2011年01月30日

エジプトの暴動

エジプトのデモ死者100人超、「アラブのベルリンの壁崩壊」とも
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1486081&media_id=52

 先日のチュニジアの革命で大きな刺激を受けた形で周辺アラブ諸国に余波が続いています。はっきり言ってここまで大きなものになるとは思いませんでした。

 両国とも政治的に不条理な独裁政権の国家でして、不満が渦巻く中、何らかのきっかけでこうなることはある意味運命だったのかも知れません。両国に共通している事情は、私なりに思うこととして一つ、それは外国に対して開かれた観光国のため、外の情報が庶民レベルで伝わっていたことと、インターネットが普及している事らしいです。

 エジプトを旅した人たちと何回か話したのですが、かの国は庶民の仕事があまりにも少ないので、旅行者を見ると物売りや施し、それに自称ガイドが追いつきまわすらしく、ホテルもレストランも価格交渉に疲れる、と口々に言っていました。あ、ここで弁護ですが、決してエジプトがよからぬ国という意味ではないですよ。そういう事を抜きにしてみればとっても楽しい国、と言っていました。

 さて、あの辺で似たような状況下の国としてリビアもそうですが、上記のように外国人なら誰でもウェルカム!という訳ではなく、カダフィー大佐の独裁下、外国人の入国を比較的抑え、徹底した情報管理をしているため、今のところ大きな動きの報は届いていません。そこの違いですかね。ただ、今後どうなるかわかりません。

 一方、チュニジアとエジプトの異なる点を挙げてみると、まず識字率が極端に違うこと。つまり、教育をまともに受けていない、文字を読めない人々がエジプトの場合は相当数いるので、チュニジアみたいにtwitterなどを駆使し、かつ、革命にしては比較的理性が働く、という事がエジプトの場合期待できないかもしれません。
 つまり暴徒となり、治安部隊のかっこうの鎮圧理由となりえます。ミイラが壊された、とかありますが、暴徒と化した人々をコントロールすることは非常に難しいですし、怖いですね。暴力で対処する事しかなくなりますと悪循環が生まれますし、心配です。

 それと、国際社会の中の地位です。チュニジアの場合はそれほどアメリカの関心を買っていない国でしたが、エジプトは訳が違います。まず、あの国にはスエズ運河というものがあり、欧州貿易の生命線です。昨夜、英国のラジオを生放送で聞いてましたが、けっこう頻繁に報道されていますね。日本は対岸どころか、遠い国のお話的感じですが、当然日本経済に大きな影響を与えます。

 私は海運会社に勤めていましたが、対日本向けにスエズ運河を通る船ってけっこうあるのですよ。それに、これでようやく明るくなりはじめた欧州(ドイツ)経済がくるって株価や通貨が暴落すれば、日本にだって影響を与えます。そして資源価格が暴騰する口実となりえます。オイルショックも中東戦争が発端でした。

 「私はそういう(経済)話には疎いので・・・」などと真顔で言ってしまう亡国の首相には到底解らない事かもしれませんが、ホントだとしてもあんなメッセージを出すこと自体最低です。今、彼が日本国首相である事は、もしかしてこれから起こる事を考えれば相当イタイ事かと思われます。

 話を元に戻しまして、それともう一つ、エジプトの場合はアラブ諸国で唯一の対イスラエルの窓口のような国でした。その為、中東和平に協力的な独裁のムバラク政権をある程度見て見ぬふりをしてきたのはほかならぬアメリカです。もしエジプトが1970年代末のイランのようになってしまったらアメリカとイスラエルは相当困ります。何としてでも宗教指導者による政権の樹立は避けたいはずです。

 私はイスラーム圏の国々はモロッコとトルコ、イラン、そしてパキスタン(それにアルバニアかな)しか行った事がありませんが、比較的経済のうまくいっている国とそうでない国は訪れてみてけっこう一目瞭然です。
 まず、モロッコはあまり経済が芳しくなく、それで若者がずっとカフェや軒先にたむろしています。不満があるでしょう。やる気も希望もなくなるでしょう。人をだます事など躊躇しなくなるでしょうね。弁護士の資格がある優秀な人がタクシーの運転手をしていた例も出会いました。

 一方、経済のうまくいっている国の場合は、若者はなんであれ何らかの仕事についている人が多いので忙しいのです。そして人をだますとかそういう事に走りにくくなります。特に観光国と呼ばれる国ではないところがそういう傾向かな?と感じました。ただ、トルコのように、観光国でありながら経済もうまくいっている国もあります。

 日本も人事ではないですね。今年の鍵は、こうした国々の情勢如何によって世界経済が混乱するような大事に成るかならないか、かと思います。しばらくはこの騒動の成り行きを見守っていきます。
 ただ、日本の大手新聞記事だけだとどうも変な偏りがありますので、テレビであれば、NHKのBS1の各国の報道機関からのニュースも平行して観るようにしています。

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写真:ヤスドの旧市街 2003年 by 筆者
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2011年01月25日

チャーハンと水戸黄門

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寒い夜にはキムチチャーハン!ちょっぴり塩辛い風味のそのイタ飯をほうばりながら眺めるテレビ。その時そのチャンネルは水戸肛門がかかっていました。水戸肛門なんて久々に観ましたよ。

 藩や家老といった江戸時代特有の役職もさることながら、悪家老、お代官様、悪徳商人など、いつものなじみの時代劇悪役たちも勢ぞろい!こんなに解りやすい懲罰劇が末永く親しまれている国はどこの世界にもあまりないのではないか?

 実際の水戸様は諸国を放浪なんてしなかったのは誰でも知っていることだけど、こうした時代劇に出てくる悪代官とか商人、こんなに面白そうな隠密って実際いたのだろうか?と思ってしまう。

 ちょっとしらべて観ると、いたことは居たらしい。でも極めて少数派らしく、代官など単なる管理職なのでけっこう上からの締め付けが厳しく、さらに多忙を極めたので、そんな悪事をしている暇(いとま)などないのが実情だったらしい。

 さらに、西国のほうへ行けば行くほど徳川のご威光は薄くなり、葵の紋所を呈して『ハーハー〜』と実際いったかどうか怪しい、とのこと。江戸時代は長いけど、けっこう関が原のしこりがずっと尾を引いていたとか。
4..1990.3月 姫路城.jpg
(1)

 ところで、悪徳商人がよく袖の裏に隠して山吹色のお菓子☆を家老や代官に垂れるあのシーン。代官『おぬしもワルよのう〜』商人『いえいえ、お代官さまほどでは(ニヤリ)』。よく考えましたね、これは日本ドラマの名セリフだと私は思ってしまう。もちろん実際はそんな事あるわけなかったけど、そんな事がしっくりくるほど、時代劇へのイメージ、そして日本の文化と土壌がコラボレーションしたのではないでしょうかね。

 結局、悪党は斬られるか、オブ業様の裁きで打ち首獄門、良くて終生遠島になりますが、私は実際そのシーンを観て見たいです。そして、正義の味方が悪役にコテンパにやられる巻も期待します。

 シーン26
『えちごや、火あぶりの刑、介さん市中引き回し!』
などを実技で。最期まで描きましょうよ。因みにキリシタンや石田三成とかでは観たことあるのですがね。

 因みに、近年時代劇が衰退傾向ですが、最近の時代劇でたまにけっこう質がいいのを見かけます。たとえば、江戸庶民の風俗や文化をなかなか忠実に描きながら物語が進むドラマとか。テレビドラマの『御家人斬九郎(主演 渡辺謙)』なんか、江戸の町や当時の明とかの対外関係(第4話 「青い肌の謎」 )などを描いた巻もあって興味深く観ました(もちろん史実に必ずしも忠実というわけではないです)。

 ところで、なぜ日本人は時代劇のあの勧善懲悪形式が好きなんでしょうか。思えば、あの奉行所の裁きなんか無茶苦茶でしょ。悪党だって訳あって悪事を働いたのに弁護士なし。奉行の独断と偏見も時には可能にしてしまうあの制度に拍手喝采を浴びせてしまうこの土壌。あっしは遠山の金さんなどの奉行系だけはどうも解せないのですよ。

 さらに、敵討ち、これって復讐でしょ。これが現代で許されたらどうなんでしょうかね。明治で禁止になったらしいですが、もし、私の娘や猫が惨殺されたら復讐に立ち上がるでしょうね。だって、たとえ犯人が逮捕されても法律は復讐してくれないからね。

 なんか、話がそれたけど、水戸黄門を観ながらいろいろ思うのでした。
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(2)

写真いずれもby筆者

(1)姫路城 平成2年
(2)加古川線野村駅(現西脇市駅) 平成2年
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2011年01月23日

薄暗い履歴書

 寒い日々が続いております。先ほど、スパゲティーを作りました。ナポリタンにしようか、ペペロンチーノにしようか、最終段階まで迷いましたが、意外にも何もしませんでした。つまり、オリーブ油だけというものです。味は、ゆで汁の塩と、にんにくやピーマンから染み込むのでけっこうOKでしたよ。
 こうやって毎日一人で作っています。誰かに作ってあげたいという思いは常にありますけど、今となってはもう夢のような話です。

 さて、こんな平凡な毎日だと書くネタに困ります。で、今宵は旅の話しではなく前職の事について書こうと思います。

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 ● 港、そして線路際から大空へ

 先月の今頃は、まだ前職の机でいろいろやっていた事を思うと時の流れは速いものです。正直言って、珍しく仕事が楽しいと思った時間でした。やはり私は、背広姿のまま仕事するよりも、制服のほうが性にあっているんだなぁ〜と思いました。

 昨年の春、とある所からの紹介で入った会社はJRの線路際にありました。その縁からか、JRからたくさん受注を受けている製造メーカーでした。まあ、たまたまでしょうけどね。
 私は趣味は鉄道、仕事は船舶業界が長かったので、やっと念願の鉄道に関係する仕事が出来る!と内心ウキウキしました。

 しかしながら、私を求めていたのは鉄道ではありませんでした。その会社は、『鉄道』『信号機』、そして『航空』という、大きく分けて三部門で構成されていて、私を求めていたのは『航空』でした。他の部門は、同じ会社にありながらまるで他の組織のような感覚で、接触は皆無でした。よって私は100パーセント航空部門の中で完結する業務担当となりました。

 正確には、航空のどの分野かと言うと、航空シートを造っている、という事になります。ここまで書くとどこの会社なのか、解る人ならわかってしまうと思います。私はその座席の部品を収めるメーカーからの書類チェックの仕事でした。図面通りに造っているか? 書類の見方は大丈夫か? 不備があれば訂正を指導する、そして客先(航空メーカー)への英語への翻訳などが主な任務でした。

 実は、航空の製造というのは日本では非常に限られています。戦前、ゼロ戦など多くの傑作品を生み出した日本航空技術。しかしながら戦後、GHQによって航空製造は禁止され、独立後も戦闘機の修理・修繕など、日本企業が携わる事は限られていまして、そういった時代が続きました。

 ようやく航空製造が許され、自衛隊以外にも日航など民間の航空部門の仕事も出来るようになり、1956年(昭和31年)に連合国による航空禁止令が全面解除となりました。やがて日本航空機製造という会社が出来、国産の旅客飛行機も造るくらいまでになりましたが、航空機というのはどうもお上の独占でしたので儲けにならず、多額の赤字を抱えてその会社は解散されました。

 その影がまだ日本の航空製造の足をひっぱっていて、なぜ日本製の飛行機がなかなか飛ばないか、私は前職を経験して少し感じたものがありました。

 ● 厳しい航空基準

 航空部品はとても厳しく品質を求められます。

 それは、鉄道や船と比較して想像以上の厳しい基準が立ちはだかります。

 ほんの一例を紹介します。
 
 仕入れた部品の素材や材料はどこから来たものなのか、それを書類で証明しなければなりません。番号で各々管理してその証明書類を材料会社からもらう。つまり、もし飛行機が墜落したときに、その燃えた材料の出所を容易につかむことが出来る体制のためです。

 それらは国内もあるし、海外の場合もあります。

 少々難しくなりますが、それらは本邦国交省航空局にて定められた仕様承認と製造証明というものがあって、材料をはじめ、それらは、設計どおり造りましたよ、と証明できるようにする一環です。航空業務に携わるものはその航空研修を受けなければならなくなり、私も散々受けました。

 話を少し戻して、その‘使用承認’ですが、一個一個証明もらっていては大変なので、設計どおり造っている、という、‘認定事業場’というのが認められればいちいち証明もらわなくてもいいのです。

 問題は、これは日本だけではなく、飛ぶ先の国、FAA(米航空局)やEASA(欧州航空安全庁)のものもクリアしなければいけないのです。逆にいえば、米国のほうが厳しいので、そちらで認定されれば、全世界で通用するのです。

 しかしながら、私のいた事業所は大きな不祥事によってこの認定が取り消されました。そして、改めて新しい体制を取るべく、いろいろな改革をしていますが、会社としての方針が二転三転してしまい、かえってお客さん(航空会社)だけでなく、部品造りを委託している会社(下請けに近いけど)の信用を失っています。

 ● 委託先≒下請け会社

 例えば、委託先会社が、このAという部品を納品するために、今までは「これとこれの書類を提出してくださいね」とします。ところが、ある日から、「今後はこれもお願いします。それが無いので、今まで納品したものも駄目です」と言ったら、怒るでしょう。
 「これからならともかく、過去の分はどうしようもないですよ!当時はそれでいい、と言われていたのだから、そりゃないよ、勘弁してください」と泣きが入ります。
 さらに、日が経つと、今度は、「この部品の材料の出所を証明する書類がないと駄目です。もちろん過去のものまで」となったのです。会社も委託先も大混乱です。部品の材料を証明する、と言っても、Aという材料とB材料を合わせてC材にして、それをZという会社に納品してZはDという材料を作ったら、全材料の証明書をどうやったら取寄せられますか?
 頭ゴチャゴチャになりましたか?私も混乱しました。一方、材料会社から見たら、「そんな証明書類、どこに売ったか解らない、流通経路の末端の会社にそんな契約書交わしていないから出せねーよ」となります。

 よって、‘使えない’と判断された部品が山のように膨れ上がり、最終的には『廃棄』です。また、委託先にも十分なお金を払えない現実が出てきます。委託先を『下請け会社』と呼ばない理由は、お互いをパートナーとして扱う姿勢からでしたが、危機が迫るとなかなか理念通りに運びません。今思えば、委託先にずいぶんと無理をお願いいたしました。

 さて、会社は大量の廃棄処分と、納期までに間に合わなかったことによる損害遅延金、そして賠償金という重荷を航空メーカーに背負わされた格好になりました。

 そもそもは、マスコミも取り上げたほどの大きな不祥事が会社になければこんな厳しい基準を適用されなかったでしょう。信用を失った、または‘信用がない、という事はそれほどハンデだったのです。

 ● これからの日本の製造業

 なぜこのような醜い状態になったのでしょうか。

 まずその不祥事とは、今流行の内部告発からだったのですが、それによってトクをしたのは海外の航空座席メーカーというオチでした。つまり自滅です。
 二つ目、日本の国土交通省の航空局の基準に対するスタンスと海外の基準とがかみ合わない事態が生じ、それが会社のダメージを大きくしました。

 海外の場合は、そうした航空機製造の法整備や使用認定、そして製造の計画から発注、納品までシステム化されており、どんな部品が使われるのかすべて決まっています。だから、海外航空メーカーの座席はどれも似たようなものなんですね。ある意味リスクは少ないのです。一方、日本のこの会社の座席はいわばオーダーメイドみたいなものでして、それが強みだったのですが、結果的に欧米勢につぶされたカッコウです。
 そして、どんなに技術が良くても法規や規則、そして基準が不完全なものであれば、そこで造られたものは世界では通用しない、というのが掟です。

 今、鉄道業界が世界へ打って出て行こうとしていますが、そうした航空の轍を踏まないことを祈っています。つまり、航空のように欧米の基準こそが世界基準(スタンダード)として確立される前に、ぜひ、鉄道は、技術だけでなく、基準や法規が日本仕様=世界スタンダードとして確立されればいいな〜と思っております。

 そして、日本の製造業をよくするために、アジアに出て行くのも良いですが、そうした技術の蓄積と厳しい品質基準を企業が保持することをお上が守る事も重要ではなか、と思ってます。ドイツは、製造業が外国に出るのを防いだために今の力強いドイツ経済がある、と誰かが言っていました。やはり、ものづくりこそが国の礎なんですね。

 ● いまおもえば・・・

 そうしたハチャメチャの会社でしたが、同僚や上司は有能で大変いい方ばかりでとても働きやすい所でした。大量の残業でも耐えられた理由の一つです。女性がいない点を除けば居心地の良い職場でしたね。働きやすい職場、長続きする職場、コミュニケーションがうまくいってる会社は再起して欲しい、と心から思っております。

 私は運悪くて悲劇的な業績の部署だったために去ることになりましたが、なかなか勉強になりました。こんな知識や経験が役に立つとはなかなか考えずらいですがね。

 因みに今の職場は背広を着ながらのIT系の職場です。やっぱり私は制服の職場のほうが性にあっているなぁ〜と痛感しています。どうなることやら、あまり自信がありません。

 ただ、履歴書の職業欄がまた一つ足りなくなった事は確かです。

 ではまた。
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2011年01月20日

こんなときこそ行ってみたい

チュニジア:与党が前大統領と側近除名 野党批判回避狙う
http://mainichi.jp/select/world/news/20110120k0000m030090000c.html

チュニジア情勢が気になっています。私はチュニジアが一番こういう荒々しい革命とは程遠いものだと思っていましたが、意外でした。チュニジア経済は今回の騒動で停滞し、主力産業の観光業は壊滅的な状況と、フランスのテレビ局2(デゥー)は伝えています。

 何が起きているのか、現場で見たい、こんなときこそ私は行ってみたいのですが。怒られますかね。

 心配なのは、革命が起きたあとのことです。イラクのフセインの時のように治安は乱れ大混乱に陥るのでしょうか。こうした混乱につけ込んで、イスラム原理主義的な勢力が幅を利かすような状態だけはなってほしくはないです。

 隣国のアルジェリアのブーテフィリカ大統領、リビアのカダフィー大佐、エジプトのムバラク政権、ヨルダンの国王、シリアのアサド政権、サウジアラビアや首長国連邦、バーレーンなどとけっこう民主的とは言えないイスラーム国家が周りを取り囲んでいます。そうした国々に影響が及ぶのか、東欧のときのような事態が懸念されています。

 
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 今週から新しい仕事となりましたが、前職が天国に思えるほど恋しいです。仕事とはいえ、仕事仲間と一日中 一切の会話がないのは何よりも辛いものです。環境も変わり、つまらない転職も疲れました。

 では。
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2011年01月16日

チュニジア情勢

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(カルタゴ遺跡〈ウィキペディアから〉)

おととい、イギリスのラジオを生で聴いてたら、チュニジアの大統領が国外に逃亡し、革命が起きたらしい、と刻々と報道していました。たくさんの観光客がチュニジアにいて、イギリス人観光客だけでも数百人が足止めをくらっていたという内容です。よって、トーマスクック社ではチェニジア行きのツアーを中止にしたようです。

 チュニジアという国はどこにあるのか、それは北アフリカ、地中海沿岸の国。人口約1千万人の小さな国のその首都はチュニス、対岸をイタリア、陸地ではリビアとアルジェリアに挟まれています。南のほうは砂漠が続いていますが、けっこう農地もあるようで、それがこの国の経済を支えています。
チュニジア.jpg
(チュニジアの位置)

 ●チュニジアへの道

 私がイタリアのシチリア島に行ったとき、明らかにイタリア人とは違うオーラーの人々が妙にたくさんいました。機会があったので聞いてみると、『チュニジアから来た』というではありませんか。シチリア島から直線でアフリカ・チュニジアまで約150キロという近さです。

 私はかつてエジプトからリビア→チュニジア→アルジェリア→モロッコという地中海沿岸紀行を計画した時がありました。チェニジア・アルジェリア・モロッコはマグレブ三国と呼ばれていて、‘マグレブ’とは『陽の沈む地域』との意だそうです。なんだか日本人と中国人が聞けば複雑な心境の意ですね。

 入国に際して日本人はチュニジアビザは必要はなく、エジプトやモロッコも同様です。リビアのビザは何とか手に入り陸路横断が可能だったのですが、問題はアルジェリア内のビザと治安でした。そのため、アルジェリア:モロッコ国境が閉ざされていて横断不可能でした。よってスペインからモロッコだけ訪れました。

 昨夜、旅とも’のてらちゃんに聞いたところ、現在もその状態は続いているとの事で、どうしても陸路横断をしたいのであれば、さらにアフリカのモーリタニアとか経由すれば?との事。さすがにね・・・

 ●チュニジア情勢

 さて、そのチュニジア情勢ですが、逃げ出したベン・アリー(Zine El Abidine Ben Ali / زين العابدين بن علي)
大統領はサウジアラビアにいるそうで、首相と下院議長が暫定的に政権を担っているそうです。

 一連の革命報道を耳にしていると、前大統領がいかに悪い奴か、という感じもしなくもないですが、実はベン・アリー前大統領は思い描くような圧政大統領だったわけでなく、いろいろな改革を行っており、欧米からとても褒められていました。つまーり!、他のイスラームの国々と違ってEUの影響下にぶら下がって面倒を見てもらってきた、という感じもしなくもありません。

 チュニジアはイスラームの国です。イスラームは小さな宗派もさまざまありますが、スンニ派に対してシーア派、大きく分けてこの二つに分かれていると言われています。チュニジアはスンニ派の国です。両者はイスラームの預言者 ムハンマドの後継者に対する解釈の違いで分かれていますが、残念ながら仲が悪いですね。

 イスラームと言うと、サウジアラビアやイランのような厳格なものを思い浮かべますが、チュニジアはとてもゆるやかで、女性は必ずブルカ(スカーフ)を身に着けなければいけないとか、戒律を絶対視する、といった事はないようです。ま、トルコみたいに欧米文化も取り入れている比較的穏健で自由の国ぽい感じがします。しかし、トルコと違った点は、議会はありますが、大統領の権限が大きすぎて独裁的だった事です(トルコは欧米的民主国家ですが軍の発言力が大きいです)。

 地理的にヨーロッパに近いのでヨーロッパからの観光客がたくさんやってくることも国のイメージ向上の助けになりました。農業・鉱業に続き観光業も大きな産業の一つで、チュニジアは高い経済成長によって国が豊かになっていきました。といってもEUの下請的経済の様相ですが。

 さて、改革に執念を燃やし、人気者だった前大統領も次第に腐敗めいてきます。調子に乗って勝手に憲法を変えて再選を可能にしました。
 90年代から少しずつ苦しくなってきたとはいえ、豊かさ、つまりカネこそが平和と安定への近道、という事で、大統領の腐敗と強権的姿勢は眼を瞑っていても国民は耐えられました。そうした比較的好調な経済が政権を支えていたのですが、世界的な経済危機でチュニジアも苦境となり、最近の資源価格の上昇によって物価が高騰、経済が厳しくなってきました。

 そうなると、大統領一族の独占企業への反発、腐敗が目立つようになり、抗議すれば死傷者を伴う弾圧に発展、悪循環に陥ります。今回の革命で真っ先にやられたのは、前大統領一族が経営する商店と治安当局の建物らしいです。どんな正義の味方でも、23年も権力を握っていれば腐敗してしまうのですね。そして国民の怒りに気付かなくなるものなのですね。

 ●観光国とて魅力のチュニジア
 
 チュニジアは、他のマグレブ三国と同じくフランスに支配されていた関係でフランス語が通じる国です。モロッコもそうだったのですが、メルシーとか普通に通じますし、道路標識も現地語とフランス語併記です。そうした環境もヨーロッパからの観光客が行きやすい面なのでしょう。

 今回の騒乱でたくさんのヨーロッパ系観光客が閉じ込められていたようで、何とか帰国した人々は口々に「恐怖だった」と言っています。しかし、観光客が殺されたという報道は今のところありません。けっこう教育水準が高くて秩序があるようです。

 今回の革命は、東欧の時と違ってツイッターなどインターネットが広く駆使されたようです。抗議の焼身自殺が発端との事ですが、そんな情報が瞬時にネットを経由して広がってゆき、国営放送は役に立ちませんでした。

 こうした革命方法がむしろサウジアラビアなど、独裁制のほかのイスラーム圏諸国に衝撃と警戒を与えたことは確実なようです。そして中国も・・・

 チュニス旧市街やカルタゴ遺跡などの多くの世界遺産、ノスタルジックな鉄道など訪れるには魅力的な国なので私も一回はぜひ行ってみたいと強く思っております。それにはもう少し現実でがんばらねばいけませんね。明日から新しい仕事が始まります。

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2011年01月13日

人生紙くず機構

■気づかずに金券が紙くず…金融庁が対応要請
(読売新聞 - 01月13日 20:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1467792&media_id=20

 ほらアンタ!

 アタシャ知らなかったよ。なんだってさ、法律(資金決済法)の改悪でさ、使えなくなる金券があるだけでなく、払い戻しもダメになるんだってさ、

でさ、探したよ、であったあった。むかーし、大学の入学祝でもらった図書券と文具券、そしてビール券。さあ、この中で本当に紙くずになる券があります。どれでしょう〜?

『う〜ん、じゃ、図書券?』

ぶーーーーー。答えは文具券!
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 そういえばふみカードとかオレンジカードなんかの金券カードもそうだったのだけど、アタシャ元来貯め込む主義なので、使わずにとって置くのがクセでね。だからテレホンカードも国鉄・JR時代のオレンジカードがタンマリあるんでさぁ〜

 ところが、買っていた株の会社が去年倒産して、株券も株主優待券も紙くずになっちゃってさぁ〜、オイラ泣き入ったよ。だから、これから信じるのは現金のみになっちゃって・・・

 で、さらにこんな変な法律作られたら、変な話、ビール券も図書券も〜券と付くやつはみーんなこっそり廃止してサイナラ〜!ってなりかねない、おっかない世の中になりっちゃったねぇ〜。

 とりあえず文具券はさっさと現金化しま〜す。文具なんて職場からかっぱらってきたもので余っているから買わないしね。

 ところで、明治乳業鰍フギフト券<彩>AYAアイスクリームってでて来たけど、アイスまだ買えるかな?因みに平成3年です。有効期限なしとあるけど。

 やがてぜーんぶダメになるんじゃないのかね?日本銀行券も?!


 みなさんも、おきっぱ、しまいっパの金券、紙くずの危機が迫る金券あるのでは?

◆主な金券の払い戻し期間◆ (参考)
・ヘルスギフト券(※) 2010年8月1日〜9月30日
・すかいらーく商品券 2010年9月1日〜11月30日
・すかいらーく・おいしいカード 2010年9月1日〜11月30日
・すかいらーく・Dining Card 2010年9月1日〜11月30日

・全国共通文具券 2011年1月中旬〜3月中旬(予定)
・音楽ギフトカード 2010年12月1日〜2011年2月1日
・花とみどりのギフト券(注1) 2010年11月1日〜2011年1月14日
・JCBトラベル旅行券 2010年11月2日〜2011年1月6日
・JCBTRAVEL旅行券 2010年11月2日〜2011年1月6日
・MONDEX 2010年11月2日〜2011年1月6日
・名鉄パノラマカード 2010年12月1日〜2011年2月28日
・共通食事券すし券(※) 2010年12月20日〜2011年2月28日 
・ライブドア・ウォレットチャージ 2010年12月1日〜2011年2月1日
・ライブドアポイントの一部 2010年12月1日〜2011年2月1日
・鰍沢(かじかざわ)共通商品券(山梨県) 2010年10月27日〜12月28日


【参考】
・国民生活センター http://www.kokusen.go.jp/recall/recall.html
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2011年01月09日

日曜 雑談 1

 沼津市内富士.JPG
 昨日、祖父の49日法要がありまして、電車で沼津のほうへ行って参りました。その際に、大船駅で臨時の踊り子号特急が迫っていたのですが、今日が運転日かどうかわからず、そういう事で駅員に聞きました。すると、時刻表には1月3日までしか運転日が書いていませんでしたので、駅員に『今日は運転しません』と堂々と言われました。

 『じゃ、しょうがない』という事で普通電車で向かったのですが、途中の小さな駅、根府川で思いっきりその‘乗るはずだった’臨時の特急に抜かれてしまいました。特急電車が去った後の無常な波音の響き、ポカーンとしてました、はい。

 ま、些細なことなのでどうでも良いのですが、法要自体は無事に済みました。そこでは、最期に小さく刻んだ御餅を塩にほんの少し付けて二、三くちいただく儀式があり、それをペロンといただければ、御霊も御怫となって天国へ昇天。その後はお墓参り。この集落では、葬儀時においてすでにお墓へ納骨を済ませているので今宵は墓参りだけ。穏やかな海を見下ろす丘の墓地で、静かに御霊を慰めました。

 田舎なのでいろいろなしきたりがあるのですが、近年、そうしたしきたりを守る集落のお年寄りが高齢化し、人口も少なくなってきたため、昔に比べて省略モノが多くなってきました。

 昔は法事が在るごとに隣組という集落の婦人組織がお念仏を唱えていましたが、今では皆さんがご高齢になり、念仏を唱える若い人がいなくなったためこれも省略されました。念仏をやればまた、各戸に包みを持ってお礼参りといろいろあったのですがそれも今や昔の話。

 確かに田舎の伝統ある集落や村ではしきたりや作法がうるさく鬱陶しいと思うかもしれませんが、それらは表裏一体で『助け合い』の精神として自らも助けられるのですね。農耕、漁民民族日本の一つの文化だったのですが、第一次産業が崩れ、日本人の多くが核家族化、都会民族となってしまうとそんな必要ないためか、こういったものはなくなってしまいました。それもまた運命なのでしょうかね。

 
 さて、いろいろとありましたが何とか落ち着いたようです。

 先日、雪の只見線を利用し、

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(氷雪のしろがねみち)

福島県の会津を訪れ、若松市内にて酒蔵を回ってきました。酒蔵の人も言っていましたが、これより少し前に超ドカ雪が襲って大変だったようです。いくら雪に慣れているからと言っても降り方が異常で大変だったそうです。それでもこの冬全体の雪の量はまだそれほどでもないのですよ。沿道には高く積み重ねた雪の壁が溶け出して足元をふらつかせてくれました。

 酒蔵はもちろん日本酒の酒蔵です。今回は末廣さんと鶴の江という酒蔵を訪れました。日本酒を飲まないので全くの知識ゼロでしたが、酒蔵の社員の方が私に解る様に親切に教えながら案内してくれました。早速酒の香が鼻から右脳に突き刺さります。酒を造っているところを観るのはスコットランドのウイスキーの醸造所以来。

 樽の中をのぞいて見ると、18日前に仕込んだ麹が生きているように泡を吹いているのですね。

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(精製する前の酒用米、ササニシキ)

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(生きている日本酒)

 そういえば日本酒って寒い地方の米どころにおいて醸造が盛んですね。日本人は米と共に歴史を歩み、欧米文化を取り入れた明治のころに、伝統の日本文化の一つ、日本酒造りを一挙に発展させたことは日本人の優れた才覚をあらわしているなぁ〜、と思いました。ただ、近年酒用のお米が手に入りにくくなっているようです。当然ですが、食用と酒用とは全く米は違います。
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(末廣酒造のお酒たち)

 そんな事を思いながら私は勧められるがままにいろんな銘柄の酒の試飲をしてゆくうちに利き酒だけで酔ってしまい、帰りの電車は気持ちの悪い道中でした。

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この年末年始、出かけたといったらこれくらいです。

 
 さあ、今週も引き続き面接作戦なのですが、ほんとに厳しいですね。まあ、面接も散々やったので慣れてしまい、どんなに人格を否定されてもへっちゃらです。でも最近思うのは、留学や旅で何年か日本を留守にしている期間を指摘されるのですが、これって相当不利なんだ〜ぁ、と感じています。つまり、転職回数は少ないほど良く、履歴の歯抜けをけっこう否定的に観るところが多いのですね。これが若年層の『留学は就職に不利』と映り、日本人の留学者数が減っている一つの、ほんのひとつの要因なのでは?と思ったりもするのです。

 ところで、実は一件決まりそうなのです。仕事内容は贅沢言ってられないので仕方ないのですが、しかし、通勤時間がネック。乗り換えも含めて2時間もかかるので考えているところです。それに、前職と違い英語を全く使わない職場なのでこれでいいのか、と自問しているところです。
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posted by kazunn2005 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年01月07日

クリスマス終了〜

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17.ブランデンブルク門.jpg


http://www.youtube.com/watch?v=17dP0QvjsOU

 今宵はダブルの面接を受けてきて、帰りは鉄道が大混乱!やっとの思いで帰宅し、寂しくククレカレーを食べながらクラシックを聞いていたら、見慣れない番号から電話がかかってきました。電話の主はドイツの友人でした。
 
 日本時間夜10時に電話がかかってきたので、「あれ?そっちは昼の2時でしょ?仕事は?」と聞いてみると、今日は祝日で休み、だそうです。

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 「あれ?祝日?クリスマスも新年も終わったのに、おしるこでも食べるの?」と聞いたら、れっきとした宗教祝日だそうです。ただ、友人がいるババリア(バイエルン)地方は祝日で、祝日ではない州もあるとのこと。

 その祝日の内容を彼女から英語で聞いたのですが、難しくてあまり理解できてない。で、こっちで調べました。確か、エピファニー(Epiphany)って言っていたな?

 するとありました。日本語では公現節というのだそうです。イエスキリストの聖誕祭の一つだそうですが、公けにイエス・キリストが神性を人々の前に現した、とされているのだそうです。そして、キリストが生まれたあと、東方の三博士(カスパール・メルキオール・バルタザール)が訪問してお祝いを述べたことを記念する日、だそうです。


 日本語で読んでも何だかよく分からないけど、要は年末から続くクリスマス祝賀の最終段階ということ。因みに、クリスマスとはキリストが生まれた事を記念する、と教わったけど、正確にはそれは誕生日ではなく、あくまでも生まれた事を祝うだけ。新約聖書にはどこにも正確な誕生日を書いているわけではないのです。

 12月25日から12日間を降誕祭としてあり、12日後の1月6日が公現祭として祝う宗派が多いらしいです。特に西側カトリック教会&プロテスタント諸派では12月25日を大々的にやるものだから、公現祭の存在が日本では知られなかったのかもしれません。

 私がイギリスにいた頃は、12月25日、26日なんかバスや電車がぜーんぶ運休するもんだから、期待していたクリスマスはとってもつまらないものを感じました。1月1日なんか、年があっけなく明けて、1月6日、7日あたりにクリスマスの飾り物を一斉にしまった記憶があります。だから、公現祭というのを実感せずに、ただ、『クリスマスが終わる日』としか認識していませんでした(英国は宗教離れが激しく、近年商業主義的傾向がありますが・・・by 英国国教会)。
 
 因みに、西ローマの親方、カトリックに対して、東ローマの横綱、正教会(ギリシャ正教)ではこの公現祭こそがクリスマス、として大々的に祝っている国があります(正教は国ごとに教会が独立しているので各々違う)。ロシアなんか7日がクリスマスですかね。

 日本は、12月23日がキリストではなく天皇陛下の誕生日、25日が大正天皇誕生日なので、昭和天皇や明治天皇のように何かに故事当てて祝日にすればお休み大レンチャン!変な祝日を作るよりもいいのに、と思うのは私だけかな? ,
 と思ったら大正天皇誕生日は夏であり、12月25日は崩御した日!よって決して祝日には出来ませんね。

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2011年01月02日

好奇心減退の危機

平成23年が明けました。正月といっても何もすることはなく、求職活動も相手が全部休業中な為、家の中で本を読んで、食べて寝て、掃除する、そんな時間を過ごしていました。ゆっくりする時間がありすぎたため、少々だらけてしまいました。

 この機会にどこか遠くに行こうか?!と思っていましたが、この先何が分からないので腰が重いままでした。しかし、家の中でずっといては健康にも悪いです。ちょっと雪のある、どこかへ行ってきます。

 先ほど、時代劇スペシャルを観てまして、久しぶりに戦国時代のことを勉強しました。思い浮かべば、高校、大学時代、けっこう城や城跡めぐりをしたものです。当時は城跡を見てもあまり感じなかったのですが、けっこう知識を得た今、また同じ場所に行けばまた違った思いを巡らすのでしょうね。

 旅はその地を多少なりとも勉強して赴いたほうが一層価値が増す、これは私の痛感していることです。あの、3年に渡るアジア・ヨーロッパの旅で、多くの世界遺産や城跡、遺跡を巡りましたが、旅行している当時は、オスマン・トルコの歴史とか、まったく知りませんでした。帰国してから歴史の本を読んだりしたので、今となってはかの地を想うだけです。

 今年は鉄道だけでなく遺跡めぐりをして、いろいろ書きたいものです。一回でいいからエルサレムに行ってみたいな、と思っているところです。海外がすっかり遠くなった今、一回の旅行がとてつもなく大きく感じそうです。

 そう。このように楽しい事を想う事こそが大事だと、書にありました。最近の私は目の前の現実に負けてしまい、どうもあらゆる事に興味が薄れてしまいがちになってしまています。いけない、いけない。

 とにかく、どこかへゆこう

(写真は豊後竹田(駅と城跡) 大分県  1996年)
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