49km先に韓国の釜山であるため、与那国よりも外国が近い。当然ながら、普通の国ではこういう場所は緊張区域になり、海栗島のように例外なく海上自衛隊と航空自衛隊の基地が備えを施している。かつては要塞だった。

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 (自衛隊の基地の島、海栗島)

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 (岬から韓国を望んだが観えなかった)

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 (実際、南側の海から眺めた釜山のまち)

 しかし、自衛隊が駐屯しているからといって韓国人観光客が敬遠しているかと思えばそうでもない。15年ほど前、対馬は国境の町という利点を利用して起死回生の作戦に出、韓国人観光客の受入れを決断した。そして今や韓国人観光客が来なければ対馬経済も成り立たないのも現実。一方、日本の観光客なんぞあまり来ない。

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 (韓国からの観光客で賑わう展望所)

 対馬観光が韓国側で大々的に宣伝されツアーが行われてきた結果、今では人気のコースだそう。その証拠に、私が対馬で出会った観光客のほとんどが韓国人で、この事業は何とか軌道に乗っているようにも観えた。よって、日本ばかりに固執していては展望が開けない、よい例でもある。

 しかし、光もあれば影も差し、対馬は韓国に対して多くの悩みを抱えている。まずはゴミ。韓国人からの持ち込みゴミは想像以上で、さらに海岸に打ち上げられる漂着ゴミはすさまじい量だ。中には違法に張られた漁業網、筒などの漁具、そして陸地からのゴミ、蛇が籠にたくさん詰め込まれたまま漂着する事もある(もちろん死んでいる)。

 近年問題となった韓国人による不動産取得だが、最近は手放す方が多いとのこと。一時期は、対馬にたくさんの韓国人観光客用の民宿が立ち並んだが、商売にならないとなると撤退も早い。

 もちろん、住民の間でも軋轢はあり、観光業に関係している方々と、そうでない方では考え方も異なる。しかし現状現実には逆らえないので、感情問題は、一歩一歩、徐々に理解を深めるしか方法はないように思える。

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 (こうした看板もある)

 ただ、韓国人観光客を大切にしない風潮が続くと、いざとなると困る場面もでてくる。これが直接の原因ではないが、現に大震災の影響で2011年は客足が遠のき、韓国側の船会社も週末だけの運行とし、それが韓国側、対馬側双方で不評を買う事態が起きた。韓国側による対馬観光産業はある意味ピンチと言ってよいかもしれない。

 だが、こうした観光交流こそが平和への礎となる早道であると思う。お互いを知れば、韓国の人も『対馬は韓国領』と騒ぐ人間も少なくなるであろう。もちろん、例外もいるが。

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  (船着場は韓国人観光客で賑わう)

 以上が対馬の例だが、与那国はどうであろうか。

 もう一度、この島の位置を確認しよう。

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台湾(接近部)約111km
石垣 約127km
尖閣列島 約150km
那覇 約540km
東京 約1,900km

 与那国から石垣と台湾へはほぼ等距離。那覇などは500キロも離れているので、島からの感覚ではとっても遠い存在であり、天気予報で那覇の天気を示されても目安程度にしかならない。むしろ台湾の天気予報を流してくれ、という感じだ。因みに、台湾のテレビは、技術的に観られるはずだがお目にかかる事はなかった。

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 (NHKでは、きちんと八重山地方の天気を伝えている)

 与那国島は、2009年には島に籍を置く定住人口がついに1567人(世帯数770)まで減少し、今(2011年)でこそ人口1600人程度だが、危機的な状況にある。

 しかし、戦前は4千人程度、さらに、籍を置かない滞在人口が常に約1万2千人から2万人もいたほど活気があった。(参照:『‘国境のまち’再生/与那国島の国境交流推進事業報告書』 与那国町、内閣府沖縄総合事務局発行〔平成21年3月〕)

 山手線の内側程度の面積の、特段資源もない島なのになぜ昔は1万人以上も人が居たのか。それは、当時は‘最果ての島’ではなかったからだ。

 与那国島の西、およそ110キロ程度に台湾が浮かんでいる。与那国から観た台湾は、それはまるで大陸を眺めているかの如く大きくて神秘的であり、台湾の高い山々がこちらを呼んでいるかのようだ。

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 (与那国から台湾を望む)

 台湾は、戦前は日本統治下であったため国境が存在しなかった。そのため、自由に行き来することが出来、琉球と台湾とを結ぶ架け橋の途上にある重要な中継点としてとても賑わった。

 与那国の民族資料館の池間苗さん(御年90歳)は、戦前の与那国を良く知る。
 
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 (池間さん)

 池間さんのお話によると、戦前は、三井商船の船が、内地と台湾の基隆港とに航路を開いていて、内地の文化が台湾を経由して与那国、そして琉球(沖縄)方面へ運ばれていった、という。つまり、那覇よりも与那国の方が文化的に洗練されていて、池間さんが那覇に行ったとき、内地のハイカラな服装を観た那覇の人に逆に嫉妬を受けたほどだったという。

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(台湾経由で入ってきた陶器、メイドイン ‘占領下日本’とあるが、これは、日帝時代の台湾製よりも、GHQに占領されていた日本が台湾へ輸出した可能性が高い)

 だからといって与那国島が決して住み良い島という意ではなく、『‘よなぐにしま’出身』とは恥ずかしくて言えず、池間さん曰く、『よなぐには‘いやなくに’』と当時そう揶揄されていたという。因みに、与那国の人は、与那国島のことを『ドゥナン チマ』と呼ぶ。チマとは‘国’の意である。

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  (戦前の与那国で使われた生活道具:与那国の民族資料館にて)

 台湾は近いが、一方、他の沖縄の島々とは距離が大きくあった。1936(昭和11)年以前は、与那国と石垣の間に船便は月に2,3便しかなく、電報ですらその船便で届くといった状況だった。

 その後、新里和盛という人が郵便無線の開設に尽力し、1936(昭和11)年9月、那覇郵便局無線との間で電信を開始した事が、与那国島最初のテクノロジーだった(プログ:与那国民族資料館参照)。いくら台湾が近いといっても、絶海の孤島には違いなく、しかしそれは、台湾との中継貿易で賑わう島において、無線一つもないのは国防上問題だったからもあるだろう。昔からそうした整備は遅れがちで、今の自衛隊問題にも通じるところはある。今では、郵便物は主に航空便で運ばれる。宅急便はみかけない。

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 (現在の与那国郵便局)

 そして、第二次大戦で日本が完膚なきまでに敗北して台湾が日本から離れ、与那国島がアメリカの施政権下になった。しばらくは密貿易という形で栄えたが、徐々に取締りが厳しくなり交流が途絶。以来、与那国島は一転して絶海の孤島+ただの辺境の島に転落してしまった。

 主な産業がない与那国島はこの60年間で大きく人口が減少してしまった。島を復活させるにはどうしたらいいか。それはやはり台湾との交流を進めるしか道はなく、与那国の行政は、国の支援も得ながら台湾との交流事業に力を入れてきた。

 次回は台湾との交流について書く。
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2011年10月22日

BBCと東上線

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 与那国の話から少し離れて小休憩・・・

 今、BGMにはまっています。これらBGMを聴くと、当時の時代時代の自分を思い出します。


●  一つは、BBC.

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 今、BBCのNEWS のオープニングにはまっています。

 数あるニュース番組のオープニングも、やっぱりBBCが一番いいなあぁ。これ観ると、イギリスにいた時を思い出します〜。

http://www.youtube.com/watch?v=U2Iq76m9g6k&feature=related

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3400974

 イギリス国内版は、夕方6時と10時のニュースの時はこのオープニングが出て、次に、各地域のローカル局になります。朝がたのブレックファストは、何だかリラックスしているキャスター2人で進められ、これを観ると、学校へ行かなきゃ、と感じてしまいます。

 イギリスには居なくても、BBCワールドしか観れられるけど、残念ながら、うちのケーブル局はBBCを配信してないので、海外に出た時のホテルでしか観る機会がありません。日本では観ないのでこれ観ると、海外に行きたくなります。

 http://www.youtube.com/watch?v=MgR5AFsqaIY

 ヨーロッパでも、ベルギーとかオランダはBBC英国版が観られますので、現地の放送じゃチンプンカンプンだったのですが、BBCが受信できたおかげで、イラク戦争の開戦の様子が観られたのを思い出します。

 因みに、アメリカ ABCやCNNは・・・正直、何言っているのかよく分かりません。


●  二つめ・・

 いいねぇ〜、この東武東上線の池袋駅の旧メロディー。

 『Passenger』っていうんだ?。知らなかった。神戸の女性アマチュア作曲家が作曲したそうで、1991年8月、東武宇都宮駅を皮切りに上の各駅で使われるようになったとのこと。


 学生時代を思い出すぅ〜、一番東側の番線で、対向電車が入線しないと発車できないから、過密な朝のラッシュ時間帯が特に、このメロディーが発車ギリギリまで流れるんだよね。あと、最終電車もエンドレス版が聴けたらしい。「今日は何回聴けるか?!」でくだらない期待をしたものだ。半音上げ下げってゆくのがまたいい!

 なくなってしまった、らしく、寂しい限りです。



 http://www.nicovideo.jp/watch/sm12885813

 携帯の着信音にしたいな。できないかな?

 1998.7.18 東武伊勢崎線 浅草〜東武動物公園 (3).jpg
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2011年10月19日

なぎさの中の孤島 (与那国の選挙事情 ) 与那国島〜

与那国の選挙事情

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 (与那国島の位置)

 命がけの選挙

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 与那国の議会はもはや行政のカーボン紙のような役割しか機能していない事を悟った。なぜそうなるのか。そこはやはり、この島の選挙事情によるものなのではないかと思い、主に野党系の議員さんたちからいろいろと事情を伺った。

 島の議会は、現在定数6に対して反保守派議員が2人いる。その野党系議員とは民主党系なので、日本国会とは全く逆の様相だ(2011年8月時)。それでも全国の地方議会において反対派がいるだけまだマシらしく、与那国も近年まで反対派議員がいなかった。つまり、オール与党議会であったという。

 事情が変わったのは自衛隊誘致の問題が出てきたからだ。

 与那国島は過疎化が相当ひどく進み、現在では人口が1600人ほどまで減っている危機的な状況だ。同じ最果ての島である小笠原村でさえ約2800人いる。そして、与那国はただの離島ではなく、国境の島である事も忘れてはならない。そこで、過疎化と国境警備問題を同時に解決するため自衛隊を誘致しよう、という動きが始まった。しかし、ここは沖縄、そう簡単なものではない。

 沖縄県、特に先島(八重山)地方ではこのような軍事的な話は相当抵抗感が漂っている。そこには、すでに消えたかと思っていた‘イデオロギー色’が強くあり、社民党・共産党系(俗に革新系)の力がけっこう強い。

 2011年8月から9月にかけて、私は与那国や石垣で八重山毎日新聞を散々読んだ。この新聞は、現地でとても多くの世帯で読まれている主要新聞であり、その内容はかなりローカル色満載だ。例えば、東京で野田首相が誕生したことよりも、八重山の教科書採択問題が一面を飾っているなど。

「あ〜、ここは沖縄なんだな」と強く実感した瞬間だった。

 しかし、沖縄では革新系の新聞ばかり溢れ、それに対する反対意見はなかなか読むことが出来ない。西表島で酒を一緒に飲んだ農夫からは、ほんの少し右よりの事を言っただけで危険思想扱いされた事もあったほど、人々に革新系(この表現好きではないが)の考えが相当浸透している。

 解らないわけでもない。沖縄の人々にとって内地はヤマトであり、琉球は琉球である。中国とヤマトの間をうまく生き延びた自負があったのに、明治のときの琉球処分で日本に併合され、さらに戦時中、日本軍に悲惨な目にあわされ、見捨てられ、米軍統治下の屈辱を味わい、そして日本に戻っても在日米軍によって県民は悩んでいる。当然、本土とは温度差があり、心の奥底ではヤマトに対する複雑な感情が沈んでいる事に対して無視はできない。

 しかし、そんな中、与那国はどうも少し事情が違うようだ。他の八重山の島々のようにイデオロギー的な対立は少なく、そして政治的にも保守系が強く、教科書採択も右より系の教科書を支持している。逆に、反戦とか声高だかには聞こえてこず、主に島外出身者の方がその傾向が強いように感じた。

 だが、与那国にも変化が起こっている。

 町議の選挙結果を観てほしい。以下は昨年9月(2010・平成22年)のものである。

 投票総数 1,172 投票率 97.83%

当 崎元 俊男 サキモト トシオ 男 45 無所属     新      171

当 前西原 武三 マエニシハラ タケゾウ 男 56 自由民主党 現 農業   161

当 崎原 孫吉 サキハラ ソンキチ 男 67 自由民主党    現 会社代表 161

当 田里 千代基  タサト チヨキ 男 53 無所属 新 団体役員 144

当 糸数 健一  イトカズ ケンイチ 男 57 自由民主党 現 農業 142

当 嵩西 茂則  タケニシ シゲノリ 男 49 自由民主党 現 農業 140
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次点 大嵩 長史  オオタケ ノブフミ 男 41 無所属 元 農業 132
(与那国町ホームページより)


 どうであろうか。気づくことは、当落ラインがわずか8票差で決している現実と、トップ当選は、反保守系の議員である。

 島では、選挙となると内地ではバリバリ選挙違反になるような事が平然と行われている。この1票の重みこそが島民の心を荒らし、そして不正の温床となっているのだ。

 それは、過去の町長選挙に如実に現れる。島では、自分が支持した候補が落選すると仕事が回されず干されしまい、一転死活問題につながる。島の産業は主に農業・漁業と土建業、公務員、そして観光業であるから、町役場と繋がりのない産業は少なく、それだけ役場の影響力が強い。

 農家も、仕事がない時は土建業のおこぼれをもらおうとする。よって、自分が支持した候補が落選すると、例外なく大変な冷や飯を食わされるなど、選挙結果次第で地獄となるのだ。土建業においては、負けたほうは入札すらできなくなるし、役場職員も同じ職場の役場内でも対立構図ができる。

 さらに、これは与那国の例ではないが、例えば、町役場の役職つきの者が反体制派を応援したために、一転してごみ収集に左遷させられる、といった過酷な運命も。

 一例として挙げる。

 前回の診療所の医者であるが、建前は『医師を探すのが大変』ということで東京の団体に丸投げしたのだが、実際、石垣島のかりゆし病院というところに、「与那国での診療をしたい」というお医者さんがいるらしい(もちろん、あれよりも安い報酬で)。しかし、『反保守系に属する人』ということで対象外となっているようだ。

 与那国にかかわらず、離島のいくつかの島の選挙は、本当に血みどろの戦いになるケースがたびたび発生し、それは、このような縁故の復讐といった背景があるからだ。ただ単に娯楽が少ないから、という理由ではない。

 それが嫌ならば、そうした対立を生まないために全会一致を優先させたオール与党体制にするしかない。与那国ではそれが長く続いてきた。なぜならば、それが島民にとって幸せなのだから。

 しかし、前町長が亡くなり今の町長となると、一転して自衛隊誘致賛成を表明し、そのため、賛成派対反対派という形で対立関係が発生してしまった。亀裂が生じた島内の狭いコミュニティーは決定的なしこりを残し、果てしない住民対立と人間関係の荒廃が始まり、その連鎖がなかなか解消されないでいる。

 そうした経緯を経て、昨年の与那国の議会選挙にその影響がでた。

 当選議員は保守系の人数が多いが、トップ当選が反保守系である事に注目したい。そもそも、反保守系で立候補すらけっこう勇気がいるのだが、仕事が干されるかもしれないのに、多くの住民は数少ない反保守系に投票したのだ。

 トップ当選したその議員は、島の酒造会社の社長で45歳と若い。私は彼と泡盛を交わしながらお話を伺った。

 「それまで革新(野党)議員がいなかったんです。でも、オール与党体制が長い間続いたため、町民の中には保守系への嫌悪感が限界に達していました。行政側の独善に抵抗し、少しでも町民の意識を変えてもらうことを主眼としています」

 これはかなり驚くべきことである。なぜならば、反体制派に票を入れることなど、この島では勇気のいることであるから。

 何を意味しているのであろうか?

 普通、内地の都会の人間は、秘密投票があたり前の事だと思っている。秘密投票とは、誰が誰に投票した、などと第三者が絶対知ってはならない事で、民主主義の基礎だ。あの投票所の仕切りも心もとないが、一応、秘密投票であるという認識の下、私は候補者の名前を書いている。

 ところが、与那国の一部はそうではない。いわゆる買収選挙(誰へ入れるよう金を渡す)と、本当にその人がその候補者に投票したかどうか監視をしている、との事だ。

 選挙は祭りである。昔から政治は‘政(まつり)ゴト’と言われるように、選挙時に盛り上がる輩は必ずいるもので、いろいろなやり方で選挙を妨害したりするらしい。不正選挙で一つ有名なのが『リレー投票』と呼ばれるもの。これは、ここ与那国でも主要な監視手段だ。

 リレー投票とは、選挙管理関係者とつるんだ人間がまず投票所に行き、投票用紙を持ち帰らせる。そして、買収した投票者にあらかじめ候補者の名前が書かれた投票用紙を渡して投票させ、また白紙の投票用紙を持ち返させる。そしてまた次の人に候補者の名前が書かれた投票用紙を渡す。それを何回も繰り返すのでリレー投票と呼ばれる。そして、最後に事務所の人間が2枚投票して終わる。

 たいていは、白紙を持ち帰った時点で報酬が支払われるらしく、無駄金を使わないで確実に投票させて確認が出来るという点で暗躍しているらしい。

 因みに、町議員に関しては、一ヶ月の給与が19万円ほど、議長になれば25万円ほどであり、買収するにも割に合わないかもしれないが、体制派議員となればいろんな口利きの報酬などもあるのでペイするのだろう。

 因みに、ここの町長の給与は73万円ほど。 

 ついでに他をみてみると、複数の島を管轄する隣の竹富町長は68万円と与那国よりも低く、さらに、人口4万8千の石垣市長が81万、那覇市長が97万と比べてみれば、人口比でいかに与那国町長の給与が高いかわかるだろう。

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 (他の沖縄県内の首長の給与)

 反対派の崎元議員、田里議員は、3月において給与削減案を議会に提示した。町財政が苦しい中、町長の給与が他の自治体に比べて高すぎだとして減額賛成討論をしたが、否決された。

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 (町長報酬減額案の賛成討論の原稿とその案)

 こうしてみると、買収してでも議員や町長に当選したい気持ちが出、また、これを許してしまう風土となるのは仕方がない。しかし、法律が機能してない点はまた別問題だと思う。影での買収選挙は、住民の人間関係や意識が変わらない限り現状では防ぐ手立てがない。

 だが、百歩譲って、投票時の秘密投票だけは何とかならないものだろうか。これは、民主主義の最低の線であり、絶対条件である。

 日本国憲法の第15条で『投票の秘密』が保証され、さらに公職選挙法46条で「無記名の投票」、同52条で「投票の秘密保持」が保証されている。同226〜228条には罰則も規定されている。同68条6項の、投票用紙に対する他事記入禁止規定も投票の秘密を保持するためのものである。

 また議会の議長選挙でも秘密投票が行われている。

 リレー票などは法律違反/憲法大違反だ。

 日本は、どこかの未成熟な国へ選挙監視団を派遣しているが、そんな先進国家ヅラした国の選挙が、不完全な発展途上国か社会主義国顔負けの不正選挙をやっているようでは、とても国際社会に顔向けできないではないか。言ってみれば恥である。

 これを正常にするには、土着の島民では無理かもしれない。

 鹿児島県の徳之島に伊仙町という町がある。ここは闘牛で有名な島だが、住民も血気盛ん。毎回の町長選挙では目に余る不正選挙で毎回、選挙結果をめぐり混乱し、ついには殺人事件さえも発生した。

 背景には、とある病院財閥と反財閥系との抗争があるのだが、島外より住民票を移させるなど不正が露骨だったため、見かねた鹿児島県警は、機動隊部隊を伊仙町に派遣し、徹底した選挙監視を実行した。つまり、よそ者が選挙管理委員会を取り計らい、そして監視するしかないのである。

 選挙がこのような選挙なので、町民の民意というものが歪められ、民意よりも均衡ある利益の分捕り合戦の末の結果が今の与那国の行政と議会なのである。

 しかし、自衛隊問題の出現で事態は単純なものではなくなった。次回は、国境の島という立場からみた与那国について。

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2011年10月16日

なぎさの中の孤島 (孤島の医者のこと) 与那国島〜

 破格の待遇

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 前回から・・・(与那国町役場で開かれている定例議会の傍聴をした筆者は、診療所の問題で悩む自治体の苦悩と、おかしなお金の存在を知る)

 2番目の議案に移る・・・

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                (総務財政課長)

  Dr.コトー診療所という漫画を知っているだろうか?

 小学館の漫画誌、『週刊ヤングサンデー』に連載されている『Dr.コトー診療所 (山田貴敏 原作)』という漫画がある。
 医療で島住民の信頼を築きながら離島医療の現実を描いたもので、その舞台は、鹿児島県のある離島がモデルだが、まさに今の与那国島の現実も同じ。毎回、島の住民の誰かが重病や大怪我となり、内地の病院に運んでいては間に合わない、という事情で名医が毎回診療所でメスを捌(さば)く、という展開が多い。一方、離島ならではの人間関係、ドロドロした医者の世界などもこの漫画の特徴であり、多くの人に共感を与えている。

 その作品と与那国がどのような関係があるかといえば、これがドラマ化し、フジテレビ系列で不定期の連続ドラマとして放映された。そのロケ地が与那国。今でも、ドラマで出てきた建物などが観光名所として扱われている。
 
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 (ロケ地、ドラマの中では‘診療所’)  

 では、現実の与那国町の診療所はどのような状況なのだろうか。
現在(2011.8月)、歯科医と診療医(1人で内科,神経内科,小児科,外科,整形外科,皮膚科,産婦人科,眼科,耳鼻咽喉科を担当)があり、計2人の医師が常駐している(もう一人は歯科医専門)。

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 (与那国島の本当の診療所)

 つい先日、私が泊まっていた宿で急に産気づいた女性が苦しみだして診療所に運ばれた。しかしそこでは処置できず、ヘリコプターで島外の病院に運ばれた事があった。緊急時には一応、ヘリコプターで緊急搬送する体制は出来ているが、島で子どもが産めないとは悲しいものだ。

 それでも島の人たちにとって唯一の病院、診療所は絶対なくてはならないもの。だから医者に関しては敏感だ。
 
 話は議会に戻る。

 一つ前の議案は、以前成立した条例がお金の面の修正が必要、というものだった。その条例とは、新たな医者探しと運営を社団法人に委託するというもの。お気づきの通り、一連の指定管理者選定はどうもお金の匂いがプンプンしている。もちろん、これを野党系議員も指摘したが、反対ゼロで可決された。

 これでは、今までにない多額の金が際限なく一社団法人に渡ることになる。表向きは医師不足解消という反対の余地がないことを掲げているが、実は、この社団法人に決まったいきさつ、お金等、この島特有の利権が絡まっている、という事を私は後で知ることになった。

 さて、この日の二つ目の議題は、次から来てもらうお医者さんの報酬を、一日8万円、交通費14万7千円、計22万7千円を医師に支払う、というもの。‘一日に’である。月間にしたら約280万円(18.5日間勤務)、島民の平均年収以上となる。
 
 名目上は、毎日東京より通勤する、という形をとるが、実際は毎日島に常駐するので当然交通費はかからないし、東京から通勤するなんて常識では考えられない。しかし、行政側は平然とそれを公言し、突っぱねようとするのだ。

 要は、医者の報酬としてこれ以上上げられないが、交通費という名目で処理しましょう、という事らしい。因みに、今の診療所の医者の報酬よりもずっと多い。

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               (外間〈ほかま〉町長)

 反対派議員からは、

「いくら医師不足といえども、一日22万は高すぎる!ただでさえ財政難なのに、これでは町民の理解は得られない」

と噛みつく。しかし、総務財政課長は、

「医療の空白を生まない為にやもえない」

の一点張りで、交通費が発生していないのに多額の交通費が支払われる点について触れない。

 結局、議長の、

「相手が医者だからなぁ〜」

の一言で雰囲気が変わり、そして一旦休会となった。

 すると、何やら議員と町長が与那国方言で議論をし始めた。どうやら、本当の議論はこの『非公式』なところにあるようで、後で聞いた話では、私がいるために異例の‘与那国語’を使ってわざと解らないようにしたらしい。それだけ、外の者に詳細を知られたら都合が悪いものかもしれない。

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 反対派議員は粘り、上限設定などの案でもって討論まで持ち込もうとしている。
 
 地方議会で言う『討論』とは、議員は、表決の前にどのような理由で賛成・反対するかを明らかにし、他の議員に自らの意見に賛同してもらうよう訴えることだ。それは法律で許されており、全会一致以外において逆に省略されれば違反となる。ある地方の旧態依然とした議会では、討論はよく反対派のパフォーマンスだ、と冷たい視線を向けるところが多く、討論省略のところもあるという。

 私は討論を期待した。討論がないと、いくら質問時に反対意見を述べても結局討論なしの採決で賛成したら、それは実質全会一致と変わらないからだ。
 さらに、討論が一切ない事は議会の存在そのものが問われる。つまり‘死に体’議会であり、行政のカーボン紙的役割にのみ落ちたなら、それは単なる民主主義ごっこに過ぎなからだ。

 しかし期待は無駄だった。

 方言で町長と反対派議員とのやり取りが20分ほど続き、役場の課長達は議場を一時退席してしまう倦怠感が漂う。そして、賛成派議員から、「議長、いい加減に再会!」とまくし立てられ、本会再開。

 結局、反対派は賛成派に説得されたようで、
 
 「委員長報告は終了します。討論はございませんか」
 「なし!」
 「それでは採決に入ります」

 採決では反対ゼロで可決となった。こうして、新たにくる診療所の医者は破格の待遇で迎えられる事になった。因みにこれは‘国や県’からの補助金で支払われる。

 なお、三番目の議題については、島の西の端、久部良漁港の排水溝工事の工期と予算の拡大延長に関する件で、これも反対ゼロで可決され、予定より40分オーバーして、2時間40分で閉会となった。

 自衛隊のことについて何かあるのかな?と思い議会傍聴をしたのだが、思わぬところでいろいろ考える機会をもらった。
 因みに、与那国の財政の9割!が国や県からの補助金であり、それは我々日本国民からの国税から賄われている。決して、『島の事だから関係ない』ではないのだ。

 たった一日だったが島の議会を傍聴していて思ったことがあった。それは、議会が形式化し、これでは行政の暴走を止められないなぁ、という事だ。これは、議会や町長の選挙にすべての癌が集まっている。

 次回は与那国の選挙事情について。

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2011年10月14日

なぎさの中の孤島 (傍聴の席) 与那国島〜

 傍聴の席(いす)

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(与那国島位置)

 この島には魔物が潜んでいた。

 その伏魔殿の前に立った。

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 2011(平成23)年8月23日、私は日本最西端の島、与那国島の町議会を傍聴しようと与那国町の町役場を訪ねた。

 よくある本土の豪華な役場とは異なり、かなり年季の入ったコンクリート造りのその舎は、観た目とは違い頑強な城のように感じた。何せ、一介の旅行者が城(役場)にノコノコと現れるものだから、自然と職員の視線が冷たく突き刺さるのも無理はなかった。

 「あのう〜。ここで10時から議会の定例会が開かれる、と聞いたのですが・・・」

一階の総務財政課の札の下で、おばちゃん職員に恐る恐る聞いてみると、

 「テイレイカイ?何の用なの?何?傍聴?それなら、二階の議会事務局に行ってちょうだい!」

と突き放された。
 自分のところの市の議会すら傍聴したこともないのに、何でよそ様の町の議会を傍聴しようとしているのか?正直、自分自身に問い詰めていたが、ここまで来たら引き返しできない。こうして二階へ登ってゆく。

 二階の奥の方にズンズン進んでゆくと、『議会事務局』というセクションを見つける。どうやらここで傍聴の手続きをするらしい。傍聴する事なんて別にたいしたことではないだろう、と思っていたが、意外にそうでもなかった。

 傍聴するには、傍聴簿に名前と住所を書けばいいだけなのだが、その手続きが少し厄介だった。簿が置いてある棚のような机を挟んで正面にドデンと座っている、厳(いかつ)い面構えをしたおっかなそうなおっちゃんが私にいろいろ聞いてくる。

 「傍聴?何で傍聴しようと思ったの?」「誰からこの定例会がある何て聞いたんだ!」「マスコミ関係じゃないよね?」
 
 何だか、傍聴がどうも普通の行いではないことを内々に悟る。このおっちゃんは、島の議会の議長さんであり、保守系に属する前西原武三氏。老眼鏡をずらして‘ギョロ’と鋭い視線を終始向けながら、私が傍聴簿を書き終わるまで無言でいた。

 傍聴簿を開くと・・・誰の名前もなかった。つまり、私は今年一番初めに訪れた傍聴者という事なのか?その点はよくは解らないが、傍聴者が現れる、という事は非日常のことである事はこの瞬間、察しがついた。

 沖縄県八重山郡与那国町。日本最西端の島で有名だが、小笠原諸島の母島よりも南にあり、一番南にある有人島、波照間島に比べて若干北にあるが、日本領土の一番端にある点で最‘南’端の趣すら感じてしまう最果ての島である。

 この島の町議会をなぜ傍聴しょうとしたのか。それは、昨今世間を賑わしている自衛隊問題を議会が議論するのではないか、という‘ちょっとした期待’が入り混じっていた、と告白しなければなるまい。しかし、当日は自衛隊問題は議論の対象ではなかった。

 傍聴簿への記載が終わると、職員より傍聴席へ案内される。すると、長い間使っていなかったのか、部屋鍵の立て付けが悪くてなかなかドアが開かず、さらにやっと開いても、傍聴席の長椅子にけっこう埃が溜まっていて、職員がせっせと雑巾で拭く始末。傍聴席はまるで監獄のように鉄格子で区分され、そしてクーラーも壊れているわで居心地は非常に良くなかった。

 午前10時、定刻通り議会が始まった。まずは、お約束どおり、議長の開会の宣言と、形式的な議事の運営がなされてゆく。

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 議場には、議長と事務局長(副議長格)が一番上の壇上(といってもそれほど高くはない)に座り、右側列に産業振興課長、空港課長、総務財政課長、町づくり課長、そして一番前に町長(外間守吉町長)が座っている(副町長は空席)。

 左列には、後ろから、書記、福祉課長、診療所課長、教育長、出納室長などが座り(1人欠席)、これが行政側の面子。一方、町議の方は、正副議長を除いて4人出席しており、うち2人は反対派(野党)系議員のようだ。つまり、定数6に対して与党(自民党系)系が4人ということだ。

 今宵の議題は3つ。一つは、診療所の指定管理者の問題。

 なんじゃそりゃ?と思ったが、要はこういう事だ。

 今、多くの離島では、診療所のお医者さんが慢性的に不足しており、お医者さん探しはその島にとって相当な負担だという。そこで、今まで町が自ら行っていたお医者さん探しを、とある医療系の社団法人に任せて、診療所の管理・運営もやってもらおう、というもの。
以下がその新聞記事。

 http://www.y-mainichi.co.jp/news/18509/
 【6月14日・八重山毎日新聞より:【与那国】6月定例与那国町議会(前西原武三議長)が13日に開会し、初日は与那国町診療所設置および管理に関する条例など11件を原案通り可決した。14日は11年度一般会計補正予算など補正予算5件を審議する。
 会期は22日までの10日間。一般質問は21、22の両日に予定している。

 町診療所設置・管理条例は、診療所の管理・運営を指定管理者に委託するもの。
 町では、(社)地域医療振興協議会(吉新通康理事長)=東京都千代田区=を指定管理者として、10月1日から町診療所の指定管理を委託する計画。町では同協議会と3、4年前に診療支援協定を結び、月に1回、5日間、医師の派遣を受けている。
 7月に同協議会が町内で議員を中心に説明会を開く予定。それを受け、町では8月までに臨時議会を開き、同協議会を指定管理者とし、10月1日の指定管理を目指す。

 同診療所では、2001年6月から花村泰範医師(49)が常駐し診療業務に当たっているが、10年の節目で退職を申し出ていた。
 町診療所施設の管理運営する指定者に対し、初期運営費用を貸し付ける基金を設立する「町診療所指定管理基金条例」も可決。町では今回、一般会計補正予算で2000万円の積み立てを計上している。
 このほか、比川地区に設置した共同売店の指定管理や利用料金などを定めた「比川地域共同売店の設置および管理に関する条例」も可決した。】


 この件は、今年6月にすでに議会を通過し決まったものであるが、今宵は、一部この件で条例の改正が必要になっていたため、総務財政課が急いで議会に上程した、というものだった。

 しかし、その指定管理者団体を決めるのに、本来は公募であるはずなのに、実質公募ではない、という点を反対派議員から指摘を受ける。要は最初から決まっていた、というものらしい。もともと、東京のこの社団法人には、すでに2,3年前から半委託のように支援協定を結んでいて、実績を積んだ末に指定業者にしよう、としたわけだ。つまり、条例では公募なのに全く公募でではなく、条例と違うではないか!というのだ。

 問題は、担当の総務財政課長の答弁だ。

「条例では、『公募でないものもありうる』とあり違反していない」と答弁。さらに、当初費用より積みあがったため、条例の一部改正が必要となった。

 すったもんだ挙句、反対ゼロで結局可決された。

 何だかいきなり分かりにくい内容だったかもしれないが?・・・それでは次の議案は? これはけっこう単純であるが。

 実は、問題はこの第2番目の議題だった。

 (次回は16日 日曜日ごろ)

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2011年10月12日

スロバキア、世界から注目される

(ちょっと与那国から離れて番外編)

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111012-OYT1T00082.htm?from=top

スロバキア

また欧州の小国が世界的注目を浴びていますね。

ここで、スロバキアという国はどんな国か、少し書かせてください。

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(スロバキアの位置)

スロバキアは人口約540万人、このレベルでは
デンマークやフィンランなど北欧諸国と同等程度で、欧州の国々の規模レベルでは決して小さくはない国家です。因みに、ギリシャの半分の人口です。

国家は選挙で選ばれた大統領がいて、議会制の中で選ばれた首相が行政を執行しています。今の首相はラディツォバー首相という女性首相のようで、初めて昔の共産党系ではない内閣を組閣したようです。

面積は九州より少し大きい程度です。

簡単な歴史ですが、私たちは以前の『チェコスロバキア』という国名が頭から離れていないかと思います。中世の時代、お隣のチェコ(ボヘミア)が長年オーストリアに組み込まれていた準独立王国であったのに対し、スロバキアはハンガリーの勢力下に組み込まれた歴史から、チェコとスロバキアは当然文化も気質も性格が異なります。

第一次・第二次対戦後に成立した『チェコ・スロバキア連邦』という国は、スロバキア側からすれば対等連邦の想いがあったのですが、長年チェコ側優位の体制で存在し続けた為、社会主義政権崩壊後、ヨーロッパの民族意識が台頭した事もあって、1992年大晦日、連邦は解体され、スロバキアが‘分離独立’したかたちでそれぞれ違う道を辿ることになりました。この連邦解体はビロード離婚と称されています。

首都はブラティスラヴァ(Bratislava)という町で、人口約43万(横須賀市ほど)です。ウィーンから50キロという近さにあり、隣のチェコ国境とオーストリア国境は目の鼻の先。ドナウ川が市内を流れていて、城から眺めるドナウの流れはとても美しいです。

4.ブラティスラバ城展望1.jpg5.ブラティスラバ城展望2.jpg12.ブラティスラバ城夕陽.jpg6.ブラティスラバ城.jpg
 (ブラティスラバの町と城とドナウ川)

1.ブラティスラバ駅舎.jpg3.ブラティスラバ駅構内2.jpg
 (ブラティスラバ中央駅)

スロバキアは2009年1月にユーロに入りました。それまでは『スロバキア コルナ(SK)』という通貨でした。隣のチェココルナに対して0.72程度、チェココルナから見れば1.38程度と額面だけ見ればチェコのほうが強かったです(2002年時)。2005年9月初旬のレートは、1€≒約38.5 SK、1SK≒約3.5円、チェココルナに対して同0.76、1.31程度と3年で5.5%ほどスロバキア コルナが上がり、それまでは経済は順調でした。

 お金 旧東欧 スロバキア 表@.jpg
 (旧スロバキアコルナ札)

スロバキアの人は、何かとチェコと対比したがります。だから、チェコがユーロに入っていないのを横目にどうしても背伸びしてユーロに入りたかったのだと思います。国は農業国ですが、チェコが有数の工業国ですので、チェコ側から観ればお荷物だ、と言っていました。

スロバキアへはウィーンから近郊電車で1時間ほどでいけます。東西に細長いので、東部はハンガリーやポーランドにも出られますし、ビザさえあればウクライナにも行けますが、これは交通の便がよくありません。

8.ブラティスラバ トラム1.jpg9.ブラティスラバ トラム2.jpg10.ブラティスラバ トラム3.jpg
 (ブラティスラバ市内のトラム)

ドイツからの国際列車がチェコ側からスロバキアを経由してハンガリーに向かって走っています。よって、経済圏で考えた場合、オーストリアとチェコ、そしてハンガリーと一体となった感じですが、チェコとハンガリーは異なる通貨ですので、この辺一帯はの通貨模様はとても複雑ですね。

17.ブラティスラバ駅.jpg20.ブラティスラバ〜キッサク間 スロバキア鉄道3.jpg18.ブラティスラバ〜キッサク間 スロバキア鉄道1.jpg
 (ブラティスラバから列車で東へ)

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23.ブラティスラバ〜キッサク間 スロバキア鉄道6..jpg31.スピシュNOVA駅.jpg36.スピシュスキー方面幹線車内2.jpg
 (スロバキアの列車の旅)

そんなスロバキアが今回のユーロ危機で注目されているのです。ギリシャに比べて国民は勤勉ですし、美人が多く、でもあまりお金持ちではないので交通機関は安く設定されてます。そんな国民からしてみれば、怠け者のギリシャを助けるなんて感情的には相当な抵抗があるでしょうね。でお、世論調査では、『致し方ない』的に賛成する人のほうが多いらしいですが。
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2011年10月11日

なぎさの中の孤島

 辺境のなぎさの島

 
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 眩しすぎる直射光線が甲板へ容赦なく照り焼いている。この熱線はじつにすばらしく強烈だ。

 フェリーは先ほど石垣島の港を出、穏やか過ぎる青潮の中をドンブラ鼓〜と波のリズムに合わせ這うように淡々と航海をこなしている。2011(平成23)年8月、私は日本最西端の島、与那国に向けて黒潮の流れに逆らっていた。

 石垣を出ておよそ4時間が過ぎたころ、水平線が少し途切れ、そこをさすように小さな島が観えてきた。

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 そう、あれが与那国島だ。石垣から127キロ、石垣と台湾の中間あたりに位置する黒潮本流の流れに立ち向かう周囲約27キロの小さな島は、切り絶った断崖絶壁の岩陰が周囲を覆い、訪れる者をそう簡単に寄せ付けない素振りを早速披露していた。

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 「うッホホーイ!〜、ヨナグニきたよ〜ん、与那国島ぁ〜」

 つい弾けてしまった私にとってあそこは単なる離島ではない。今までいろいろな島を巡ってきが、今、一つの日本の辺境を訪れようとしている。異国に一番近い沖縄の果ての島、最もお金がかかり時間もかかるこのはるかな島に以前から絶対に行ってみたいと思っていた。長い間それを描いていたがなかなか実現できないでいたが、それが今、ようやく実現しようとしている。

 同じ国境の島でも長崎県の対馬がそれほど最果て感がないのはなぜだろうか。それは、その先の『隣国へ渡れる』ということ、つまり、その交通路が控えている事実が大きい。
 
 
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(対馬からの対韓国行き旅客船・対馬にて〔2011年8月〕)

 こちらは、隣国(台湾)との定期交通路がないどん詰まり状態なので、日本人からしてみれば最果感はひとしおだろう。

 その台湾だが、条件さえ整えば島の西側から台湾の山影が堂々と観える、と誰かから聞いている。しかし、今日はその影は全く映えていない。その条件というのがいろいろあり、晴れていても海上が澄んだ空気の状態、水蒸気がない、台湾側が雲の通り道ではない、などいろいろかみ合わないと観えないらしい。因みに、与那国と台湾との間には黒潮の本流が流れ、拝める確率は年に数日程度だという。

 因みに、早朝の時間帯のほうが観えるらしいが、与那国の位置は北緯24度28分6秒、東経123度0分17秒。この東経123度というのは、上海が121度なので時間軸からみればもう中国沿岸のゾーンに浮かんでおり、実際、朝明るくなるのは日本本土より1時間ほど遅い。一方、日没が8月下旬で19時を過ぎる。

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 (与那国の位置)

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 与那国上陸


 午後3時ころ、港が観えてくる。地図によると、島の中心となる集落、祖納(そない)に港があるようだが、船はなぜかそこには入らず、わざわざ、さらに5キロ西にある久部良という漁港に入港する。一気に日本最西端の島のさらに一番西に到達したわけだ。

 
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   (一番西の久部良港へ)

 久部良の港は、絵に描いたような超壁崖の岬、西(いり)崎が目の前にそびえていて、天然のガードを固めている。

 
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  (西崎の真横にある久部良の港)

 船が港に着桟すると、20人ほどの旅客がち切れそうなつたないタラップをトロトロ降りてゆくが、数分で全員下船、舟客は実に少ない。

 
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  (与那国上陸)

 一週間に2便(与那国着は火曜と金曜、発はその翌日)程度で片道3,460円(往復割引もある)。飛行機(所要30分)の三分の一(飛行機往復割引ならその半分)程度の運賃で与那国へ着けるが、空港がある島にとって船便の重要さは薄れてしまう。

 さて、港ではこれから世話になる宿のおじぃーが出迎えに来てくれていて、すでに石垣の港で予約の電話をしてあるので何もかもスムーズに事が進んだ。さあ、これから13日間の与那国の島物語が始まる。

 
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    (おじぃー)

 おじぃーの軽トラに乗り、島の中心部へ向けて久部良集落を出る。

 
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   (日本最西端の久部良の郵便局(分室))
 
 
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 サトウキビ畑の中をコロコロと走り始めると、早速見えてきたのが『自衛隊誘致を』『自衛隊反対』の横断幕。いきなり政治色バリバリの厳つい雰囲気が訪問者のほっぺたとつねる。
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   (反対・賛成の横断幕が訪問客を早速歓迎)

 それは観なかった事にして、軽トラはポコンポコン鳴きながら島の中心集落に向けて苦走する。10分もすると、祖納地区のスーパーマーケットが現れ、宿はその隣にあった。
 レンタルバイクは一日500円の超格安で、ウェットスーツもいろいろ遊び道具もそろい、もちろんインターネットも完備しており、観光宿としては申し分ない。それでいて一泊2000円なのだから感激である。料理は基本的に出ないが、隣のスーパーから材料を買ってくれば勝手に自炊して過ごせるのでコストは最小限に抑えられる。さらに、白いご飯は宿の奥さんから提供してもらえるというおまけつき。

 私は早速この島が好きになった。

 
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   (潜伏した宿)

 ☆ ヨナグニという島

 
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 祖納の集落にはスーパーが2軒あり、どちらも似たようなも店。離島なので、おおよそ物資はすぐ腐る物以外は船便で持ってくる。そのため、その分の輸送料がドカンと上乗せされ物価がめちゃくちゃ高いのだ。
 例えば、キャベツ一個450円、ねぎが二本(それも新鮮ではない)350円、カップラーメンが220円、1リットル牛乳など500円近くするのだが、不思議とビールはそれほど変わらない。よって、与那国に来るときは、あらかじめ石垣などで食料を仕入れてくることをお勧めする。

 さて、早速祖納の集落を歩いてみよう。ここは歩いて回れるほどコンパクトサイズで、路地向かいの家々がどこも頑丈なコンクリート造りだ。
 
 
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   (祖納集落)

 中には美しい琉球造りの赤い瓦屋根を被った昔ながらの実家が軒を構え、琉球石灰岩を野積みした石垣が映え、いかにも沖縄らしい風景がここにも伸びる。

 
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  (文化財に指定されている旅館)

 また、とある軒で島の酒である泡盛を作っている倉庫も見つけ、そこから醗酵したお酒の匂いが流れては、ほのかにやられそうな事態も待っている。
 
 私はここに来るまで知らなかったのだが、沖縄では、軒の突き当りでは悪魔がここで途切れるように『石敢當(いしがんとぅ)』と書かれた魔よけの表札を付ける習慣があるのだが、これは、T字路が多い与那国の集落にとても多く貼られている。
 話によると、市中を徘徊する魔物「マジムン」は、勢いよく直進する性質を持つため、T字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられ、そこで、その魔物が当たると砕け散るとされる『石敢當』を突き当たりに貼る、との事。沖縄には日本本土にはあまりない文化があるのでまた楽しい(鹿児島県や中国、東南アジアにも点在するらしい)。

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   (石敢當) 

http://4travel.jp/domestic/area/okinawa/okinawa/kumejima/yonagunijima/travelogue/10582312/

 また、観せものではないが、この島の墓地は壮厳壮麗で美しく、また眺めの良い海岸ぺたに鎮まっており、ご先祖様を大事にしている感じが伝わってくる。

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   (祖納集落のはずれにある墓地)

 ☆ 与那国の観光資源を簡単に紹介しよう。

 
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 ‘与那国馬’

 与那国町の天然記念物の馬。

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 昔から飼育されてきた在来種の農耕馬で、体高はおよそ110-120cmとポニーに分類されるほど比較的小さく、乗馬するにはやさしい馬。まるでロバみたいだ。
 古くから農作業で共に汗をかいた馬だったが、農業が機械化されたのと、その農業自体が衰退されたため、今では観光用として細々と保存活動が行われている。
 一時期は59頭まで減ったらしいが、今では保存活動のおかげで復活してきており、オスよりもメスが重宝される。オスはペット用8歳程度で、7万円くらい、とのこと。また、観光客を見ると馬は、「また乗せるのか」と悟り逃げようとする。

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 ‘西崎’

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 Vいりざき′と読む。北緯24度26分58秒東経122度56分01秒、ほとんど上海程度の位置にある。もちろん日本国最西端。
 東西南北・日本の最果てシリーズの中でただ一つここだけが、一般の交通手段で誰でも自由に訪れることができる‘名実’一致したサイハテ地点。
 運が良ければ台湾山脈が眺められ、私は岬に通うこと3日目の早朝でやっと台湾と出会うことが出来た。

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 (西崎から観えた台湾山脈)

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 (日本領内最後の西陽、山から西崎を手前に台湾方面を俯瞰)

 また、ここでの本邦最後の夕陽は、晴れていればバンバン余裕で観られる。

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 (本邦最後の沈む夕陽)

 ‘海底遺跡 ’

 1986年にダイバーによって発見され、まるで人工的に切り出しされた岩が海底の奥深くに眠っていることから、世界最古の海底遺跡か、と騒いでいる。
 一応、沖縄県内の大学のおえらい様からは、「人が造ったものかどうか認定できない」という理由で、遺跡というスタンスは正式には認められていないらしい。しかし、もぐった者がパッと観、「すげー」「これ絶対古代遺跡だよ」と思うほど見事なものだそう。
 因みに、運がよければシュノーケルで上から観られるらしいが、事実上、ダイビング連中の独り占め 状態。私は結局予算と海流の関係上、もぐる事も観ることも出来なかったが・・・。

 ほかにも、陶器焼き物、
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 泡盛醸造、
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 ドラマ・Dr コトーのロケ地
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 その他に、与那国方言、かじき(マグロではない)、世界最大の蛾・ヨナグニサン、立神岩、
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さとうきび、長命草などが見所・名物。因みに、どなん(泡盛)はこの島の名物の酒だが、材料はタイのお米を使用している。

 しかし、この島を感じるには観光名所や名物ではない、それ以上のものを観るべきかもしれない。そして、この島特有のワールドを知らない事には与那国は語れない。

 次回はこの辺から本題に入る。(次回は二日後)

 
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2011年10月07日

フォトショップデビュー

 私は写真にはシロウトです。カメラの機種についての知識はなく、写真学校にも行った事もありませんが、撮るのは好きです。

 友人が、仕事の一環としてフォトショップで写真を加工して製作しているのを観てきました。フォトショップは触ったはありませんが、以前から使いこなしたいなぁ〜と思っていました。

 で、ためしにフォトショップに自分の写真を落として、いろいろいたずら的にいじくってみまして、これがけっこう楽しいのなんの。

 もし僕がもっと若くて、いや、子どもだったら、すごく興味をもってあれやこれやといじくった、と思います。たあ、この齢だと『どれがどれで』と操作を覚えるのが苦痛 だって、複雑なんだもん。

 さて、2003以前の私の写真はフィルムばかりなのですが、一つ引っかかっている事があります。

 実は、4年前にスキャンしたのと、先日スキャンした写真なのですが、同じ条件でスキャンしたのに全然違うのです。なんだか、ネガが劣化して薄くなった感じです。現像済みのネガはどれくらいの寿命なのでしょうか。たかだか4年でこんなに違うものでしょうか。

 これが4年前にスキャンしたものです。
 42 コルチェラ夜.jpg

 そしてこれが先日スキャンしたものです。
 42 コルチェラ夜(2003年5月.1600画素).jpg

 なんか、劣化した感じでしょ?

 それで、フォトショップで4年前スキャニング物に近づけるべく加工してみました。それがこれです。
 42 コルチェラ夜(2003年5月)加工.jpg

 う〜ん、なんかやっぱり・・・不満足。難しいな、こういうデザイン感覚が必要なものって。

 因みに、この写真はクロアチア共和国の島で撮ったものです。下が昼間の写真です。きれいでしょ?
 44 コルチェラ T(2003年5月、1600画素).jpg
 

 これをフォトショップで遊んでみました。なんだか、何でもありの世の中ですね。
 コルチェラ(2)加工.jpg

(写真は筆者撮影)
 

 
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2011年10月06日

マイルの功罪

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 いろいろと航空券の事調べていますが、スカイスキャナーで検索すると日本発以外の航空券っていうのは何であんなに安いのだろうか。何て豊富な量なのだろうか。例えばバンコク〜インド、香港〜バンコク。

 マイルを貯めたいので、LCC&指定航空会社未定以外で絞ると、どうもコストが高くつきます。マイルがつかない分、LCCはだから安いんでしょが、悩ましいです。例えばエアアジアとかジェットスターとかありえない安さ!

 飛行機を仕事や旅行で頻繁に使う人ならマイルを貯める事に楽しさがあるでしょうが、めったぁ〜に乗らない私のような人間は、マイルに拘束されている感じです。家電屋のポイントと似たような感覚かな。

 スターアライアンスのマイルと、デルタの最小限のマイルを早く貯めて消費して、マイル関係ない旅にしていこかな〜、と思っている今日この頃です。因みに、買い物や公共料金で貯めたマイル、7年かかって沖縄まで行けるようになりました。

 単純往復で指定航空会社なしやLCCだけでアジアやインドを回ったらけっこう安くあがるんだけどな。

 でもマイル貯めたいし・・・迷っています。

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(写真:筆者撮影 2011年)
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