2011年08月27日

八重山 台風接近

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スーパーちゃいふう ナンマドル(台風11号)が静かに接近!

 危険なにおいなため、明日、与那国から脱出します。

 すでに漁船は陸揚げを完了し、与那国は明日から台風モードです。

 925ミリバールの威力はどんなものか?

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2011年08月26日

国境の匂い

 国境の島

 与那国島に来て10日目になりました。

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 私がこの島を八重山の旅先として選んだのは、やはりここが国境の島という、やきとりの匂いに誘われたごとく、その魅惑な響きを求めての事でした。

 実際、ここで台湾も観えました。思えば近くにもめている尖閣列島もあり、昨今自衛隊の件で全国紙をも賑わしています。それらはすべて、この島が国境の島という所以から発するオーラーからです。

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 日本地図を開くと、与那国島は地図上の左下へはみ出るように端っこにあり、そして、小さな小さな孤島です。 面積は東京の山手線内側の半分弱程度です。

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 (与那国島衛星写真・By Google Earth)

 その位置は他の先島・八重山の石垣島や西表島などの諸島群からも大きく西に外れ、自然・文化的にもけっこう他とは違う趣きを感じさせてくれます。東京を遥かかなたを見、那覇ですら異次元世界です。各地からの距離を示すと・・・

 与那国の位置

台湾(接近部)約111km
石垣 約127km
尖閣列島 約150km
那覇 約540km
東京 約1,900km

 ただ、与那国はただ単にはるか西の絶海に浮かんでいる島ではありません。その位置から他の離島とはまったく異なります。

 この島は、臺灣(Taiwan)を肉眼で観られるほどの国境の島です。防衛もそうでしょう。異国漁船も来るでしょう。異国のゴミも沢山流れてくるでしょう。そのため、普通の離島と国境離島とはその価値と重みがまったく異なることを感じさせます。
 
 多くの日本人にとって国境とは、あまりピンとこない、はるか外国のお話でしょうが、ここ与那国に立つとそうは思えなくしてくれます。異国が観えるという事それだけで、この島が 国境=最前線という現実を身近に感じさせてくれます。
 そして、国の西端に位置する離島という事が決して不利ではなく、むしろ有利であるという認識が近年高まっています。

 よって、よくある離島振興だけでなく、国境離島振興と周辺海洋振興いう考えで発展を考えるべき、という意見が学者を中心に展開されています。

 ○ 日本の国境の現状

 日本には、ロシア、韓国、そして臺灣の陸地が観える国境の大地が存在します。

 まず、対ロシアですが、ご存知のとおり日本とロシアの間には北方領土問題という、今の日本側から見ればほぼ解決不可能な問題があります。

 北海道の根室や知床からは、ロシア占領下である国後をはじめ歯舞の小さな島々があまりにもくっきり観えますが、その観える島の大地は、建前上は異国ではなく自分ところの領土である概念のため、決してその間に流れる海が国境とは考えません。

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 (北海道から観た国後島・自由使用写真から)
 
 よって、ごく一部、本当に一部の政治上の活動を除き、この海を渡る交流は皆無です。そのため、根室海峡沿岸の町にロシアの匂いはまったく感じられません。 
 ロシアに対する住民感情も悪く、多くの漁船が拿捕され、今なお傷が深まる対立の海です。

 もうひとつの対ロシア国境は稚内です。晴れていれば宗谷岬から宗谷海峡を隔てて50km先に樺太(サハリン)が観えます。
 こちらも正式には日本国政府は樺太をロシア領土とはみなしておらず、未帰属地域としていますが、現実を思えばおかしな処理でしょう。

 認めたくはありませんが、今はロシア領土です。

 その間を戦前の稚泊航路のような定期フェリーが就航しており、一応は交流があります。私は近年稚内には行っていませんが、15年前に行ったときは
それでもまったくロシアの匂いは感じませんでした。

 唯一、隣国の空気を感じたのは、長崎県の対馬です。対馬にはハングルの看板もあり、韓国を感じることができます。

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 (対馬内のハングル併記の標識・看板)

 対馬は今、他の過疎の離島と同じように経済がジリ貧状態です。どうしたら活路を見出せるか、模索した結果、対岸50km先に観える韓国からの観光客を誘致することです。

 韓国人にとっても、対馬は北朝鮮を除けば唯一隣国を眺められる島ですし、異国への憧れも手伝って一度は行きたい島として関心が高いようです。

 韓国人観光客にとって魅力なのは、対馬の山(標高4〜5百メートル)のようで、山登り(ハイキング)がお好きな様子。さらに免税を通るので、たばこや酒などの買い物ツアーとしても重宝されているようです。

 よって、対馬と韓国側の利害が一致して以来、韓国側から定期的に航路が開かれ、15年ほど前から観光ツアーが行われるようになりました。個人旅行も出来ます。一時期は年間8万人もの韓国人観光客が訪れ、対馬の商店や民宿にお金を落としてくれました。

 しかしながら、竹島問題にリンクされ、韓国人による不動産取得や自衛隊基地へのスパイ疑惑など、対馬が韓国人に占有される、という一部右翼系の主張が大きくなり、厄介な問題になりました。

 そのため、近年韓国側からこうした対馬進出ムードは衰え、不動産も手放し、さらには定期船も減便され、日本側のこうした保守化の動きは逆に韓国人から脅威の目で観られています。

 確かに、韓国人観光客のマナーはいい話を聞きません。対馬の人々の対韓イメージも真っ二つに割れ、交流の光と影が対馬の場合色濃く出ています。
 
 では、日本人観光客でどれだけ対馬を訪れるのでしょうか。韓国側の対馬不動産買収は、日本人がハワイやニューヨークの土地を買うのと何が違うのでしょうか。

 韓国側に悪意の買収があれば問題ですが、別荘の土地の購入と国防に影響する買収とを法律で分けて規制する事が重要かと思います。それと、韓国漁船の日本領海での取り締まりをしなければ、対馬内ですらどんどん対韓イメージが悪くなるので、こちらも解決させる必要があると思います。

 以上が日本の三箇所の国境情勢を短くまとめました。

 ☆ では与那国は?

 与那国はどうでしょうか。はっきり言って、隣国(臺灣)の匂いはほとんど感じられません。
 その理由は、戦後65年間、この海は開かれていなかったからです (訂正:厳密には、米国施政下の時代、密貿易という形で交流は存在していました)。定期船も就航しておらず、現在のところ、両国の交流は政治政策上の不定期交流だけに留まっています。

 私は多くの外国の国境を訪れましたが、多くの国境は、少なくても相手国の匂い(民族や言葉、文化、経済など)を多く感じました。もちろん、仲が悪い国同士は例外です。

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 (与那国島の民族資料館にある、戦前台湾から持ち帰った『MADE IN OCCUPIED JAPAN』の皿)
 
 日本の国境は、海が挟まるため国境である事を忘れるほど相手国の気配を感じさせてくれません。しかし対馬は、歴史的背景もあって朝鮮文化がけっこうあり、街にもハングル文字の看板が観られ、異国の感触があるのですが、住民のほとんどは韓国語は分かりませんし、両替所もありません。

 それらを思うと、日本はまだまだガードの固い保守的な島国なんだなぁ〜と思うのです。

 ☆ 与那国の挑戦

 与那国中心のこの地図で観れば・・・。

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 臺灣や大陸、フィリピン、香港などと日本本土が等距離にあるのが分かります。

 これらの日本側玄関口として与那国が生かされれば、観光だけでなく経済なども活路が大きく開けるでしょう。

 しかし現実は厳しいものです。何せ与那国だけの問題ではなくなりますので国からの支援が必要です。しかし、国は実績を積まないと支援の検討すらしない方針です。

 そこで、臺灣との交流を推進している与那国町議会議員の田里 千代基(タサト チヨキ)さんにいろいろお尋ねしました。

 次回はその点からこの島について書きます。

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2011年08月25日

国境S 与那国生活

 こちらは毎日激烈な晴天が続いております。

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 My 与那国について早10日目、のんびりしているかと思えば、非常に濃いひびだったりもします。

 観光客はほとんど見かけません。ダイビングショップにはいるでしょうが。
一人旅の女の子、まったく宿に来ません。そうこうしているうちにもうすぐ台風が・・・

 結局、女の子とのシュノーケルは実現しませんでした。

 与那国馬乗馬、有名ドラマロケ地、陶工房、酒造見学、台湾確認、島一周、犬散歩、町議員さんとの酌み交し・・・実に充実しています。

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 (乗馬)
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  (酒造)
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 (陶工房)
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 (ロケ地)
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 (台湾)
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 (犬散歩)
 
 その中で強烈な印象は、昨日の与那国町議会の傍聴でした。これは強い衝撃を受けました。後ほど、いろいろ書きます。あと、昨日島で死亡事件がありました。

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 因みに、

 私は観光客です。
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2011年08月24日

国境 S(与那国)

与那国(よなぐに)島

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 (与那国の位置とルート)

 大都会石垣からドンブラコー〜と年季の入った船に揺られること約4時間半、サイハテの小島に到達しました。
 石垣に比べて一挙にイナカ度抜群のまぶしさが輝く島、そう、ここはヨナグニ(ドナン)と呼びます。

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 (与那国へ到達)

 日本最西端で知られている与那国は、名実ともに最果てです。名実とは日本の場合、正式な最北端が択捉なのに実質は稚内、など、正式なものと実質が北・南・東かみ合っていないのですが、与那国だけかみ合っています。つまり、一般の人がいける、正真正銘の最果てなのです。

 そして、同時に国境の島でもあります。対馬も国境の島ですが、対馬がそんなに最果て感がないのは地理的な理由でしょうか、こちらは最西端という点と、台湾との定期交通路がない国境というどん詰まり状態なので、日本人からしてみれば最果感はひとしおでしょう。

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 (与那国・久部良港に着桟)

 位置は北緯24度28分6秒、東経123度0分17秒、この東経123度とは、上海が121度なので時間軸からみればもう中国です。実際、朝明るくなるのは本土より遅いですが、日没がいまだに19時を過ぎます。

 条件さえ整えば島の西側では台湾が観えます。晴れて澄んだ空気、水蒸気がない、雲の通り道ではない時間など。

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 (日本最西端からみた台湾)

 多くの日本人にとっては与那国はあまり聞きなれない島の名であると思います。
 与那国島には、船と飛行機でいけます。そこは小笠原とは違いますので多少は行きやすいのですが、しかし、島外者にとっては割引も充実していないため交通費がすごく高くつきます。その結果、石垣までは観光客は多くやって来ているのですが、与那国は敬遠されているのが実情です。それは、石垣から波照間や西表などと比べて西側へピョコンと外れた離れ小島だからです。

 だからといってそれが観光客があまり来ない、決定的な理由とは必ずしもいい難いかと思われます。

 なぜならば、小笠原のように航空機もなく、5日に1便の航路しかないにもかかわらず、観光客は与那国よりも多いでしょう。それは世界遺産になる以前からです。

 小笠原と与那国と共通点もあります。それは、小笠原と与那国が国境地点であり、拠点から遠くて不便な場所であり、固有種が多く、自然学的に他にはない特徴があり、魅力ある観光資源が詰まっているため本当に好きな人しか訪れない、という点です(与那国は最近、比較的安価なホテルパックが出始め、そうとも言い切れないようになりつつありますが・・・)。

 それでも観光客がそれほど多くない理由は、結局、与那国だけではスケールが小さくてわざわざ多くの時間とお金を割いて来てくれるには力不足なのでしょうか。与那国も含む先島(八重山)諸島が一緒になって活動しないとだめでしょうね。

 与那国の観光地・・・パッと思い浮かぶ中で厳選3つを挙げます。

 与那国馬

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 (与那国馬)

 与那国町の天然記念物の今です。昔から飼育されてきた在来種の馬で、体高はおよそ110-120cmと比較的小さく、ポニーに分類され乗馬するにはやさしい馬です。古くから農作業に使われてきた馬ですが、農業が機械化されたのと、農業自体が衰退されたため、今では観光用として細々と保存活動が行われています。
 一時期は59頭まで減ったらしいですが、今では保存活動のおかげで復活してきています。オスよりもメスが重宝され、オスはペット用8歳程度で、7万円くらい、とのことです。観光客を見ると馬は、「また乗せるのか」と悟り逃げようとします。

 西崎

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 (西崎灯台)

‘いりざき’と読みます、北緯24度26分58秒東経122度56分01秒、ほとんど上海程度の位置ですね。
 正式な日本の最果ての中でただ一つ、ここだけが、一般の交通手段で誰でも自由に訪れることができるサイハテ地点です。
 運が良ければ台湾山脈が眺められます。私は岬に通うこと3日目の早朝でやっと台湾と出会うことが出来ました。対馬でも宗谷岬でも出来なかった快挙です。日本最後の夕陽もバンバン観られます。

 海底遺跡

 1986年にダイバーによって発見され、まるで人工的に切り出しされた岩などが海底の奥深くに眠っていることから、世界最古の海底遺跡か、と騒がれています。
 一応、沖縄県内の大学のおえらい様からは、「人が造ったものかどうか認定できない」という理由で、遺跡というスタンスは正式には認められていません。しかし、もぐった者がパッと観、「すげー」「これ絶対古代遺跡だよ」と思うほど見事なものだそうです。因みに、運がよければシュノーケルで上から観られるそうですが、事実上、ダイビング連中の独り占め
状態です。ダイビングが好きな人、ぜひどうぞ。

 ほかにも、陶器焼き物、泡盛醸造、与那国方言、かじきまぐろ、世界最大の蛾・ヨナグニサン、立神岩、
さとうきび、長命草などがあります。

 私のヨナグニでの生活

 朝、宿の犬に起こされます。初日から3日目までは、西崎へ向けてバイクを転がし台湾を確認しに行きました。

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 3日目の午前7時台でついにくっきりと浮かんだ台湾を確認して以来、ずいぶんと朝寝坊体制となりました。
 湿気がすごいためすぐに体がベタベタになり、1日3回はシャワー
を浴びます。朝は起きてから1時間後に朝食作戦を開始、たいてい、卵ぶっかけか納豆を自分で作ります。
 白ごはんは、宿からいただけます。ありがたいです。

 海までお散歩。はじめのうちは島一周など観光をしていましたが、最近はのんべんだらりんとした午前が続いています。ところが、いろいろと人との繋がりが増え、次第にやることが発生し、出航まで少し忙しくなりそうです。

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 お昼はNHKの天気予報とニュースを観ます。今年の8月のヨナグニでは、高気圧に覆われ晴天が続き、まだ雨の降る気配はありません。よって、12時から15時までの3時間は魔の時間であり、ひなたにいたら死にます。多くはお昼ねの時間です。ただ、来週は台風が来るようです。女の子と他の島で海水浴、という夢は幻になりそうです。

 夕方は、最初の3日間は台湾確認も兼ねて夕陽を観にいきましたが、最近は、ヨナグニ情報の分析と、研究に費やしています。その合間を縫って犬を散歩しに出かけます。また、必ずやることが発生しますので、
必ずしも完全のんべんだらりんでは無くなりました。

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 夜は夕食を自分で作り、酒を飲んでヘロヘロになります。島の方からお誘いを受けたり、宿に遊びにきていただいたりと、人との交流が思った以上に発生しています。もしかしたら、本土での日常生活よりも多くの時間を人と話しているかもしれません。

 深夜はインターネット作業です。ほぼパソコンとネットは独占状態です。ありがたいことです。ヨナグニはネット環境が充実していますが、光ファーバーがまだ来ていません。霞が関から「費用対効果」の面で却下されたそうですが、痔デジの関係で大東島に光ファイバーが引かれたため、その理屈は通用しなくなりました。

 NHKも民放も衛星も観られますし、ネットも整備され、よって、都会のくらしをハード面では大差なくなりつつあります。
 今いる宿は自由放任の宿ですが、今年は観光客が少ないため寂しいものです。一回、女の子がいっぱいいる宿に図々しくもお邪魔したことがあったのですが、会話が合わず、居心地が悪いので、やっぱり今いる宿が一番、と悟りました。

 こんな島生活でしたが、休暇と怠けの与那国旅行が次第に変な方向に向いてしまいました。

 次回はいきなりこの島の政治について書きます。

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2011年08月21日

ワープ (対馬〜沖縄〜八重山)

 北対馬から

 8月14日午後、豪雨の韓国展望台を成し遂げた私は、比田勝港に無事戻ってこれました。さあ、ここから博多へ向かう、九州郵船のフェリーに乗ります。
 比田勝のフェリーターミナルは国際と国内とで分かれていて、圧倒的に‘国際’の側が賑わっており、小さな町の港がこんなにもにぎやかなんて、普通の離島ではあまり見ることが出来ない光景です。貴重な国境越えの観光ツアーが一応成功しているように感じます。

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 (韓国人観光客でにぎわう比田勝の港ターミナル)

 15:00、一足早く釜山行きの船が出港し、その直後に博多行きが出航します。釜山行きの船は波間に揉まれながら黒煙をあげて北の方へ放れ、わが客船は一路、玄界灘を南に向きます。こうして24時間滞在した対馬は終わりました。

 博多 

 夜9時、博多港の煌びやかな夜景がゆっくりと迫り狂い、大都会の彩灯りが岸辺に繋がります。こうして油臭い港の岸壁に降り、しばし潮の香とはおさらばとなります。

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 (博多港入港)

 その後、バスで博多市内に出て博多ラーメンで空腹を満たし、博多駅前の漫画喫茶で一晩を明かすことにしました。ビジネスホテルなど高級なホテルに泊るわけにはいきません。漫画喫茶は、お茶やコーヒーをがぶ飲みし、インスタントのスープを根こそぎ持って帰ってきた事は言うまでもありません。

 博多〜熊本

 翌8月15日の朝、とりあえず熊本へ。福岡空港が目の前にあるのになぜ熊本空港なんだ!とブツブツ言いながら博多駅に向かうこと約10分、今日から出勤するお姉ちゃん群に混じって博多駅の旅行者になります。。

 熊本までは新幹線にしようかな?と思いましたが、経費節約のため、久留米まで快速電車で行ってそこから新幹線に乗ることにしました。相変わらずケチですねぇ〜。

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 (久留米に向けて出発)

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(運転席)

 8:11発の快速電車は定刻通り博多駅を発車しましたが、途中鳥栖にて長崎線の特急との接続を取るために5分停車し、おかげで久留米での新幹線への乗換えがたった3分という有様でドタバタでした。
 
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 (久留米駅入線)
 
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 (九州新幹線・つばめ号 各駅停車タイプ)

 さあ、自身初めての九州新幹線 今年3月(震災前日)に開業した新規区間です。木目の座席は広々とし、さすがはデザイン重視の客室です。ただ、乗客がほとんどいません。 

 久留米を8:59に発車した『つばめ335号』は、スムーズにスラヴ軌道を走らせ、筑後船小屋、新大牟田、そして新玉名と各駅に停車します。どこも新幹線が出来たと同時に開業しただけあって耳慣れない駅名ですが、久留米と筑後船小屋だけ在来線に隣接しています。

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 (新玉名駅)

 そういえば、この旅始まって以来初めての新幹線でしたね。さぞかしワクワク感が走るかと思いきや、やっぱり所詮新幹線。早速眠くなり、気づけば熊本、という有様でした。

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 (新幹線車内)

 すると、熊本は大雨です。まさかこの旅で熊本まで来るとは思いませんでしたが、最後の鉄道の締めが大雨とは。この旅で鉄道で巡るのはここが一番の西になります。

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 (熊本駅到着)

 熊本空港
 
 熊本駅からバスで熊本空港に向かいます。
 
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 (空港バス 熊本駅〜)

 私はなぜ今、熊本空港に向かっているのだろう、と漠然とした疑問をを持ちながら、市内から実に遠い空港まで運ばれます。おい、熊本空港、おまえ遠すぎだよ!

 駅から約1時間。結局、なんだかんだ言ってフライトまで十分間に合いました。これなら新幹線乗らずに熊本まで普通電車で行っても大丈夫でした。

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 (熊本空港)

 熊本からのフライトは、ANA 3727便、定刻通り12:10に動き出しますが、厳密に言えばこれはANA便ではなく、ソラシドエアーという、宮崎に本社がある、ANAの子会社みたいな航空会社運行のようです。経費節減でANAが零細路線を切り離したのでしょうかね。

 フライト(熊本〜沖縄)

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 (離陸〜) 

 熊本空港を飛び立つと、しばらく雲の中をもがくようにガクガク飛びます。そして、知覧上空あたりで厚い雲は途切れ、一気に東シナ海上の紺碧のブルーシートが下界にドーンと広がり、以後、飛び石のように続く南西諸島の上をつなぐ様に飛びます。

 早速、種子島・屋久島が観えてきました。屋久島は、高い山がありますので、南側から雲がぶつかってモクモクしているのが分かります。
 
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 (山にぶつかって雲が出来ている屋久島)

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 (屋久島の隣の口之永良部島)

 次にトカラ列島が始まります。3年前のリーマンショック時にトカラ列島にいましたので、形を観ればどの島なのか分かります。口之島、中ノ島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、横当島などが窓下に光ります(宝島は機体の真下だったため一瞬しか分からず)。

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 (トカラ列島・口ノ島、中ノ島)

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 (トカラ・諏訪ノ瀬島)

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 (トカラ・悪石島)

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 (トカラ・小宝島)

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 (トカラ・横当島)

 やがて向こうに奄美大島が観えてきます。
 
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 (奄美大島、北側から)

 さすがは大きいですね。南側に回りますと、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島、与論島などの奄美群島が連なります。与論島は上から見ると、本当に珊瑚に囲まれている様子が分かります。

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 (徳之島)
 
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 (沖永良部島)

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 (与論島)

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 (伊平屋島 野甫島)

 そしてついに沖縄本島に到達。翼を旋回させ高度を下げ、13:40、定刻通りに那覇空港に着陸しました。

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 (那覇市街)

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 (那覇空港着陸)

 那覇での乗り継ぎ時間は4時間。長すぎです。観光客でごった返している那覇空港は、家族連れやカップルの悲鳴が所狭しと奏でられ、セキュリティーチェックは長蛇の列。皆さん、大変ですね。

 とにかく、那覇空港はカード会社のラウンジもないし、土産物屋とコンビニ程度しかないので、一人旅にとっては少々きつい空港かもしれません。

 ビールでも飲んで待合室の椅子でダラーンと待つこと3時間半、ようやくチェックインの時間が来ました。次の便は、1779便 16:55発石垣行きです。これは、ANA本体が運行する便のようで、なぜかオトク感を与えられます。

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 (ANA1779便 16:55発)

 定刻通りに離陸した期待は、順調に宮古列島上空を貫き、わずか1時間のフライトで無事、石垣空港に着陸しました。

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 (宮古島上空)

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 (水納島上空、人口は2人しかいないらしい)

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 (石垣島)

 さあ、沖縄・八重山列島に来ましたよ。対馬から一挙に石垣です。これからまた、新しい旅が始まります。
 
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2011年08月19日

対馬脱出 アリバイ トリック

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kazunn2005アリバイサスペンス

 そういえばさいころの旅、まだ続いていましたね。

 時計の針は厳原に戻して、ここを拠点にさいころをふります。

1が出たら・・・韓国(南朝鮮)
2が出たら博多
3が出たら博多
4がでったら、博多
5が出たら、博多
6が出たら、長崎

 結果は・・・ 5(よかった、1が出なくて)

 まあ、博多へ引き返すしかないので、問題は博多の先です。それではここでそれも、さいころで決めてしまいましょう。

1が出たら・・・佐賀・長崎方面
2が出たら・・・東京
3が出たら・・・鹿児島方面
4がでったら、大分・宮崎方面
5が出たら、山陰地方
6が出たら、空港

結果は・・・ 6

 空港!  空港です、空港。さあ、次のさいころは壮大な旅行範囲になります。三回目のさいころです。

1が出たら・・・北海道
2が出たら東北
3が出たら四国
4がでったら、沖縄方面
5が出たら、お家へ帰る
6が出たら、とにかく外国!

さあ、ふります。コロコロ・・・

4! 沖縄です、沖縄!

と言うことで、次なる目的地は沖縄に決定いたしました。

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 時は8月13日の旧盆真っ只中。飛行機となると予約をしなければいけません。

 飛行機はワンパスのマイル消費を充てます。めったに乗らないヒコウキのマイルは、海外で貯めて国内線で消費するのが一番費用対効果が高いもの。
よって、行き帰りで12,000マイル消費で沖縄へ飛ぶことにします。ただ3週間をきっているので、75ドルの手数料が発生します。

 チケットセンターに電話すると、

「あいにく、福岡空港から那覇・石垣乗り継ぎ便がお取りできない状況になっております」
との事。旧盆の一番混んでいるこの時期、やっぱり満席状況のご様子。取れる一番近い日付は20日だという。

 私はかなり悩みました。20日まであと一週間、そんなに長い期間対馬や九州にいたくない。

 すると、あることにひらめきました。

「九州内どこからのフライトでいいから、那覇便の空席はないのですか?」

と伝えると、コールセンターのお姉さんは、こんな私のリクエストに真剣に応えてくれて、せっせといろいろ調べてくれています。

 すると、

「ありました。熊本から那覇までの便が、来週の月曜日、15日にお取りできる状況です。しかし、次は19日まで空きがありません」

15日ってあさってではないか。それまでの間に対馬観光して、韓国展望所まで行き、そこから博多へ戻り、熊本空港まで行くことが出来るか?

 私は一か八かにかけてこの熊本空港発の那覇便の予約を入れてしまいました。払い戻しも変更は可能ですが、けっこう手数料がかかります。

 さあ、ここからが大変です。あさって15日の熊本12:10のフライトに間に合うにはどうしたらよいのでしょうか。翌日14日の15:25時の夜便で博多に向かい、一泊して熊本に行くのが現実的です。

 しかし、対馬北部・比田勝へ行って、路線バスにて厳原に15時までに戻るのは不可能です。比田勝行きをあきらめて厳原でじっと待つしかなく、それでは何のために対馬に来たのか分からなくなります。

 高速船も便がありません。離島の正規料金航空券は高すぎです。残る手立ては、厳原発早朝4:50発の臨時配船フェリーです。これなら博多港に15日の8:45に着きます。

ところがです。博多から最悪9:18の新幹線に乗らないと熊本空港12時に着けません。そして、時刻表どおりに8:45に博多港に着けても、最悪の新幹線に乗れるでしょうか。その差30分ほど。

 港から駅までそれほど遠くはないので30分でも不可能ではありませんが、しかし、船が少しでも遅れたらアウトです。航空券もろとも海の藻屑に消えてしまう運命が待っています。

 そんなハラハラのスケジュールは出来れば御免こうむりたいっす。それでも離島発の飛行機の世話にはなりたくありません(策がなければやもえないかも)。

 対馬北端の韓国展望台に行けて、安いフェリーで博多に戻れて、熊本空港に15日12時まで着くにはどうしたらしたらよいのか。

kazunn2005のアリバイ作りに苦労が走ります。

 すると、時刻表を眺めていたら一つ、ありました。それは、対馬北端の比田勝から博多に直接向かう便が15:05にあるではありませんか。これなら厳原に戻る必要はなく、前日夜の博多着なので余裕があります。

 結論が出ました。比田勝15:05のフェリーです。船賃は5,720円です(当然2等)。

 つづく

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2011年08月18日

国境 F-JK

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対馬・比田勝

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 9:35、対馬北端の町、比田勝に着きました。行政的には対馬市上対馬町ですが、合併前の上対馬町(合併時人口約5,000人)の中心地でして、対馬北端部の主要町でもあります。といっても人影はまばらで、典型的な過疎の漁村といった風情が漂っていました。

 ここから対馬最北端まではどうやって行きましょうか。

 バスはあるにはあります。たった一日2本しかなく、さらに、厳原からのバス(対馬交通)とは経営母体が異なり対馬市営バスのため、まったく接続が考慮されていません。バスは8:00に出てしまっており、次は12:31までありません。確かにこれらを乗り継ぐ乗客などいないでしょうが、一応、観光地域も走る為、もう少し何とかならないものでしょうか。

 12時半までとても待てないため思案していると、とにかく港まで歩くことにしました。バスの営業所から港まで徒歩10分程度でしょうか。けっこう離れています。この島では、バス同士の接続はおろか、フェリーや高速船の接続もまったく考慮されていません。港すら横付けしませんから。

 国道を歩いていると比田勝の港は突然現れました。奥まった天然の良港といった感じで、歴史は浅く、大型船が着けるようになった明治以降にこの港は造られた、とのことです。戦前は、下関と釜山を結ぶ航路の寄港地だったらしいです。

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 (比田勝のみなと)

 ここのフェリーターミナル内に観光協会があります。ここで交通手段のアドバイスを求めるため立ち寄ると、可愛らしい若いお姉さんが出てくるではありませんか。離島の過疎真っ只中の町でこんな綺麗なお姉さんと出会えるとは思いませんでした。島で生まれ、島で育った、純粋な対馬っ子だそうです。

 お姉さん(職員)は、「レンタサイクルなどどうでしょうか?」

 比田勝から北端部まで自転車でいける距離です。雲行きが何となく怪しいですが、青空も見えますし、自由が利きますし、これ以上に願ったものはありません。15時までに帰ってくればいいので、私は即座にお願いしたところ、観光協会から通りを挟んで向かい側にレンタサイクルの事務所がありました。ここで一日1,000円で借りることにしました。自転車はすべてハングル文字というのがミソです。

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(レンタサイクルの事務所もハングル文字、『観光案内センター』とあります)

 さあ、出発です。

 日田勝港を北に進むと、早速なが〜い登り坂が始まります。汗が猛烈に噴出し、運動したくないのに結局運動してしまう羽目に。そりゃ、自転車ですからね。登れば今度は下り坂。内心、下りたくありません。どうせまた登るのですから・・・

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(離島名物、政治家の道端氾濫ポスター、鹿児島離島区ほどのひどさはありません)

 坂を下れば集落、終わると登り坂、そして下り坂→集落の繰り返しです。ただ、この辺の集落はもちろん漁村ですが、古い家々の造りがどこか異国チックです。しかし、どこの集落にも必ずあるものがあります。それは神社です。やはり対馬は神国日本の中の一部なのです。

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(泉集落で見つけた神社)

 泉集落、豊集落とかっとばし、

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(国境どん詰まりの漁村集落を通過します)

ようやく目的地の鰐浦集落に到達しました。比田勝を出て1時間が経過していました。

 ここは対馬北端部です。北端部ということは、ここが一番南朝鮮(韓国)に一番近い、という事です。当然ながら、普通の国ではこういう場所は緊張区域になり、例外なくわが日本国も海上自衛隊と航空自衛隊の基地の島(海栗島)が対岸に備えを施しています。かつては要塞でした。

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(航空自衛隊基地の島・海栗島)

 ここ鰐浦は、日本側のミリタリーエリアでもある集落で、のんびりとした漁村と緊張した軍事のゾーンが同居しています。

 鰐浦集落は、細長い入り江になっていて、そこが旧漁港となっています。

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 (対馬北端、鰐浦集落)

 立ち並ぶ伝統的な蔵が日本離れした趣のある、どうしても興味がそそる雰囲気が漂っています。

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(異国離れした民家の蔵の並び・鰐浦にて)

 ここの集落の崖上に『韓国展望所』なるビューポイントがありました。

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(韓国展望所)

 急峻な崖の先端に設けられたこの展望所から、名前通り、真北に向かって朝鮮半島が眺めることができる、‘との事’です。つまり、今宵はまったくもって観えない、という事です。

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(釜山がある方向を目指す。観えませんね)

 この岬から約49kmほど先が釜山です。たったこれだけの国際海峡、この小さな海峡にはさまざまなドラマの歴史の層がうずめいています。

 鰐浦から小さな漁船が今、漁に出ようとしています。どうやら朝鮮海峡には向かわないようです。そういえば、昨夜の民宿のご主人の話を思い出しました。

\\\\\\\\\\\
 
 ご主人がまだ若い頃、対馬ではたくさんの魚が取れていました。しかし、ここは国境の島。すぐに海の上で韓国との境界線にぶつかってしまいます。つまり、今見えている海の20km先は本当の国境です。

 実はサカナたちは人間側の事情を知ってか、境界線ぎりぎりにいつも屯するのだそうです。だから漁師は、境界線ぎりぎりまでサッと行って、サッと戻ってくる、こんなハラハラするような漁が収入を左右したそうです。

 少しでも境界線を越えれば、韓国の軍艦(警備艇ではない)がやってきて捕まえに来ます。仲間同士で監視しあい、きたら「鬼が来た!」と知らせ合ったそうです。捕まったら最後、船没収、ひどい場合は命すら保障されません。

 昔は日本側の漁船のほうが足が速かったのですが、今では韓国側のほうが数段上です。ただ、鈍足な船よりも足の速い船を‘軍艦’は捕まえに行きます。実は、足の速いのは高級魚を取っている、と分かっているからだそうです。

 しかしながら、ここ近年は事情が違います。境界を越えて密漁するのは圧倒的に韓国漁船です。奴らは、裏社会と絡んでいる漁船が多いため、やることがとても大胆で、堂々と日本側に侵入し、網を‘パッ’と張って根こそぎ取っては、すぐに撤退するそうです。まるでゲリラです。

 日本の漁船が海上保安庁に連絡しても、「しぶしぶ」出動しては追い払うだけ。また、捕まえようとすると、彼らは逃げ道を確保するため、日本の巡視船めがけて網を投げ捨てるのだそうです。

 日本側は外交上の問題になるのが嫌なため捕まえはしません。仮に捕まえても大した罪になりません。韓国側はそうした日本の超弱腰事情も知っているので、もうやりたい放題です。私が韓国漁船なら、そんな相手なら好き勝手放題しますね。こうしたことは日常茶飯事のことで、報道すらされないことをご主人は嘆いていました。

 さらに、対馬は韓国に対して多くの悩みを抱えています。まずはゴミです。ほとんどが韓国からの漂流込みで、中には違法に張られた漁業網、筒などの漁具、そして陸地からのゴミ、蛇が籠にたくさん詰め込まれたまま漂着する事もあるのだそうです(もちろん死んでいます)。あちらはまだまだ海洋投棄が続いているようです。

 あと、近年問題となった韓国人による不動産取得ですが、最近は手放す方が多くいるようだとのこと。一時期は、対馬にたくさんの韓国人観光客用の民宿が立ち並んだのですが、商売にならないとなると撤退も早いようです。

 一方、韓国の悪い面ばかりを書きましたが、韓国人観光客が来なければ対馬経済も成り立たないのも現実。日本の観光客なんぞ大した来ません。15年ほど前、対馬は国境の町の利点を利用して起死回生の作戦に出ました。それが韓国人観光客受入れです。

 対馬観光が韓国側から大々的に宣伝されツアーが行われてきた結果、今では人気のコースだそうです。私が対馬で出会った観光客のほとんどが韓国人で、何とか軌道に乗っているようです。よって、日本ばかりに固執していては展望が開けない、よい例でもあります。

 もちろん、住民の間でも軋轢はあり、観光業に関係している方々と、そうでない方では考え方も異なります。よって、一歩一歩、徐々に理解を深めるしか方法はないように思えます。伝聞だけの偏った情報にとらわれずに。

 彼らは、個人個人で見ればいい方ばかりです。ただ、組織や団体となるとどうもいい話がありません。昨夜の民宿のおばさんも、韓国人のお客さんのほうが明るいし、人懐っこい、と言って歓迎するそうですが、いかんせん、体臭がきつく、帰った後、においを消すのがいつも大変、とのことです。

 ただ、こうやって韓国人観光客を大切にしない風潮が続くと、現に大震災の影響で今年は客足が遠のき、韓国側の船会社も週末だけの運行とし、それが韓国側、対馬側双方で不評を買っているようです。韓国側による対馬観光産業はある意味ピンチと言ってよいかもしれません。

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 さあ、展望所にしばし立ち尽くします。釜山の陸地はどうしても観えません。向こうのかすれた水平線を眺めながら、「8年前、向こうから渡ってやってきて帰国した」などといろいろ思い、ここで缶詰とバナナを広げてお昼とします。そんな私のお昼タイムの間にも、後ろから韓国人観光客がドシドシやってくるではありませんか。皆さん、韓国語のガイドに先導されてのご様子なのでツアー客のようです。

 その中から一人の6歳くらいの子どもが私のさばの缶詰を眺めています。

  「食いたいか?」

 と言うと、突然異国の言葉を耳にしたものだからびっくりした様子。わけの分からない事を叫びながらマーマーのところへ駆け寄ります。

 すると、お母さんは日本語が話せるではありませんか。

 「日本人の方ですが?私は5年ほど前までヨコハマで働いていましたので日本語が出来ます」

との事。思わぬところで韓国の方とお話が出来ました。

 聞くと、釜山でのデマド(韓国での対馬の名前)ツアーは人気で、国境を越え、お金が高い事からちょっとしたステータスとの事。日帰りで3万円ちょっと、ととの事。距離が遠い済州島の方が安いけど、国境を身近に越える事に醍醐味がある、との事。ましてや、釜山の人々は対馬の島影をいつもみせられるのですから。

 ただ、近年、竹島問題に絡んで、対馬ですら「韓国の領土だ」と騒がれている事について聞くと、女性は、

 「一部、アタマのおかしい人が言っているだけでしょ。日本にもいるでしょ。気にしない、気にしない〜」

 ちなみに、竹島についてはここでは関係がないので聞かなかった(怖いので聞けなかった)。

 よかった。韓国人、けっこういい奴じゃないの?と思うと、来るわ、来るわ、次から次へと韓国人団体客が。日本人なんぞたった3人にしか来ませんでした。

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(韓国人観光客で大盛況の展望所)

 さあ、弁当も食べ、釜山の陸影も見える気配がないのでそろそろ比田勝に戻ろうとすると、空がとっても怪しい感じがしてきました。すると、山のてっぺんにある米軍のレーダー監視所があっという間に雲で見えなくなるではありませんか。

 すると、熱帯性のスコールが『ドワー』と降ってきました。水平線は瞬く間に靄(もや)の向こうに隠れ、それどころか、自衛隊の島、さらには鰐浦の集落すら見えなくなる有様。通り雨だろうと思っていたら、延々2時間近く降らされ、比田勝に15時までに帰れなくなる可能性が出てきました。大ピンチです。

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(忍法、靄隠れの術?わずか10分で観えなくなりました)

 ‘何妙法蓮華異郷???〜’神に散々お祈りし、雨が、雨が終わることをひたすら唱えました。

 すると、14時20分頃、ついにあたりが明るくなり雨が止みました。私は猛烈な速度で必死に自転車をこぎ、無事、比田勝港に時間通りに戻ってこれましたとさ。

 
*****************************************

対馬についての案内

フェリー・高速船は博多港・博多埠頭から。博多駅から99番バスに乗って終点です。くれぐれも国際航路ターミナルには行かないように。あと、五島列島行きにも間違わないように。対馬行きは、九州郵船と壱岐・対馬フェリー(貨物船)の二社の運行ですが、メインは九州郵船。壱岐経由と直行便とがあります。また、厳原と比田勝港のみが対馬側の港です。
http://www.kyu-you.co.jp/   (九州郵船)
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http://www.iki-tsushima.com/ (壱岐・対馬フェリー)
 

 パスポートさえあれば韓国・釜山へ抜けることも可能。長い間、韓国の大亜高速海運が独占運行していましたが、2011年からは、JR九州の旅客船が週末だけ対馬に寄ることになりました。船は中型船でそんなに大きくはありませんが一応高速船で、厳原港と比田勝港から交互に出ています。運賃は9,000円弱だと思います。料金だけでみるなら、下関から入った方がいいです。

http://www.daea.com/main/main.html  (大亜高速海運)
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 2011年10月01日より、JR九州の高速船も一部、対馬に立ち寄るようになりました。
 対馬―釜山、JR九州高速船も就航…3社競合へ 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000301-yom-soci
韓国旅行に行く前に、行った後はぜひ対馬にも。

対馬の宿
http://www.tsushima-net.org/stay/stay06.php

今宵、私が泊ったのは、厳原の城下町の中にある『気楽な宿』という民宿です。素泊まり3,500日本円、二食付き 5,500日本円
夕食はおいしい地元の魚を出してくれます。
長崎県対馬市厳原町中村602-3
TEL:0920-52-2970
http://www.tsushima-net.org/stay/izuhara_kirakunayado.php
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対馬内バス

対馬交通梶@毎日運行 (平成23年4月現在)
http://nagasakischooljimu.web.infoseek.co.jp/300ken_ryohi/320futsuu_ryohi/325tsushima_omnibus/tsushima_koutsuu.co.htm
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通常なら、厳原〜比田勝間は、3,200円台するのですが、土日・祝祭日に限り1日フリー切符が出ています。対馬島内すべてのバスに乗り放題、それもたったの1,000円!という安さ!。

厳原    対馬空港      比田勝 
 7:10  7:32     9:29
 8:00  8:24
 9:54 10:12
10:30 10:52    12:52
10:50 11:16
12:00 12:26 赤島行
13:45 14:07    16:07
14:00 14:22
15:00 15:22
15:30 15:56 赤島行
17:45 18:09
18:25 18:47    20:47
19:23 19:50 仁位行

比田勝    対馬空港   厳原
       6:57  7:24
       8:24  8:56
6:35   8:35  8:57
       9:15  9:39
8:40  10:40 11:02
      11:00 11:24
      12:15 12:41
      14:21 14:47
      14:50 15:12
13:25 15:30 15:52
      16:35 16:59
      18:30 18:52
16:45 18:49 19:11
      19:40 20:04 

鰐浦・比田勝循環線 (毎日運行)対馬市営バス
比田勝     鰐浦     泉     比田勝  
 8:00   8:11   8:21   8:29
14:16  14:27  14:37  14:50 
 
比田勝     泉      鰐浦      比田勝  
12:31  12:44  12:54   13:05
17:41  17:54  18:04   18:15 

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2011年08月17日

国境 F

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1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

 結果は5.でしたね。

 壱岐を訪ねた私は、そこを午前できりあげ、次の目的地、対馬に向かいました。対馬は、博多から北へ120キロほどある離島で、九州よりも朝鮮半島のほうが近い位置にあります。

 12:55、壱岐島・郷ノ浦を出港した大型フェリーは、2時間ほどで対馬の島影を見せてくれます。壱岐とは比べ物にならないほど大きくて高い山が聳えている独特な余韻のある島です。

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 (対馬の島影)

 島全体の人口は、約3万4千、本州・北海道・四国・九州の主要4島を除くと、第6位の大きさの島で、さらに周辺に100以上の孤島をちりばめている独立したワールド感ムンムンの島です。

 対馬は対州(たいしゅう)とも呼ばれ、一島で『対馬市』という市が一市あるだけですが、南北100キロある広い対馬を表現するには大きすぎ、合併前の旧市町村(厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町)で、ものを考える人が多くいます。

 私がこの島にきた目的は、この島は韓国に近い国境の島だからです。今までいろいろな国境を陸路や海路で観てきましたが、国境の特殊性ゆえの人の営みにはいつも興味がわきました。しかしながら、自分の国の端についてよく知らず、さらにここ近年、国境警備について騒がれおり、いったいどういう島なのか実際に見に行きたい、と思っていたからです。

 実は、私が対馬を訪れたのは初めてではありません。DVD『汽笛街道』最終編を観ていただいた方はご存知かもしれませんが、長いヨーロッパ・南アジア横断の旅で締めくくったのは、ここ対馬であり、釜山からの高速艇で対馬・厳原港にて旅が終わりました。2003年のことです。

 しかし、当時は対馬散策はできずにすぐに博多行きのフェリーに乗船したため、何も観ずに去りました。今回はそのリベンジです。

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 フェリーがようやく着桟しました。

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 (厳原港着桟)

 お盆の帰省・観光客を出迎えにきた厳原港は車でごったがえし、瞬時のにぎわいを見せてくれています。 そんな中に混じって私は、トボトボと厳原の町を小さな川にそって歩きます。

 今宵お世話になる宿は、一泊3500円の民宿、『お気楽な宿』。女将のおばあちゃんが快く出迎えてくれました。一泊3500円にしては立派な宿で、クラーもテレビもあるし、共有冷蔵庫も使っていい、とのこと。昨夜の屈辱がウソのようです。

 ここ厳原は、対馬の中で一番大きい町です。対馬全島の4割ほどの人がここに住んでいいて、川をはさんで狭い隘路のような土地に集落が密集しています。ここは昔から対馬を統治してきた『宗』氏という豪族・藩主が城をかまえた歴史のある町でもあります。よって、政治経済文化の中心地です。

 私はさっそく町内を見下ろす清水山城 を登ってみました。

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  (清水山城の石垣群)

 ここは秀吉の朝鮮出兵時の兵站基地となった城で、今も尾根伝いに石垣が見事に残っています。ここから眺める厳原の街は素晴らしいものです。

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  (城からの厳原の町の眺め)

 対馬は、歴史的に朝鮮と深く絡み合い、『宗』氏は朝鮮側の官位も受けていました。これを人は国境の特殊性とよんでいるそうです。宗氏は、日本でも珍しく、鎌倉時代から戦国、江戸期を経て明治維新まで続いた領主でした。

 しかしその歴史は受難と繁栄のミックスでした。あちら(大陸)から侵略を受けた元寇はその受難のひとつ。もちろん、一番被害を受けた島であり、ほかに、室町時代に朝鮮から侵略を受けたりしました(康応の外寇、応永の外寇)。

 一方、逆に秀吉の朝鮮出兵の前線基地となり、先ほどの清水山城など、けっこう対馬にはこの時の史跡が残っています。宗氏は朝鮮侵略軍の先鋒となり、小西行長を先導して各地で激戦を経験しました。

 徳川時代となると、逆に朝鮮側との和平・交流の仲介役となって奔走し、紆余曲折はありましたが、朝鮮側からのみの使節、朝鮮通信使節の取りまとめ役を担い、また、釜山での倭館で日朝交易を許され、こうした貿易の利益が対馬の農産物よりも多くの富を対馬にもたらしました。

 厳原の城下町を歩くと、石垣の塀や寺院などが立派であることが分かります。宗氏の繁栄振りが感じ取れます。

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 (厳原の城下町の石壁)

 近代は、日露戦争の戦場近くで会ったり、李承晩ラインが目の前にひかれたりと、国境の島故に両国の受難を直接受けてきた島でした。多くの史跡は、そんな国境の島の運命を伝えている特別なものを感じさせてくれます。

 その晩、民宿のご夫婦と一杯やることになり、いろいろ、対馬のことを教えてもらいました。
 ご主人は漁師、奥さんが民宿を切り盛りいています。今宵は旧盆の中日。家々の門には提灯が飾ってあります。

 のんびりと静かで平和な島暮らし。しかし、ご主人は今の対馬を心配していました。とにかく仕事がない。だから今、ご主人はもうひとつ仕事をしており、漁業一本では食べてはいけない現実に直面しています。まず、海流の影響と韓国側の乱獲で魚が取れなくなったこと。そして、船の油代の高騰。漁に出れば出るほど赤字です。

 そうした現実を輪をかけるように、若者がどんどん島から出てゆき、本土からの観光客も期待できず、対馬は生きる道を模索した結果、国境の島である利点を活用すべく作戦を立てました。それは後ほど書きます。

 8/14

 対馬の交通手段はレンタカーやタクシー、そして路線バスなどがあります。しかし、当日は旧盆の真っ只中であったため、レンタカーやバイクはどこも一杯です。本当は観光客が少ないこの島においてはほとんどありえない光景だそうです。だから、一時期に集中し、心象悪くしてしまうのは忍びない、とレンタバイク屋のオッサンは言っていました。

 今宵は仕方なく路線バスで移動することにしました。目指すは北端の韓国の見える岬。厳原から90キロ以上もあります。そこまで路線バスで行けば3200円かかるのですが、土日だけ発売の島内路線バスフリー切符なるものがあり、それだと、一日何回、どこまで乗っても1,000円。オトクでしょ?

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 (一日フリー切符)

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 (南北縦断路線バス)

 厳原を7:15に出たバスは一路北に向かいます。車内は私を含めてたった3人しかいませんでしたが、すると、途中から韓国人の団体が6人乗りこみ、突然にぎやかになります。

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 (韓国人団体のおかげで車内ににぎわいも)

 路線バスの不利な点は途中下車がなかなか出来ず、ピンポイントで観たい史跡が近くを横切っても何も出来ない点です。今回も万関橋(日露戦争中に開通させた、下島と上島を隔てた運河)などは一瞬通過しただけでした。
 
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 (国道の万関橋を一瞬で通過)

 バスは立派な国道を進みますが、北へ行くほど森の中道が多くなり、急峻な峠道もバスは行きます。そうして厳原から2時間半後、ようやく上対馬の中心地、比田勝の町に着きました。

 次回は韓国を望む岬に向かって自力で走ります。

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 (比田勝到着)

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2011年08月15日

玄界灘の島

 またさいころをふります。

1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

結果は・・・

5.

 よってその方向は壱岐・対馬となりました。

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(乗船券)

 壱岐・対馬へは飛行機と船で行くことができます。もちろん、一番運賃が安いのが大型フェリー。高速船もありますが、それはけっこう高いので、迷わず、そして意地でもフェリーを選びました。

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 フェリーは主に博多港から出ています。九州郵船と壱岐対馬フェリーの二社ですが、後者は貨物船が旅客をついでに載せる形態のため、乗り場も分かりにくくあまりお勧めできません。
 
 8/13、お盆初日の夜、博多港発の夜行便は超満員。重い記憶を掘り起こせば、この夜光帯の混雑っぷりは、学生時代における北海道内夜行列車以来だと思います。今宵は屈辱的な階段・通路雑魚寝を強いられるほど混んでいまして、帰省客と観光客が半々くらいでしょうかね。学生連中のはしゃぎようは何なのでしょうか。九州の人にとって、壱岐対馬は一大観光地のようです。

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(大混雑)

 さあ、船は博多港を出港いたします。夜なので夜灯りしか見えませんが、浪間に映る月影はどこか安らぎを託してくれました。

 8/14

 夜行便は最初の下船地、壱岐・芦辺港に到着します。時間は夜の2時。私はここで下船します。

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(壱岐・芦辺港に到着)

 実はとある用事があったからでした。

 話は少し飛びます。

 2001年8月、中国・青島行きの国際フェリーにて、とある日本人連中と仲良くなり、青島に着いた後もしばらく行動を共にしました。その中の一人にS氏がおりまして、なかなか陽気で謎めいた男でした。

 S氏を含む、連中とは北京で別れましたが、その1年後、留学中の私はS氏と何と、英国・ロンドンで超偶然にばったり会ってしまったのです。これは神のいたずらか、どうか分りませんが、その後、英国南部を案内しながら再開を喜びました。そして、帰国後もたまに会って一杯飲んだりしました。

 しかし・・・今から5年前の七夕、S氏は突然他界しました。ショックでした。たった7人で囲って葬式と火葬をすませました。肩を落として関東を去るご両親の姿が今も忘れられません。

 その彼の墓が、ここ、壱岐の芦辺港近辺にあります。

 墓参りは日の出を待ってからにしました。ターミナルは鍵が閉められ、断腸の思いで野宿となり、蚊とダニと闘いながら、不安な岩壁の一夜を越します。

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 (脂と潮まみれで岸壁で一夜)

 午前6時、待ちに待った日の出と共に行動開始。東からのさっそうと輝く太陽の光線が稲を照らし、早くも強さを増します。

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 辺りには典型的な農家が点在し、漂う稲と土壁の匂いがどうしても懐かしさの泥沼から這い上がれなくさせるのです。小さい頃、母親の実家(福島県)に連れられてやってきた私は、あの時、農家の母屋の匂いに囲まれました。あのにおいと全く同じです。また、あの時はカイコもいました。そのカイコが食べる桑の香りも、この芦辺の里で感じることができます。

 さて、聞いていた場所の山中をさまようこと小一時間、どうしても彼の墓が見つかりません。何せ初めての場所ですので、ある程度迷うのは仕方がありません墓地の塊、またはそうした雰囲気が出現するのを待っていましたが、一向に現れません。

 どうやら、この辺りのお墓の分布は、私の思っていた様式とは異なるようで、一族ごとに別れてはこじんまりと点在しているようです。私は片っぱしから探しました。

 「ここは中尾さん一族の墓」「ここは・・・一族・・・」

 ヘトヘトになり、絶望感が漂う始めたころ、とある けもの道が、薄気味悪い森へ不自然に上がっているのを見つけました。蛇でもジャンジャン出てきそうなその道を恐る恐る上がってゆくと、ありました、S君一族の墓標が。

 まるで手まいて教えてくれたかのようです。ようやく私の肩の荷の一つが降りました。君と出会ってから10年、亡くなってから5年、ようやく初めて墓参りができました。すべて夏でした。今年の夏は私にとって長い夏になりそうです。ここ1年、辛い日々でしたが、S君が怒っていた、と勝手に解釈しここまで今いた次第です。

 線香の煙が小さくゆらゆらと微妙な長さで潰えていきました。

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 壱岐は島です。全体として少し丸まった形の島で、高い山はなく、農業が主体の島です。島内の交通の便は非常に悪く、本数の少ないバスだけが頼りです。芦辺港でバスに乗り、少し島内を回りました。

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(壱岐の路線バス)

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 ビューポイントが一か所あり、そして古代遺跡が売りの島のようで、観光用の博物館などがありますが、車かこのバスを使わないと来ることができません。古代遺跡は町はずれの丘の上にありますが、このお盆の時期なのに、観光客の姿はまばらです。まあ、私が行動していた時間帯が朝だったこともあり、だから人が少ないのでしょう。

 バスは、もう一つの港、郷ノ浦に着きます。島内にはみなとが三つありますが、大型フェリーと高速船が発着する港は芦辺港と郷ノ浦港です。しかし、島内一の町なのにこの活気のなさ。私が乗ったバスなど、全区間を通しておばあちゃん1人だけでしたし、どこの離島もそうですが、深刻な若者不足を感じます。心配です。ひとつだけ、この町で威勢のいい安売り広告を見つけました。

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 こうして私の壱岐島めぐりは終わりました。午前中まるまる使ったことになりますが、墓参り兼山登りも出来ましたし、バスで島半周もしましたし、けっこう有意義な時間でした。ただ、疲労感はピークに達し、腹も減りすぎてどうしようもありませんでした。

 博多港以来、飲まず食わずだったため、郷ノ浦港で飲んだ、乳飲料は格別でした。それがこの島での締めくくりでした。

 さあ、次は対馬に向かいます。

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2011年08月12日

山陽路

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旅のさいころをまたふりました。

1が出たら芸備線。
2が出たら呉方向
3が出たらとりあえず山陽線で西へ。
4がでったら、バスで島根方向。
5が出たら、船で伊瀬戸内方向
6が出たら、広島空港.

 で、結果は

 3.

よってまた西に進みます。

おっとその前に・・・

 昨夜は、私の広島時代の職場の上司と会っていっぱいやりました。

 私は広島に勤務したことがあります。仕事は、NTTの電話帳配達の統括業務でして、今から思えば、大変面白い仕事でした。

 7月、広島県下で一斉に電話帳が配達されます。その配達業者を管理・管轄するのが主な仕事でして、運転手がトンズラしたり、配達先のおばあちゃんとトラブルになったり、といろんな事件が起きました。

 広島県は中国地方で一番人口の多い県です。一方、鳥取県はその数分の一しかない規模でして、今、その元上司は鳥取県に飛ばされていて嘆いていました。
 「おもろい場所がない」

 そう、その上司は、夜の街が大好きでして、1週間に3回くらいは夜の街に繰り出しますため、上役からもカネの面で心配されておりました。

 その上司、今宵も相変わらずのご様子で、
 「おっしゃ、イクデ!」
 と、広島中心部の繁華街、薬研堀のネオンに吸い込まれます。

 足が誘われたのは、「エロ島電鉄」。マスクに車掌さんコスプレになり済まされたあんちゃんが、看板持って必死に呼び込みしてきます。要は、OL風と女子大生風になり済ましたお姉ちゃんが、満員電車という設定で痴漢行為を‘誘って’来るのです。もちろん、お障りあり、●ェラあり、と、男の日頃の欲求を満たしてくれます。ただ、ただそれだけで40分 5,000円は高いのでパス。

 さらに、キャバクラにも吸い込まれそうになりましたが、キャバクラは欲求が満たされない上に高いだけなのでパス。結局、上司行きつけのスナックに連れて行ってもらいました。久しぶりの夜の町、夜のバーです。アルバイトの21歳女子大生が何てかわいいんだろう、と眼をクリクリさせながら、慣れないウイスキー片手に泥酔するのでした・・・

 実はこの後もお話があるのですが、時間がないので今回は書けません。内容も内容ですので、いつか、私のプログ『汽笛街道から』で報告したいと思います。


 さて、最後に話のメインに入ります。

 さいころの目が 3と出ましたので、広島発 12:00の岩国行きでさらに西へ向かいます。宮島を対岸に見ながら、ようやく山口県に。岩国駅は、市内中心部からけっこうはずれにあるさみしいところにあり、名物錦帯橋は、隣の西岩国駅からが近いです。

 昼間の山陽線は、岩国で系統が分断されていて、広島からの直通は朝と夜しかありません。ここで40分ほど待って新山口行きに乗り換えます。たった2両編成でしたので、夏のお盆帰省の乗客も混じって大混雑。ごくたま〜にしか電車に乗らない家族づれにとって、列車の旅の記憶が最悪なものとなったことでしょう。

 山口県をゆく山陽線はけけっこう景色が良いです。特に、大畠や柳井付近は、瀬戸内海の浜辺ぎりぎりを走ります。夏の穏やかな瀬戸内の様子が車窓に広がります。

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(山陽線大畠付近1)

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(山陽線 大畠付近2)

 しかし、山口県は長い。行っても行っても山口県は終わりません。結局、山口県の西の端、下関に着いたのは、岩国を出てから3時間半も後のことでした。

 下関に着くと、急に都会めいてきます。思えば、ちょうど10年前の2001年8月、私は汽笛街道の旅を、英国に向かって始めたのがここ、下関の港でした。下関から船で中国・青島にわたり、そこからシベリヤ横断をしたのです。私にとって10年目に降り立った下関は感慨深いものなのです。ただ、下関駅は数年前、犯罪者によって火事で焼けてしまったため、あの趣は今はありません。

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(今の下関駅前)

 
 さらに旅は西へ続きます。

 関門トンネルをくぐり、ついに九州入りを果たし、JR九州管内に突入します。やはり、鉄道会社が異なれば、雰囲気も違うもの。いろんなデザインの電車がひっきりなしに小倉駅に現れます。

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(JR九州の電車)

 
 そしていま、私は九州・博多まで駒を進ませております。

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 (博多到着)

 私がユーラシアの旅から帰ってきたのがここ博多。当時とはえらい変わりようで、大阪駅と同じように、どでかい駅ビルがそびえています。九州っ子にとっては眼が輝くほど楽しいモールなのでしょうが、本当に全国どこにでもあるような大商業モールばかりになってしまいましたね。

 ちょっと疲れが出てきましたかな。さあ、ここから先どうなるのでしょうか。またさいころです。

 1が出たら大分・宮崎方面日豊線へ。
2が出たら筑豊方向
3が出たらとりあえず鹿児島線でさらに先へ。
4がでったら、長崎方向。
5が出たら、船で壱岐・対馬方向
6が出たら、福岡空港.

 ではまた。

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2011年08月11日

西へ

旅のさいころをふりました。

1が出たら北。
2が出たら北陸方向
3が出たらとりあえず東海道線で西へ。
4がでったら、中央線方向。
5が出たら、船で伊豆諸島方向
6が出たら、成田空港.

さいころの目は

3.

 ということで、東海道線を西へ走りました。横須賀駅を10:54に出発、大船駅で東海道線に乗り換え、平塚、小田原・・・となじみがある土地を淡々と進みます。

 ここまでは日常の風景とさほど変わらない感じです。そして、丹那トンネルを越え、東海エリアに入り、沼津、静岡まできます。ようやく見慣れない景色がやってきます。旅が始まった感です。

 旅というと、ゆったりとした座席でのんびりポッキーでも食べながら・・・というのを思い浮かべるでしょうが、リレーでつなぐ駿河・遠江路、現れる電車、これも、あれも、み〜んな、こちらをバカにしたような長い座席の通勤電車型車両。それも3両しかないのでそれすら座れない有様です。まあ、2,300円しか払っていないのだから、まあ、いいや。

 静岡県横断はなが〜いです。散々新幹線に抜かれても、ひたすら走ってまだ静岡県。景色も田んぼと住宅の繰り返し。時々お茶畑が出ますけど。

 しかし悪いことばかりではありません。沿線には大学や高校が多いためか、かわいいお姉ちゃんがワンサカ乗ってきて、女に囲まれながらの静岡道中〜。いいなぁ〜、学校って。

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(浜名湖を渡る東海道線普通電車) 

 さて、浜名湖を越えると、いくぶん静岡の塩分は減り、だんだん中京エキスが濃くなってきます。豊橋でようやくゆったりとした座席の「新快速」にありつけ、ただのり在来線の中でも速度抜群の電車で一挙に愛知、岐阜を貫きます。速い!

 ところが、そんな俊足も大垣まで。ここから関が原越えは、穴に針を通すがごとく、えっチラオッチラ、と山を越えます。さすがは天下分け目の難所、山がちの通路を抜ければ、そこは琵琶湖が広がる平野部へまい進!ついい西軍エリアに突入です。

 米原からはJR西日本圏内です。名物「新快速」は、東海版と並んでチョッ速電車。駅の案内放送も'西’の趣きムンムンです。

 滋賀県内はけっこう距離があるのですが、新快速にかかればお手の物。思えば、首都圏のJR、私鉄の鉄道文化に比べると、関西・中京圏って本当に進んでいますね。こんな速くて程よく混んでいる鉄道を通勤通学の足に使える人たちは恵まれています。首都圏の電車を診てください。あれはひどい。

 大津を過ぎると山が突然見えてきます。そうです。京の都が近づいてきた証です。山科を挟んで、明治のころに掘られたトンネルを二つくぐればそこは京都。夕焼けに真っ赤に染まっています。

 今宵は京都見物か?!と思いきや、男一人で京都見物するつまらなさをすでに体験しているためそこはパス。関西マイミクのレイさんと茨木で合流して一杯やりました。

 こうやって道中、友人に会いながら進むのも悪くないですね。


 8/11

 梅田のカプセルホテルは、甲子園の応援団で一杯でした。当たり前ですが、新聞も広告もみんな「大阪」バージョン。久しぶりに深夜番組を見ましたが、関西系オリジナル番組って関東に比べて面白いアイディア満載ですね。

 大阪といえば「たこやき」、立ち食いうどんならぬ、立ち食いたこ焼き屋を見つけ、そこで朝ごはんとなりました。店員のお兄ちゃんが、従業員のお姉ちゃんを口説いているのを生で眺めながら、アツアツの明石のたこ焼き(ホントかいな?)をほうばります。6個いり350円です。

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(梅田で見つけた立ちくいたこ焼き店)

 さて、リニューアルした大阪駅を観ました。京都駅もそうなんですが、確かに迫力あるどでかい建築の塊です。デザインも斬新ですし、そこは中国の北京西駅とかと違います。

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(リニューアルした大阪駅)

 ただ・・・全国、どこにでもある同じようなショッピングモール場仮なんですよね。

 さて、さらに西へ進みます。「新快速」電車で海側を陣取り、複々線を普通電車を追い抜きながら神戸路を突っ走ります。須磨や垂水のビーチで水着姿のお姉ちゃんがいるかどうか凝視しましたが、確認できませんでした。

 明石の橋の下をくぐり、1時間ほどして姫路駅に。

 姫路駅、ここも高架化で変わりましたね。またショッピングモール登場です。ここから先、山陽路は、ダイヤが昔と変わっています。

 昔は姫路から山陽線岡山方面が出ていたのですが、今は、相生まで行って、そこで山陽線方面電車に乗り継ぐ、という面倒な形態になっています。

 さあ、相生から昔見慣れた国鉄型113系が登場です。加速時のあの、こき使われようのモーター音がなんともすばらしい心地をさせてくれます。相生〜岡山間は長いしつまらないです。

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(山陽路のバトンを受ける旧国鉄型113系イエロー) 

 岡山の「松屋」で豚丼で小休憩。さらに西を目指し、倉敷、福山、と進みましたが、寝ていて気づきませんでした。とにかく岡山・広島県内 山陽線は超退屈です。

 例外は尾道付近でしょうか。海峡が線路際まで迫り、造船所で何の船が修理を受けているのさえわかります。今日はパナマ船籍の何とか、という船が受けていました。

 ということで、今は広島におります。原爆ドームの近くにいます。

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(広島に到着)

 ここから先、どうい予定か決めていません。

 1が出たら芸備線。
2が出たら呉方向
3が出たらとりあえず山陽線で西へ。
4がでったら、バスで島根方向。
5が出たら、船で伊瀬戸内方向
6が出たら、広島空港.

 ではまた。

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2011年08月09日

出陣

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一ヶ月ぶりの更新です。

いろいろありまして、精神的に参って何もやる気がなくなった時がありました。ゴミ箱にごみさえ捨てるのも。

少し回復しました。世の中、何が何だか分からなくなってしまいました。

多くは書きません。

明日からしばらく遠出をしようと考えています。3年ぶりの長期遠征になりそうです。そして久しぶりに『交通新聞社』と『Thomas cook』の時刻表を買いました。

どこへ行くか。

分かりません。

とりあえず、さいころが手前に一つ、青春18切符が3回分あります。

1が出たら北。
2が出たら北陸方向
3が出たらとりあえず東海道線で西へ。
4がでったら、中央線方向。
5が出たら、船で伊豆諸島方向
6が出たら、成田空港.

明日早朝、転がします。

持って行く本は、上記2つの時刻表と、3『地球の歩き方 インド』、4.渡辺雄三 著『食べてはいけない添加物 食べてもいい添加物』、5.『原発と放射能』そして、持って行こうか迷っていますが、6.ドラえもんです。

ではまた。

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