
(前回までの行程)

(旧フランスフラン札)
最終回 6. 連合王国
大陸の東の島から西の島へ。ついに終着の日がやってきた。しかし、到達感がないといえば嘘であるが、あれこれ指摘されればそれほど感慨に浸れない。自転車で横断したわけでもなく、ただ列車を乗り換えて車輪に任せっきりで渡ってきただけなので、何も特別なことをしたわけではない、と言われればそれまでだ。
でも、まあ、ロンドン目前まできた。この大陸往路も最終日。いったん立ち止まる事が出来る節目にはなるだろう。そろそろ最後の移動を試みる。


(パリ 〜 ロンドン 工程図)
パリまで来ればロンドンなど屁の如くのもの。かつてはドーバーという海峡の存在がとてつもなく重かったのだが、今になってみれば海底地下トンネルでズドン、はい、終わりである。
ロンドン行きはパリの北駅(Gare du Nord)から出ている。名前の通り、パリの町の北側に位置し、また向かう列車もフランス北部や北方の隣国へ向けられていて、まあ、東京で言えばかつての上野駅のような存在かもしれない。
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(パリ北駅構内)
ターミナルの駅と駅の間には地下鉄が張られている。そんな大交通網で巡らせたパリの薄暗い地下鉄で北駅に着くと、リヨン駅とはまた違った機能的な雰囲気が出迎えてくれる。
国内TGVはもちろん、西の島国を目指す『ユーロスター』、ベルギーに向けて走りだす赤いTGVーこと『タリス』も顔を出すなど、パリにしては珍しく異国を直接伝えるターミナル駅だと思う。そして、『機能的な雰囲気』と評した通り、客層はビジネスマンが多く、ベルギー行きやフランス国内便など決まった乗り場から出ているので解りやすい。
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(ユーロスター、タリス、TGV が顔を合わせる北駅)
イギリス行きも同様だが、こちらは他とは異なり特別扱いされているような感が滲む、飛行機のようなチェックイン制を採っているこのユーロスターの乗り場がまさにここであり、それこそ、異国へ旅立つ緊張と脱出感が入り混じり、さらに9・11のテロ直後とあって、銃器を垂らした警備隊が駅の味をきつく焦がしてくれる。
正規の切符売り場がほのかに混雑を蒸し、そんな中、若干ドキドキしながら今日もユーロパスの日付を入れなければいけない。すると、パス所持者に限り『ホルダー運賃』というものがあるよ、と教えてくれる。つまり、パスを提示して割引料金を払えば日付は入れなくてよい、というものだ。
ガイドブックをよく読むと、かなり高い運賃(片道約18,000円)が普通運賃の欄の片隅にち〜さく載せられていて、これが一気に約8500円程度になると書いてある。
ところが、さらに火曜日の平日のこのひと時、なぜだかよく分からないが300フラン(約5000円)で買えてしまう。どうやらオフピークのこの時間帯は周りの旅行会社が乱売しているらしく、ある乗客に聞いてみると、ノーマルで350フラン(約5600円)で買えた者もいて、どうも一様ではないようだ。

(フランス側発行のユーロスターの切符)
さあ、大陸最後のバトンとなる、白と黄色で塗りつぶされた車体の列車がドーム屋根の下でがっつりと現れる。パリからロンドンへ。それらをアプローチする今宵の主役は、TGVに似た高速列車、ユーロスター(Eurostar)。
列車は定刻になってもなかなか発車しようとせず、一体何が原因で遅れているのか、さっぱり分からないまま延々待たされていると、何も告げられずにようやく動き始める。時計をちらりと見れば、時は今13:44。たかが40分の遅れを気にせずに、安らかなシフトの響きが駆け巡る。
期待していたユーロスター。しかしその中身はというと・・・ 豊富な乗車経験が邪魔して、私の列車審査が厳しくなっているのを前提に話を進めると、想像していたよりも相当狭い座席に厳しい目を光らせ、携帯電話の単純な着信音が咲き乱れる車内に小さな不満を覚え、移動空間を重視するフランス側とは対照的なで日本的な乗り心地に辛(から)い採点をつけてしまう。因みに二等車である。
一方、外見はTGVと似ているこの汽車旅だが、英・仏・ベルギーの3国が開発した列車のため、TGVとは違った国際レベルの壮大な違和感がカタチになって伝わり、インターナショナルな個性があるというのがプラスポイント。一応何か褒めなければ。
北駅を脱したユーロスターの車体が、同時に発車した、隣を併走するTGVの窓ガラスに映え、二つの国の列車が轍を同時に刻むその様子が欧州らしい。フランス領内でにおいては、都市部こそはノロノロであるが、やはり専用線に入れば最高時速300km/hを確信させる走りっぷりを披露し始め、カレー(Calais)をあっという間に過ぎればいよいよのっぺりとした海峡が前に立ちはだかるはずだ。
ドーバー海峡直前といえば、フランス側で有名なのがカレー(Calais)という町。ユーロスターもさすがに無視は出来ないが、だからといって街中まで通すわけにはいかず、よって町外れに『カレー・フレタン(Gare de Calais-Fréthun)』駅を設置したが、今宵は思いっきり通過する。大陸最後の駅だ。
実に寂しい駅のようで、これは、青函トンネル前の津軽二股のようなものか。
すると、貨物ヤードらしきものが見えてくる。ヤードとはシャトル列車の基地だ。ユーロトンネル社が運営するシャトル列車が、海峡を車ごと載せて行き来しており、大型バスをもぱっくり食べてしまうワゴン車輌が、ユーロスターや他の貨物列車のダイヤの間を絡めるように走り収めている。
さあ、いよいよユーラシア大陸とおさらばの瞬間がやってくる。全長50.49kmのユーロトンネル(英仏海峡トンネル)に‘あっ’という間に突入し、底の浅いドーバー海峡の下をマッハの如く突っ走る。
この海の浅さが日本の青函トンネルよりも短くなった要因なのだが、海底部の長さは世界一という事で我慢してもらおう。トンネル建設時は、日本の川崎重工の技術が活躍したらしいが、そのおかげで青函トンネルよりも短くされたかどうかは関係者しか知らない。
それよりも今問題になっているのは、瀬戸大橋と同じくらいの建設費に対して、開業後数年ではあるが、旅客・貨物の輸送量がはるか予想を下回る成績に耐えかねて、トンネルを運営する会社が破産寸前(実際2006年に破綻)という事実だ。英・仏という二大国の経済力をもってしても駄目なのだから、大型プロジェクト何ていうものは、よ〜く考えないといけない、という事を物語っている。
高速列車は、タコやイカが泳ぐ海の底のさらに下にいる実感を全く与えぬまま20分ほどで走りぬき、突然、前触れもなく‘パッ’と光の下に舞い戻ったこの瞬間、ついにUK(連合王国)本土に上陸。それはあまりにもあっけなかった。
イギリス側シャトル基地を横切り、それほど時間をかけずに連合王国最初の駅、アッシュホード(Ashford)に到着する。

(イギリス側シャトル基地とシャトル列車)

(イギリス側シャトル基地全景)
ここから鉄路の電化方式が変わり、架線ではなく線路の横っちょに高圧電流が走り、そこから電源を取り入れる、第三軌条方式と呼ばれる集電方式に切り替わる。そのため、途端にスピードが出せなくなった連合王国内の在来線を、トロトロと一般の列車に混じって最後の走りを極めてゆく。
海原と大陸の大地を這ったこの往路の旅もまもなく終了となる。50日のペースでこれほど内容の濃い横断旅が出来たことに、私の不満は特に無いようだ。
ビザを待ち、列車の運転日や船の運行情報に左右され、体の疲労が行く手を阻んだ50日。常に時間との勝負であったが、何とか一つの目標は達成できつつあるので、少しの安堵をここで浮かべてみようと思う。横断自体はたいした事ではないが、熱中するものに賭けた、くだらなくても目的に向かってやり遂げる、自己満足とさらなる向上へのまなざし。そんな生き様が、事の大小に関わらず生きる喜びへの道しるべなのかもしれない。
第一幕はまもなく終る。その50日の味を舐めながら、私は大陸側とは大分違う雰囲気を醸し出す連合王国の芝生の緑と少しの木々の大地を眺めている。列車は、連合王国らしい霞がかった視界不良の牧草地帯を静かに走りぬけ、その靄(もや)に満ちた世界が行く先を暗示する。魔物はここにいるかのように。
やがて、通過する駅の出現テンポが小刻みになり、駅のホームも日本と同じような高さが積まれている。レンガ造りの赤い一戸建て住宅群が列車窓の多くを占め、今まで見た欧州とはまた違うヨーロッパを感じさせてくれる。さすがは単一通貨ユーロ非加盟国である。
その大都市は突然現れる。鉄道の線路たちが周りから寄り集まってくると、いよいよロンドン到着を予感させ、定刻より1時間遅れたこの9031列車は、パリから3時間20分、494kmの足跡を残してロンドン・ウォータールー(London Waterloo)駅に。今は17:04、いや、1時間戻してロンドン時間16:04、近代ドーム型駅のホーム20番線に慎重に入ってゆく。
まだ目に焼きつかない程度のこの風景は緩やかに到着地の余韻を濃くしてゆく。パリからの列車はまだ連合王国の色を被ってはおらず、国際列車としての匂いをまだブンブンと唸らせて、ここロンドンの一角に落ち着いている。島国であるこの連合王国内において、大陸からの列車は異色中の異色に感じられ、陸続き国家同士とは違う、精神的な隔たりが大きく存在しているのだ。
ところで、書類の上ではまだこの国に入国していない。というのは、連合王国はシェンゲン協定国ではなく、ここで改めて連合王国入国の手続きをしなければいけないのだ。ヨーロッパにあってヨーロッパでない。この国家はそうありたいのだ。
ヨーロッパの国からやって来たわけだから、入国審査など単なる事務手続きに違いない、そう確信している私は一切の緊張感はみなぎらない。逸(はや)る気持ちを抑えられずに、そして、イライラしながらパスポート・コントロールのレーンを待つ私。EU域内のレーンはささっと列の潮が引くように消えてゆくが、域外レーン(日本国パスポートなので)はなかなか前に進まない。審査官の目が平等に‘どいつにも’疑いに満ち溢れたまなざしを散らすレーンだからだ。
砂時計の砂が落ちる頃、やっと順番がやってくる。静かに私は処刑台に立つかのように、審査官が待つカウンターの前に顔を浮かべて身を委ねる。
「何しに来た?」
いきなりこれだ。しかし、ここで観光と言ったら観光ビザしかくれないので正直に言う。
「留学だ」
そう言うと、用意していた学校側の入学証明書を勝ち誇ったように堂々と提出する。
「金はいくら持っている?」
敵は予想通りの攻撃を仕掛ける。
「4700ポンドの小切手と、1870ポンドの現金、2800米ドル現金だ。」
「どうやって稼いだ」
「日本で働いてだ。これが過去の預金通帳だ」
いちいち証明するのに面倒だが、それでこそ1年近くのビザの重みと価値が増すというものだ、と私は自分自身に言い聞かせる。
審査官は一連の書類を凝視しながら最後に私の瞳を一瞥すると、
「書類的には問題はない。ところがだ、君はなぜ日本を出てからこんなに日数が経っているのかね?」
???雲行きが怪しくなってきた。
「経由地を旅行をしてきた。パスポートに押されている国々が経由国だ」
審査官はパラパラと査証のページをめくりだすと、眉間に皺を寄せ始めて何やら難しい英語で言い始める。
「なぜ、中国やロシアを周ってここまでやって来た?それもわざわざ鉄道で。そんな必要あるのか?」
「必要とは・・・」
瞬時に言葉に詰まり、審査官は一気に疑いの視線に転じ始める。
「学校のレターによると、明日入学日なんだ。もういでしょ?」
この一言がまずかった。審査官は確信めいたように他のセクションに連絡を取った後、
「お前は調べる必要がある。あっちの別室に行きなさい」
審査保留、別室行き扱いとなった。これは、万里の長城よりも堅そうなイミグレだ。さすがは大英帝国、そう簡単に落ちるはずがない。別室に呼ばれて、仕切りに区切られた空間の中で、担当係官と一対一で向き合って尋問を受けるが、今度は速くて小難しい英語の羅列でチンプンカンプン。質問の意味がほとんど分からずに言葉に詰まる場面ばかり。一層立場が難しくなってしまう。
「もしかしたら入国出来ないのではないか?」
また旅の危機である。最後の最後で入国拒否でも食らえば、私は永遠にこの国に入れない。まずい、の一言のみが頭の中をぐるりぐるりと回る。時あたらかも9・11テロ直後。大陸横断の履歴がここにきて不利となり、テロ組織との関連性も含めて情報捜査当局に照会をもしている。
国境審査のレベルを甘く見ていた私に雷鳴が轟くが、自分自身がテロリストになったような、それは誇りに似た錯覚を覚えたりもする。そんな事をうろたえながらも思うのは、内心、入国を確信している証拠でもあった。
尋問部屋はそれほど窮屈な空間ではない。どこかのオフィスのようにこ綺麗で、関係捜査機関の電話番号が羅列してある表と、各国治安情報のポスターが貼られている以外はそれほど精神的圧迫感で締め付けられるような場所ではない。ただ、隣部屋からは、何を言っているかは不明だが、黒人の怒鳴り声が金槌のように炸裂している。
私の最大の障害は‘言葉’だ。ウンともスンとも埒があかないと判断した審査官は、ヘッドホンを取り出し、私の耳に付けるように指示する。すると、その穴から女性声の日本語が聞こえるではないか。通訳を介しての尋問が始まるようで、彼女はどこに居るのか分からないが、審査官もヘッドホンをして審査再開だ。
「△☆×○◎△!?」
注記 ※(何を言っていたのか、今となっては覚えていない)
一呼吸の間の後に日本語が耳の通路を介して流れゆく。
「このお金はどうやって稼いだのですか」
尋問はさらに続く。
「△☆×○◎△!?」
訳 「これらの国々を経由した経緯と目的を詳しく述べて下さい」
「△☆×○◎△!?」
訳 「あなたはニューヨークでテロがあった事をご存知ですか?あなたはどのような政治と宗教信念なのですか?どこの宗派に属していますか?」
「△☆×○◎△!?」
訳 「ウサーマ・ビン・ラディンをどう思いますか?」
「△☆×○◎△!?」
訳 「親族に心臓病疾患等、遺伝的健康を害する人はいますか?」
・・・ 怒涛の如く質問攻めにされ、援護なき私の城も落城寸前である。
そして最後に、
「どのような団体・勢力がわが国入国を支援したのですか?」
その質問にはただただ、
「自分ひとりで企画した。これは真実だ。バックパッカーという存在は連合王国にもいるだろ?」
ささやかな反抗に見えなくもない。
3時間近くが経過した。
当局は、押収していた私の衣類や消耗品、カメラセットやビデヲテープなどをビニールから出し、丹念に机の上に置いては写真撮影すら始める。まるで泥棒の盗品のような扱いだ。没収の予感すら走る。さすがにこの風景を見せ付けられた私はすっかり弱気になり、ひとりボソっとつぶやく。
「入国拒否なのかなぁ〜?」
誰もがかまってくれない、とある時間が流れると、ヘッドホンが呼んでいる。
「喜んでください。あなたはどうやら入国許可になりましたよ。」
と、向こうもちょっとした喜びの躍動を表しながら伝えてくれる。何てさわやかな女性なのだろうか、と今に至るこの顛末に感謝すら覚え、私はこの時、いつかはこの通訳の女の人のように、外国で困っている日本人を助けたい、と純粋な心を浮かべて誓うのであった。本当である。
その後、あの審査官がツカツカ近寄り、
「君の学校と連絡が取れた。どうやらあなたは正当な留学生としてわが国に来たようですね。犯罪を犯さぬよう、勉強に励んで下さい。とりあえず、8ヶ月のビザを発給します」
学校にも照会したようで、どうやらそれで嫌疑は晴れたようだった。最悪の事態が回避された喜びに支配され、私はついに連合王国の土を正式に踏むことになった。
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(ロンドン・ウォータールー(London Waterloo)駅 正面玄関)
イミグレを潜れば、そこは、ハイソな連合王国の首都・ロンドン・ウォータールー駅の喧騒がさざ波のように響き渡っている。駅の外はまさしくロンドンだ。目の前を通勤電車が横切り、その忙しそうな電車の線路脇に沿って薄暗くなりつつあるテムズの岸に出れば、川向こうの畔(ほとり)に一人孤高に佇む煌びやかなビックベンが私を出迎えていた。
2001年9月、足跡はまたここから始まる。
http://www.kitekikaido.com/
参考文献…
地球の歩き方『シベリア 00〜01年版』 ダイヤモンド社
地球の歩き方『ヨーロッパ 02〜03年版』 ダイヤモンド社
旅行人No 148 夏号 旅行人
『世界の鉄道』 社団法人 海外鉄道技術協力協会
外務省 外交資料、各国・地域情勢
Thomas Cook WORLD TIMETABLES OVERSEAS July – August 2001 (By Thomas Cook Publishing)
Thomas Cook EUROPEAN TIMETABLE Spring 2003 (By Thomas Cook Publishing) Publishing)
lonely planet Europe 2nd Edition 2001 blished by Lonely Planet Publications Pty Ltd
全国铁路旅客车時刻表
ほか
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