2011年04月24日

ギリシャを旅して・・(勝手にギリシャ写真集)

 ここ近年、この南欧の小国で財政危機と盛んに騒がれているギリシャ。昨年の今頃あたりから自国の債務に「返せないから助けて!」とECB(ヨーロッパ中央銀行)に擦り寄り、何とか自転車操業的なやり方で1年持たせましたが、ついに今度は「返せなくなるかも」ときました。去年より深刻な事態なのに、市場では昨年ほど騒がれていません。ところで、ギリシャとはどういう国か。今日はこのギリシャという国を取り上げてみます。

 【ギリシャ共和国】

── なめる様に青い空、紺碧のエーゲ海と輝く島々、そして古代遺跡 ──

 よく、『今までどこの国が一番よかったですか?』と聞かれます。答えるのに一番難しい質問なんですが、‘自然が良い国、人が良い国、滞在していて良い国’と、その‘良かった?’という内容によって答えが違ってくるのですね。そこで、単なる『観光』でいうのなら、私はギリシャという名を挙げたいと思います。新婚旅行などで行くにはベストではないか?と思います。

 1. ギリシャ概略

 ギリシャの位置です。
500 ギリシャ広域ギリシャ楕円 google.JPG
(欧州広域)

トルコとイタリアの間にあります。エーゲ海とアドリア海に挟まれた半島と島々から成り立っています。

 ギリシャの地図です。
555 ギリシャ行程図 地名入りgoogle.JPG
(ギリシャ旅工程図)

 色の線がついているのは実際に通ったところです。

 この国の首都はアテネです。数年前にオリンピックをやったので覚えている方もいると思いますが、オリンピック発祥の地です。 

6.アテネ市街3 遠望.jpg
(アテネ市内上空からアテネ中心部の全景です。ギリシャの総人口約1100万人のうち約370万人がアテネ首都圏に集まっています。車の洪水とクラクション、そして盛んなデモでとにかくやかましく、古代都市のイメージとはちょっと違う感じでした)
10.アテネ市場 - コピー.jpg9.アテネ市場2.jpg
(アテネの市場です。海に近いため、ヨーロッパでは珍しく海の幸が豊かです)

12.アテネ市内列車広軌踏み切り.jpg7.アテネ市街4.jpg
(アテネ市内の様子、朝から晩までクルマのクラクションがうるさい)

 面積は北海道の2倍弱程度で、人口は国全体で東京都ほどの約1千百万人。国土は半島部と大陸部、そしてたくさんの島から成り立っていて、トルコの大陸目の前の島までギリシャ領になっています。
 冬は雨が降り、夏は乾燥して気温が高いのですが、一年を通じて雨量はそんなに無いので森はまばらです。しかし、北の大陸部は高い山々もあるため、他のギリシャの地方とは気候が違います。

 2. ギリシャの小史

 ギリシャといえば古代ギリシャ文明で有名ですね。オリンピアという町が半島部西部にあり。そこに古代オリンピックの遺跡があります。

9.オリンピア1.jpg
(オリンピア遺跡)

一見すると石ころばかりですね。

 紀元前に有名な都市国家(ポリス)が発達しました。ギリシャは今もこの古代文明を誇りに思っていて、自分たちがヨーロッパの起源だという想いを持っている人が多いようです。でも古代ギリシャと現代ギリシャ人は血統が違うらしいです。

 やがて古代ギリシャはローマ帝国の支配下になっていきます。
 ローマ帝国が東西に分裂したのち、ギリシャは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に属しました。この帝国はギリシャ文化が中心でしたので、ギリシャの帝国と言っていいかもしれません。しかし1453年、歴史的大事件が起きます。東ローマ帝国がイスラム教徒のオスマン帝国によって滅ぼされ、その支配下に置かれます。以後400年近く、ギリシャはオスマン帝国の統治が続きました。

 19世紀、ギリシャ独立戦争が始まり、海の戦で勝って独立を獲得しました。約400年ぶりにギリシャの国家が復活し、ドイツのバイエルン王国から王様をすえました。

 そして逆にトルコに二度も侵攻しましたが、今度はコテンパに負けました。その後は戦争の歴史で、今の国境線は第一次大戦の結果の影響が大きいです。第二次大戦ではナチスドイツの攻撃も受けました。

 第二次大戦後は内戦で混乱したりと、どうも国づくりをしっかりする時代が続かず、軍事政権が続いていました。
 そして1974年に民主的に王政から共和制になり、現在は何とかEUに加盟し、ユーロにも加わりました。しかし、ギリシャはまだ比較的最貧困地域であることは変わりなく、政治的にも保守的です。

 3. ギリシャ経済

 ギリシャのお金はユーロです。
800px-EUR_50_obverse_%282002_issue%29[1].jpg
(50ユーロ紙幣【見本】)

 しかしドイツで使う1ユーロとギリシャで使う1ユーロは価値が違います。以下の物価は2002年11月当時です。
 アテネの地下鉄初乗りが0.7ユーロ(約100円)、安宿1泊6ユーロ(約800円)、たばこが2.5ユーロ(320円)、缶コーラーが0.6(80円)、缶ビールが0.6(80円)、チーズバーガ1.2ユーロ(150円)くらいです。それに比べて外食が異様に高く、ランチでも4ユーロ(約500円)はどうしても下回りませんでした。観光地はそれなりに高いのです。

 世界経済を騒がせているのはこのギリシャです。かつて海運業が盛んでしたが今は観光程度しか目だった産業も無く、そのうえ放漫財政をずっとしてきました。年金が60歳から現役時代の8割もらえるらしいですね。

 ユーロに加盟する時、一生懸命背伸びをしたのですが、最近、その時の経済指標が嘘っぱちだった事が分かり、ギリシャはユーロ圏の問題国とされています。以降、緊縮財政を強いられてますが、デモ好きで手ごわい労組はかなり抵抗し、今、ギリシャは債務棒引きという危機を迎えています。
 ドイツと同じ通貨であることに、旅行者の立場から見ても違和感を感じます。これからユーロはどうなるんでしょうかね。

 4. ギリシャの鉄道

ギリシャの鉄道です。

管理・運営OSE(ギリシャ鉄道)
軌間: 1,435mm (約1,565km→
現在約1800km? ) 、1,000mm (961km→現在推定730km)、その他
創業年 : 1869年 
営業キロ : 2,751km
電化キロ : 76km (AC25kV:50Hz )
右側通行

 都市鉄道を除いて国鉄が運営しています。国鉄は、国土が山岳地帯や狭い半島、そして島々ばかりなので鉄道はそれほど路線がないです。ただ大きく分けて2つに分けられます。

 一つは標準軌鉄道です。大陸部を南北に貫く鉄道エリアです。これは隣国などに繋がる鉄道網でして、ギリシャ北部からアテネまで延びています。一応国際列車が運行されています。
 トルコとの戦争で鉄道の重要性を知り、1916年にアテネから北部のテッサロニキまで繋がり、バルカン諸国と鉄道で結ばれました。やがてパリとアテネを結ぶ国際列車が運行を開始しました。映画などで有名なオリエント急行はアテネにも顔を出しました。

3.テッサロニキ−アテネ広軌線2.jpg
4.テッサロニキ−アテネ広軌線3 車内.jpg
5.テッサロニキ−アテネ広軌線4 車窓.jpg
6.テッサロニキ−アテネ広軌線1 山越え.jpg
7.テッサロニキ−アテネ広軌線5 車窓.jpg 
(テッサロニキからアテネまでの標準軌線の旅。山岳地帯を貫きます)

 写真は大陸部の標準軌線の車窓です。
 北部から南部にかけては山地が列なり、鉄道はいくつか峠を越えます。見事な峠越えで、盆地へ入れば車窓にはオリーブの木々や綿花畑など、いかにもギリシャらしい畑作地帯を眺められます。

 現在ギリシャ国鉄は国家予算を投じてゆくゆくはイタリア並みの水準に持って行きたいようですが、この素晴らしい鉄道車窓を眺められ、行きかう旅人もこのように風を感じられるような鉄道路線を今のまま残るのでしょうか。

 もう一つは半島部の狭いレール幅の鉄道です。鉄道が初めてこの国に出来た1869年の時代はギリシャの国土は今の4割ほどで国力が小さく、建設費が安いメーターゲージを採用した経緯がありました。その後半島部のほうへ伸びていきました。
 私が行った時はアテネ市内から狭軌でしたが、現在は半島部の北岸まで標準軌に換えられて、さらにどんどんメーターゲージ線は無くなりつつあります。

1.ピレウス駅狭軌.jpg 
(狭軌線のピレウス駅)

11.アテネ市内列車狭軌.jpg 
(今では見られない、狭軌線 アテネ駅の列車)

13.再アテネ市内列車広軌.jpg 
(今では見られない、アテネ市内のナロー鉄道の軌道と併走する標準軌の列車)
 真上の写真はアテネ市内を走る標準軌の列車です。港まで標準軌と狭軌の線路が並走していました。
 アテネの鉄道駅は長い間、狭軌駅と標準軌駅が位置することとなりましたが、現在は狭軌駅のほうは閉鎖されているようです。

 ギリシャの鉄道はオリンピックを境にとても変化が激しいようで、DVDに収録されている様子はギリギリ最後の郷愁を記録したものとなってしまいました。
 
 アテネの地下鉄・都市鉄道です。当時、地下区間は少ししかありませんでした。

2.アテネメトロ1号線.jpg 
 (アテネ市の都市鉄道)

 100万都市でありながら長らく地下鉄や路面電車は近年まで乏しいものでした。2000年以降順次開業し、オリンピック以後は空港へ連絡する地下鉄線も開業したようです。また、近郊電車も整備中です。因みに料金は、90分以内券が0.6ユーロ(約90円)で、一日共通券は2.90ユーロ(約350円)でした。

 5. ペロポネソス半島

4.コリントス運河と列車.jpg
 この写真はコリントス運河を渡っている狭軌の列車です。運河は1893年に完成し、それまでペロポネソス半島を迂回していました。船舶は一気に400kmも短縮されましたが、小型船舶しか航行できず、それでも年間約11,000隻の往来があるらしいです。
5.列車からコリントス運河.jpg

 地図で言うとこの辺ですね。

520 ペロポネソス半島 コリントス運河 Google.JPG
(コリントス運河の位置)

 ペロポネソス半島と本土にわずかに繋がる細い地峡をバッサリと切り落としたように一直線に横切っている運河です。こっちがペロポネソス半島です。

コリントス運河Google.jpg
 鉄道は半島を一周するように描いています。ペロポネソス半島は四国より少し大きいほどの半島で、コリントス運河のおかげで実質島になりました

7.半島一周鉄道2.jpg
 狭軌線をゆくギリシャ6460型列車です。列車は、ゴツゴツした崖に埃っぽい山岳地帯の中をミカン畑やオリーブの木々に囲まれながら走ります。この車窓こそギリシャの風景でして、線路はクネクネ左右に曲がりに曲がり、単調でない地形の為、鉄道は大きく回り込みながらループを描いて山越えをしていきます。さぞかしこの路線を建設するのに資金がかかり難工事であったでしょう。ローカル色がとっても濃く、オンボロ列車が通っています。

8.キパリシア列車.jpg
(キパリシア駅に停車中の列車)
 半島西南部のキパリシア駅に停車中の列車です。1902年に最後のピルゴス(Pirgos)とキパリシリア(Kiparissia)間が完成し、半島一周線が全通しました。キパリシアは古代都市の歴史を持つ人口約4000人の美しいビーチを持つ町で、毎年観光客が多く訪れます。

11.半島一周鉄道4ピルゴス駅入線.jpg
 古代オリンピック遺跡があるオリンピアへ向かう路線が出ているピルゴス駅です。私が行った時は工事運休中でした。やってきた列車は、ピレウス行き303列車で、オレンジのディーゼル機関車と荷物車2輌、普通車3輌の計5輌編成の客車でした。

10.半島一周鉄道4ピルゴス駅.jpg
 ピルゴス駅では、荷物車から家電製品や食料品、新聞などの大荷物を搬出・搬入する作業でにわかに活気が興ります。まだまだギリシャの田舎の駅では鉄道が日常生活のドラマとして現役の舞台であるようです。
 
12.半島一周鉄道6ピルゴス駅こども.jpg
13.半島一周鉄道7.jpg
(ピルゴス駅での小さな小さなにぎわい)

14.半島一周鉄道7少女.jpg
 車内でであった少女です。学生さんたちで賑わっていました。

15.半島線車内.jpg
(学生列車の華やかなにおい)

 6. エーゲ海地方

30.サントリーニ 夕陽と客船jpg.jpg
 変わってエーゲ海の島です。ここではサントリーニ島を紹介します。

26.サントリーニ・集落イア6jpg.jpg 
 写真はサントリーニ島で、ギリシャ本土から南東へ約200`の位置にあります。よく絵や写真の舞台になる景色の美しい島です。
 
16.サントリーニ 旧港ロバ.jpg
17.サントリーニ 旧港ロバ2.jpg 
(サントリーニ島名物の500段階段のロバたち)
 サントリーニ島の本港は強烈ながけ下にあって、一気に標高100メートルほど上がらなければ市街へ行けません。写真は観光客をがけ上の市街へタクシー代わりとなって観光客を運んでいる様子(因みにロープウェーもあります)。

29.サントリーニ夕陽夕焼け.jpg20.サントリーニ 夕陽2.jpg
(サントリーニ島の静寂の沈陽)

 サントリーニ島の夕陽は世界三大夕陽と言われているようです。誰がそう言ったかは知りませんが、よくガイドブックに書かれています。確かにおっとりするほど見事です。あとは北海道の釧路といううわさも・・・
 

 島には古代遺跡もあります。フィラ遺跡といいます。ギリシャにはあちこちに遺跡がありますね。でもここの遺跡はかなり山の上にあります。

6.サントリーニ・フィラ遺跡5遠景.jpg
(山の上にあるフィラ遺跡)

 19世紀にドイツの考古学者グループに発見されました。長い歴史を含んでいるのでどれがどの時代の遺跡かは混乱してしまいますけど、東方エーゲ海を監視・支配する上で都合のいい場所にあったので長く繁栄したらしいです。でもまあ、行きにくいからこそ観光客が少なくてじっくりと古代を感じることが出来るのではないでしょうか。
  
5.サントリーニ・フィラ遺跡4.jpg
2.サントリーニ・フィラ遺跡1.jpg
4.サントリーニ・フィラ遺跡3.jpg
(フィラ遺跡の残骸)

 エーゲ海の島々は他にも魅力的な島がいっぱいあります。新婚旅行など、雰囲気重視の旅ならぜったいおススメです。夏には海岸をスッポンポンで歩いている男女の光景も観られます。

 7. 北部・北東部マケドニア・トラキア地方

1.テッサロニキ駅.jpg
 さて、長くなりましたが最期にテッサロニキ駅です。アテネとは全く違う都市圏です。ここはギリシャでも北部にあたり、バルカン諸国が近くまで迫っている土地柄で、第一次大戦までギリシャ領ではありませんでした。
 
 アテネまでは約500`、ブルガリアのソフィアは350`、マケドニア(共)のスコピエは270`、という位置関係です。アテネまでの502kmをICが27ユーロ(約3300円)/ 約5時間30分、急行が14.10ユーロ(約1100円)/ 約7時間くらいです。安いでしょ。

 テッサロニキは、人口約105万、ギリシャ第二の都市であり、サロニカとも呼ばれています。長い間オスマン・トルコの領土でしたが、1912年のバルカン戦争でギリシャ領になりました。東方訛りや文化的にトルコに近いこともあり、アテネとはまた違った雰囲気です。

1.テッサロニキ全景.jpg
(テッサロニキ市内の全景)

 ギリシャ・マケドニア地方の中心でして、ギリシャのマケドニアこそが本当のマケドニアとして譲らず旧ユーゴ・マケドニアの国名を絶対に認めません。理由は実際マケドニア地域は3国に跨っているからです。

 現在、マケドニアという名前の独立国家はスラブ語系民族が実権を握っている国です。彼らはブルガリア語と酷似した言葉を使い、この新マケドニアに対してブルガリアでは『あなたたちは私たち』と思っているとのこと。ギリシャだけではなく、したがってブルガリアも、ギリシャの一地方名を使用していることを快く思っていないようです。因みに、ユーゴスラビア統一のチトー時代に、ここの本当の名前は‘ヴァルダルスカ’とするはずだったとのこと。

4.遠足2.jpg5.遠足子どもたち.jpg 
 さて写真はトルコ方面へ走る列車で撮った遠足の子どもたちです。テッサロニキからイスタンブールへは820kmです。

 ギリシャは観光国の顔を持ちながら、一方では軍事国家で、ブルガリア・マケドニア(共)、そしてトルコとの間で今なお穏やかではなく、テッサロニキより東は歴史的経緯により緊張地帯となっています。よって、兵隊の輸送など、軍事的に鉄道も活用されています。

8.ギリシャ兵士.jpg 
(列車で任地へ向かうギリシャ兵たち)

 最期にギリシャ・トルコ国境の駅です。国境を越える列車は一日1往復運行されています。長い間ヨーロッパを周りついにトルコへ入る瞬間は感慨にふけります。
 
12.国境駅列車出発.jpg
9.トルコ国境駅2.jpg 
(ギリシャ・トルコ国境駅の様子)

 それでは出かけて見ますか?
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11.国境駅駅長.jpg
posted by kazunn2005 at 20:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行

2011年04月17日

線路は国家の基盤 - 迂回路としての在来線

4..1993.3.14 羽越本線 鶴岡〜秋田 (34).jpg 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110417-00000473-yom-soci
 早い。わずか1ヶ月余りで復旧とは。これで迂回路とはおさらばか。

 震災発生以降復旧に全力を挙げているJRは、徐々にその路線網を取り戻しつつある。しかしながら、三陸の沿岸鉄道たちにはまだ過酷な現実が突きつけられている。

 まずJRでは、青森・岩手・宮城県の三陸海岸沿い(北から、八戸線、山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線、仙石線)、そして震災+原発事故に悩まされている宮城・福島県の常磐線、津波のニュースで隠れがちな内陸の東北本線などが被災路線。
 4月4日時点で、駅舎の流出が23駅、線路の流出・大損壊・埋没が65箇所、距離数約60キロメートル、橋げたの流出・埋没が101箇所という。
2.北海道旅行(車)東北部 岩手県 (1).jpg
(ある日の三陸の列車・山田線)
1997.9.17 石巻線 女川〜小牛田 (3).jpg
(被災前の石巻線・万石浦付近)

 JR以外では、三陸鉄道の北リアス線の島越〜田野畑間、南リアス線、唐丹、釜石付近、岩手開発鉄道、仙台空港鉄道、仙台臨海鉄道、そして、茨城県のひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道など関東地方沿岸も復旧のめどすら立たないほど被害を受けている。
仙台臨海鉄道 ゆめ交流博 1997.9.17 (9).jpg 
(被災前の仙台臨海鉄道・仙台港駅)

 さらに東北以外おいてでも、長野・新潟県境付近も被災、今回の連鎖地震の標的となり、飯山線の盛り土が一挙に谷底に崩れて線路が中吊りになるなど、東日本の鉄道網は今なおズタズタの状態だ。

 一方、2009年11月の台風18号によって三重県の名松線の末端区間(家城〜伊勢奥津)間も相変わらず運休状態であるし、岩手の岩泉線のがけ崩れ、美祢線なども災害で不通の状態が続いており、日本全体で見ても時刻表の鉄道地図ズタズタ、日本はいかに災害大国であると痛感する。

 こうした路線網の寸断で困るのは旅客輸送だけではない。貨物輸送も深刻な打撃を受けている。特に石油輸送は道路輸送では限界があるため大きく鉄道輸送に頼っているが、大幹線の東北・常磐線がこのような状況であったためどうしようもない。 それも解消されるのだが。

 しかし、東北線が復旧するまでば在来線には迂回ルートをいくつか設定された。今回の震災で大活躍しているのは日本海側の羽越本線だ。一部単線区間があるため調子よく本数を増やせないが、かなり重宝されているようだ。

 石油貨物列車は、大製油所から地域の製油基地への輸送が柱だ。神奈川県横浜市に根岸製油所があり、そこに臨海鉄道が敷かれている。今なお多くの石油コンビナートにはこうした鉄道貨物線路が活躍しており、製油輸送が鉄道に頼っている事を感じさせてくれる。
 特に、根岸の貨物臨海鉄道はけっこうな本数があり、その貨車がJR根岸線に入り、横浜スタジアムの脇を通過し、桜木町付近で高島貨物線に突入、生麦で東海道貨物線、新鶴見より武蔵野貨物線を経由して中央本線や東北本線、常磐線へと散らばるのである。

 うかいろ.jpg
(迂回路線の図・青が上越・羽越・奥羽・青い森鉄道、いわて銀河鉄道。黒線が磐越西線)

 今回の震災で一早く復旧した根岸製油所は、日あたり27万バレル(日本全体で消費される原油消費量の6%ほど)を生産を開始、しかし、それを被災地に運ぶ手段がなくなっていた。そこでJR貨物は、上越・羽越・奥羽線経由青森 → 盛岡行き貨物列車を設定したりした。3月18日、タンク車18輌編成が運転を開始し、その鉄道タンク車18輌という輸送力は、タンクローリー車40台分に匹敵する。
1..1993.3.14 羽越本線 新津〜鶴岡 (12).jpg 
 (羽越本線)
 さらに、迂回線として幹線だけでなくローカル線にも担ってもらい、そこで磐越西線(新潟県 新津〜福島県 郡山)が登場する。だが、ここ何年も貨物列車が通っていない路線で、ただ線路があるからって簡単に乗り入れる事は出来ない。

 規格、勾配、人員確保、そしてダイヤ作成、そして、旅客列車とは重量も違うためチェック項目が多く、通常ならクリアするために相当な時間がかかるのだが、今回は国家非常事態のため血眼になってチェックし、結果、わずか1日でクリアしたという。
 また、タンク車はJRの所有ではなく、石油会社、タンク車リース会社所有のため手配が大変であるのだが、何とかかき集めて大輸送が実現し、こうして製油されたガソリンと軽油が福島県郡山へと運ばれた。 


 私は仕事の関係でよく根岸製油所へ行った事があるのだが、とにかく製油所の敷地も施設もでかい。あそこにインドネシアなどからタンカー直接横付けし、6時間くらい掛けて陸揚げする。

 因みに、東京湾外には沢山のタンカーが待機していて、市原のコスモ石油の製油所も含めれば、東京湾(京浜・京葉港)だけで相当な石油精製能力があるのだ。実は、私が勤務したある年がちょっとした冷夏で石油が思ったほど消費されずに、多めに手配したタンカーを相当時間湾外に待たせた時があった。待たせている間は石油代に匹敵するほど延長料金がかかる。
 だから、少し電力の節約意識を高めれば石油が足りなくなる事態を恐れることはないかと。火力発電所の石油消費量は、これから来る夏に意外なほど伸びずに対応出来るのではないか、と個人的に思ったりもする。 超猛暑だったら事態は違うかもしれないが。

 さて、話を元に戻すと、こうした災害時の鉄道迂回路線の存在は、平時だと邪魔者扱いされるのだが、緊急時になると一挙に格が上がることもある。
 阪神大震災時は、東海道本線が壊れたため、迂回路として福知山、山陰本、播但、加古川線みたいな路線が迂回路とされたし、北海道の有珠山噴火の際には、普段ヨレヨレのローカルとなっている函館本線 山線区間(長万部〜小樽)が幹線に返り咲いたかのように貨物代(大)街道と化した(優等列車も運転)。

しかし、新幹線開業のたびにそれと平行している在来線はいつもピンチだった。今のところ、新幹線が開業して完全廃止された平行在来線は、信越本線の横川〜軽井沢間(群馬・長野県)だけだが、しかし、JRの管轄から離れて、地元自治体へ経営と所有を丸投げしてしまった区間が多く出現してしまった。

 こうしてみると、新幹線開業などで一気に平行在来線の存在が危うくなる場面ばかり遭遇している昨今のJRの状況だが、国鉄時代は国家の鉄道インフラ基盤を預かっている観点からこのような事態にはならなかった。

 今回、九州新幹線の博多〜熊本間が開業したが、珍しく平行在来線が廃止されなかった。これはローカル輸送だけでも人はけっこう乗るのでJRは手放さなかっただけなのだ。一方、南側の不採算区間、肥薩おれんじ鉄道(八代〜川内116km)は第三セクター路線となりJRから見放されている。

 しかしながら、しなの鉄道以外の、残された並行在来線の多くはJR貨物による貨物輸送を担っている。特に今回は、東北新幹線の新青森延伸でJRから見放された、いわて銀河鉄道、青い森鉄道は貨物輸送で普段以上に存在感を発揮した。これらの鉄道は決して地元だけの線路ではないことが証明され、それが今回の震災で在来線の貨物輸送の重要性が改めて認識された。

 国家インフラ基盤としての在来線鉄道、まだまだ重要な役目を担っている事を考えると、一民間会社、自治体会社だけに任せるのではなく、その存続を国家として支援する事は出来ないものだろうか。
http://www.kitekikaido.com/
1.北海道旅行(車)東北部 宮城県 (5).jpg 
(気仙沼線のとある春の記憶)
posted by kazunn2005 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年04月10日

黄金ライブ 北千住にて

「豆腐をつぶしたような顔」
 「娘の胸をもんで怒られました!」
 そんな自虐の笑いが満載された、昔ながらのコンビ漫才のライブを観にいってきました。
http://ameblo.jp/daikagura-senwaka/image-10818071656-11084944443.html

 事後報告で申し訳ないですが、これがとっても笑えたライブでした。私はこのようなライブにほとんど足を運んだ事がなかったのですが、やっぱりテレビで眺めるのと訳が違いますね。私にとって大きな発見でもありました。

 このライブは『黄金笑時代 ライブその2』
と銘打って北千住駅前の丸井デパート10階/シアター1010内会場の扉を開けて開催されました。

 出演者は、主役のビックボーイズをはじめとして、ダンシングチーム“弾心”による前座のダンス披露、ヘルシー松田さんのパントマイム、仙若さんの江戸太神楽・曲芸。おそらく名前を聞いても知らないと感じる人もいるでしょう。

 ビックボーイズとは、漫才協会所属のお笑いコンビでして、1992(平成4)年結成され、さがみ三太・良太さんを師匠としています。
P4091252.JPG
(ビックボーイズのご両人、フラッシュなしでぶれてしまいましたが・・・)

 ボケ役は主になべかずおさん、 北海道・滝川市出身。26歳の時に神戸で鳶職をしていたとき、オレたちひょうきん族の素人コーナー「なんですかまん・コンテスト」に出演し、それをきっかけに浅草フランス座で修行していた、との事です。

 相方さんは羽生ちゃん、優しそうな性格で舞台上ではいかにも突っ込み役といった方。静岡市(旧清水市)出身で、過去に大道芸人の三雲いおりさんと「プリーズ」というコンビで活動していた、との事です。
 ビックボーイズのコンビは約5年前に真打ちに昇進しています。

 昨日の舞台、ビックボーイズのコントはなかなかテンポよく、そして軽快に続き、持ち時間40分ほどの時間があっという間に感じられました。逆立ちしたり、空手を披露したりと、体力披露の場面もあり、その臨場感の味わいはまさにライブならではのもの。もちろん、体を動かすのは主に羽生ちゃんの役目。逆立ちさせられて、「もう下ろしてくれ」と叫ぶ羽生ちゃんになべさんは羽入ちゃんのズボンの袖を降ろしたり、両足を開かしたり、とまあ、躍動感激しいですね。

 ビックボーイズのコントの次は、ヘルシー松田さんのパントマイム。これがさすが大道芸人と知らしめる技の技術でして、はっきり言って言葉はいりません。野球選手のバッターボックス上の表情をスローモーションにしたりコマ送りを表現したり、つまり『表情』一つですべてを表現し勝負をしています。

 パントマイムは日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、ヨーロッパではなかなか地位が高い芸でして、たとえば、アムテルダムの市庁舎前広場などでは毎日、大道芸人たちの競争が繰り広げられています。極められたパントマイムにはけっこうな小銭が入っているのを確認しています。

 こうした‘静’なる芸もテレビで表現するにはなかなか難しいでしょうね。

 これに対して‘動’の芸である、仙若さんの江戸太神楽・曲芸は、失敗の可能性もあるのでハラドキ’のショー。急須の傘回しは緊張はしたものの何とか成功、見事でした。後で仙若さんに聞いたところ、相当練習したらしいですが、最大の夢は、今1歳になる息子さんと曲芸をやることらしいです。
P4091255.JPG
(仙若さんの傘回し曲芸の様子)

 こうしたベテラン勢のライブはお客さんの平均年齢が高くなりがちなもの。笑いのツボも若者と高齢者とは全然違ってきます。そうした高齢者への笑いに挑戦したのが‘世界少年’というコンビです。
http://ameblo.jp/sekaisho-nen/
 特徴的な顔立ちなので観ればすぐに記憶に残る事かと思います。当日のコントは、少し時事ネタっぽい感じでして、確かに若者向けかなぁ〜と感じました。私も「若者と年配方の笑いのツボの違いとは?」と考えてしまったのですが、今の若者向けの笑いとは、言葉や芸の技術よりも勢いや面白いと思わせる力があるかないか、なのかな?ちょっと自信がないですが。

 でも、この『世界少年』、『世帯少年』になる前にぜひ『ナイツ』さんのように羽ばたいて欲しいです。チャレンジ精神旺盛で夢がありますよ。
P4091257.JPG
(世界少年のご両人:筆者本人がすごくめっだってしまいましたが・・・)

 ライブの後、二次会で出演された芸人さんたちと飲む機会に恵まれましたが、皆さん、普段の服を着てしまうとやっぱり‘普通’の市民に戻ってしまうのですね(笑)。私は芸人さんってテレビの向こうの存在だから、我々とは違う世界からやってきた人たちだという認識が強くありました。

 大震災以降、東日本では笑いすら恐れ多い事態になっていました。私も先日の日記で、自粛について書きましたが、少し悲観的に鳴いてしまったような気がしました。こうした時こそ黄金笑ライブのような身近な『笑い』が必要なんだ、と改めて感じました。そんな笑いを求めた人が多かったのでしょうか、当日は椅子が足りなくなるほど盛況でした。

 なべさんは、「震災でこんな状況だからライブをやるかどうか迷いました」と吐露していましたが、周りの方々から「今だからこそやれ」というアドバイスがあり決断下との事です。結果的に正解でしたね。

 私はお笑いのライブの楽しさと重要さを改めて見つけました。先のことを見通して暗くなっても自分ではどーする事も出来ないのです。どうせ死ぬのなら楽しんで死ぬのもまた一考。今回は陶芸家の寒河江先生のお誘いでこうした機会をいただきましたが、今度は自分がお笑いライブを誰かを誘って足を運んでみようかと、と思っています。
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2011年04月03日

東北と九州

震災から23日、いまだに被害の全容がつかめていません。こんな国家的危機の下、どうしても心穏やかに普通の生活に戻れないものですね。海に放射能がガンガン出ているのに、とても民放のアホバラエティーを観る気がおきません。まあ、震災報道ばかり観ていると欝になるかもしれないのでたまにはいいかもしれませんが、しかし電波の無駄な番組が多いものです。
 そして、私は時事が載せたこの被災猫が頭から離れません。困ったものです。
 
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(大津波に巻き込まれ被災地のがれきの上でうずくまったままのネコ.体は泥だらけで近づこうとするとおびえた様子でこちらを威嚇した. 岩手県山田町2011年03月24日 時事通信社[1])

 話は変わりますが、久しぶりに笑点を見ました。以前浅草の東洋館で見た芸人さんが今日の番組に出ていました。やっぱり全国放送の力ですかね、正直言って東洋館の時のネタよりも面白かったです。芸人さんにとって笑点のような番組で芸が出来る事はどのようなステータスなのか知りたいものです。私も思考が、若者向けバラエティーよりも笑点のほうが面白い、と感じてしまうようになりました。

 さて、鉄道の被害状況の記事を見つけました。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110401k0000m040090000c.html

 以前、私の日記に載せた被災情報ものをより数値にして具体化させた内容です。こうなってくると、いくつかは廃線の運命を辿る路線も出てきそうで、それは沿線住民も覚悟は出来ているようです。道路の復旧は早いですが、鉄道となると重要度が低下するためマスコミの関心をあまり引かないのが残念です。

 思えば、学生時代に三陸海岸の鉄道を何度か訪問しました。もうあの時の風景はないと思うと心が痛いです。実は今日、部屋を掃除していたら、学生時代に全国を巡った時に集めた観光パンフレットがガサガサ出てきました。普通ならゴミ箱ゆきなのですが、私は貧乏性なので何でも手元に取っておくタイプ。今の今まで押入れの奥のほうで眠らせていました。
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(1997年時に集めた、JR東の三陸沿岸の駅のパンフレット/女川・盛・気仙沼【上】、小友・大船渡【下】)

 観れば、三陸海岸の観光地パンフレットがいくつか出てきて、しばらく読みふけってしまいました。上の写真は、JRの駅に置いてあった、駅周辺のオリジナル冊子で、この、個々の駅舎のスケッチ表紙絵が私は好きでした。もう、これらの駅舎は永遠にありません。当時はフィルムが貴重でしたので、駅舎ごとき一つ一つ写しても仕方がねえや〜、と思って撮影しませんでした。デジカメ時代となった今、それを大変悔やんでいます。

 
 ところで、震災の日の翌日に九州新幹線が開業しています。東日本のメディアには当然ながら完膚なきまでに扱われなかったので、新幹線が鹿児島まで繋がった事実を知らない人も多くいると思います。
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 (九州新幹線:2008年8月 出水駅にて)

 九州新幹線用の列車の愛称は、各駅停車タイプが『つばめ』、新大阪から山陽新幹線経由で乗り入れてくる連中で急行タイプが『さくら』、そして速達タイプが『みずほ』です。

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(昔の寝台列車時代の『みずほ』:1987年 東京駅)

 私は、3年前に西鹿児島まで向かうときに、熊本まで寝台特急『はやぶさ』で行き、リレー号で新八代で乗り換えて区間開業していた九州新幹線に乗った光景が昨日のようにまだ脳裏に強烈に残ってるので、どうもこの新幹線の愛称にピンときませんし(はやぶさは新青森行きにもっていかれたし)、新幹線が鹿児島まで繋がった事自体すら感覚が沸きません。
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 (つばめ号新幹線の様子:2008年)
 
 この3年という月日はあまりにも多くのことを変えてしまったようで、さらに、震災で3月11日以降、日本は全く別の時代になった感もあり、自分の身の上の大変化もあいまって最近、月日の流れに恐怖すら覚えるこのごろです。

 おととし、去年としばらく遠征はしていないので、日本経済活性化のためにも、今年は一つ、少し大きな国内旅行をしてみようと思っています。さしあたり、この九州新幹線に取り残された町と地方、そして、畜産と火山で大変だった宮崎にも行ってみたいなぁ〜と思っています。

 震災で心が暗くなりがちですが、来週あたりから旅を思い出すためにも、自己満足ですが、もう一つ旅日記を書いてみたいと考えています。

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posted by kazunn2005 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行